黒い輝きの伝説
キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年04月23日 13時54分22秒
●
遠くで、昼休みの開始を告げる鐘が鳴った。
パンクリアース学園2年生の、とある教室内。
生徒達が一斉に沸き立ち、凡そ半数が廊下へと飛び出してゆく。残りの半数は持参した弁当を広げる者や、教壇を降りようとする教師を捕まえて質問を浴びせる者など、様々だ。
そんな中にあって、ゲルトは隅っこの席で教科書とノート、筆記用具一式を鞄に放り込み、中庭へ出る準備を整えようとしていた。
今日は天気が良いから、テラス席で昼食を取るつもりだった。そして昼時にわざわざ荷物を纏めているのは、他の生徒からの嫌がらせを避ける為だ。
ここパンクリアース学園は現在、大きな改革に臨もうとしている。
ゲルトの様なゴブリンを含む非貴族や、一般の市井出身の冒険者といった従来では考えられなかった人種を、生徒として受け入れつつあった。
しかし今はまだ、過渡期の真っ最中である。尚も大きな勢力として学園全体の主導権を握るヒューマン、それも貴族の子息やその周辺子弟からすれば、ゲルトの如き異質の存在は明らかに邪魔者であった。
隙を見せれば、彼らは容赦無く陰湿な嫌がらせを仕掛けてくる。ゲルトが昼休みに荷物を纏めて教室を出てゆくのも、彼らの執拗な攻撃から大事な勉学道具一式を守る為の、最低限の防衛策に他ならない。
こんな学園生活があとどのくらい続くのかは皆目分からないが、ゲルトにとっては最早、慣れっこだ。今更現状を嘆いても始まらない。それよりも、まずは勉学に勤しむ機会を得られている今の状況を素直に喜ぶべきだと己にいい聞かせ、ゲルトは日々励み続けていた。
肩掛け鞄をたすき掛けに抱えて校舎を出ると、真っ白な柔らかい毛並みが物凄い勢いで迫ってきた。
授業の間、中庭で大人しく待っていたメスの白狼ノーラが待ってましたとばかりに、ゲルトのもとへ身を寄せてきたのである。
「よぉゲルト。お前も今からメシかぁ?」
渡り廊下から、聞き慣れた声が暖かな陽射しの中を突っ切ってきた。ルームメイトのアクセルだった。現在4年生の彼はゲルトから見れば先輩に当たるのだが、決して偉そうな素振りは見せない。
「あ……僕も丁度、今からなんですよぉ」
今度は反対の校舎窓から同じくもうひとりのルームメイト、1年生の後輩ジョナサンがやや気弱げな声を励まして呼びかけてきた。
ゲルトはノーラが咥えているバスケットを手に取り、頭上に掲げてみせた。
「今日はサンドイッチを山盛りに作ってきた。一緒に食べるか?」
その呼びかけに対し、アクセルもジョナサンも勿論だと頷き返した。
●
三人と一匹が陣取ったテラス席は、そこだけが妙に浮いていた。
他の生徒達は幾分距離を取り、やや遠巻きに眺める位置で声をひそめる。明らかにゲルト、アクセル、ジョナサンという組み合わせを揶揄しているのが分かった。
しかしゲルトお手製のサンドイッチに舌鼓を打つアクセルとジョナサンは、まるでどこ吹く風だ。ふたりは純粋にゲルトの味付けを楽しんでいる。具材もパン生地も悪くない。尤も、トータルで見て大絶賛する程でもなかったが。
「お前、薬師だろうに。いつの間に料理なんか習ってたんだ?」
「いや……別に覚えようと思って覚えた訳じゃないんだけどな」
アクセルに問われ、ゲルトは頭を掻いた。
最近は幼い子供でも無理なく服用出来る薬の調合術を調べるうちに、味そのものにも気を配る様になった。結果、簡単な料理を手掛ける際にも、じっくり味見する様になったに過ぎない。
勿論、本格的な料理は流石に無理だが、サンドイッチ程度の簡単な調理なら、それなりのものが作れる様になってきた――気がする。
「んー、でもお店に並べるにはもうちょっと、具材のバランスと彩りに改善の余地ありですねぇ」
