魔獄の吸血鬼ハンター
キャラクターノベル制作 革酎納品 2022年04月10日 11時55分24秒
●
リーンエス王国北部のヴァンティール子爵領は、シルトラース帝国との領境たる山岳地帯に隣接している。
領都クリウルーを中心に林業や山岳農業、或いは炭焼き業等がひとびとの生活を支える、ごく一般的な地方貴族領といって良い。
そのクリウルーから徒歩で西へ離れること、凡そ半日。
山間の辺鄙な馬車道沿いを、魔獄の吸血鬼ハンターのふたつ名を持つルアンナ・ミュラーがひとり静かに、歩を刻んでいた。
黒を基調とした魔導着に、ややくすんだ色合いの紅いコートを肩から羽織り、真紅の結晶『竜石』を先端にあしらった愛用の杖を携えている。これがルアンナの、吸血鬼ハンターとしての戦闘服である。或いは魔獄の正装と呼んでも良いだろう。
既に日は暮れ、辺りは星明り以外の光源は無く、ほぼ漆黒に近しい闇に覆われている。
ルアンナはエメラルドの様な輝きを誇る緑の瞳を煌めかせ、黙々と足を進めていた。目指す廃屋は、この先の渓谷下にある筈だった。
この日の朝、別件でクリウルー冒険者ギルド支部を訪れたルアンナは、そこで吸血鬼討伐依頼が舞い込んできていたことを知った。他に手を挙げる冒険者もおらず、また何よりルアンナ自身、吸血鬼ハンターとしてのキャリアを積み始めたこともあり、何の迷いも無くこの依頼を受ける腹を決めた。
件の吸血鬼は最近この近辺に縄張りを移してきたらしく、手始めに周辺の村や集落を襲い、現時点までに三人の美しい娘を連れ去っていったという報告が上がっている。
被害に遭った村や集落の住民からの証言によると、その連れ去り犯は見目麗しい若い男性だったという。病的なまでに青白い肌と、唇の端から伸びる二本の鋭い犬歯から、敵が吸血鬼であると推測したとの由。
(何とも分かり易いというか、単純というか……)
闇の中を黙然と歩き続けるルアンナだが、内心では余りにも典型的な吸血鬼事件であることに、苦笑を禁じ得なかった。恐らくは下位吸血鬼であろうと思われるが、何のひねりも工夫も無い、ありふれた吸血鬼事件といえなくも無かった。
やがてルアンナは、突然地面が消えて無くなっていると錯覚させる渓谷の断崖にぶつかった。大地の裂け目の縁まで近づき、左右を見渡す。すぐに、渓谷下へと降りられる細い坂道を見つけた。
周囲を警戒しながら坂道へと続く地面に視線を傾ける。同一人物のものと思われる足跡が、何度も往復している様子が窺えた。恐らくは、件の吸血鬼もこの斜面を常に利用しているのだろう。
であれば、ここで出くわす可能性もある。
ルアンナはひと呼吸入れてから表情を引き締め、谷底へと向かう坂道をゆっくりと下り始めた。
●
渓谷の底に辿り着くまでに、然程の時間を要しなかった。
途中で障害に出くわすことも無く、ルアンナは一定の調子で歩を進めることが出来た。渓谷の底には細い清流が一本流れており、左右の岸では大小様々な岩が川辺を形成している。
問題の廃屋は、すぐに見つかった。
お世辞にも豪勢とはいえないが、規模は大きい。ちょっとした館と呼んでも差し支えないのではないか。
妙なところに邸宅を据えたものだと小首を傾げたルアンナだが、世を捨てて研究に没頭する魔術師等は案外、こういう場所に居を構えるものなのかも知れない。
玄関口へと向かう小径に差し掛かったところで、ルアンナは足を止めた。殺気が漂っている。どうやら、お出迎えの時間だ。
