儚月夜想曲

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2022年05月21日 09時21分09秒

●三日月の夜想曲

 視線の中、洋燈(ランプ)が揺れる。机の上には白い手巾(ハンカチ)、片方だけの蒼玉の耳飾り。
 それに一本の羽ペンが増え。それらを見詰め『夜に咲く白月』レティシア・レインフィールは息を吐く。

 王都の夜。最近は自分の中に、深く深く沈み込む様な感覚に襲われる事が増えた。
 少し気を抜くと、手錠で繋がれていた青年の姿が脳裏を過ぎり胸が苦しくなる。

(――――"また"だ)

 全て、奪ってしまった。彼が大切にしていただろう物を全て。
 彼はまるで平気な体を装っていたが……そんな筈はない。だって、そんな筈がないのだ。

 北方辺境騎士団は、彼女の目からみてもとても親密な関係に見えた。家族同然。或いはそれ以上に。
 そんな相手に断罪され、罰され、追放の憂き目にあったなら。レティシアなら身を斬られる様な想いがする。

(――――なのに"また"、見ていることしか出来なかった)

 彼は冗談めかして受け流してくれたが、無理をさせたに決まっている。
 息せき切って駆けつければ良かったのだろうか。そうすれば、何か力になれただろうか。

 沢山思い悩んで、レティシアが勇気を出して彼の元を訪れた時には、もう既に結論は出ていた。
 何故、私は。大切な人が、大切な物を失う時。いつも見ている事しか出来ないのだろう。

“――――それでも、確かに生きると。貴女が生きている間は、と――――言ってくれた”

「――――っ」

 無意識の中から浮かび上がった言葉。何処か温かな物が胸の奥に広がり、それが安堵だと気付いて。
 ……その残酷さ。自分が知らず抱いていた浅はかさに愕然とする。

 何もかも台無しにしたのに、こんなことで喜びを得る資格は無い。分かってる。分かって――――いるのに。

(……贈り物)

 優しい人だから、気を使わせただろうか。手作り、彼が彫ったのだろう三日月をなぞった。
 指先で羽ペンを転がしあの日から繰り返し思う。何か出来ないだろうか。何か、償えないだろうか。

 その気持ちがどういう物なのか分からないまま……抱え込むことすら難しいように。
 記憶の底から掘り起こした歌声を小さな音韻(ハミング)だけで辿る。

 喜んではいけない。浮かれてはいけない。だって、私は結局、何も出来ていない。
 白い月が奏でる夜想曲は、相も変わらぬ洋燈の火をただ静かに揺り動かし――――夢現は僅かに過去を映す。
 
●帰省

「誕生日おめでとう、レティ」

 ジークリッド・レインフィールが齢の数だけ揃えた赤い薔薇の花束を手渡す。
 『王国』における各派閥の頂点から。白は『白薔薇』を。逆に黒は『黒鋼竜』を連想させる。

 即ち『中立派』を表すにはそれ以外の色が丁度良く、中でも母は特に赤を好んだ。
 広く中立派であることを示す必要があるレインフィールはこれに準じ、誕生日は主に赤系統の華で彩られる。

 毎年一輪ずつ数を増す花束は学園生に冒険者にと、殊更に本邸宅内で過ごす事が少ないレティシアが。
 少しでも家に馴染めるようにと言うジークリッドの思い遣りであり。

 普段であればそんな義兄の心遣いを汲んで喜んでみせるのが定例だった――――……が。

「? どうした、疲れてるのかい?」

「あ、いえ……ありがとう、ございます……お義兄様」

 花束を受け取り自宅への敷居を跨いだレティシアの表情は晴れない。
 元々食が細く、あまり健康的と言うタイプではない事は知っていたが。今は目に見えて心此処に非ずだ。

 何か思い悩む事でもある様に伏し目がちな眼差しは、自分の誕生日であるにも関わらず。
 飾り付けられた室内も、迎えに並ぶ侍女達の存在も良く分かっていない様に、家の奥へと歩んでいく。