小さな商家の次男坊であるジョナサンが、したり顔で注文をつけた。若年ながら、親の仕事を間近で見てきただけのことはある。但し商才の有無に関しては、本人も家族も、余り語ろうとはしない。将来について未だ決めかねているのも、彼の資質が多分に影響しているかも知れなかった。
「なぁに偉そうに語ってんだよ。初めてゲルトと会った時、ビビって女子寮まで逃げてったのは、どこのどいつだぁ?」
「う……そ、それはもう過去のことなので」
アクセルにからかわれ、ジョナサンは頬を真っ赤に紅潮させた。
その傍らでゲルトは、分厚いハムの塊をノーラに与えている。ノーラは美味そうに、顎をせわしなく動かしていた。
それからふと、ゲルトはアクセルの手元に視線を転じた。アクセルは木製の二本の棒を器用に動かし、小皿に盛られた春野菜の惣菜を摘まみ上げていた。
「それ、もしかしてシャルガネの箸ってやつ?」
「うん。こないだ辺境伯がシャルガネ会合からの土産だっつって、寄り子貴族全部の家族とか騎士とか身内とか知り合いとかに、配りまくってたんだ」
アクセルの実家は、貴族に仕える剣士の家系だ。アクセル自身も立派な剣士になることを将来の目標に据えており、目指すは父親の様な腕も人格も一流の剣士という話であった。
そのアクセルの父親は、アクファリテ西方辺境伯と若干の縁があるということで、シャルガネ土産の箸を頂戴するに至ったとの由。
ゲルトは、アクセルの手の中にある二本の黒い棒を凝視した。
●
アクセルは、ゲルトが余りに真剣な表情で箸を凝視する姿に小首を傾げた。
「何だ? 箸なんかに興味あるのか?」
「うん……細かい薬剤を微量に扱ったりする時に、便利かもなぁって」
ゲルトの応えを受けて、アクセルは呆れると同時に苦笑を漏らした。どこまでも勉強熱心なゲルトの相変わらずな姿勢には、最早笑うしかない。
「メシ時ぐらい、勉強のことなんか忘れろって」
「あぁ、御免。けど、やっぱ気になるなぁ」
尚もゲルトは、アクセルの箸から視線を外そうとしない。
この時アクセルは、ゲルトと出会った当初をふと思い出した。あの当時、アクセルはゴブリンという種に生まれて初めて接した。
伝え聞いていた話では、ゴブリンは卑屈で悪辣な人外種という噂だった為、ルームメイトに緑色の肌の若者を迎え入れると決まった時には、常に緊張と警戒の連続だった。
しかし入学してきたゲルトは勉学への真摯な態度が顕著で、向上心の塊の様な性格だった。その姿を見るうちに、アクセルもゲルトを信頼出来る人物だとして、打ち解ける様になっていった。
そのゲルトの好奇心旺盛で、どんなものからでも学びを得ようとする姿勢は変わっていない。この日、偶々アクセルが持ち出した箸に対しても、ゲルトの学習心は大いに発揮されていた。
「欲しいんだったら、やるぜ。予備にもうワンセット、あるからよ」
「え、良いのか?」
ゲルトは喜んで良いのか驚いて良いのか、自分でもよく分からなかったらしく、声がつい裏返ってしまった。アクセルは笑いながら、鞄の中からもうひと組の箸袋を取り出した。
「ウルシっていってたっけな。黒くてつやつやしてて、割りと良い代物だってぇからよ。大事に使えよ」
アクセルが差し出す箸袋は綿製で、表面には細やかな刺繍が散りばめられていた。
意外に高価な代物に思えたが、どうせ貰い物だからと、アクセルは全く気にする様子も無かった。
早速ゲルトは、箸袋から艶やかな二本の黒くて細い棒を取り出してみた。アクセルはごく自然に、且つ器用に箸を扱っていたが、ゲルトは初めて触れるということもあり、中々上手く手に馴染まない。
「ペンを持つ手つきに似てますねぇ」
苦戦するゲルトを他所に、ジョナサンがアクセルの手に収まっている箸をまじまじと眺めた。確かにアクセルの手つきを見ると、何となくペンを握る形に似ている。
