降り募る雨は止めどなく

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年11月04日 14時13分08秒

●止まない夢

 ふと、眠りに落ちる瞬間。最近良く、幼い頃のことを思い出す。
 それは酷く曖昧で。何処からが真実で、何処が伝聞で、何処が想像なのかも分からない。

 記憶は勝手に補完されて、まるでそれが事実であった様に描かれる。
 始まりはそう――――屋敷の玄関。その境界線を潜るのが、とてもとても苦手だった。

「――――お母さんは、どこ?」

 思えば、そんな子供が可愛いわけがない。……と、今なら分かる。
 出迎えに来た知らない女性(ひと)が、何故わたしを見て数度も瞬いたのかも。分かる。

 お父様を名乗る男の人に連れられて、まるで知らない大きなお屋敷にやって来て。
 そうして、私(わたし)は。

●三日

「ねえ衛兵さん、お父様は?」

 お屋敷の奥に居ると、夜が恐いことが良くあった。

「お父様でなくちゃ嫌。お父様を連れてきて……!」

 何でお母さんが居ないのか分からない。気付いたら、わたしは1人ぼっちで。
 お引越しの理由も分からない。覚えているのは、お父様と手を繋いでいたことだけ。

 今は、衛兵さんとばあやが傍に居てくれるけれど。なぜだかいつでも寂しい。
 絵本を読んでいても、お勉強をしていても、楽器を教わっていても。ずっと。

 寂しくて、悲しくて、痛くて、どうしてか泣きそうになる。

「はいはい、それではばあやが御当主様を呼んできましょうかね」

「うん……お仕事中だよね。嫌われちゃう、かな」

 ばあやがとっても優しいのは分かってるのに。どうしてかな。どうしてかなあ。
 お父様にわがままな子だなんて思われたく無いのに、止められない。

「大丈夫ですよ、ばあやが上手く言いくるめましょう」

 おどけたばあやの言葉遣いに思わず笑ってしまって。
 それなのに、寂しい気持ちが消えてくれない。おかしいな。変だなって思いながら。

 今日もまた、子供部屋でじっと待つ。暫くして扉を叩くノックの音。

「いつも待たせてすまない。寂しくなかったかいレティ」

「寂しかった。とっても寂しくて、泣いてしまいそう」

 我儘を言うわたしを、お父様が抱き上げる。ぎゅうっと抱きついて寝室へ向かう。
 大好きな絵本は衛兵さんが運んでくれる。ばあやは甘い山羊乳を淹れてくれた。

 みんな温かくて優しいのに、何でだろう。わたしだけが、どうしても良い子でいられない。
 まるで悪い妖精でも連れてきてしまったみたい。お父様が困ったみたいな顔をしてる。

「……分かった。それなら、昨日の続きからだね」

「うん。お父様、ごめんね。……大好きよ」

 抱きついて眠る。前は沢山沢山見た夢を、このお屋敷に来てからは見ていない。
 それも、何でかはわからない。ただ、真っ暗な中に落ちていくみたいに。

 綺麗な歌声が、聞こえない。

●十日

「いや! いや!! 知らない知らない知らない!!」

 お父様は領主というお仕事をしていて、領主というお仕事は時々遠くへ出かけないといけない。
 収穫のお祭り直前に、今年がどうだったかを王都に行って説明するのは大事なお仕事らしい。

