慕情
キャラクターノベル制作 七海真砂納品 2022年04月01日 15時30分47秒
北部鎮守都市オルセン。
征竜に備える北の要として知られるこの場所は、首刈帝クジンリーネ・バルダスの御世よりずっと、マフダル一族が束ね続けている土地だ。
能力至上主義を掲げるシルトラース帝国において、それは決して容易なことではない。マフダル一族の者達は常に研鑽を重ね、この地を託されるに値する能力の持ち主であることを証明し続けてきた。
それは、マフダル家の祖先が首刈帝クジンリーネと交わした『約束』に由来する。
「――その時が来たのかを見極めるまで、ここは任せる、か……」
今代のマフダル一族の当主であるコンラート・マフダルは、ある部屋を訪れていた。
部屋の中央に置かれているのは、玉座を模して造られた椅子。今は座る者のいないこの椅子には、まるで主の代わりだと言わんばかりに一振りの剣が置かれている。
コンラートは、その一振りの煌めきが今日もそこにあるのを確かめながら、いつもの定位置――その椅子の斜め後ろに立つ。
今はここにいない、この椅子の主の頭が揺れて、ほんの微かにコンラートのことを見上げながら振り返り、その唇がコンラートの名を紡ぐ――その光景が、ついさっきのことのように蘇る。
強烈な光だった。
今こうして、この部屋に差し込む朝日よりもずっと、眩い輝きを放つあの姿――。
何もかもを吹き飛ばし、進むべき道を示した彼女こそが、自分が今ここで、こうしている意味なのだと悟った。
ああ、これがきっと『運命』というものなのだと――。
(あの時まで、一族の使命を最も軽んじていたのは私だっただろうに)
自分のことながら苦笑してしまう。
敬虔な長老達を、過去の遺物に殉じる黴臭い老人だと吐き捨て、一族の若手を束ねて改革に踏み出そうとしていた、あの頃がもう遠い過去のようだ。仲間の誰もが魅了され……何よりコンラート自身が、その輝きに惹きつけられた。
この場所に、立つことができる喜びと。
……彼女が旅立つまで、遂に、その隣に並び立つことができなかった、複雑な心が入り混じる。
あの女には求めるものが、叶えたいものが、ある。
あの日以来、コンラートは時々この主のいない部屋を訪れる。
ここには、託された一振りの煌めきが残っているから。
交わした『約束』が、確かなものであるとコンラートに教えてくれるから。
(あの女は、必ずここに帰って来る――どこへ行こうとも、どこまで離れようとも、絶対に)
オルセンの太守という地位があるからこそ、この地を離れることは叶わない。
けれどマフダル一族の長として、その座に就いたからこそ得られた約束が、ここには、ある。
「そうだろう? 姫妖――」
その名を呼んだ剣は決して、コンラートに応えることは無いけれど。
交わした『約束』を信じているから、コンラートはふわりと微笑む。どこまでもどこまでも優しく温かい瞳で。
「なんじゃ、コンラート坊や。早起きじゃの」
「これはこれは爺様。おはようございます」
しばらくして、部屋の扉を開けたのは、一人のハーフリングであった。
見た目はコンラートと大して変わらないが、相手はマフダル一族の長老の一人、ヘルムート・マフダルである。コンラートはすぐに、恭しく頭を下げる。
この部屋に入れるのはマフダル一族の中でも限られた者だけ。ヘルムートは隠居老人だと言い張って、一族の実務からは手を引きつつ、この部屋の管理に精を出している一人である。
「こんな時間からここで会うとはの。ちょっと前には考えられなかったことじゃな」
「面目ありません。昔の私は一族の使命を理解しきれぬ未熟者だったのです」
老人の言う『ちょっと前』とは年単位で昔のことだろう。そう察して大人しく頭を垂れるコンラートだったが、ヘルムートは陽気にふぉっふぉっふぉと笑う。
「良い、良い。今となっては同じクーネちゃんファンクラブの同士ではないか」
ご機嫌な様子でファンクラブ会員証を出すヘルムート。マフダルの長老衆が主宰するこのファンクラブは、オルセンに多数の会員を抱えている組織ではある、の、だが。
「ファンクラブ……ですか……」
「なんじゃ、複雑そうな顔しとるのう。違うのかえ?」
「いえ、確かにあの女の技量や采配は見事なものです。が……」
ファンという表現は、この想いを表す言葉として、正確なものではないように思えてしまうのだ。
「ああそうか、坊やはもっと別の意味で、クーネちゃんに惚れ込んでおったかの?」
「……そうですね。最早あの女のいない人生など、私には考えられませんから」
揺さぶるように投げかけてくるヘルムートに、顔色を変えずに微笑んでコンラートは答えた。「なんじゃつまらんのう」と老人がぼやいたのは聞こえなかったことにしておく。
「まあ、坊やに慕う相手がいるのは良いことかの。ふむ、であればちと、朝の鍛錬に付き合わんか?」