成程、ペンか――授業中、ノートにペンを素早く走らせることに関してはゲルトは他の生徒に負けていない。実際、そのつもりで箸を握ってみると、案外簡単にアクセルと同じ形で箸先を揃えることが出来た。
●
ゲルトは練習だとばかりに、ハムの薄切りを箸先で摘まんでみた。力加減が中々難しいが、要領を覚えればすぐに使いこなせる様な気がしないでもない。
そのゲルトの箸先に引っ掛けられたハムの薄切りは、ノーラの口の中に納まった。最初は無理をせず、薄くて引っ掛けやすいものから練習した方が良いかも知れない。
その時、どこかから丸い物が飛んできた。昼休みを利用してボール遊びをしていたどこかの貴族子息連中が、誤ってゲルト達が陣取っているテラス席方向にボールを逸らしてしまった様だ。
ジョナサンは臆病気質全開で、変な声の悲鳴を漏らした。
ここでいつもなら、アクセルが面倒臭そうに片手を振って弾き返すのだが、この時ばかりは少し様子が異なった。
見てろとばかりに得意な笑みを浮かべると、次の瞬間には大きく広げた箸先で、飛来する白球をものの見事に受け止めてみせたのである。
ゲルトもジョナサンも、揃って驚きの声を上げた。
「うはー……そんなことも出来るんだ」
「箸って、実は物凄く優秀な子なんですねぇ……」
すっかり魅入ってしまった様子のゲルトとジョナサン。
ボールを取りに来た貴族子息達は、あからさまに嫌そうな顔をしていたのだが、アクセルは全く気にする様子も無く、箸で掴んだボールをこれまた器用に投げ返していた。
「それでひとつ、隠し芸が出来そうですね」
ボールが飛んできた時に情けない悲鳴をあげたことなど、すっかり忘れて笑うジョナサン。しかしゲルトは、アクセルの箸芸に別の着想を得ていた。
(煮沸した包帯を熱湯から取り出したりする時にも、使えそうだな……)
箸が秘めるポテンシャルは、医学や薬学とは大いに相性が良いかもしれない。
そう思うと、俄然やる気が出てきた。少しの間、シャルガネまで箸留学に行っても良いかも知れない、などと考える始末である。
向上心も、ここまでくるとひとつの業であるといって良いだろう。
遠くで、昼休みの開始を告げる鐘が鳴った。
パンクリアース学園2年生の、とある教室内。
生徒達が一斉に沸き立ち、凡そ半数が廊下へと飛び出してゆく。残りの半数は持参した弁当を広げる者や、教壇を降りようとする教師を捕まえて質問を浴びせる者など、様々だ。
そんな中にあって、ゲルトは隅っこの席で教科書とノート、筆記用具一式を鞄に放り込み、中庭へ出る準備を整えようとしていた。
今日は天気が良いから、テラス席で昼食を取るつもりだった。そして昼時にわざわざ荷物を纏めているのは、他の生徒からの嫌がらせを避ける為だ。
ここパンクリアース学園は現在、大きな改革に臨もうとしている。
ゲルトの様なゴブリンを含む非貴族や、一般の市井出身の冒険者といった従来では考えられなかった人種を、生徒として受け入れつつあった。
しかし今はまだ、過渡期の真っ最中である。尚も大きな勢力として学園全体の主導権を握るヒューマン、それも貴族の子息やその周辺子弟からすれば、ゲルトの如き異質の存在は明らかに邪魔者であった。
隙を見せれば、彼らは容赦無く陰湿な嫌がらせを仕掛けてくる。ゲルトが昼休みに荷物を纏めて教室を出てゆくのも、彼らの執拗な攻撃から大事な勉学道具一式を守る為の、最低限の防衛策に他ならない。
こんな学園生活があとどのくらい続くのかは皆目分からないが、ゲルトにとっては最早、慣れっこだ。今更現状を嘆いても始まらない。それよりも、まずは勉学に勤しむ機会を得られている今の状況を素直に喜ぶべきだと己にいい聞かせ、ゲルトは日々励み続けていた。
肩掛け鞄をたすき掛けに抱えて校舎を出ると、真っ白な柔らかい毛並みが物凄い勢いで迫ってきた。
授業の間、中庭で大人しく待っていたメスの白狼ノーラが待ってましたとばかりに、ゲルトのもとへ身を寄せてきたのである。