門柱の脇から、みっつの人影が現れた。いずれもブルネットの艶やかな髪が美しい、顔立ちの整った娘達だ。ルアンナが冒険者ギルドで事前に仕入れていた、連れ去られた三人の娘達と特徴が一致している。
(遅かった様ですね……)
左の拳を小さく握り締めた。
どの顔も、肌の色が異様な程に青白い。加えてルージュを引いた紅い唇の左右には、小さな牙が覗いている。眷属と化した、憐れな吸血鬼達であろう。
「ヘルムート様のところには行かせない」
娘のひとりが、低く唸る様に囁いた。ヘルムートというのが、件の吸血鬼の名であるらしい。
ルアンナは右手で竜石の杖を眼前にかざし、左手で素早く印を切った。宙空をなぞる左手の人差し指が、目に見えぬ小型の魔法陣を完成させる。
同時に、三人の娘達が地を蹴った。彼女達は、本来であればルアンナと命のやり取りをする様な運命など、想像だにしていなかった筈だ。だが吸血鬼ヘルムートに見初められるという不幸に陥った末、渓谷の底で獰猛な唸り声を上げている。
六本の腕が鉤爪を伸ばし、一斉に魔獄の吸血鬼ハンターへと殺到した。だがそれよりも早く光弾の群れがルアンナの頭上に陣を形成し、次の瞬間には三人の娘達を薙ぎ倒し、地面に叩き伏せていた。
娘達は、ほとんど一瞬で絶命していた。吸血鬼としては悲しい程に生命力が弱かった。恐らくヘルムートは彼女達を己の眷属とした時に、ほとんどエーテルを与えなかったのだろう。
吸血鬼は自らの眷属を生み出すに際して、己のエーテルを分け与える。どれ程のエーテルを授けるかによって眷属たる子吸血鬼の強さが決まる。勿論、親たる吸血鬼のエーテルも有限である故、子に与えるエーテル量には一定の調整が入る。
今、ルアンナの目の前で一掃された三人の娘達は、ただ吸血鬼となっただけで、その生命力や戦闘力は極めて弱かった。ヘルムートは彼女達を戦闘の手駒として眷属化させたのではなく、ただ単に、己の身辺に侍らせたかっただけなのかも知れない。
しかし子吸血鬼は親吸血鬼に対し、無欲の愛情を貫くのが一般的だ。ヘルムートを滅ぼそうとする者が現れれば、例え非力でも立ち向かおうとするだろう。
にも関わらず、ヘルムートは彼女達に然程の力を与えなかった。
傲慢のひと言に尽きるといって良い。
●
娘達の死に顔は、穏やかだった。
命の灯火が絶える直前までは確かに吸血鬼として、凶暴な面をルアンナに向けていた。だが彼女達の本来の魂は平凡で、笑顔の絶えない日常を望む普通の娘達だったのかも知れない。
ルアンナは彼女達の遺体の傍らを表情ひとつ変えずに突き進んだが、心の内には闘志が燃え上がっていた。
己のエゴの為に三人の娘達の人生を狂わせた吸血鬼を、必ずや討ち滅ぼす。その為には、ルアンナは自らの感情を面から消し去ることも出来た。
廃屋の中に足を踏み入れたルアンナに、幾つかの醜悪な影がすり寄ってきた。筋力を失い、ただ這いずり回るだけの哀れな屍の群れであった。恐らくヘルムートは、死霊術師なのだろう。しかしその技量は余り優秀な方ではないのかも知れない。
生み出されたアンデッドはいずれも弱々しく、戦闘に適した状態を維持していなかった。じりじりと左右からにじり寄ってくる屍の群れの間を、ルアンナは平然と進んだ。真に斃すべき敵は、ここには居ない。
玄関ホール正面の大階段を登り切ったところの踊り場で、ルアンナは吹き抜けに面している二階の回廊をぐるりと見渡した。
幾つかの木製扉が並んでいるが、大半が歪に傾き、或いは木板で封を施され、まともに開く状態ではない。だがそのうちのひとつだけ、妙に綺麗な扉が残されている。