 だから、わたしはお留守番と聞いて。それがどうしても我慢出来なくて。
 わたしはお父様の袖を掴んで泣き喚いた。お父様も、ばあやも、衛兵さんも、皆が困った顔。

「レティシア、あまりお父様に無理を言ってはいけない」

「でも、だって、お兄様は寂しくないの……!?」

 寂しくない筈がない。ただ我慢しているだけ。お兄様は1つ年上なだけなのに。
 出来るだけ良い子で居ようとする。それは凄く偉いこと。でも、わたしにはとても難しい。

「……お父様の、大事なお仕事だから」

「嘘、お兄様だって剣の稽古を見て欲しいって言ってたもの!」

 わたしほどじゃないにせよ。お兄様だってお父様のことが大好きだ。
 わたしはずるいことを言ってる。ずるいことを言ってるって、分かってる。

「それは……」

「お父様が行っちゃったら、1ヶ月も稽古つけて貰えないよ!?
 お兄様はそれで良いの? わたしは……」

 だから、いつか何処かで叱られるだろうことは、本当は心の何処かで分かってた。

「レティシア、我儘を言うんじゃありません!」

 鋭い叱責に、お兄様が驚いたように視線を向ける。声を上げたお母様の方が驚いた顔をしていた。
 わたしも驚いていたけれど、それでも、お父様と離れたくなかった。

 大きな声を上げてはいけない。感情を乱してはいけない。それは貴族の、作法(マナー)。
 お母さんが教えてくれた話が頭を過ぎって。わたしはお母様を睨みつける。

 それは駄目なことだ。わたしは悪かったかもしれない。けれど、お母様だって正しくはない。
 だって――――

「大きな声を上げて、怒ったりしたらいけません。って、お母さんは、そう言ってました」

 ――――お父様は結局、次の日のわたしが目覚める前。早い時間に、王都へと出掛けて行った。

●一ヶ月

 夏が過ぎた頃のこと。

 最近、母様の様子がおかしい。その事に気付けたことが良かったのか、悪かったのか。
 義妹(レティシア)は父様が王都へ出掛けてからすっかり意気消沈してしまい。

 だからこそか、とにかく不注意が増えてしまった。筆記具を失くす。竪琴を壊す。洋杯(グラス)を落とす。
 その度に母様は義妹を酷く叱る。僕はこれまで、そんな母様をあまり見たことが無かった。

 "伯爵家令嬢として何も出来ないレティシアに、貴族としての有り様を身に着けさせないといけません"

 母様は僕にそう教えてくれたけれど、父様が居ないからか。母様は少し厳し過ぎる気がする。
 仕方のないこと。義母から何一つ貴族としての教えを受けなかった義妹の為。きっとそうなのだろう。

 けれど、あの子は僕よりも小さくて。突然連れて来られた屋敷で不安な筈だ。我慢するのも辛いに違いない。
 今日も、義妹(レティシア)はお勉強から逃げて中庭で猫と遊んでいる。多分、野良だろう。

 褒められた事ではない。けれど、あの子は可哀想な子だから助けてあげて欲しい。と、僕は父様と約束した。
 母様に叱られてばかりでは休み時間も欲しい筈だ。僕は猫を抱いて蹲る義妹を見て見ぬ振りをすることにした。

 ――――

 月の綺麗な夜のこと。

 ばあやが屋敷から出ていく事になった。母様の義妹への教え方が厳し過ぎると訴えたからだ。
 "家の方針に口を出す家臣なんて、当家には必要ありません"――――と。母様は言っていたけれど。

 父様が生まれる前より長く務めるばあやは、侍女(メイド)達からの信頼も厚かった。
 それが突然暇を出されて、少なくない家臣達が不安を感じているのは見ていれば分かる。

 父様が居ないのにそんな事を勝手に決めてしまって良いのだろうか。と、僕は心配で仕方ない。
 義妹(レティシア)はばあやに随分と懐いていたし、ばあやも義妹(レティシア)を可愛がっていた。

 きっと寂しがっているに違いないと思って、勉強の合間に彼女の部屋まで逢いに行くと。
 丁度母様が泣いている義妹(レティシア)を叱責しているところに出くわしてしまった。

 "所詮は端女が産んだ娘。出来なくとも仕方有りませんが、同じことを二度教える身にもなって下さる?"