「よぉゲルト。お前も今からメシかぁ?」
渡り廊下から、聞き慣れた声が暖かな陽射しの中を突っ切ってきた。ルームメイトのアクセルだった。現在4年生の彼はゲルトから見れば先輩に当たるのだが、決して偉そうな素振りは見せない。
「あ……僕も丁度、今からなんですよぉ」
今度は反対の校舎窓から同じくもうひとりのルームメイト、1年生の後輩ジョナサンがやや気弱げな声を励まして呼びかけてきた。
ゲルトはノーラが咥えているバスケットを手に取り、頭上に掲げてみせた。
「今日はサンドイッチを山盛りに作ってきた。一緒に食べるか?」
その呼びかけに対し、アクセルもジョナサンも勿論だと頷き返した。
●
三人と一匹が陣取ったテラス席は、そこだけが妙に浮いていた。
他の生徒達は幾分距離を取り、やや遠巻きに眺める位置で声をひそめる。明らかにゲルト、アクセル、ジョナサンという組み合わせを揶揄しているのが分かった。
しかしゲルトお手製のサンドイッチに舌鼓を打つアクセルとジョナサンは、まるでどこ吹く風だ。ふたりは純粋にゲルトの味付けを楽しんでいる。具材もパン生地も悪くない。尤も、トータルで見て大絶賛する程でもなかったが。
「お前、薬師だろうに。いつの間に料理なんか習ってたんだ?」
「いや……別に覚えようと思って覚えた訳じゃないんだけどな」
アクセルに問われ、ゲルトは頭を掻いた。
最近は幼い子供でも無理なく服用出来る薬の調合術を調べるうちに、味そのものにも気を配る様になった。結果、簡単な料理を手掛ける際にも、じっくり味見する様になったに過ぎない。
勿論、本格的な料理は流石に無理だが、サンドイッチ程度の簡単な調理なら、それなりのものが作れる様になってきた――気がする。
「んー、でもお店に並べるにはもうちょっと、具材のバランスと彩りに改善の余地ありですねぇ」
小さな商家の次男坊であるジョナサンが、したり顔で注文をつけた。若年ながら、親の仕事を間近で見てきただけのことはある。但し商才の有無に関しては、本人も家族も、余り語ろうとはしない。将来について未だ決めかねているのも、彼の資質が多分に影響しているかも知れなかった。
「なぁに偉そうに語ってんだよ。初めてゲルトと会った時、ビビって女子寮まで逃げてったのは、どこのどいつだぁ?」
「う……そ、それはもう過去のことなので」
アクセルにからかわれ、ジョナサンは頬を真っ赤に紅潮させた。
その傍らでゲルトは、分厚いハムの塊をノーラに与えている。ノーラは美味そうに、顎をせわしなく動かしていた。
それからふと、ゲルトはアクセルの手元に視線を転じた。アクセルは木製の二本の棒を器用に動かし、小皿に盛られた春野菜の惣菜を摘まみ上げていた。
「それ、もしかしてシャルガネの箸ってやつ?」
「うん。こないだ辺境伯がシャルガネ会合からの土産だっつって、寄り子貴族全部の家族とか騎士とか身内とか知り合いとかに、配りまくってたんだ」
アクセルの実家は、貴族に仕える剣士の家系だ。アクセル自身も立派な剣士になることを将来の目標に据えており、目指すは父親の様な腕も人格も一流の剣士という話であった。
そのアクセルの父親は、アクファリテ西方辺境伯と若干の縁があるということで、シャルガネ土産の箸を頂戴するに至ったとの由。
ゲルトは、アクセルの手の中にある二本の黒い棒を凝視した。
●
アクセルは、ゲルトが余りに真剣な表情で箸を凝視する姿に小首を傾げた。
「何だ? 箸なんかに興味あるのか?」
「うん……細かい薬剤を微量に扱ったりする時に、便利かもなぁって」
ゲルトの応えを受けて、アクセルは呆れると同時に苦笑を漏らした。どこまでも勉強熱心なゲルトの相変わらずな姿勢には、最早笑うしかない。
「メシ時ぐらい、勉強のことなんか忘れろって」
「あぁ、御免。けど、やっぱ気になるなぁ」
尚もゲルトは、アクセルの箸から視線を外そうとしない。