ヘルムートはその扉の奥だ――ルアンナは進むべき道を即座に絞り込んだ。
足を進め、件の扉の前に辿り着いたところで、ルアンナはひと呼吸入れた。杖のエーテルと左手で描く印の組み合わせから発動する魔力の鎧で防御を固めてから、扉をそっと押し開いた。
室内は、思った以上に広い。その中央に、姿見の鏡に己の全身を映し出している美青年の姿があった。美青年は上半身裸で、白い絹の様な肌を闇の中に晒している。
美青年は何事かと振り返り、眉間に皺を寄せた。
「邪魔をするでない。私の美しさを堪能し切るには、まだ時が足りぬ」
「あら、そうですか。ではそれも終わりにしましょう」
ルアンナは容赦が無い。目の前の美青年、即ち吸血鬼ヘルムートがうろんな顔で振り向くよりも先に、杖の先端に輝く魔石から蜘蛛の糸の様なエーテルを解き放った。
魔糸はヘルムートの上半身に絡みつき、その動きを一瞬で封じた。
「邪魔をするなといったであろう、この無礼者が!」
ヘルムートはルアンナの戒めを即座に打ち破った。流石は吸血鬼、下位であろうとも呆れる程のパワーだ。
ルアンナはしかし、慌てなかった。ヘルムートが姿見の脇に吊るしていたレイピアを手に取り、鞘から抜き払う間にも、次なる魔法の発動態勢に入っていたのである。
「お前の血で、私の顔を美しく彩ってやろう!」
レイピアを振りかざしながら、ヘルムートはルアンナとの間合いを詰めようとした。ところが、ルアンナの放った火球がヘルムートの行く手を遮り、四方に散った炎の触手がヘルムートの全身に纏わりついた。
耳障りな怒号が、広い室内に響き渡った。ヘルムートはルアンナの実力を見誤っていたのか、想像もしていなかった攻撃を受けて呪いの言葉を吐き散らした。
しかしルアンナは、手を緩めない。更に魔力の弾丸を次々と撃ち込み、白い肌が炎に焼けただれているヘルムートを勢い良く吹き飛ばした。
●
ヘルムートは戦法を変えた。
レイピアの切っ先から衝撃波を放ったが、その先はルアンナではなく、天井だ。古びたシャンデリアや天井板を破壊し、床上に次々と叩き落とす。長年降り積もった埃が濛々と舞い上がり、室内はあっという間に視界が失われた。
成程、考えましたね――ルアンナは敵が馬鹿ではないことを悟った。ルアンナが仕掛ける魔術は、標的が見えていなければ上手く作用しない。勿論、範囲攻撃魔法を自身の周辺に仕掛ければ、或いは偶然的にヘルムートをその範囲内に捉えることが出来るかも知れない。
だがそれは、一種の賭けだ。躱されてしまえば、一転して窮地に陥る。
勿論、ルアンナにも勝算はある。魔獄の吸血鬼ハンターは戦士ではなく、魔術師だ。頭脳戦こそが本領発揮可能な得意分野だ。
ヘルムートはどうやら、殺気を抑えることが苦手らしい。眷属と化した三人の娘達も同様だが、接近のタイミングが非常に取り易い相手だった。
迸る殺気は漠然としており、どの方角から迫ってくるかは分からないものの、それ自体は然程の脅威ではなかった。
魔術師は接近戦を主とする戦士とは異なり、前後左右を含む範囲戦術に関してはお手の物だ。
(……来ますね)
ルアンナはヘルムートが接近する直前に光弾の群れを頭上に展開し、自らを中心とした同心円状の狭い範囲に降下させた。
手応えは、あった。真後ろだ。
ルアンナは竜石の杖をくるりと一回転させるや、低く腰を下ろした構えで杖底の先端を後方に突き出した。ずぶり、と何かに突き刺さる鈍い反応が杖全体に響いた。
