雪の日のこと

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年08月31日 16時30分16秒

●秋のおわり

 ――――新暦1206年、晩秋
 ――――シルトラース帝国北方、北壁山脈近郊。

「ほらね、はーってするともっとしろくなるの」

 幼な子と言う域は超え、どうにか幼女と呼んで良い年頃の子供が花を摘んでいた。
 中庭の一画。生垣で区切られたこの小さな花壇は、"御隠れ部屋"から一望出来る。

 花を詰む女の子ともう一人。もう少し年上の男の子。
 この外からは見えない秘密の花園に迷い込んだのは本当に偶々でしかなかったが。

 今となっては他の誰にも見つからないと言う意味で重宝していた。
 秋の終わりとは言え陽射しは陰りつつあり、唯でさえ寒い帝国北方の寒気が身に染みる。

 白い羊毛コートに身を包み、ビヒモーの手袋を身に付けていて尚。
 零れる呼気は白く。溜息となれば尚更に。ね? と同意を求める幼女の言に。

 何の因果かその遊び相手に指名されてしまった少年は、困惑した様に頷いていた。
 相手は、"御隠れ部屋の姫君"だ。失礼があってはいけない。

 領主様の奥様ではない、親族でもない、けれど親しい。時に嘲り笑われる誰か。
 それがどういった立場の人間なのか、庭師見習いである彼には難し過ぎて分からない。

「レティ、お庭に出ていたんですか? もう、勝手をしたらお母さん心配するでしょう」

「わ、おかあさんだ。どうしよう、おこられちゃ、わぷ」

 もうとっくに見つかっているのだから手遅れだろうに。
 掛けられた声に慌てて白い姫君が立ち上がると、コートのフードが煽られ顔に広がる。

 吹き抜けた風は凍てつく程。ふわふわな彼女はともかくも。
 袖こそ付いていても安手の革服でしかない少年はぶるりと身体を震わせる。

 庭仕事で慣れていても寒いものは寒い。暖を取る為に紋具でも用意すれば良いのに。
 見習い庭師である少年には難しくとも。"姫君"なら二つ返事で借りれる筈だ。

「ほうら、捕まえました。もうこんなに冷え切ってしまって」

「きゃあ! つかまっちゃった……おかあさんごめんなさぁい」

 ころころ笑いながら連れて行かれる姫君は、世界中から愛されている様に見える。
 それはきっと住む世界の違いで。事実として。彼女は可愛らしい子供、なのだろう。

 ――――けれど庭師は、そうはいかない。
 間もなく7歳を控えた彼は少しずつその辺りを理解して来ている。

 きらきらして見える母娘2人の時間に思わず置き去りにされそうになった少年に。
 "御隠れ部屋"の主であるレフィリア妃が今気付いたという様に視線を向ける。

「"いつも、レティのお世話をありがとうございます"」

 声が届いた訳でなくとも。口の形でそう告げたのが分かり。
 その感謝が貴人より向けられたと言う事実に、思いもよらず頭が下がる。

 けれど見上げて掠めたその瞳には、愁いの色が滲まない時はない。
 レフィリア妃が城に招かれ早一年が巡る。その間この美しい人はずっとそうだった。

「またあそぼう! あしたねーっ!」

 ぶんぶんと手を振る姫君に手を振り返し。そっと白く染まる息を吐く。
 日が暮れてしまえば庭仕事は進まない。父親にばれて叱られるまで少しある。

 花園に隠しておいた不格好な木剣を拾いに行き、素振りを始める。無心に、一心不乱に。
 姫君を守る騎士。そんなものに庭師が憧れるのは分不相応なことだ。

 分かってはいる。けれど此処は帝国。力と度量が有れば勝ち取れる物は少なくない。
 あの母娘には"奥様"を筆頭に敵が多い。せめて自分位は何かしてあげられないか。

 庭師の子供に頭を下げる様な貴人が。対等に遊びに誘うような姫君が。
 周囲から哀しみを負わされるのは、おかしい。それは幼くとも、確かな想いであり。

 少年はただ我武者羅に。日課の素振りを繰り返していた。

 ――――
 ――――――
 ――――――――

 幼いレティシアを抱えて、逃げ込んだ様に居を据えた村の人々は親切だった。
 乳飲み子相手に四苦八苦するレフィリアを何くれとなく支えてくれたのは、他の誰でもない。

 厳しい自然環境で育まれた、帝国の市井の人達の助け合いの精神そのものだった。
 詩人として酒場で日銭稼ぐ手伝いをしてくれた。夜に良く啼くレティシアをあやしてくれた。