この時アクセルは、ゲルトと出会った当初をふと思い出した。あの当時、アクセルはゴブリンという種に生まれて初めて接した。
伝え聞いていた話では、ゴブリンは卑屈で悪辣な人外種という噂だった為、ルームメイトに緑色の肌の若者を迎え入れると決まった時には、常に緊張と警戒の連続だった。
しかし入学してきたゲルトは勉学への真摯な態度が顕著で、向上心の塊の様な性格だった。その姿を見るうちに、アクセルもゲルトを信頼出来る人物だとして、打ち解ける様になっていった。
そのゲルトの好奇心旺盛で、どんなものからでも学びを得ようとする姿勢は変わっていない。この日、偶々アクセルが持ち出した箸に対しても、ゲルトの学習心は大いに発揮されていた。
「欲しいんだったら、やるぜ。予備にもうワンセット、あるからよ」
「え、良いのか?」
ゲルトは喜んで良いのか驚いて良いのか、自分でもよく分からなかったらしく、声がつい裏返ってしまった。アクセルは笑いながら、鞄の中からもうひと組の箸袋を取り出した。
「ウルシっていってたっけな。黒くてつやつやしてて、割りと良い代物だってぇからよ。大事に使えよ」
アクセルが差し出す箸袋は綿製で、表面には細やかな刺繍が散りばめられていた。
意外に高価な代物に思えたが、どうせ貰い物だからと、アクセルは全く気にする様子も無かった。
早速ゲルトは、箸袋から艶やかな二本の黒くて細い棒を取り出してみた。アクセルはごく自然に、且つ器用に箸を扱っていたが、ゲルトは初めて触れるということもあり、中々上手く手に馴染まない。
「ペンを持つ手つきに似てますねぇ」
苦戦するゲルトを他所に、ジョナサンがアクセルの手に収まっている箸をまじまじと眺めた。確かにアクセルの手つきを見ると、何となくペンを握る形に似ている。
成程、ペンか――授業中、ノートにペンを素早く走らせることに関してはゲルトは他の生徒に負けていない。実際、そのつもりで箸を握ってみると、案外簡単にアクセルと同じ形で箸先を揃えることが出来た。
●
ゲルトは練習だとばかりに、ハムの薄切りを箸先で摘まんでみた。力加減が中々難しいが、要領を覚えればすぐに使いこなせる様な気がしないでもない。
そのゲルトの箸先に引っ掛けられたハムの薄切りは、ノーラの口の中に納まった。最初は無理をせず、薄くて引っ掛けやすいものから練習した方が良いかも知れない。
その時、どこかから丸い物が飛んできた。昼休みを利用してボール遊びをしていたどこかの貴族子息連中が、誤ってゲルト達が陣取っているテラス席方向にボールを逸らしてしまった様だ。
ジョナサンは臆病気質全開で、変な声の悲鳴を漏らした。
ここでいつもなら、アクセルが面倒臭そうに片手を振って弾き返すのだが、この時ばかりは少し様子が異なった。
見てろとばかりに得意な笑みを浮かべると、次の瞬間には大きく広げた箸先で、飛来する白球をものの見事に受け止めてみせたのである。
ゲルトもジョナサンも、揃って驚きの声を上げた。
「うはー……そんなことも出来るんだ」
「箸って、実は物凄く優秀な子なんですねぇ……」
すっかり魅入ってしまった様子のゲルトとジョナサン。
ボールを取りに来た貴族子息達は、あからさまに嫌そうな顔をしていたのだが、アクセルは全く気にする様子も無く、箸で掴んだボールをこれまた器用に投げ返していた。
「それでひとつ、隠し芸が出来そうですね」
ボールが飛んできた時に情けない悲鳴をあげたことなど、すっかり忘れて笑うジョナサン。しかしゲルトは、アクセルの箸芸に別の着想を得ていた。
(煮沸した包帯を熱湯から取り出したりする時にも、使えそうだな……)
箸が秘めるポテンシャルは、医学や薬学とは大いに相性が良いかもしれない。
そう思うと、俄然やる気が出てきた。少しの間、シャルガネまで箸留学に行っても良いかも知れない、などと考える始末である。
向上心も、ここまでくるとひとつの業であるといって良いだろう。