「き……貴様……」
肩越しに、呻く様な低い声が流れてきた。
ルアンナの緑の瞳が僅かに後方へと傾く。その視線の先に、竜石の杖の杖底先端に心臓を貫かれたヘルムートの姿があった。
「私は、吸血鬼だぞ……なのに、その私を、こんなに……あっさりと……貴様一体、何者だ……」
血の泡を吹くヘルムートの呪詛の言葉を聞き流しながら、ルアンナは小脇に抱えた形の杖を前方へと大きく引き抜いた。
ヘルムートの体躯が再び埃を撒き散らして、ルアンナの傍らに倒れ込む。ルアンナは仁王立ちになって、虫の息のヘルムートを冷淡に見下ろした。
「パン屋です。それが何か?」
次の瞬間には、先程までヘルムートの心臓を貫いていた杖底の先端が、今度はヘルムートの頭蓋を粉砕した。ヘルムートの肉体から放たれるエーテルの波動は、ここで潰えた。
それから、ヘルムートの屍はゆっくりと灰化し始めた。世の中には色々な死に様を迎える吸血鬼が居るが、ヘルムートは死と同時にこの世から消え失せる血脈らしい。
廃屋を出たルアンナは、左右から断崖の黒い影が迫る頭上をそっと見上げた。
夜明けまでには、まだまだ時間がかかる。朝を待ってクリウルーに引き返した方が良さそうだ。
だがその前に、やることがある。
ルアンナは、ヘルムートと同じく遺体が灰化しつつある三人の娘達の傍らへと歩を寄せた。彼女達の遺品を持ち帰る為だ。
依頼には含まれていなかったが、思い出を繋いでやることが、彼女達の弔いになるだろう。
魔獄の吸血鬼ハンターが狩るのは、ひとに害を為す吸血鬼。犠牲の結果、ただ眷属に転化しただけの者をも切り捨てる必要は無かった。
リーンエス王国北部のヴァンティール子爵領は、シルトラース帝国との領境たる山岳地帯に隣接している。
領都クリウルーを中心に林業や山岳農業、或いは炭焼き業等がひとびとの生活を支える、ごく一般的な地方貴族領といって良い。
そのクリウルーから徒歩で西へ離れること、凡そ半日。
山間の辺鄙な馬車道沿いを、魔獄の吸血鬼ハンターのふたつ名を持つルアンナ・ミュラーがひとり静かに、歩を刻んでいた。
黒を基調とした魔導着に、ややくすんだ色合いの紅いコートを肩から羽織り、真紅の結晶『竜石』を先端にあしらった愛用の杖を携えている。これがルアンナの、吸血鬼ハンターとしての戦闘服である。或いは魔獄の正装と呼んでも良いだろう。
既に日は暮れ、辺りは星明り以外の光源は無く、ほぼ漆黒に近しい闇に覆われている。
ルアンナはエメラルドの様な輝きを誇る緑の瞳を煌めかせ、黙々と足を進めていた。目指す廃屋は、この先の渓谷下にある筈だった。
この日の朝、別件でクリウルー冒険者ギルド支部を訪れたルアンナは、そこで吸血鬼討伐依頼が舞い込んできていたことを知った。他に手を挙げる冒険者もおらず、また何よりルアンナ自身、吸血鬼ハンターとしてのキャリアを積み始めたこともあり、何の迷いも無くこの依頼を受ける腹を決めた。
件の吸血鬼は最近この近辺に縄張りを移してきたらしく、手始めに周辺の村や集落を襲い、現時点までに三人の美しい娘を連れ去っていったという報告が上がっている。
被害に遭った村や集落の住民からの証言によると、その連れ去り犯は見目麗しい若い男性だったという。病的なまでに青白い肌と、唇の端から伸びる二本の鋭い犬歯から、敵が吸血鬼であると推測したとの由。
(何とも分かり易いというか、単純というか……)