 そんな人々を盾に取られた時、レフィリアにはどうしても彼らを見棄てられなかった。
 例えそれによって――――自分自身が、犠牲になるのだとしても。
 
 何も知らず笑って指先を握るレティシアの顔を見る度に。
 その笑顔を支えてくれた人達を切り捨てることは。どうしても。どうしても出来なかった。

「ねえ、レティ。お母さんは必ずレティのことを護りますから」

 日の在る内は思い切り遊び、寝物語に絵本を読んでとねだり。日々確かに成長する愛娘に。
 幼くベッドに横たわるその寝姿に。あと何度、どれだけこんな夜を重ねられるだろう。

 秋が暮れ、冬が来る。
 
●冬のはじまり

 お客様が来るみたい、とお母さんは言っていた。
 だから今日は絵本を読む日。まだ難しい文字は分からないから、お母さんに読んで貰う。

 それは正義の騎士様と、悪い王様と、可哀想なお姫様の物語。

 "悪い王様に攫われた可哀想なお姫様を救い出す為に、正義の騎士様は戦うのです"

 正義の騎士様は格好良くて強い。可哀想なお姫様は泣いてばかりだけれど。
 救い出されたお姫様と正義の騎士が結ばれるところで物語はおしまい。めでたしめでたし。

「わたしも、騎士様が救い出してくれないかな……」

「でもレティが居なくなってしまったら、お母さんは悲しいですよ?」

「そうしたら、お母さんも救い出して貰えば良いのよ」

 そう言うと、お母さんは悲しい顔をした。それが何でかは分からない。
 でも、"領主様"に呼ばれる時みたいな顔で、わたしはそれを見ると胸がざわざわする。

「わたしね、お母さんの声大好き」

「お歌上手なレティに、そう言われると嬉しいですね」

 くすくす笑い合うとほうってする。お母さんは綺麗だから、ずっと笑っていて欲しい。
 お母さんにも騎士様が居れば良いのに。そんな事を思ったら我慢していられなくて。

 侍女さんに呼ばれた隙に部屋を抜け出してしまっていた。
 この素敵な提案をお兄ちゃんに聞いて欲しかった。きっと名案だって言ってくれる。

 お兄ちゃんは私とお母さんの為に騎士を目指すって言ってくれたけど。
 それは、お母さんにだって秘密な約束ごとだけれど。

 お母さんにも騎士様が居てくれたらもっと安心なんだから。そしたら皆幸せになれる。
 "領主様"にも呼ばれないで済む。きっとそうに違いない。

 そうしていつもの花壇に着くと。空は曇っていて、とてもとても空気が冷たかった。
 今日に限ってお兄ちゃんは居なくて。代わりに見た事も無い金色髪の男の人が居た。

 すらっとしてて、優しそうで、何だかそう。
 ――――さっきまで読んで貰っていた物語の、正義の騎士様のような。
 
「……あなた、だれ……ですか」

 知らない人が、わたしたちの場所に居る。それは本当はとても恐いことの筈なのに。