 泣いている子にあんなに冷たい言葉をかけたら、それが本心だと思われてしまう。
 母様も、父様が居なくて大変なのだろうけれど。……せめて僕は、義妹に優しくしてあげないと。

 ―――― 
 
 秋が暮れる日のこと。

 今日は大騒ぎだった。一日中屋敷の中と外を駆け回ることになった。
 侍女(メイド)達から話を聞けば、義妹(レティシア)が可愛がっていた野良猫が居なくなったらしい。

 最近は1日も欠かさず中庭へとやって来ては、手づから餌を与えていたそうで。
 それが突然やって来なくなって丸2日が過ぎ。不安に刈られた義妹(レティシア)が遂に家を跳び出した。

 周囲がその事に気付いたのは昼の勉強の時間になってからで、侍女も執事も屋敷内外を大捜索だ。
 結局、義妹(レティシア)付きの衛兵が疲れ果て眠ってしまった彼女を連れ戻した事で最悪は免れたが。

 激昂する母様に随分と酷い叱責を受け、その声は遠く離れた子供部屋に居た僕の所まで響いて来た。
 きっと、屋敷に居る人間で震え上がらなかった人なんて居ないに違いない。

 夕ご飯時には普段通りになっていたけれど。あんなに怒った母様の声は僕でも聞いたことがない。
 義妹(レティシア)は部屋から出てこないし、本来関係の無い僕ですら心も体も疲れきってしまった。

 そういえば、そんな騒ぎの裏側で庭の焼却炉で異臭騒ぎなんかも起きていたらしい。
 父様が王都へ出てからおかしなことばかりだ。1日でも早く、前のように皆で笑い会える日々が戻れば良い。

●一年

 血が――――いた。

 血が、流れていた。

 血が――――沢山、沢山の血が――――流れていた。

 ――――

 麻の袋を顔に被せられ、馬車に載せられた。其処からは何も分からない。
 倉庫の様な場所に閉じ込められ、此処で馬車を変えるのだと言った。そのおじさんが誰かも知らない。

 洋灯(ランプ)に照らされ、震えながらじっとしていると。倉庫の扉が蹴破られ誰かが突入して来た。
 それはばあやが居なくなってから、いつも傍に居てくれた衛兵さんだ。震えが、少しだけ収まった。

 剣を携えた衛兵さんは強かった。凄く強くて、まるで絵本の騎士様みたいで。
 小さな斧を構えたおじさんと刃を何度か打ち合わせると、おじさんの斧を弾き飛ばした。

 凄い。凄い。目を離せない。衛兵さんが拳で打ち付けると、おじさんが呻いて伏せる。
 そうして、倉庫の中は静かになった。瞬く私が閉じ込められていた檻に衛兵さんが駆け寄って来る。

 "申し訳ありません、お嬢様。私が付いていながら"

 衛兵さんはそう言うと、金属の檻を振り抜いた剣であっさり斬ってしまう。
 目を見開く私の表情に気付いたのか、近付いてきた衛兵さんがはにかむように笑った。

 そうしてみると、思っていたより子供っぽい笑顔で。もしかしなくても、お父様より若いくらい?
 そんな事を考えながら、差し出された手を取った。

 次の瞬間、私は気付いてしまう。衛兵さんの後ろ。身を起こしたおじさんが懐から短剣を取り出した。
 衛兵さんは気付いていない。声を、声を上げないと。でも、声が凍った様に、喉から出て来ない。

「―――――ッ」

 身体が跳ね上がった私を見て、衛兵さんが剣を手に振り返る。
 けれど、遅い。おじさんが腰溜めに短剣を構え――――ど、っと。衛兵さんとぶつかって。

 2人ともが強く呻いた。
 私は最後、衛兵さんに押されて檻の中。声は、やっぱり出ない。

 誰も喋らない。視線を向けると、おじさんの身体から衛兵さんの剣先が突き出ていた。
 血が滴って、床を濡らす。でも、おじさんだけじゃなく衛兵さんも動かない。

 ずる、と、剣を握る手が滑って落ちる。喉の下に刺さった短剣の柄は首の横まで回っていた。
 其処まで見て、漂って来た濃過ぎる血の香りに。胸から込み上げた物を吐き出す。

