喪失
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年07月30日 12時53分09秒
――ピチョン……。
水の滴る音。
――カサカサカサ……。
虫けらの這い寄る音。
――パチパチパチ……。
炎に樹液がはぜる音。
それ以外に音はない。
ここは岩盤をくり抜いて作られた牢獄。肌に触れる剥き出しの岩肌が、絶えず体温を奪っていく。
――寒い。
痛みに動くこともままならず、身を捩るのも億劫だった。
――痛い。
体に無事な部分を探す方が難しい。
――怖、い。
孤独。
ティトは、この薄暗く冷たい牢獄で生死の境を彷徨っていた――。
●
「おい、ティト。次の任務が決まったぞ!」
「声が大き、い。そんなに叫ばなくても聞こ、える」
部屋に飛び込んできた同僚に悪態をつきつつ、ティトは席を譲る。
「見てみろ! 次の依頼はなんと同盟領だ!」
「なんで、そんなに嬉しそう、なの」
譲られた席に飛び乗るように座ったのは、同じ諜報部の部隊に配属されている一年先輩の男。年齢は20代半ば、名前を『ライス=グリッタ』という。
「黙っていればイケメン」の類の人種で、前歯の一本かけたちょっとマヌケな笑顔が印象的なヒューマンだった。
ライスはティトの前に『極秘』と書かれた命令書を広げる。
「……同盟領にいる奴隷商人の、調査」
「ああ、お前も聞いた事あるだろう、『霧の失踪事件』」
「うん、霧の日に子供が忽然と消えるって、話」
「そう、それだ。その事件に、どうやら同盟の奴隷商人が一枚かんでるらしいんだ」
「帝国に手を出すなんて、命知ら、ず」
「全くだな。だけど、どうやって介入しているかは謎だ。帝国は表向きは奴隷禁止だからな。そんな商人が国境を跨げるはずもない。しかも、この名簿を見る限り帝都の人間――それも貴族に連なる人間ばかりが対象になってる」
ライスは指令書に指を這わせながら、ゆっくりと話す。
指令書の内容を確認すると共に、頭の中では色々な推理が渦巻いているのだろう。
「……それを調査するのが、ぼく達の役目」
「そうだな。まぁ、救出は特殊部隊の方でやってくれるみたいだから、俺達はアジトの発見に全力を尽くそうか」
「わかった、頑張、れ」
「おう、頑張るぜ! ……って、お前もな!?」
ツッコミを入れるライスを、ティトはくすくすと笑う。
こんなやり取りができるのも、ライスがティトの事をとてもよくかまってくれるから。
愛想もなく小柄で体力のないティトは、どうしてもこなせる任務が限られる。それをよく思わない同僚たちから目を付けられることもあった。しかし、このライスだけはそんなティトを気にかけ、何かと話しかけてくれた。ティトが唯一の後輩だからだったのかもしれないが、部隊の中で少しだけ心を許せる数少ない知り合いだった。
「出発は、いつ?」
「ああ、明後日だ。用意できるか」
「大丈夫、問題、ない」
尋ねるライスに、ティトはこくりと頷く。
潜入調査はティトの得意とする仕事のうちの一つ。小柄な体型が活かせる数少ない仕事だった。
それに今回はライスも同行するらしい。彼も諜報部に選ばれるだけあって能力は高い。この緊張感のない顔と少し向こう見ずな所さえなければ、だけど。
「なんだ? 随分うれしそうだな」
「……相変わらず、節穴な、目」
「なんだとぅ!?」
内心喜んでいるのがバレたのが恥ずかしく、ティトはふんと顔を逸らした。
二人は指令書を破棄すると、早速準備に取り掛かる。目指すのは同盟領と帝国領の国境にある小さな街だった。
●
暑い季節は随分前に過ぎ去った。季節は昼夜になれば寒いとさえ思う時節に流れていた。二人が国境付近の街に入ったのは半月前。そこは過去に鉱山の街として賑わっていたが、閉山した今は『場末』というにふさわしい街だった。二人はそんな街の宿に泊まり込み、ターゲットが現れるのをじっと待っていた。
「なかなか現れねぇな」
「焦った方が、負け。だから、ライスは、負け」
「なにおぅ!?」
安宿の一室。二人は半月の間この部屋で寝食を共にしている。
宿の主人には年の離れた兄妹だと説明しているが、片やヒューマン、片やハーフビーストだ。嘘にしても無理があるのはわかるが、そこは『場末』の街。これ位訳ありで怪しい方がかえって目立たないとライスは言った。
不愛想な宿の主人は、二人を一瞥しただけで何も言わずに部屋に通してくれる。ティトは半信半疑、警戒心MAXで部屋を調べまくったが――。
「だからいっただろ?」
「む……拠点にする場所を、調べるのは、当然」
ライスにドヤ顔されたのが気に食わず、ティトは唇を尖らせるが、結局部屋に怪しい所はなかった。しいて言えば壁が薄く、隣の会話がかなり漏れ聞こえる所か。当然こちらの会話も聞かれる可能性があるので、会話をするのにも細心の注意が必要だ。
部屋は狭く単身用。もちろん寝台も一つ。宿の主人にした『言い訳』の手前、同室は仕方ないとして、せめて寝台は別けて欲しかったが、そもそも寝台が二つある部屋がないらしい。
「何かしたら、殺す」
「わりぃけど、おこちゃまに手を出す程、飢えてねぇし、その手の店はここじゃ選び放題だし」
結局、寝台はティト、ライスは床で寝る事になったが、それでも手を伸ばせば届く位置。ティトは枕元に愛用のナイフを置いてけん制するが、ライスは涼しい顔で肩を竦めていた。
