優しい熾火が焦がすもの
キャラクターノベル制作 九蓮宝燈納品 2021年09月28日 14時39分26秒
ある晴れた秋の日のこと。
リブラネスタにほど近い砦。
その塔の地下に通じる、床を四角くくりぬいた上げ蓋。
重い鉄のかんぬきを引き抜いて梯子を下ろすと、そこは薄暗い牢屋だった。
牢番は、白いファーで縁取られた黒いフードを被ったハーフビーストの女性――ルベア・ベルニに目的の房がどこかを教えた。
「用が済んだら言え」
牢番はそう告げ、ルベアを一人で牢屋に下ろした。
ルベアは引き上げられる梯子を見送り、教えられた房を探す。
牢屋の中は暗く、ルベアの持つカンテラがほんのりと周囲を照らすのみ。
細く狭く、天井の低い通路をまっすぐ進んだ先、鉄格子の嵌まった湿っぽい独房に目的の人物はいた。
カンテラの明かりと格子で作られた、縞の影が落ちる不衛生な小部屋。
鎖でもって石造りの壁と両手をつながれ、湿気た藁の上に座る女。
病的に痩せ細り、中ほどから折れたうさぎの耳は今や片方だけ。
かつての美貌は衰え、手入れをされなくなった烏羽玉色の髪はおどろに顔を隠していた。
『アントマン』アレクト。
エスト・ポーラを拠点とする『コランダム商会』。その悪の手先として、数多くの子供をさらい、殺し、虐待して奴隷に仕立て上げ、出荷していた稀代の悪女である。
「……会いに来てくれたんだ」
アレクトがルベアに向くと。石の壁にこすれ、重い鎖が鳴った。
「アナタとの決着をつけに来たわ」
ルベアはアレクトの罪を絶対に許せないと思っており、それは何があっても変わらない。
しかし、アレクトの事情を知ってしまった。
怒りをストレートに向けるには、彼女はルベアに似すぎていたのだ。
「私はアナタを許せない。だけど、怒るに怒れないの」
ルベアが端正な顔にわずかな苦悩を浮かべる。
「話してくれる? 聞きたいわ」
許せない、と言われてもアレクトは不快を示さない。
アレクトにとってはルベアの怒りこそが希望であるからだ。
「前置きが長くなるけれど」
ルベアはハーフビーストの父とヒューマンの間に生まれた。
母はルベアが幼いころに亡くなっている。
父はルベアを護って魔獣と戦い――帰ってこなかった。
「父さんはきっと……死んだ、と思う」
ルベアは絞り出すように言った。
自分を護った父のように、死に場所を選べるだけの強さがほしい。
そして、生きる理由も――。
それがルベアが冒険者として戦う理由であった。
「大人として、子供は護るべきもの。それが父さんから受け継いだ信念なの。だから、アナタを許すことができない」
ルベアは間近で見てきた。
突然子を奪われた親の困惑と焦燥。
無惨な姿で子が帰ってきたときの絶望。
死んだ子も生きていた子も少なくなかったが、まともな姿だったのはたった一人だけ。
それはすべてアレクトの犯行だった。
だからルベアはアレクトを憎んだ。惨めに殺してやりたい、と。
血の繋がりの有無を問わず、大人は子供を護るべきもの。それはルベアの心の核たる金科玉条である。
にもかかわらず、アレクトはルベアの目の前で、大勢の子供が乗った馬車を焼いたのだ。
あたかもルベアの信念を踏みにじるかのように――。
「だけど、アナタは子供を害したと同時に、護られなかった子供だった」
しかしアレクトを追い詰める過程でルベアは知ってしまった。
アレクトもまた、幼いころに両親を奪われて奴隷におとされた子供だった。
凶行は虐待によって無理強いされたもの。
アレクトは自害してまで拒否するも、阻まれ、従わざるを得なかったという事情を。
「アナタが話してた、子供のころの願い。あれは、私も同じだったのよ」
――子供のころは、自分はいずれ、素敵な人と出会って、結ばれて、家庭を築くんだって何の疑いも持たずに信じてた。
冒険者たちに捕縛されたアレクトが語った、かつての夢。
「私はきっと貴女なのだわ」
ルベアが話すのを聞いていたアレクトが、ぽつりと言った。
「貴女にはお父さんがいたけど、私の両親は殺されてしまった。兄さんも壊れてしまった。……何か一つ違っていたら、お互いの立場が入れ替わっていたかもしれない。他人事じゃないから怒れなくなってしまったのね」
アレクトはルベアの有り得た、かつ忌まわしき可能性。
「私が私を許せないのと同じように、貴女は私を許せないのね」
違っていたのは立場と境遇である。
明暗を分けたのは、父がいたかどうか。
憎みあうには、彼女たちの価値観はあまりにも似すぎていた。
しばらくの無言のあと、アレクトは語りはじめた。
「私はここで終わってしまうけれど、貴女にはまだ続きがあるわ。大人の貴女は子供を救い続けることができる。私を救ってくれたように」
アレクトにとっての地獄とは、善悪の基準が狂った価値観のあわない環境。