闇の中を黙然と歩き続けるルアンナだが、内心では余りにも典型的な吸血鬼事件であることに、苦笑を禁じ得なかった。恐らくは下位吸血鬼であろうと思われるが、何のひねりも工夫も無い、ありふれた吸血鬼事件といえなくも無かった。
やがてルアンナは、突然地面が消えて無くなっていると錯覚させる渓谷の断崖にぶつかった。大地の裂け目の縁まで近づき、左右を見渡す。すぐに、渓谷下へと降りられる細い坂道を見つけた。
周囲を警戒しながら坂道へと続く地面に視線を傾ける。同一人物のものと思われる足跡が、何度も往復している様子が窺えた。恐らくは、件の吸血鬼もこの斜面を常に利用しているのだろう。
であれば、ここで出くわす可能性もある。
ルアンナはひと呼吸入れてから表情を引き締め、谷底へと向かう坂道をゆっくりと下り始めた。
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渓谷の底に辿り着くまでに、然程の時間を要しなかった。
途中で障害に出くわすことも無く、ルアンナは一定の調子で歩を進めることが出来た。渓谷の底には細い清流が一本流れており、左右の岸では大小様々な岩が川辺を形成している。
問題の廃屋は、すぐに見つかった。
お世辞にも豪勢とはいえないが、規模は大きい。ちょっとした館と呼んでも差し支えないのではないか。
妙なところに邸宅を据えたものだと小首を傾げたルアンナだが、世を捨てて研究に没頭する魔術師等は案外、こういう場所に居を構えるものなのかも知れない。
玄関口へと向かう小径に差し掛かったところで、ルアンナは足を止めた。殺気が漂っている。どうやら、お出迎えの時間だ。
門柱の脇から、みっつの人影が現れた。いずれもブルネットの艶やかな髪が美しい、顔立ちの整った娘達だ。ルアンナが冒険者ギルドで事前に仕入れていた、連れ去られた三人の娘達と特徴が一致している。
(遅かった様ですね……)
左の拳を小さく握り締めた。
どの顔も、肌の色が異様な程に青白い。加えてルージュを引いた紅い唇の左右には、小さな牙が覗いている。眷属と化した、憐れな吸血鬼達であろう。
「ヘルムート様のところには行かせない」
娘のひとりが、低く唸る様に囁いた。ヘルムートというのが、件の吸血鬼の名であるらしい。
ルアンナは右手で竜石の杖を眼前にかざし、左手で素早く印を切った。宙空をなぞる左手の人差し指が、目に見えぬ小型の魔法陣を完成させる。
同時に、三人の娘達が地を蹴った。彼女達は、本来であればルアンナと命のやり取りをする様な運命など、想像だにしていなかった筈だ。だが吸血鬼ヘルムートに見初められるという不幸に陥った末、渓谷の底で獰猛な唸り声を上げている。
六本の腕が鉤爪を伸ばし、一斉に魔獄の吸血鬼ハンターへと殺到した。だがそれよりも早く光弾の群れがルアンナの頭上に陣を形成し、次の瞬間には三人の娘達を薙ぎ倒し、地面に叩き伏せていた。
娘達は、ほとんど一瞬で絶命していた。吸血鬼としては悲しい程に生命力が弱かった。恐らくヘルムートは彼女達を己の眷属とした時に、ほとんどエーテルを与えなかったのだろう。
吸血鬼は自らの眷属を生み出すに際して、己のエーテルを分け与える。どれ程のエーテルを授けるかによって眷属たる子吸血鬼の強さが決まる。勿論、親たる吸血鬼のエーテルも有限である故、子に与えるエーテル量には一定の調整が入る。