 冒険者と言うのはそれほど過酷なのか……と、一瞬気を逸らした事をジークリッドの瑕疵とは言えまい。
 けれど結果として。レティシアの眼前に立ち塞がる形となったのは、最悪と言って良い相手だった。

「……戻ったのか」

「御父……様」

 書斎から出て来たヴィルフリード・レインフィールはレティシアを一瞥するとその隣をすれ違う。
 レティシアもまた、実父でありながら彼と語る言葉を持たない。時が過ぎるまで身を竦ませるばかり。

 其処には脅えがあり、恐れがあり、寂しさがある。けれど、彼女の父親がそれを顧みる事は無い。
 彼女とて知らなかったろう。当のヴィルフリードの内心にも確かな恐怖が渦を巻いていた事など。

 想い人を互いの不理解故に喪い、託されたその娘をすら不注意で亡くしかけた彼にとって。
 彼女が無事である事。それは最早、それだけで十分であると言えた。

 下手な干渉をして予期せぬ"何か"――――が、起きてしまえば。今度こそ後悔では済まない。

「皆が待っている。早く支度をして来なさい」

「――――……はい」

 表情を、感情を殺し淡々と告げられた言葉に。一瞬戸惑ったレティシアが小さく頷く。
 そうして儚げな影が廊下の先。彼女の為に用意された衣裳部屋へと消えると。
 
 経緯を見ていたジークリッドが痺れを切らしてヴィルフリードへ歩み寄る。

「父上、何ですか今のやり取りは。それが、長旅より戻った娘への父親が最初に掛ける言葉ですか」

「……ジーク。お前は私に、如何して欲しいんだ」

 ヴィルフリードは疲れた様な眼差しで義理の息子の激昂を受け流す。
 その風貌は兄似だが、こうした苛烈な一面を見る度に妻の血を感じるジークリッドは。

 けれどこのレインフィール家にあっては唯一と言って良い、何一つ包み隠さず対話が出来る相手だ。

「"如何"って……労いの言葉一つ、気遣う言葉一つ出ては来ないのですか!?」

「それをして、何になる」
 
 何にもならない。精々が口さがない侍女達を通し妻に伝わり、レティシアの立場が悪くなるだけだ。
 学園に入れた。冒険者になる事も許した。それらは全て愛娘の為だ。

 本気でレティシアを護ろうとするなら、家族(レインフィール)からの距離は極力遠い方が良い。
 それが、或いは非情に、冷徹に映るのだとすれば。それこそがお互いの為ですらある。

「私は先に行く。間もなくローゼングランツ卿も着く頃だろう。
 其処まで言うならジーク、お前がレティの案内(エスコート)役を務めなさい」

 話は終わりだとばかりに、ヴィルフリードが踵を返す。彼は領民からも慕われる優れた領主だ。
 母親も相変わらず一途に義父のことを愛している。けれど、それらが事実であるとしても――――

「娘の誕生日に、祝いの言葉すら無いのか……!」

 ――――父親としては、最悪だ。拳を強く握ると、彼は気持ちを入れ替える様に大きく息を吐く。
 誕生パーティの開場は、もう間もなくにまで迫っていた。

●誕生日の夜

「旦那様、ローゼングランツ伯爵子息様がいらっしゃいました」

「ジーク、レティシア、お出迎えを」

「はい、母上。……レティ」

「……あ。はい。分かりましたお母様」

 レティシアは明らかに調子を崩していた。
 後付であれ施された貴族の再教育は骨子に刻まれている。呼吸より容易にこなせる筈だった。

 にも変わらず、盛装(ドレス)の裾を踏んで転びそうになる。袖を引っ掛け杯(グラス)を倒す。
 今もそうだ。袖の下に結んだ手巾(ハンカチ)が気になって話を聞いていなかった。

(確りしないといけない。今日は久々にアレン様(婚約者)に逢うのだから。粗相が無いように……)

