禁断の果実
天魔大戦アポカリプス・ゼロ-四月革命- イベントノベル(テーマ)制作 久生夕貴納品 2022年05月11日 10時00分33秒
それは、偶然の邂逅だった。
風の大天使ハリルは、少々焦げ付いた翼を背に広げ、気ままな空中散歩を楽しんでいた。
手には棒付きのまん丸キャンディ。口元からのぞく八重歯が、美少女を少々やんちゃに見せている。
「……ん、なんだあれ?」
遠くに見える森から、煙のようなものが細く伸びあがっている。興味を引かれたハリルは、ちょっと覗いてみることにした。
これがすべての始まりになるとは、露ほども思わずに。
暴食の悪魔ヴィースは、狭間の森の奥で日課であるアップルパイ作りを楽しんでいた。
ゆるく癖のある金髪が、木漏れ日の光を抱いている。毒気を感じさせない温厚そうな佇まいは、その背に広がる黒翼がなければ悪魔に見えないかもしれない。
「……ん、何か来た?」
気配を感じ、辺りを見渡す。
この感じはおそらく同朋や魔獣などではなく――
「お前なにやってんだ?」
上空から降り立った少女に、ヴィースは目を見張った。
気安く悪魔へ近づいてくる天使など、そういない。一体どういうつもりなのか、警戒しつつ。
「……アップルパイを焼いてるんだよ」
「アップルパイ? なんだそれ」
天使の目は石造りのかまどに釘付けで、ヴィースを襲う気配はない。むしろこちらが悪魔であることすら、意識していないようだ。
「そろそろ焼きあがるから君も食べるかい? 僕の特性アップルパイはほっぺたが落ちるほど美味しいよ」
ちょっとした戯れのつもりだった。悪魔へ無防備に近づいてくる天使が、面白かったからという程度の。
「うまそうだけど、お前『知らないひと』だしな。知らないひとから食いモンもらうなって言われてんだよ」
「まぁそうだよね。それが賢明だ」
笑いながら肩をすくめる。断られるつもりだったので、気にすることもなく。
しかし彼女は何事か思案しているようだった。
「聞いたことのない食いモンだけど、いい匂いだしな……。よし、上司に聞いてくる!」
そう言って飛び去った天使の背をヴィースは少しだけ眺めて、パイの焼き上がりを確認しにいく。
「ああ、いい焼き具合だね」
もう会うこともないだろうと思い、戯れな出会いのことは忘れてしまう。
それだけに、再び彼女がやってきたときは、一瞬何を言われたのかがわからなかった。
「ボスに聞いてきたぞ!」
「……何を?」
先日会った天使が、なぜだか得意げな表情で立っている。
「アップルパイってなんだ? って聞いたら教えてくれた。さすが俺の上司」
むふーっと頷く少女はハリルと名乗り、かまどの中を見せろと言った。
変な天使だと思いつつ、ヴィースは言われた通り焼きあがったばかりのパイを取り出してやる。
「……ん? 上司に描いてもらった絵となんか違うな」
「ああ、今日のはミニサイズだからね。切らずにこのまま食べられるからどう?」
「うーん……もう一回聞いてくる!」
再び飛び去った彼女の背を見やりつつ、ヴィースは何となく感じていた。
たぶんあの天使はまた来る。予感は次の週末に、そのまま現実となった。
「やぁ、また来たのかい。天使のくせに物好きだね、君も。それともアップルパイの匂いがそんなに好き?」
笑いながらかまどを覗き、焼きあがったパイを取り出す。
「ああ、丁度焼けたね。僕の特製アップルパイ、今度こそ食べてみる?」
今回もきっと断られるだろう。そう思っての戯れだったが、ハリルはパイをじっと見つめてから大きく頷いた。
「上司が描いてくれた絵と同じだな! よし食べる」
「まぁそうだよね……って、え? ちょっと待って今なんて」
「だから食べるって言ってんだよ」
ヴィースは耳を疑った。彼女は本気で禁断の果実を食べると言ったのか。
「いや待って、僕が言うのも何だけど本当に良いのかい? 確かにほっぺたが落ちるほど美味しいよって言ったけどさ、別の意味でも堕ちるよこれ。悪いこと言わないから考え直したら?」
「なんでだ? お前は知ってる奴だし、これうまそうだし」
「いやえっと……君の上司は何も言わなかったの?」
「? いや特になんも」
きょとんとした顔で答えたハリルを、ヴィースはまじまじと見つめた。
彼女の上司は本当に許したというのか。しかし目前の少女が嘘をついているようには見えない。
「なあなあ、早く食わせてくれよ。おれお腹ぺこぺこだし!」
そう言われると、押しに弱いヴィースは断ることができない。せっかくだからと美味しい紅茶を淹れ、ほかほかのアップルパイを差し出す。
「……思い留まるなら今のうちだよ?」
何度も念押しするヴィースに、ハリルは上機嫌で告げた。
「お前も食えよ。一緒に食う飯が美味い奴と、話してえしな」
艶やかに焼きあがった生地から、甘やかな林檎の香りが広がった。
「あーいい匂いだな! いっただっきまーす」
