儚げな香りを求めて
キャラクターノベル制作 広大野人納品 2021年08月22日 11時45分46秒
定まらない視点、霞む光景……。
長い人生が刻まれた手が頬に触れた。甘くて爽やかな香りが仄かに記憶を呼び起こす。
声が出ない。頬を撫でる人物の名を呼んでいるはずなのに、それが自分には聞こえない。
――せんせい。私、あなたの名前を……。
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路傍の石を乗り越えた勢いで馬車が悲鳴を立てて揺れる。
その衝撃で、ミア=リゼルは夢から醒めた。儚いとは良く言ったものだ。どんな夢を見ていたのかすら直ぐに記憶から抜けていったから。
「あ…私、寝て…」
『堕落と昂揚の街』ファナータでの依頼の後、ミアは組織について改めて調査を行っていた。
組織が何をして来たのか、これから何をしようとしていたのか、冒険者達の事件を調べ、追い駆けている内に、寝落ちしていたようだ。
「きっと、疲れていたのでしょう。大丈夫ですよ」
目の前には驚くほど爽やかな青年の笑顔。
一連の事件を解決する為に冒険者に依頼を出していた王国騎士エナハルト・ティルムその人であった。
『神実の香り』を巡る事件の最後の場所――焼き払われた栽培農場を直接、確認する為に、王国騎士から許可を貰ったのだ。
ミアは寝ていた事実よりも、人前で無防備な寝顔を見せてしまった事に恥ずかしさを覚え、頬を抑える。
というか、エナハルトも起こせばいいものを……それとも、寝ている少女を視姦する趣味でもあるのだろうか。
「私、いびきとか…出ていなかったでしょうか?」
「えぇ。穏やかな寝息でしたよ」
最低限のプライドは保てたと思う事にした。
抑えていた両手で気持ちを入れ替えるように頬を叩く。
外の風景はいよいよ、栽培農場に近づいているからだ。
ミアがこれまで調査して纏めた報告書を、王国騎士は本人に返しつつ、告げる。
「よく纏められていますね。特に『神実の香り』と組織の関係性の推察はお見事です」
「え…あ…ありがとうございます」
エナハルト的に気を遣ったのだろうが、寝起きに突然、褒められ、ミアは若干、照れながら報告書を受け取る。
『神実の香り』は完全に壊滅。だが、『神実の香り』がどこから運ばれた物なのかは不明のままだった。
栽培農場で働いていた者達への尋問でも分からなかった。唯一の情報は、『神実の香り』と『承允』は組織からの紹介だった事だ。
組織にとって『神実の香り』は、メインとなる事業ではなく、片手間だったのではないか……そう推察したのだ。
「『承允』された人数と、栽培農場で捕縛された人数が…合わないので…組織が紹介業を生業としていたら……」
「全く同意見です。ミアさんが推察した持ち込み説は、王国の研究機関でも仮定されています」
元々、王国内で生息していた植物では無い事は判明している。
それを栽培する為に『承允』された者達が働かされている構図であれば、今回の事件で全て解決するはずだった。
しかし、人数に差が生じているという事は、他に栽培農場があるか、もっと、別の事をさせられている可能性が高い。
市場に『神実の香り』が出回っていない以上、後者が疑われる訳だ。
「他にも…王都で出回っている貴族派の論調の…印刷物。『承允』の事が、ほぼ出てこないのです」
ミアは王都でみつけた印刷物を手にして言った。
『承允』の事が記事になっていない理由――それは『承允』を知られたくないからだと推測できた。
「つまり、現時点でおいても、組織にとって『承允』は現在進行形のもの、と?」
「はい。私は…そう思います」
まだ事件は終わっていない。だからこそ、ミアは再び調査を行ったのだ。
冒険者達の軌跡が、まるで、掌の上で転がされているような気味の悪さだったから。
その時、馬車が止まり、目的地に到着した。外から開かれる扉の向こうには、焼き払われた農場が虚しく広がっている。
「敵の幹部の話だと組織は『欠けた者』という事ですね……何を意味するか分かりませんが」
先に降りたエナハルトがミアをエスコートしながら、そんな言葉を紡ぐ。
「仲間の話によると…トラウマや…忘れられない出来事…のようです」
「……誰しもある事だと思いますが」
やや間のあった王国騎士の返しに、ミアは訊ねた。
「エナハルトさんにもあるのですか?」
「一般的に……という意味です。ミアさんは『欠けた』事があったとして、それを、どう満たしますか?」
エスコートされた手を離し、数歩、焼け落ちた『神実の香り』の上を進む。
仄かに甘い香りが残る農場を見渡した。一面、何も残っていない。王国騎士の話によると普通の畑として使われる予定だという。
深く息を吸い込む。
王国騎士からの質問に答えを導き出す為、少女は瞳を閉じて己に呼び掛けた。
思い浮かぶのは、断片的な記憶と甘酸っぱい果実の香り……ミアはゆっくりと瞼を開くと、儚げな表情を浮かべ、王国騎士に振り返って答えるのであった。
「いつか、先生と一緒に…檸檬畑を作って…そこで、閑寂に暮らすの…」
――と。