 繰り返しそう自分に言い聞かせてすら。或いはある程度親しい間柄の相手であれば。
 その挙動は不審と言う他ないことを彼女自身が気付いていないという事実。

 それは、果たして幸運だったのか、不運だったのか――――

「麗しき白百合の君の生誕を祝し、この出逢いに心よりの感謝を」

 ――――手を取り甲に唇を当てる。婚約者同士が果たす一連の流れ。貴族として当然の仕草。
 言葉を手繰るのが得意ではないアレンヴァルトでも、設えられた口上位はさして問題はない。

「アレンヴァルト様、お祝い大変有り難く存じます」

 どちらかと言えば、漸く顔を合わせられた婚約者の様子の方が遥かに大きな問題だった。
 彼女は律儀な性質だ。公の場ではその傾向が顕著で、極力視線を合わせて会話をしようとする。

 それが祝いの場で。親しい間柄であればこそ、視線を伏せるとは只事ではない。
 一瞬、親友でもある彼女の兄(ジークリッド)に目線を送ると、彼も小さく頷く。

 脳裏に過ぎるのは以前聞いた、放蕩者と有名な"第二王子(ウィリアム)"の陰だ。
 『王国』の頂点は"簾の王"。その手足である王家の役割はアレンヴァルトも良く理解しているが。

 さりとて、自身の婚約者に度々粉を掛けら(アプローチさ)れるとあっては面白い話ではない。
 身分としては天と地ほど差があるとは言え、『貴族派』に属していれば尚更だ。

(……いや、今は真実を確かめる方が先だ)

 当主主催の夜会などとは違い、伯爵令嬢の誕生会。それも立場の難しい『中立派』となれば。
 規模は精々内々の物だが、それでも主賓であるレティシアは当分挨拶で手一杯となる。

 けれどそれが閉会まで続く程ではない。時にして凡そ一刻、漸く自由の身となった婚約者は。
 しかし明らかに失敗が目立っていた。疲れも見られるが、それだけとも思えない。

「レティシア嬢、少し中庭にでも出ませんか?」

「えっ……は、はい。それでは皆様、少し失礼致します」

 普段であれば目立つ真似を嫌う彼女の為に最大限配慮をするアレンヴァルトである。
 主賓を連れ出すなどという事はそうはない。けれど――――流石に、放ってはおけなかった。

 ――――

「……シア。君も知っての通り、俺はあまり言葉が得意ではない」

 連れ出されるままに中庭に出たレティシアは、彼の様子が普段と違う事に気付いていた。
 本調子ではないからだろうか。自分自身の事すら上手く汲み取れていないのに。

「ただ、君の表情が晴れないこと位は分かる。何が在ったか教えて欲しい」

 言葉を濁す事も、謀る事も出来ないが故に言葉を発する事そのものが少ない。
 不器用とも、愚直とも言えるだろう婚約者(アレンヴァルト)の性質が、彼女は決して嫌いではなかったが。

 さりとて。今の自分の悩みの種を、そのまま伝える事には余りに抵抗があった。
 他家の、それも『王党派』の若手筆頭と言って良い辺境伯家の内情――――しかも醜聞の類である。

「少し、冒険者のお仕事の際に……出来なかった事が多くて。ただ、それだけです」

 彼(この人)が善良で、正直なことは分かっているが……《《だからこそ》話せない。
 家から。学園から外に出て思い知った。貴族の社会がどれほど魑魅魍魎の坩堝であるか。
 
 誠実でも。信じていても。謀と言うのはそういう個人の資質を無視して人を絡め取るのだと。

(……彼ですら、そうだったのだから。もしあの時、止められなければ。全部――――)

「シア?」

「あ、いえ。ですから……大丈夫です」

 思いがけず、また意識が逸れていた自分に気付き頭を振る。今自分が居る場所を確かめ直す。
 そうでもしないと、直ぐに気持ちと一緒に思考まで沈み込んでしまう。それは、いけないことだ。