頬張った少女の顔が甘い幸せに緩み、背に広がる焦げ付いた翼が焼けつくように黒へ染まってゆく。
――そして天使は、深淵に堕ちた。
風の大天使ハリルは、少々焦げ付いた翼を背に広げ、気ままな空中散歩を楽しんでいた。
手には棒付きのまん丸キャンディ。口元からのぞく八重歯が、美少女を少々やんちゃに見せている。
「……ん、なんだあれ?」
遠くに見える森から、煙のようなものが細く伸びあがっている。興味を引かれたハリルは、ちょっと覗いてみることにした。
これがすべての始まりになるとは、露ほども思わずに。
暴食の悪魔ヴィースは、狭間の森の奥で日課であるアップルパイ作りを楽しんでいた。
ゆるく癖のある金髪が、木漏れ日の光を抱いている。毒気を感じさせない温厚そうな佇まいは、その背に広がる黒翼がなければ悪魔に見えないかもしれない。
「……ん、何か来た?」
気配を感じ、辺りを見渡す。
この感じはおそらく同朋や魔獣などではなく――
「お前なにやってんだ?」
上空から降り立った少女に、ヴィースは目を見張った。
気安く悪魔へ近づいてくる天使など、そういない。一体どういうつもりなのか、警戒しつつ。
「……アップルパイを焼いてるんだよ」
「アップルパイ? なんだそれ」
天使の目は石造りのかまどに釘付けで、ヴィースを襲う気配はない。むしろこちらが悪魔であることすら、意識していないようだ。
「そろそろ焼きあがるから君も食べるかい? 僕の特性アップルパイはほっぺたが落ちるほど美味しいよ」
ちょっとした戯れのつもりだった。悪魔へ無防備に近づいてくる天使が、面白かったからという程度の。
「うまそうだけど、お前『知らないひと』だしな。知らないひとから食いモンもらうなって言われてんだよ」
「まぁそうだよね。それが賢明だ」
笑いながら肩をすくめる。断られるつもりだったので、気にすることもなく。
しかし彼女は何事か思案しているようだった。
「聞いたことのない食いモンだけど、いい匂いだしな……。よし、上司に聞いてくる!」
そう言って飛び去った天使の背をヴィースは少しだけ眺めて、パイの焼き上がりを確認しにいく。
「ああ、いい焼き具合だね」
もう会うこともないだろうと思い、戯れな出会いのことは忘れてしまう。
それだけに、再び彼女がやってきたときは、一瞬何を言われたのかがわからなかった。
「ボスに聞いてきたぞ!」
「……何を?」
先日会った天使が、なぜだか得意げな表情で立っている。
「アップルパイってなんだ? って聞いたら教えてくれた。さすが俺の上司」
むふーっと頷く少女はハリルと名乗り、かまどの中を見せろと言った。
変な天使だと思いつつ、ヴィースは言われた通り焼きあがったばかりのパイを取り出してやる。
「……ん? 上司に描いてもらった絵となんか違うな」
「ああ、今日のはミニサイズだからね。切らずにこのまま食べられるからどう?」
「うーん……もう一回聞いてくる!」
再び飛び去った彼女の背を見やりつつ、ヴィースは何となく感じていた。
たぶんあの天使はまた来る。予感は次の週末に、そのまま現実となった。
「やぁ、また来たのかい。天使のくせに物好きだね、君も。それともアップルパイの匂いがそんなに好き?」
笑いながらかまどを覗き、焼きあがったパイを取り出す。
「ああ、丁度焼けたね。僕の特製アップルパイ、今度こそ食べてみる?」
今回もきっと断られるだろう。そう思っての戯れだったが、ハリルはパイをじっと見つめてから大きく頷いた。
「上司が描いてくれた絵と同じだな! よし食べる」
「まぁそうだよね……って、え? ちょっと待って今なんて」
「だから食べるって言ってんだよ」
ヴィースは耳を疑った。彼女は本気で禁断の果実を食べると言ったのか。
「いや待って、僕が言うのも何だけど本当に良いのかい? 確かにほっぺたが落ちるほど美味しいよって言ったけどさ、別の意味でも堕ちるよこれ。悪いこと言わないから考え直したら?」
「なんでだ? お前は知ってる奴だし、これうまそうだし」
「いやえっと……君の上司は何も言わなかったの?」
「? いや特になんも」
きょとんとした顔で答えたハリルを、ヴィースはまじまじと見つめた。
彼女の上司は本当に許したというのか。しかし目前の少女が嘘をついているようには見えない。
「なあなあ、早く食わせてくれよ。おれお腹ぺこぺこだし!」
そう言われると、押しに弱いヴィースは断ることができない。せっかくだからと美味しい紅茶を淹れ、ほかほかのアップルパイを差し出す。
「……思い留まるなら今のうちだよ?」
何度も念押しするヴィースに、ハリルは上機嫌で告げた。
「お前も食えよ。一緒に食う飯が美味い奴と、話してえしな」
艶やかに焼きあがった生地から、甘やかな林檎の香りが広がった。
「あーいい匂いだな! いっただっきまーす」
頬張った少女の顔が甘い幸せに緩み、背に広がる焦げ付いた翼が焼けつくように黒へ染まってゆく。
――そして天使は、深淵に堕ちた。