「爺様……隠居とか本当に口だけですね……」
「ふぉっふぉっふぉ。『その時が来たらば、人類の盾となれ』じゃよ。わしの生きてるうちに、その日が来るかもしれんからのう」
ゆる~く笑っているように見えて、その目に微かに鋭い光が宿っていることをコンラートは見逃さない。その日が来ることへの淡い期待は、ヘルムートだけではなく、コンラートの中にもあるものだから。
あの女の願いが、叶ったら――その時は。
その未来を少しだけ、コンラートは夢に見る。
「良いでしょう、ご一緒しますよ」
一族の誰もが、自分の代で『約束』が果たされることを願っているだろう。そこに私情を大いに重ねながら、コンラートはクロスボウを取って修練場に出た。
仮想敵は征竜――上空から飛来する敵を模すように魔法を降らせてくるヘルムートに対し、コンラートは素早く番えた矢を連射する。ひとつ、ふたつ、みっつ……射抜いてそのまま更に矢を放ち続けて、ヘルムートの頭上を反対に狙う。
「相変わらず早いのう」
「爺様お一人を相手に、後れを取る訳には参りませんので」
回避に徹して矢を避けつつ、押し返そうとするヘルムートだが、コンラートはその余裕を与えない。鋭く連射される矢に追い詰められたヘルムートはやがて「降参じゃ降参じゃ」と杖を抱えた両手を上げた。
「相変わらず見事な腕じゃな。じゃ次行くぞえ」
「いえいえ……は?」
息も乱さずクロスボウを下ろしたコンラートだったが、一瞬まばたきしてヘルムートを見る。と、周囲で鍛錬中だった兵達を手招いているではないか。
「次はチーム戦な。そも、坊や相手じゃ、わしが不利に決まっておるからの。ハンデがあってええじゃろ?」
「そう来ましたか……構いませんよ、負けませんから」
コンラートは不敵に笑う。指揮を執る手腕を問われては尚更、このような隠居老人に負けてなどいられない。
即興で組分けたチームでの鍛錬は、噂を聞きつけて駆けつけた者達で更に膨らみ、小一時間ほど続いた。
――あの女が去ったこの地で、やらなければならない事がある。
想うからこそ、果たさねばならない『約束』があることを、コンラートは知ってしまった。
(……初代もこんな気持ちだったのだろうか)
そうかもしれない、違うかもしれない。
いずれにせよ、それを越えてコンラートは更に進んでいかなければならないのだ。
その為に必要なことを思案しながら、コンラートは外套の裾を翻す。
それは、帝国の長い冬が過ぎ、春へ向かおうとしていた、ある日の朝のことだった。
征竜に備える北の要として知られるこの場所は、首刈帝クジンリーネ・バルダスの御世よりずっと、マフダル一族が束ね続けている土地だ。
能力至上主義を掲げるシルトラース帝国において、それは決して容易なことではない。マフダル一族の者達は常に研鑽を重ね、この地を託されるに値する能力の持ち主であることを証明し続けてきた。
それは、マフダル家の祖先が首刈帝クジンリーネと交わした『約束』に由来する。
「――その時が来たのかを見極めるまで、ここは任せる、か……」
今代のマフダル一族の当主であるコンラート・マフダルは、ある部屋を訪れていた。
部屋の中央に置かれているのは、玉座を模して造られた椅子。今は座る者のいないこの椅子には、まるで主の代わりだと言わんばかりに一振りの剣が置かれている。
コンラートは、その一振りの煌めきが今日もそこにあるのを確かめながら、いつもの定位置――その椅子の斜め後ろに立つ。
今はここにいない、この椅子の主の頭が揺れて、ほんの微かにコンラートのことを見上げながら振り返り、その唇がコンラートの名を紡ぐ――その光景が、ついさっきのことのように蘇る。
強烈な光だった。
今こうして、この部屋に差し込む朝日よりもずっと、眩い輝きを放つあの姿――。
何もかもを吹き飛ばし、進むべき道を示した彼女こそが、自分が今ここで、こうしている意味なのだと悟った。
ああ、これがきっと『運命』というものなのだと――。
(あの時まで、一族の使命を最も軽んじていたのは私だっただろうに)
自分のことながら苦笑してしまう。
敬虔な長老達を、過去の遺物に殉じる黴臭い老人だと吐き捨て、一族の若手を束ねて改革に踏み出そうとしていた、あの頃がもう遠い過去のようだ。仲間の誰もが魅了され……何よりコンラート自身が、その輝きに惹きつけられた。
この場所に、立つことができる喜びと。
……彼女が旅立つまで、遂に、その隣に並び立つことができなかった、複雑な心が入り混じる。
あの女には求めるものが、叶えたいものが、ある。
あの日以来、コンラートは時々この主のいない部屋を訪れる。
ここには、託された一振りの煌めきが残っているから。
交わした『約束』が、確かなものであるとコンラートに教えてくれるから。
(あの女は、必ずここに帰って来る――どこへ行こうとも、どこまで離れようとも、絶対に)