「大丈夫な訳ないだろう。顔色も悪い。やはり、冒険者という仕事は君には向いていないのだと思う」

「……そう、でしょうか」

「まだ、家に戻るつもりはないのか?」

 応えられない。それが、答えを物語る。彼が何故そんな問を投げるのか分からなくはない。
 流石のレティシアも其処まで鈍い訳ではないのだ。ただ――――今、全て投げ出したら。

「アレン様、ごめんなさい。でも、私は――――」

 無自覚に盛装(ドレス)の袖を握って俯く。それをすればきっと……一生後悔すると。
 それは理性でも思考でもなく。けれど限りなく確信に近い思いだった。

「――――いや、女々しい事を言った。忘れて欲しい」

 そんなレティシアを一瞥し、アレンヴァルトが言葉少なに息を吐く。
 こんな我儘は、きっと沢山の人に心配と心労を掛けている。それは、良く分かっていた。
 
 彼はその筆頭だろう。心から申し訳なく、けれどそれならどうしてだろう。

「春を迎えたと言っても、日が沈んでしまえば未だ肌寒い。中へ戻ろうか」

「……はい」

 差し出された掌に手を預け、エスコートを受けて会場へ戻るまで、ずっと自問は消えなかった。
 どうしてだろう……その一線だけは、どうしても譲る事が出来ないのは。

●烟雨の空に月はなく
 
 誕生会は恙無く過ぎ去り。けれどその大半を、レティシアは憶えていないだろう。
 来客の人々に挨拶もした。幾らか言葉も交わしていた筈だけれど。

 その眼差しは結局会が終わるまで、まるで深い霧でも掛かっているようで。
 婚約者にであれば何か吐き出してくれるかと思えば、どうもそちらも空振りに終わったらしい。

 そんな義妹のその様子の余りのおかしさに、"母"が激昂しなかったのは奇跡だと言えた。
 加えて。アレンから僅かに聞いた"出来なかったこと"――――という単語。
 
(……まるで、あの頃のようだ)

 その類例にジークリッドは心当たりがある。学園に入るより更に前。義妹の誘拐事件直後のことだ。
 彼女に付けていた衛兵が命を落としたことを気に病み、レティシアは人が変わった様に沈んでしまった。

 母からの虐待じみた"躾"にも粛々と従うようになり、何もかも諦めた様になった義妹に。
 何も出来なかったこと――――何一つ、してあげられなかったことは、未だ後悔として焼き付いている。

「……けれどもう、僕は無力な子供ではない」

 衛兵を呼ぶ手鐘(ハンドベル)を鳴らす。過去の反省から父が断定的に大きく投資した結果として。
 レインフィールの衛兵団は『騎士団』と呼んでも差し支え無い程度に充実している。

「どうしましたか、ジークリッド様」

 程なく扉が叩かれ、彼の私室に馴染みの衛兵が顔を出す。 
 そう、ことが領外ならば。下手に外部の人間を雇うより、信頼が置ける手爪の方が良い。

「衛兵団から諜報活動が得意な人間を2、3集めて欲しい。出来るか」

 こういった手管は、主に家内の掌握にばかり意識の行きがちな母が選ぶ手法ではない。
 ジークリッドは父の背から学んだ。それを、自らの功と言う程厚顔を演じるつもりはないけれど。

「はい、分かりました。要件は如何様に伝えましょうか」

 今、父(ヴィルフリード)が何もしないのであれば。今度は自分の番が来たという事だ。
 かつて『学園』で誓ったのだ。親友(アレン)へ預けるその日までは、義妹のことは僕が護ると。
 
「レティシアの冒険者活動について――――少し、調べて欲しいことがある」

 ――――季節は春半ば、レインフィールにも慈雨の季節がやってくる。
 果たして、その先に何が待ち受けているのか。彼も、彼女も、今は未だ――――誰も知らない。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0