 普段ならきっと声も出せなくなってるわたしが、その時は尋ねることが出来た。

 でも、それは本当は間違い。先に自分から名乗るのが礼儀(マナー)だって。
 お母さんに教えて貰ったばかりだったのに。わたしはすっかり忘れていて。

「――――君、――――は」

 そんなわたしを見て、男の人は青い目を見開くと。
 生垣を無理に通ったみたいな枯れ葉を頭に付けて、手を震わせながら伸ばしてきた。

 驚いて身を竦めるわたし。けれど、普段だったら絶対にすぐ逃げてるところなのに。
 何故か、それが悪い気持ちからでないことだけははっきり分かって。

 見つめて来る眼差しがあんまり哀しそうで。何だかとても、とても可哀想で。

「……何で泣いてるんですか? どこか、痛い……?」

「大、丈夫……大丈夫だ。ごめん、取り乱しました。
 ……君は多分――――"レティシア"、だね。違うかな?」

 名乗っても無いのに名前を当てられてびっくりと、もしかしたらは、同じ位。
 けれど間違えてたら困るから念の為聞いておかないと。

「わたしは、レティシアです。けどあなたは……魔法使いさん?」

 腰に杖も提げていないし、頭まで隠すローブも被っていないから違うと思うけれど。

「だったら……騎士様?」
 
「……間違いでは、ないかな。君と、お母さん(レフィリア)を護り抜けなかった不甲斐無い騎士だけれど」 
 
 ――――やっぱり!

 騎士様は居た、本当に居た。お母さんを助けに来てくれた。
 だったら、私は妖精役なのかな。騎士様を、お母さんのところまで導いてあげないと。

 騎士様の手を引いて、隠された花園へ通じる道を駆ける。
 これできっと、全部が上手く行く。お母さんも哀しい顔をしないで済む。

 そんな事を思いながら扉を開けて。其処には、開いたままの絵本を片付けるお母さんの姿。
 手を引いて連れて来た騎士様がそれを見て。驚くくらい鋭い声を上げた。

「――――ッ、リア!」

 その声に驚いて。思わず手を離してしまって。
 だからその時、お母さんがどんな顔をしていたか、わたしは知らない。

 きっと知らなければいけなかったのに。きっと見ていなくてはならなかったのに。
 大好きなお母さんの手から、大好きな絵本がぱさりと落ちた。
 
●赤い世界

 ――――漸く、見つけ出した。その筈だった。
 仕事と偽り、帝国各地で手当たり次第に聞いて回るのはあまりに無茶な道程だった。

 胡散臭げな情報屋に湯水の様に私財を投じ、ほんの僅かな痕跡を辿り続けた。 
 諦めることだけは出来なかった。最後の日の後悔が。燻る想いがそれを赦さなかった。

 草臥れた村の酒場で"歌姫アリア"と良く似た娘の話を聞いた時は"またか"と一笑に伏した物だ。
 どれほどたかられても最早触れる袖の一つもないと。けれど、それは違った。

