睡蓮の微睡
キャラクターノベル(グループ)制作 久生夕貴納品 2022年07月20日 08時17分30秒
潮騒が朝もやをかきわけるように寄せてくる。
波打ち際を歩くネーヴェ・グラヌローザは、顔を出したばかりの太陽に目を細めた。朝焼けの美しさと、やわらかな清々しさをまとう風は、この季節ならではだ。
手にした銛の先で、魚がびちびちと身体をうねらせた。
「今日も無事、アーテルのご飯が獲れましたわ」
朝漁、完了。
ネーヴェは慣れた手つきで獲ったばかりの魚をマジカルポケットに収納すると、パンクリアース学園寮へ向かう。
きっと今頃、愛猫がお腹をすかせていることだろう。
一方、キーゼはねぐらにしている宿で、安らかな寝息を立てていた。
昨夜も遅くまで酒を飲み、帰路についた。どんな酒を飲んだのか、誰と話したのかは既に頭からすっかり消えている。
ただひとつ事実として残っているのが、部屋の隅に干された衣服。
昨夜確かに彼はそれを着て、帰り路を歩いていた。
夜更けだというのにお魚くわえたどら猫が目の前を横切り、その後ろを妙な髪形をした女が裸足で追いかけ、そういえばどら猫の”どら”ってどういう意味だろうと考えていると、突然通り雨が降りだした。
雨宿りも面倒でびしょ濡れのまま帰宅したものの、安宿で暮らす冒険者には替えの服もなく。言うても着替えくらいあるやろ~というツッコミを封殺する「面倒くさい」ですべてを片づけ、下着一枚で眠りについたのが六時間前のことである。
ネーヴェは恋人が泊まる宿部屋の前で、小さく深呼吸した。
白が基調のふんわりとしたワンピースを纏い、緩く結い上げた白銀の髪を、サファイアブルーのリボンが飾る。合わせるアクセサリーは、夏をイメージしてコーラルブルーの水晶を選んだ。
めいっぱいお洒落した自分の姿を、彼はどんな顔で迎えてくれるだろうか。
小さな期待に胸を膨らませながら扉をノックした――しかし。
返事がない。
もしやまだ寝ているのではと耳を澄まし、ドアノブに手をかけてみると鍵がかかっていない。
「キーゼさん、入りますわよ」
ひと声かけて入室すると、ベッドで目を覚ました恋人は気だるげなまなざしを投げかけてきた。
「ああ。おはようございます、ネーヴェ」
下着以外なにも身に着けていない姿にネーヴェは一瞬固まるが、すぐに取り澄ました表情になり、ベッドサイドへ歩み寄る。
「昨夜は遅くまで飲まれましたの?」
「そうでもありませんよ。いつも通りです」
キーゼの言う『いつも通り』は、つまりちゃっかり深酒したということ。
「もう、お寝坊さんなんですから。早く着替えて支度して下さいましな」
カーテンを開け、干してあった衣服を押し付ける彼女に、伸ばされる手。
「折角だから添い寝していきますか?」
長い指先がネーヴェの腕に触れようとするが、すんでのところでかわされる。
代わりに彼女はキーゼの跳ねた髪を撫でつけるように、頭をぽんとやった。
「私は外で待っていますわ」
そう言って出ていく恋人の耳が赤くなっていたことを、確認しつつ。
キーゼは乾いたばかりのシャツに腕を通した。
部屋から出たネーヴェは、ひと呼吸置く間もなく脱力する。
(本当にもう……キーゼさんたら!)