ルベアが怒りをぶつけなければ、アレクトは自分の罪から目を逸らし、開き直って、完全な悪に染まってしまっていただろう。
ルベアがアレクトの罪を糾弾したことで、わずかに残ったアレクトの良心が肯定された。
――私はアナタを絶対に許さない。
その一言がなければ、アレクトはもう一山、子供の屍を積み上げていたに違いない。
アレクトの犯した罪は重く死刑を免れなかったが、ルベアたち冒険者が良心を守ってくれたことで、刑の執行までのわずかな期間を人間らしく過ごし、少しでも贖罪することができた。
アレクトにとって自分の罪と向きあうことは、どのような虐待よりも苦しいことだった。
心など壊れてしまったほうが、きっとずっと楽だったに違いない。それでもその苦しみこそが救いであった。
「貴女が私を許せなくても、怒っていてもいい。私は貴女が憎んでくれて嬉しかったわ。それに、きっと貴女が怒っているのは、私個人ではなく、私の犯した罪なんだもの」
アレクトはルベアのことをとても優しい人間だと感じていた。
優しいから、被害者の子供や親の不幸を我がことのように怒り。
アレクトの事情に同情してその怒りのやり場に迷ってしまったのだろう。
そして、「上手く怒れない」理由については、怒りの焦点の問題であると考えた。
ルベアはアレクトの罪を憎んでいるが、アレクト個人までは憎めないのだろう。
「私がとうに壊れてて、純粋な悪であれば。そうでなくても、そう完璧に演じていれば、貴女を苦しませずに済んだのかしら」
アレクトは優しいルベアを迷わせた自分の弱さと中途半端を嘲る。
「貴女にとって私がどうであるかはわからないけれど、貴女は私の希望よ」
どれほどの時間が経っただろうか。
窓のない牢屋は時を曖昧にする。
長いようで、その実ほんの一瞬だったかもしれない彼女たちの面会は終わる。
「たくさんの子供を殺した私が言うのもおかしなことだけど。貴女がいつか素敵な人と出会って、生まれた子を愛してあげることを願うわ。貴女のお父さんが貴女にしたようにね」
自分の分までルベアには夢を叶えてほしい。アレクトの心からの願いであった。
「最後にお願いがあるの」
女奴隷として閨房に侍るための技を仕込まれているはずのアレクトが、想い人に初恋を告げるかのごとくつぶやいた。
「貴女の名前を教えて」
その声は訓練された、鼻にかかった男に媚びるものではなく、彼女の地声であった。
リブラネスタにほど近い砦。
その塔の地下に通じる、床を四角くくりぬいた上げ蓋。
重い鉄のかんぬきを引き抜いて梯子を下ろすと、そこは薄暗い牢屋だった。
牢番は、白いファーで縁取られた黒いフードを被ったハーフビーストの女性――ルベア・ベルニに目的の房がどこかを教えた。
「用が済んだら言え」
牢番はそう告げ、ルベアを一人で牢屋に下ろした。
ルベアは引き上げられる梯子を見送り、教えられた房を探す。
牢屋の中は暗く、ルベアの持つカンテラがほんのりと周囲を照らすのみ。
細く狭く、天井の低い通路をまっすぐ進んだ先、鉄格子の嵌まった湿っぽい独房に目的の人物はいた。
カンテラの明かりと格子で作られた、縞の影が落ちる不衛生な小部屋。
鎖でもって石造りの壁と両手をつながれ、湿気た藁の上に座る女。
病的に痩せ細り、中ほどから折れたうさぎの耳は今や片方だけ。
かつての美貌は衰え、手入れをされなくなった烏羽玉色の髪はおどろに顔を隠していた。
『アントマン』アレクト。
エスト・ポーラを拠点とする『コランダム商会』。その悪の手先として、数多くの子供をさらい、殺し、虐待して奴隷に仕立て上げ、出荷していた稀代の悪女である。
「……会いに来てくれたんだ」
アレクトがルベアに向くと。石の壁にこすれ、重い鎖が鳴った。
「アナタとの決着をつけに来たわ」
ルベアはアレクトの罪を絶対に許せないと思っており、それは何があっても変わらない。
しかし、アレクトの事情を知ってしまった。
怒りをストレートに向けるには、彼女はルベアに似すぎていたのだ。
「私はアナタを許せない。だけど、怒るに怒れないの」
ルベアが端正な顔にわずかな苦悩を浮かべる。
「話してくれる? 聞きたいわ」
許せない、と言われてもアレクトは不快を示さない。
アレクトにとってはルベアの怒りこそが希望であるからだ。
「前置きが長くなるけれど」
ルベアはハーフビーストの父とヒューマンの間に生まれた。
母はルベアが幼いころに亡くなっている。
父はルベアを護って魔獣と戦い――帰ってこなかった。
「父さんはきっと……死んだ、と思う」
ルベアは絞り出すように言った。
自分を護った父のように、死に場所を選べるだけの強さがほしい。
そして、生きる理由も――。
それがルベアが冒険者として戦う理由であった。