 "領主に見初められた美妃"。まさかそんな話を――――態々帝国まで来て聞くなんて。
 適当な理由を付けて面会を申し込み、態と面会時間より前倒しで屋敷を訪れる。

 相手はこちらが若造と見て、余程油断していたのだろう。
 中庭を見回りたいと言う申し出は比較的容易に受け入れられ……そこで、彼女と出逢った。

 一目で分かった。それが僕らの娘であることは。
 いずれ2人で付けたいと言っていた名を、忘れずにいてくれたと言うことも。

「リア! 待ってくれ。リア!」
 
 ――――全てが上手く行く筈だった。必ず君を取り戻す。何を棄てる事になろうとも。
 その為なら、どんな手段であろうと取れると思った。この想いに偽りはなかった。

 それなのに、何故。君は僕の手をすり抜け逃げて行こうとするのか。
 
「リア、話したいことが有るんだ! 伝えたいことが有るんだ! 足を止めて欲しい!!」

 思い起こせば、彼女はあまり盤上遊戯の得意な方では無かった。
 自ら袋小路の中庭へと駆ける様には取り乱した色が強く。恐らく何も聞こえていない。

 その先は行き止まりであると。伝えたとして聞き届けるとも思えなかった。
 曇天の空。ちらつく白い影。帝国の雪は王国より遥かに冷たく厚く積もると聞いている。

「ヴィル様……本当に、ヴィル様、なんですか……?」

 震える声。真冬の屋外へ駆けだすには余りに薄着に過ぎる。
 せめて身を温めなくては身体に障ると。羽織っていた外套(マント)を差し出し頷く。

「僕だよ、リア。君を迎えに来た。一緒に、屋敷へ帰ろう」

 けれど、何故だろう。青褪めたその顔に喜びの色は無く。
 揺れるまなざしは虚ろなまま、表情だけが、無理矢理というように微笑を描く。

「――――帰る? 何処へですか。 今更、何処へ帰るのですか」

 ほつほつと、降ってきた粉雪が地に落ち染み入る。その中で、帝都の歌姫はあまりに美しく。
 息を呑んだその瞬間。愛する彼女は凄惨と言える様な声で問いかける。

「私は、ヴィル様。貴方ともう二度と逢うつもりはありませんでした。
 もう二度と、逢えなければ良いとさえ思っていました。なのに! どうして――――――」

 責める様な声音が。まるで硝子を打ち合わせた様に響く。
 かつて歌声として奏でられた可憐な声が、鋭さを以て貴公子の軽挙を糾弾する。

「私は、もう。綺麗な歌姫(アリア)ではないのです」

 その意味するところを悟って。理解して。いいや、分かっていた事だった。
 領主に囲われて一年余り。それだけの年月を重ねて何も無い筈がないと。

 けれどだとしても構わなかった。だとしても、愛していたから。傍に居て欲しかったから。
 それが――――彼の我欲(エゴ)であると気付けなかった事が。果たして罪であるならば。

「僕は――――それでも」

 差し出したままの外套が引かれた。態勢を崩し、ほんの一瞬視線が外れた。
 後悔は、もう十分した筈だ。今度その手を掴んだら、もう二度と、離さないと。

 けれど凡そ5年を数える年月は、両者の間に確かに横たわり。
 手を掴む事が出来るまでもう一歩分の距離は。結局、永遠よりも――――なお広く。

「――――弱いお母さんで、ごめんなさい」

 見上げた視界は、鮮血で染まる。

 ――――
 ――――――
 ――――――――

 お母さんが逃げて。騎士様が追いかけて。わけもわからないまま置いてきぼりにされて。
 一生懸命探したけれど、2人とも早くて。全然全然追いつけなくて。

 "お部屋"から玄関に出る事なんてほとんど無かったから。中庭は迷路みたいで。
 迷いに迷って、足も疲れて。空からは次から次に雪が降って来て。足がもつれて、転んで。

 やっと出口だと思ったら。一面の白の中、大きく赤が広がっていた。

「……、……、……」

 お母さん、って呼んだら。いつだって笑って抱きしめてくれた。
 
「……ぁ」

 大好き、って伝えたら。いつだって大好きと返してくれた。

「……おかあ、さん?」

 寂しい、って我儘言ったら。朝まで抱きしめて眠ってくれた。

「ゆき、で。ねたら、だめだよ。……まえ、おかあさんがいったよ」

 ご本読んで、ってねだったら。どんなに辛そうでも読んでくれた。

「ねえ、おかあさん。ち、ちが。いっぱいでてるよ、ねえ、おかあさん!」

 暖かくて、安心して、いつでも一緒に居るのがあたりまえで。

「おかあさん、おかあさん、おかあさん! おかあさん!! おかあさんっ!!!」

 どんなに呼んでも。どんなに声を上げても。固くて。冷たくて。
 目を開けてくれない。真っ赤だ。真っ赤。大きな大きな花みたいに、真っ赤。

 何で。何で、何で? わたしが――――悪かったの?
 だったら謝るから。ごめんなさいするから。どうして。どうして――――

「――――レティシア」

 分からない分からない分からない。声を上げることしか出来ない。
 お母さんの騎士様が、泣きそうな顔で覆い被さって。ふつ――――と。全部が暗くなる。

 おかあさん。さみしいよ。また、うたって。

 それは遠い雪の日のこと。3日3晩続いた雪は驚くほどに降り積もり。
 けれど冬は過ぎ。また、春が来る。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0