下着姿で寝ている彼に遭遇したのは二度目だったので、なんとか平静を装ったものの。
普段露出が少ない服を好んでいるぶん、彼の素肌は破壊力が高い。
ネーヴェは胸の鼓動を抑えるように、小さく深呼吸した。
(あの時みたいに、気まずい空気を引きずりたくないもの……)
前回は自分が動揺してしまったせいで、気まずいムードのままデートする羽目になってしまった。
さっきだってあのまま腕を引かれていたら、恥ずかしさのあまりうっかり銛で突き刺していたかもしれない。※イメージです
「……そろそろ慣れないといけませんわね」
彼は大人だし、いつだって自分のほうが余裕を失ってしまうけれど。
翻弄される甘さに酔いつつ、いつかは彼の余裕を奪ってみたい。
そんなささやかな野望を抱く彼女の耳に、扉が開く音が響いた。
「お待たせしました」
支度を済ませたキーゼはネーヴェが何か言うより早く、すまし顔で言った。
「今日は一段と綺麗ですね。では行きましょうか」
――”いつか”はまだ、当分先のようだ。
●
二人がやってきたのは、何度か訪れたことのあるシャルガネのイヨ地区。
早春の椿祭り、春の金雀枝祭りを経て、今は夏の睡蓮祭りが開催されている。色とりどりの睡蓮が咲く水辺の木陰には、お洒落なカフェや読書スペースなどがあり、ゆったりとした時間を過ごせるようになっていた。
「素敵ですわね……ここで過ごすと、気持が落ち着きます」
「そうですね。春に来たときは賑やかでしたが、こういう雰囲気も悪くない」
互いにリヴァーオブバイタルで殴り合った上にキーゼに至っては油まみれになったところを縄で縛りあげられていたような気がするが、些細なことだ。
二人は遊歩道を散歩しながら花々を眺め、睡蓮池を見渡せるカフェへと腰を落ち着けた。
水辺を吹き抜ける風は涼しく、木陰で飲む冷たい飲み物は格別で。
「キーゼさんは何を頼みましたの?」
「夏みかんで作ったレモネードだそうですよ」
グラスの中に浮かぶオレンジ色の柑橘と、蜂蜜の優しい甘さ。この地区ならではの飲み物だろう。
「見た目も涼し気でいいですわね。私はアイスティーにしましたの。みかんピールとドライマンゴーが入っているそうで、とってもいい香りがしますわ」
ひと口飲むと、夏らしい香りがいっぱいに広がって、自然と顔がほころんでしまう。
「いいですね。僕も少しいただいていいですか」
「ええ、どう――」
言い終わる前に、唇が塞がれる。キスされたのだと気づいたとき、顔を離したキーゼが小さく微笑した。
「確かに、良い香りがしますね」
「――――!!」
言葉にならぬ叫びをあげながら固まるネーヴェの前で、キーゼはふと池の方に視線をやる。
「この池にいる鯉は随分鮮やかな色をしていますね。味は同じなんでしょうか」
「あ、あれは観賞用の鯉なので食べませんのよ……」
透き通った水の中。淡いピンクや白の睡蓮の下を、赤や金の鯉がすべるように泳いでいく。
その光景はどこか幻想的で、まるで絵画のようだとネーヴェは思った。
「……もう。誰かに見られたらどうしますの」
顔を赤くしたまま呟く彼女へ、キーゼはなんでもないように答えた。
「別に僕は困りませんよ。ネーヴェは迷惑でしたか?」
「そういうわけではありませんけれど……人前では、その、恥ずかしいので……」
「そうですか。では次から隠蔽状態ですることにしますね」
そういうことじゃない。絶対わざと言ってるだろう。
すまし顔で池を眺める横顔を憎らしいと思いつつ、ネーヴェはアイスティーに口を付けた。
「……やっぱり、美味しい」