今、ルアンナの目の前で一掃された三人の娘達は、ただ吸血鬼となっただけで、その生命力や戦闘力は極めて弱かった。ヘルムートは彼女達を戦闘の手駒として眷属化させたのではなく、ただ単に、己の身辺に侍らせたかっただけなのかも知れない。
しかし子吸血鬼は親吸血鬼に対し、無欲の愛情を貫くのが一般的だ。ヘルムートを滅ぼそうとする者が現れれば、例え非力でも立ち向かおうとするだろう。
にも関わらず、ヘルムートは彼女達に然程の力を与えなかった。
傲慢のひと言に尽きるといって良い。
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娘達の死に顔は、穏やかだった。
命の灯火が絶える直前までは確かに吸血鬼として、凶暴な面をルアンナに向けていた。だが彼女達の本来の魂は平凡で、笑顔の絶えない日常を望む普通の娘達だったのかも知れない。
ルアンナは彼女達の遺体の傍らを表情ひとつ変えずに突き進んだが、心の内には闘志が燃え上がっていた。
己のエゴの為に三人の娘達の人生を狂わせた吸血鬼を、必ずや討ち滅ぼす。その為には、ルアンナは自らの感情を面から消し去ることも出来た。
廃屋の中に足を踏み入れたルアンナに、幾つかの醜悪な影がすり寄ってきた。筋力を失い、ただ這いずり回るだけの哀れな屍の群れであった。恐らくヘルムートは、死霊術師なのだろう。しかしその技量は余り優秀な方ではないのかも知れない。
生み出されたアンデッドはいずれも弱々しく、戦闘に適した状態を維持していなかった。じりじりと左右からにじり寄ってくる屍の群れの間を、ルアンナは平然と進んだ。真に斃すべき敵は、ここには居ない。
玄関ホール正面の大階段を登り切ったところの踊り場で、ルアンナは吹き抜けに面している二階の回廊をぐるりと見渡した。
幾つかの木製扉が並んでいるが、大半が歪に傾き、或いは木板で封を施され、まともに開く状態ではない。だがそのうちのひとつだけ、妙に綺麗な扉が残されている。
ヘルムートはその扉の奥だ――ルアンナは進むべき道を即座に絞り込んだ。
足を進め、件の扉の前に辿り着いたところで、ルアンナはひと呼吸入れた。杖のエーテルと左手で描く印の組み合わせから発動する魔力の鎧で防御を固めてから、扉をそっと押し開いた。
室内は、思った以上に広い。その中央に、姿見の鏡に己の全身を映し出している美青年の姿があった。美青年は上半身裸で、白い絹の様な肌を闇の中に晒している。
美青年は何事かと振り返り、眉間に皺を寄せた。
「邪魔をするでない。私の美しさを堪能し切るには、まだ時が足りぬ」
「あら、そうですか。ではそれも終わりにしましょう」
ルアンナは容赦が無い。目の前の美青年、即ち吸血鬼ヘルムートがうろんな顔で振り向くよりも先に、杖の先端に輝く魔石から蜘蛛の糸の様なエーテルを解き放った。
魔糸はヘルムートの上半身に絡みつき、その動きを一瞬で封じた。
「邪魔をするなといったであろう、この無礼者が!」
ヘルムートはルアンナの戒めを即座に打ち破った。流石は吸血鬼、下位であろうとも呆れる程のパワーだ。
ルアンナはしかし、慌てなかった。ヘルムートが姿見の脇に吊るしていたレイピアを手に取り、鞘から抜き払う間にも、次なる魔法の発動態勢に入っていたのである。
「お前の血で、私の顔を美しく彩ってやろう!」
レイピアを振りかざしながら、ヘルムートはルアンナとの間合いを詰めようとした。ところが、ルアンナの放った火球がヘルムートの行く手を遮り、四方に散った炎の触手がヘルムートの全身に纏わりついた。