「大人として、子供は護るべきもの。それが父さんから受け継いだ信念なの。だから、アナタを許すことができない」
ルベアは間近で見てきた。
突然子を奪われた親の困惑と焦燥。
無惨な姿で子が帰ってきたときの絶望。
死んだ子も生きていた子も少なくなかったが、まともな姿だったのはたった一人だけ。
それはすべてアレクトの犯行だった。
だからルベアはアレクトを憎んだ。惨めに殺してやりたい、と。
血の繋がりの有無を問わず、大人は子供を護るべきもの。それはルベアの心の核たる金科玉条である。
にもかかわらず、アレクトはルベアの目の前で、大勢の子供が乗った馬車を焼いたのだ。
あたかもルベアの信念を踏みにじるかのように――。
「だけど、アナタは子供を害したと同時に、護られなかった子供だった」
しかしアレクトを追い詰める過程でルベアは知ってしまった。
アレクトもまた、幼いころに両親を奪われて奴隷におとされた子供だった。
凶行は虐待によって無理強いされたもの。
アレクトは自害してまで拒否するも、阻まれ、従わざるを得なかったという事情を。
「アナタが話してた、子供のころの願い。あれは、私も同じだったのよ」
――子供のころは、自分はいずれ、素敵な人と出会って、結ばれて、家庭を築くんだって何の疑いも持たずに信じてた。
冒険者たちに捕縛されたアレクトが語った、かつての夢。
「私はきっと貴女なのだわ」
ルベアが話すのを聞いていたアレクトが、ぽつりと言った。
「貴女にはお父さんがいたけど、私の両親は殺されてしまった。兄さんも壊れてしまった。……何か一つ違っていたら、お互いの立場が入れ替わっていたかもしれない。他人事じゃないから怒れなくなってしまったのね」
アレクトはルベアの有り得た、かつ忌まわしき可能性。
「私が私を許せないのと同じように、貴女は私を許せないのね」
違っていたのは立場と境遇である。
明暗を分けたのは、父がいたかどうか。
憎みあうには、彼女たちの価値観はあまりにも似すぎていた。
しばらくの無言のあと、アレクトは語りはじめた。
「私はここで終わってしまうけれど、貴女にはまだ続きがあるわ。大人の貴女は子供を救い続けることができる。私を救ってくれたように」
アレクトにとっての地獄とは、善悪の基準が狂った価値観のあわない環境。
ルベアが怒りをぶつけなければ、アレクトは自分の罪から目を逸らし、開き直って、完全な悪に染まってしまっていただろう。
ルベアがアレクトの罪を糾弾したことで、わずかに残ったアレクトの良心が肯定された。
――私はアナタを絶対に許さない。
その一言がなければ、アレクトはもう一山、子供の屍を積み上げていたに違いない。
アレクトの犯した罪は重く死刑を免れなかったが、ルベアたち冒険者が良心を守ってくれたことで、刑の執行までのわずかな期間を人間らしく過ごし、少しでも贖罪することができた。
アレクトにとって自分の罪と向きあうことは、どのような虐待よりも苦しいことだった。
心など壊れてしまったほうが、きっとずっと楽だったに違いない。それでもその苦しみこそが救いであった。
「貴女が私を許せなくても、怒っていてもいい。私は貴女が憎んでくれて嬉しかったわ。それに、きっと貴女が怒っているのは、私個人ではなく、私の犯した罪なんだもの」
アレクトはルベアのことをとても優しい人間だと感じていた。
優しいから、被害者の子供や親の不幸を我がことのように怒り。
アレクトの事情に同情してその怒りのやり場に迷ってしまったのだろう。
そして、「上手く怒れない」理由については、怒りの焦点の問題であると考えた。
ルベアはアレクトの罪を憎んでいるが、アレクト個人までは憎めないのだろう。
「私がとうに壊れてて、純粋な悪であれば。そうでなくても、そう完璧に演じていれば、貴女を苦しませずに済んだのかしら」
アレクトは優しいルベアを迷わせた自分の弱さと中途半端を嘲る。
「貴女にとって私がどうであるかはわからないけれど、貴女は私の希望よ」
どれほどの時間が経っただろうか。
窓のない牢屋は時を曖昧にする。
長いようで、その実ほんの一瞬だったかもしれない彼女たちの面会は終わる。
「たくさんの子供を殺した私が言うのもおかしなことだけど。貴女がいつか素敵な人と出会って、生まれた子を愛してあげることを願うわ。貴女のお父さんが貴女にしたようにね」
自分の分までルベアには夢を叶えてほしい。アレクトの心からの願いであった。
「最後にお願いがあるの」
女奴隷として閨房に侍るための技を仕込まれているはずのアレクトが、想い人に初恋を告げるかのごとくつぶやいた。
「貴女の名前を教えて」
その声は訓練された、鼻にかかった男に媚びるものではなく、彼女の地声であった。