木陰は涼しく、花々は綺麗で、アイスティーはおいしくて。
隣には好きで仕方ない彼が、自分にしか見せない顔で微笑んでいる。
うん。きっと、これ以上ない。
幸せそうに微笑むネーヴェを見て、キーゼはほんのりと思う。
たぶん自分は、彼女のこういうところに惹かれたのだろう。
幸福を素直に享受できる、そのしなやかさに。
池を泳ぐ鯉が小さく跳ねた。
軽やかにあがったしぶきが、夏の日差しで輝いている。
心地よいそよ風にまどろみながら、水音に耳を澄ませた。
波打ち際を歩くネーヴェ・グラヌローザは、顔を出したばかりの太陽に目を細めた。朝焼けの美しさと、やわらかな清々しさをまとう風は、この季節ならではだ。
手にした銛の先で、魚がびちびちと身体をうねらせた。
「今日も無事、アーテルのご飯が獲れましたわ」
朝漁、完了。
ネーヴェは慣れた手つきで獲ったばかりの魚をマジカルポケットに収納すると、パンクリアース学園寮へ向かう。
きっと今頃、愛猫がお腹をすかせていることだろう。
一方、キーゼはねぐらにしている宿で、安らかな寝息を立てていた。
昨夜も遅くまで酒を飲み、帰路についた。どんな酒を飲んだのか、誰と話したのかは既に頭からすっかり消えている。
ただひとつ事実として残っているのが、部屋の隅に干された衣服。
昨夜確かに彼はそれを着て、帰り路を歩いていた。
夜更けだというのにお魚くわえたどら猫が目の前を横切り、その後ろを妙な髪形をした女が裸足で追いかけ、そういえばどら猫の”どら”ってどういう意味だろうと考えていると、突然通り雨が降りだした。
雨宿りも面倒でびしょ濡れのまま帰宅したものの、安宿で暮らす冒険者には替えの服もなく。言うても着替えくらいあるやろ~というツッコミを封殺する「面倒くさい」ですべてを片づけ、下着一枚で眠りについたのが六時間前のことである。
ネーヴェは恋人が泊まる宿部屋の前で、小さく深呼吸した。
白が基調のふんわりとしたワンピースを纏い、緩く結い上げた白銀の髪を、サファイアブルーのリボンが飾る。合わせるアクセサリーは、夏をイメージしてコーラルブルーの水晶を選んだ。
めいっぱいお洒落した自分の姿を、彼はどんな顔で迎えてくれるだろうか。
小さな期待に胸を膨らませながら扉をノックした――しかし。
返事がない。
もしやまだ寝ているのではと耳を澄まし、ドアノブに手をかけてみると鍵がかかっていない。
「キーゼさん、入りますわよ」
ひと声かけて入室すると、ベッドで目を覚ました恋人は気だるげなまなざしを投げかけてきた。
「ああ。おはようございます、ネーヴェ」
下着以外なにも身に着けていない姿にネーヴェは一瞬固まるが、すぐに取り澄ました表情になり、ベッドサイドへ歩み寄る。
「昨夜は遅くまで飲まれましたの?」
「そうでもありませんよ。いつも通りです」
キーゼの言う『いつも通り』は、つまりちゃっかり深酒したということ。
「もう、お寝坊さんなんですから。早く着替えて支度して下さいましな」
カーテンを開け、干してあった衣服を押し付ける彼女に、伸ばされる手。
「折角だから添い寝していきますか?」
長い指先がネーヴェの腕に触れようとするが、すんでのところでかわされる。
代わりに彼女はキーゼの跳ねた髪を撫でつけるように、頭をぽんとやった。
「私は外で待っていますわ」
そう言って出ていく恋人の耳が赤くなっていたことを、確認しつつ。
キーゼは乾いたばかりのシャツに腕を通した。
部屋から出たネーヴェは、ひと呼吸置く間もなく脱力する。
(本当にもう……キーゼさんたら!)