耳障りな怒号が、広い室内に響き渡った。ヘルムートはルアンナの実力を見誤っていたのか、想像もしていなかった攻撃を受けて呪いの言葉を吐き散らした。
しかしルアンナは、手を緩めない。更に魔力の弾丸を次々と撃ち込み、白い肌が炎に焼けただれているヘルムートを勢い良く吹き飛ばした。
●
ヘルムートは戦法を変えた。
レイピアの切っ先から衝撃波を放ったが、その先はルアンナではなく、天井だ。古びたシャンデリアや天井板を破壊し、床上に次々と叩き落とす。長年降り積もった埃が濛々と舞い上がり、室内はあっという間に視界が失われた。
成程、考えましたね――ルアンナは敵が馬鹿ではないことを悟った。ルアンナが仕掛ける魔術は、標的が見えていなければ上手く作用しない。勿論、範囲攻撃魔法を自身の周辺に仕掛ければ、或いは偶然的にヘルムートをその範囲内に捉えることが出来るかも知れない。
だがそれは、一種の賭けだ。躱されてしまえば、一転して窮地に陥る。
勿論、ルアンナにも勝算はある。魔獄の吸血鬼ハンターは戦士ではなく、魔術師だ。頭脳戦こそが本領発揮可能な得意分野だ。
ヘルムートはどうやら、殺気を抑えることが苦手らしい。眷属と化した三人の娘達も同様だが、接近のタイミングが非常に取り易い相手だった。
迸る殺気は漠然としており、どの方角から迫ってくるかは分からないものの、それ自体は然程の脅威ではなかった。
魔術師は接近戦を主とする戦士とは異なり、前後左右を含む範囲戦術に関してはお手の物だ。
(……来ますね)
ルアンナはヘルムートが接近する直前に光弾の群れを頭上に展開し、自らを中心とした同心円状の狭い範囲に降下させた。
手応えは、あった。真後ろだ。
ルアンナは竜石の杖をくるりと一回転させるや、低く腰を下ろした構えで杖底の先端を後方に突き出した。ずぶり、と何かに突き刺さる鈍い反応が杖全体に響いた。
「き……貴様……」
肩越しに、呻く様な低い声が流れてきた。
ルアンナの緑の瞳が僅かに後方へと傾く。その視線の先に、竜石の杖の杖底先端に心臓を貫かれたヘルムートの姿があった。
「私は、吸血鬼だぞ……なのに、その私を、こんなに……あっさりと……貴様一体、何者だ……」
血の泡を吹くヘルムートの呪詛の言葉を聞き流しながら、ルアンナは小脇に抱えた形の杖を前方へと大きく引き抜いた。
ヘルムートの体躯が再び埃を撒き散らして、ルアンナの傍らに倒れ込む。ルアンナは仁王立ちになって、虫の息のヘルムートを冷淡に見下ろした。
「パン屋です。それが何か?」
次の瞬間には、先程までヘルムートの心臓を貫いていた杖底の先端が、今度はヘルムートの頭蓋を粉砕した。ヘルムートの肉体から放たれるエーテルの波動は、ここで潰えた。
それから、ヘルムートの屍はゆっくりと灰化し始めた。世の中には色々な死に様を迎える吸血鬼が居るが、ヘルムートは死と同時にこの世から消え失せる血脈らしい。
廃屋を出たルアンナは、左右から断崖の黒い影が迫る頭上をそっと見上げた。
夜明けまでには、まだまだ時間がかかる。朝を待ってクリウルーに引き返した方が良さそうだ。
だがその前に、やることがある。
ルアンナは、ヘルムートと同じく遺体が灰化しつつある三人の娘達の傍らへと歩を寄せた。彼女達の遺品を持ち帰る為だ。
依頼には含まれていなかったが、思い出を繋いでやることが、彼女達の弔いになるだろう。
魔獄の吸血鬼ハンターが狩るのは、ひとに害を為す吸血鬼。犠牲の結果、ただ眷属に転化しただけの者をも切り捨てる必要は無かった。