 朝に食べた物を全部戻しながら、私は震えて蹲る。やだ。やだ。やだ。
 嫌。赤いのは嫌。恐い。恐い。恐い。何度頭を振っても見たものは消えない。消えてくれない。

 血が――――いた。

 血が、流れていた。

 血が――――沢山、沢山の血が――――流れていた。

 ――――――――

 ――――――――――――――――あの日だって、そうだった。

 洋灯(ランプ)に照らされた、血溜まりは真っ赤だ。
 大きな花みたいに、真っ赤で。また、人が死んでいる。私の所為で、死んでいる。

 どうして忘れていたんだろう。どうして忘れていられたんだろう。
 私はこれを、知っている。私はこの光景を――――知っている。

 だってそれは。
 大好きな。

 誰よりも、何よりも大好きな。
 綺麗で、優しくて、温かで、いつでも、一緒に居た。

 ああ。そうだった。

 ああ。ああ。ああ――――そうだった。

「……おかあさん」

 ――――――――私が殺した、一番大切な人のこと。

●幾年月

 "まるで借りてきた猫のよう"

 ――――一部の侍女が戯れにとはいえそう口にするのを、ただ静かに受け止める。
 期待しなければ、傷付かない。喜びを求めなければ、哀しみもない。微笑んでいれば、誰からも傷付けない。

 親しくならなければ、誰も失わない。好きにならなければ――――嫌いにもならない。
 最初は寂しさを憶えた孤独にも、数年もすればすっかり慣れた。今はもう、何もかも遠い。

 誘拐直後、とても心配してくれたお兄様とも暫く疎遠になってしまったけれど。
 今は近付き過ぎず、遠過ぎず、お母様に叱責を受けない位の距離感が保てる様になった。

 お父様には、多分嫌われてしまったのだろう。当たり前で、仕方がない事だと思う。
 私が、お父様から光を奪ったのだから。思い出したことを告げた時、浮かべた表情を覚えている。

 あんな、泣きそうな顔をさせた娘を愛せるような人は居ない。私はそれをもう十分分かっていて。
 それでも愛されたいと。愛して欲しいと願うのは。……子供の我儘だと、分かっている。

 "良いですか、レティシア。貴女はただ、レインフィール家の道具としての役割を遵守すれば良いのよ。
  それが当家の家名を継ぐ理由の全てで、不出来な貴女にも出来るたった一つの貢献なのだから"

 だから、私はこれから貴族の令嬢としての務めを果たす為に貴族の(パンクリアース)学園へ入学する。
 其処で確かな立ち位置を築いて、家の為に身を挺して働く。それが。それだけが私に許された全て。

 繰り返し練習した微笑みを、貼り付けるのなんて簡単で。こんなことすら、どうして出来なかったのか。

「はい、お母様。私は、レインフィールの娘に恥じない働きをして参ります」

 小さく纏めた鞄を手に屋敷の玄関を潜る。やって来た日よりずっと簡単に境界線を潜る。
 ――――本当はもうずっと、得意も、苦手も、分からないけれど。きっと、それで良いのだろう。
 
 忘れてはいけない。勘違いをしてはいけない。何度でも何度でも刻み込まないといけない。
 だってこれは贖罪だから。両親を傷付け、義母を傷付け、大勢殺した。

 私の贖罪。

●降り募る雨

 ふと、眠りに落ちる瞬間。最近良く、幼い頃のことを思い出す。
 それは酷く曖昧で。何処からが真実で、何処が伝聞で、何処が想像なのかも分からない。

 記憶は勝手に補完されて、まるでそれが事実であった様に描かれる。
 いつ終わりが来るのか分からないまま滴る様な痛みの夢は、今もずっと、止めどなく続く。

 手を縛って、足を縛って、首を縛って、心を縛って、瞳も、口も、耳も閉ざして。
 そうして私(わたし)は、”今の私”(レティシア・レインフィール)になった。

 そうなることしか出来なかった。そうでなければいけなかった。ずっとずっとそうだった。
 それなのにどうして。私は、全てを置いて旅になんて出てしまったのだろう。

 力を得たから? 神様の祝福を受けたから? 嘘吐き。そんなのは言い訳でしかない。
 分からない。誰より自分が分からない。お母さん――――お母さん。お母さん。お母さん。

 わたしは、どうすれば良かったの。

 遠く遠く子守唄。
 ――――――――歌声は、教えてくれない。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0