下着姿で寝ている彼に遭遇したのは二度目だったので、なんとか平静を装ったものの。
普段露出が少ない服を好んでいるぶん、彼の素肌は破壊力が高い。
ネーヴェは胸の鼓動を抑えるように、小さく深呼吸した。
(あの時みたいに、気まずい空気を引きずりたくないもの……)
前回は自分が動揺してしまったせいで、気まずいムードのままデートする羽目になってしまった。
さっきだってあのまま腕を引かれていたら、恥ずかしさのあまりうっかり銛で突き刺していたかもしれない。※イメージです
「……そろそろ慣れないといけませんわね」
彼は大人だし、いつだって自分のほうが余裕を失ってしまうけれど。
翻弄される甘さに酔いつつ、いつかは彼の余裕を奪ってみたい。
そんなささやかな野望を抱く彼女の耳に、扉が開く音が響いた。
「お待たせしました」
支度を済ませたキーゼはネーヴェが何か言うより早く、すまし顔で言った。
「今日は一段と綺麗ですね。では行きましょうか」
――”いつか”はまだ、当分先のようだ。
●
二人がやってきたのは、何度か訪れたことのあるシャルガネのイヨ地区。
早春の椿祭り、春の金雀枝祭りを経て、今は夏の睡蓮祭りが開催されている。色とりどりの睡蓮が咲く水辺の木陰には、お洒落なカフェや読書スペースなどがあり、ゆったりとした時間を過ごせるようになっていた。
「素敵ですわね……ここで過ごすと、気持が落ち着きます」
「そうですね。春に来たときは賑やかでしたが、こういう雰囲気も悪くない」
互いにリヴァーオブバイタルで殴り合った上にキーゼに至っては油まみれになったところを縄で縛りあげられていたような気がするが、些細なことだ。
二人は遊歩道を散歩しながら花々を眺め、睡蓮池を見渡せるカフェへと腰を落ち着けた。
水辺を吹き抜ける風は涼しく、木陰で飲む冷たい飲み物は格別で。
「キーゼさんは何を頼みましたの?」
「夏みかんで作ったレモネードだそうですよ」
グラスの中に浮かぶオレンジ色の柑橘と、蜂蜜の優しい甘さ。この地区ならではの飲み物だろう。
「見た目も涼し気でいいですわね。私はアイスティーにしましたの。みかんピールとドライマンゴーが入っているそうで、とってもいい香りがしますわ」
ひと口飲むと、夏らしい香りがいっぱいに広がって、自然と顔がほころんでしまう。
「いいですね。僕も少しいただいていいですか」
「ええ、どう――」
言い終わる前に、唇が塞がれる。キスされたのだと気づいたとき、顔を離したキーゼが小さく微笑した。
「確かに、良い香りがしますね」
「――――!!」
言葉にならぬ叫びをあげながら固まるネーヴェの前で、キーゼはふと池の方に視線をやる。
「この池にいる鯉は随分鮮やかな色をしていますね。味は同じなんでしょうか」
「あ、あれは観賞用の鯉なので食べませんのよ……」
透き通った水の中。淡いピンクや白の睡蓮の下を、赤や金の鯉がすべるように泳いでいく。
その光景はどこか幻想的で、まるで絵画のようだとネーヴェは思った。
「……もう。誰かに見られたらどうしますの」
顔を赤くしたまま呟く彼女へ、キーゼはなんでもないように答えた。
「別に僕は困りませんよ。ネーヴェは迷惑でしたか?」
「そういうわけではありませんけれど……人前では、その、恥ずかしいので……」
「そうですか。では次から隠蔽状態ですることにしますね」
そういうことじゃない。絶対わざと言ってるだろう。
すまし顔で池を眺める横顔を憎らしいと思いつつ、ネーヴェはアイスティーに口を付けた。
「……やっぱり、美味しい」
木陰は涼しく、花々は綺麗で、アイスティーはおいしくて。
隣には好きで仕方ない彼が、自分にしか見せない顔で微笑んでいる。
うん。きっと、これ以上ない。
幸せそうに微笑むネーヴェを見て、キーゼはほんのりと思う。
たぶん自分は、彼女のこういうところに惹かれたのだろう。
幸福を素直に享受できる、そのしなやかさに。
池を泳ぐ鯉が小さく跳ねた。
軽やかにあがったしぶきが、夏の日差しで輝いている。
心地よいそよ風にまどろみながら、水音に耳を澄ませた。