名無しとシチューと老人と。

キャラクターノベル制作 桃谷かな納品 2020年11月06日 20時06分18秒

「……?」
 うっすらと見えた天井には、見たこともない渦巻き状の木目。
 ベッドに横たわっているらしい身体は鉛のように重く、わずかな身じろぎにすら激痛を覚える。
「目が覚めたか?」
 不意に視界を遮ったのは、ヒューマンらしき皺くちゃの老人の顔だった。
「えっ? あっ……うん。……あれっ?」

 ――誰だっけ?

 そう口に出そうとして、ハッと思いとどまる。
「ここはどこ? 僕は……誰?」
 老人の顔が驚きに歪み、そして労わるような、悲しむような表情へと変わっていく。

 何も思い出せない。

 僕の名前は?
 僕の家は?
 家族は?

 僕の身に、いったい何が――?

「……これから僕、どうなっちゃうのーー!?」

●
 季節は冬。窓から見える木々はすっかり葉を落とし、寒々しい姿を晒している。
「おじいさん、おつかれさまっ!」
 村の作業場から帰ってきた老人を、『ハガネ』は台所から首を伸ばして出迎えた。

 結局、この老人に拾われる以前の記憶は、何ひとつ思い出すことができなかった。
 名前の一文字すら出てこないものだから、不憫に思った老人が『ハガネ』と名前をつけてくれたのがつい先日のこと。
 まるで鋼のような髪色が、その由来だという。

 老人に温かいシチューを振舞い、自分も食卓につく。
 料理が特別に上手いわけでなかったが、隣の家の親切な老女が教えてくれたシチューとスープは美味しくできるようになってきた。

「うんっ! やっぱり、この村のニンジンは美味しいね。このカブも……あれ? 大根だったかも!」
 記憶がなくとも、ごはんは美味しい。
 生来の性格なのか、それとも変わってしまったのかはわからなかったが、ハガネは今のところ、「そのうち思い出すんじゃないか」くらいの脳天気さで日々を楽しく過ごしている。
 ハフハフと熱々の野菜を頬張る彼の話を、無口な老人は目を細めて頷きながら聞いていた。

 老人や村人によると、ハガネは1ヶ月ほど前の雨の日に、村の近くの街道で倒れているところを発見されたという。
 小柄な身体のために最初は子どもだと思われていたが、やや大きな手足と尖った耳からハーフリングであることがわかった。着ていた衣服は泥と血にまみれ、ところどころ引き裂かれた酷い状態だったようだ。
 何があったのかは不明だが、田舎の街道沿いでは獣や野盗に旅人が襲われる事件も稀に発生する。それから、貴族の馬車に撥ねられた者が無情にも放置された事例もある。恐らく、ハガネも何かしらの事件や事故の被害者ではないかと思われた。

 体中に打撲や傷を負った彼を、老人は献身的に看病し、今ではこうして生活の面倒もみてくれている。

『いつまでもお世話になるのは気が引けるし、いろいろな土地を見て回れば何か思い出せるかも』

 そう言って旅立とうとしたのだが、季節を理由に老人や村人から止められてしまった。確かに、冬の寒さと静けさはハガネも好きではない。

●
「おじいさんはね、一昨年に孫を亡くしたのよ」
 老人はどうして自分にここまで親切なんだろう――素朴な疑問を口にしたハガネに、隣の老女が教えてくれた。
「ホントに? お孫さんと一緒に住んでたんですか?」
「娘さんも一緒にね。けど……流行り病で、ふたりとも」
 ハガネが来てから老人は明るくなった。だから、村人たちもハガネを歓迎しているし、このまま村の一員になってくれても構わないと思っている。老女は、にこやかにそう口にした。
(この村で一生、かぁ……それも悪くない、のかな?)

 豊かな土壌に畑が広がり、鶏が広場を歩き回る平和な村。
 老人が多いだけに働き手は足りないし、出会う誰もが親切だ。

「うーん。でも、他の村や街も見てみたいんですよね」
 その返事を聞いた老女は『わかっている』という風に頷きながら、やわらかい微笑みをハガネに向けた。
 
●
「おじいさん、いままで本当にありがとう!」

 温かな風が吹く春の日、ハガネは老人に別れを告げた。
 村人たちが持たせてくれた服や食料、いくばくかの路銀を背中に負って、村の出口に立つ。
「これを持っていきなさい」
 老人から手渡されたのは、小さな布に包まれた何か。
 そっと開いてみると、それは陽の光を浴びてキラキラと輝く青石のブローチだった。

 ハガネが街道で倒れていた時、手に握りしめていたものだという。
 凝ったデザインでもなく、価値は高そうにない。どこの街でも買えそうな、ありふれた雰囲気のアクセサリーだ。

 いつかこれが、記憶を呼び起こすきっかけになるかもしれない。

 老人はそう思い、街の宝飾店に送って壊れていた留め金を修理しておいたのだという。

「これが、僕の……」
 それはひんやりと冷たくて、でも、どこか温かいような気がした。
「おじいさん、僕、手紙を書くね!」

 まっすぐに伸びる街道を、ハーフリングの少年が歩み始める。


 ――帝国崩壊まで、あと数年。
 後に授恵者となるハガネの旅は、こうして始まったのだった。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0