オルセンの太守という地位があるからこそ、この地を離れることは叶わない。
けれどマフダル一族の長として、その座に就いたからこそ得られた約束が、ここには、ある。
「そうだろう? 姫妖――」
その名を呼んだ剣は決して、コンラートに応えることは無いけれど。
交わした『約束』を信じているから、コンラートはふわりと微笑む。どこまでもどこまでも優しく温かい瞳で。
「なんじゃ、コンラート坊や。早起きじゃの」
「これはこれは爺様。おはようございます」
しばらくして、部屋の扉を開けたのは、一人のハーフリングであった。
見た目はコンラートと大して変わらないが、相手はマフダル一族の長老の一人、ヘルムート・マフダルである。コンラートはすぐに、恭しく頭を下げる。
この部屋に入れるのはマフダル一族の中でも限られた者だけ。ヘルムートは隠居老人だと言い張って、一族の実務からは手を引きつつ、この部屋の管理に精を出している一人である。
「こんな時間からここで会うとはの。ちょっと前には考えられなかったことじゃな」
「面目ありません。昔の私は一族の使命を理解しきれぬ未熟者だったのです」
老人の言う『ちょっと前』とは年単位で昔のことだろう。そう察して大人しく頭を垂れるコンラートだったが、ヘルムートは陽気にふぉっふぉっふぉと笑う。
「良い、良い。今となっては同じクーネちゃんファンクラブの同士ではないか」
ご機嫌な様子でファンクラブ会員証を出すヘルムート。マフダルの長老衆が主宰するこのファンクラブは、オルセンに多数の会員を抱えている組織ではある、の、だが。
「ファンクラブ……ですか……」
「なんじゃ、複雑そうな顔しとるのう。違うのかえ?」
「いえ、確かにあの女の技量や采配は見事なものです。が……」
ファンという表現は、この想いを表す言葉として、正確なものではないように思えてしまうのだ。
「ああそうか、坊やはもっと別の意味で、クーネちゃんに惚れ込んでおったかの?」
「……そうですね。最早あの女のいない人生など、私には考えられませんから」
揺さぶるように投げかけてくるヘルムートに、顔色を変えずに微笑んでコンラートは答えた。「なんじゃつまらんのう」と老人がぼやいたのは聞こえなかったことにしておく。
「まあ、坊やに慕う相手がいるのは良いことかの。ふむ、であればちと、朝の鍛錬に付き合わんか?」
「爺様……隠居とか本当に口だけですね……」
「ふぉっふぉっふぉ。『その時が来たらば、人類の盾となれ』じゃよ。わしの生きてるうちに、その日が来るかもしれんからのう」
ゆる~く笑っているように見えて、その目に微かに鋭い光が宿っていることをコンラートは見逃さない。その日が来ることへの淡い期待は、ヘルムートだけではなく、コンラートの中にもあるものだから。
あの女の願いが、叶ったら――その時は。
その未来を少しだけ、コンラートは夢に見る。
「良いでしょう、ご一緒しますよ」
一族の誰もが、自分の代で『約束』が果たされることを願っているだろう。そこに私情を大いに重ねながら、コンラートはクロスボウを取って修練場に出た。
仮想敵は征竜――上空から飛来する敵を模すように魔法を降らせてくるヘルムートに対し、コンラートは素早く番えた矢を連射する。ひとつ、ふたつ、みっつ……射抜いてそのまま更に矢を放ち続けて、ヘルムートの頭上を反対に狙う。
「相変わらず早いのう」
「爺様お一人を相手に、後れを取る訳には参りませんので」
回避に徹して矢を避けつつ、押し返そうとするヘルムートだが、コンラートはその余裕を与えない。鋭く連射される矢に追い詰められたヘルムートはやがて「降参じゃ降参じゃ」と杖を抱えた両手を上げた。
「相変わらず見事な腕じゃな。じゃ次行くぞえ」
「いえいえ……は?」
息も乱さずクロスボウを下ろしたコンラートだったが、一瞬まばたきしてヘルムートを見る。と、周囲で鍛錬中だった兵達を手招いているではないか。
「次はチーム戦な。そも、坊や相手じゃ、わしが不利に決まっておるからの。ハンデがあってええじゃろ?」
「そう来ましたか……構いませんよ、負けませんから」
コンラートは不敵に笑う。指揮を執る手腕を問われては尚更、このような隠居老人に負けてなどいられない。
即興で組分けたチームでの鍛錬は、噂を聞きつけて駆けつけた者達で更に膨らみ、小一時間ほど続いた。
――あの女が去ったこの地で、やらなければならない事がある。
想うからこそ、果たさねばならない『約束』があることを、コンラートは知ってしまった。
(……初代もこんな気持ちだったのだろうか)
そうかもしれない、違うかもしれない。
いずれにせよ、それを越えてコンラートは更に進んでいかなければならないのだ。
その為に必要なことを思案しながら、コンラートは外套の裾を翻す。
それは、帝国の長い冬が過ぎ、春へ向かおうとしていた、ある日の朝のことだった。