それら半月、特に変化や事件は起きずに時間だけが過ぎていった。
●
朝。寒さにぶるりと身を震わせたティトが寝台から這出ると、窓に向かい木戸を開く。
「寒くなってきた……」
寒さは故郷を思い出させる。極北に近く雪深い村。白狼のハーフビースト達が肩を寄せ合い厳しい環境を生き抜いてきた故郷。
窓は丁度北を向いている。ティトは遠くにある故郷を想いじっと空を見上げた。
――チチっ。
しばらく空を見つめていたら、下から小さな鳴き声がする。
ティトが視線を下げると、そこには翡翠色の小鳥がいた。
「お疲れ、さま」
ティトは小鳥に手を伸ばし抱き上げると、脚に結ばれた筒から小さな紙を取り出した。
帝国の諜報部で使われる通信手段、通称『緑の鳥』。伝書鳩同様、帰巣本能が強いこの鳥を使い情報のやり取りを行うのだ。
小さく折りたたまれた紙を広げ、そこに記された小さな文字を読む。もちろん暗号だ。
ティトはすぐに解読を始める。暗号解読は諜報部にとって最も重要で、最も基本的なスキル。ティトも入隊以来みっちり叩き込まれている。
「おっ、ついにか」
と、ティトが一生懸暗号を命解読していたら、後ろから声がした。
振り向かなくてもわかる。さっきまでいびきをたてて寝こけていたライスだ。
「……」
ティトは暗号文を後ろから見えないように体で隠す。
自分はまだ解読中なのに、もう解読が終わって内容を把握したらしいライス。ずるい。
「……明日」
「ああ、結構急だな。急いで準備するぞ」
「わかった」
ティトはライスに頷くと、暗号をすぐに処分した。
●
次の日、情報通り奴隷商人と思われる人物、そしてごろつきのような護衛達が街に入った。
商人はとても用心深いのか、街の宿には泊らず、家を一軒丸々買い取ってそこをアジトにしたようだ。
ティト達は商人の動向を探るべく街に出る。狙うのは護衛のごろつきだ。
護衛達はその人相に違わぬ粗野ぶりで、街を闊歩する。酒場に入っては酒癖悪く厄介事を巻き起こし、娼館に入っては女を囲う。好き放題やる護衛達だが金払いだけはよかったため、街の人間はじっとこらえていた。
「随分、お行儀がなって、ない」
「ああ、王様気分だな。よっぽど儲かってるらしい」
街の角から護衛達の素行を見つめる二人。目的はもちろんターゲットの商人に近づくための切っ掛けを得る為。商人のガードは固く、買い取った建物から一歩も出てくることはないし、周りは護衛ががっちりと固めている。建物に近づくためには外をうろつく護衛を何とかする必要があるのだが……。
「どうする、の」
「そうだな。ティトが色仕掛けで……いや、なんでもない忘れてくれ」
下腹部に冷たいものを感じ、ライスはすぐに返答を取り下げる。
「それにしてもどうするかな。授恵者ならダーッと行ってバーッと解決できるんだろうけどな」
「ライス……本当に、諜報部……?」
「いや、やめて! そんな瞳で見つめないで……!」
ジトッと見上げるティトに、ライスはぶんぶんと首を振る。
「ぼくは、いつも通り隠密偵察に徹する、から」
「ああ、偵察はティトに任せる。異変があればすぐに知らせてくれ。俺は酒場で聞き込みだ」
すぐに気を取り直すもの彼の長所。ライスはティトの頭をひと撫ですると、計画を語った。
「見つかるなよ? お前が下手こいても助けに行ける戦力はこっちにはないんだからな」
「それは、ライスも一緒。へたこく、な」
「へいへい」
ぷぅと頬を膨らせるティトに、ライスはがくりと肩を落とした。
●
調査が始まって一週間が過ぎた。相変わらず商人に動きはなく、護衛達は好き勝手やり放題。街は商人達が落とす金によってプチ好景気に沸いていたが、それもやはり上辺だけ。
仕入れた情報によれば、街の労働者層は商人一行に随分と苦労させられているらしい。
そんな情報が沢山入ってくる一方、核心的な情報はほとんど入ってこなかった。商人が巧妙に隠しているのか、それともティト達の当たりの付け方が悪かったのか。
そんな事を感じながら、今日も日が暮れた――。
「ティト、面白い情報を掴んだ!」
夜も遅く、ティトがベッドに潜ろうかとしていたら、酒の匂いをプンプン漂わせたライスが部屋へ戻ってきた。
ライスは眉間に皺をよせ近寄るなオーラを全開にさせるティトに遠慮なく近づくと、その両肩に手を置く。
「聞いて驚くなよ! ……うぷっ」
「っ!?」
ライスは嬉しそうに叫んだかと思うと、突然両頬を膨らませる。ティトは両肩を掴まれ逃げ場がない。振りほどこうにも非力なティトではライスの力には到底かなわない。ティトは絶望に満ちた表情で最終手段に手を伸ばそうとするが……それも届かない。最早、最悪の結果を甘んじて受け入れるしかないのか。ティトが遠くで任務に就く祖父の顔を思い浮かべそうになった時――。
「……んぐっ! はぁ……あっぶねぇ。うん、なんだティト、泣いてんのかぁ?」
「死、ね」
気付けば無精髭の生える顎に、拳を見舞っていた。
●
ライスの持ち込んだ情報は特筆すべきものだった。
商人が滞在している建物はブラフ。本拠地は使われなくなった廃鉱山にあるという。
ライスは疑いの視線を向けてくるティトに、その証拠を示す。
「え……本物?」
思わず口に出た。それは『奴隷名簿』だった。
酒場で飲んだくれていた護衛の一人から、頂戴したというそれには、帝国で行方不明となっていた貴族の名前が記されている。
「こんな情報を持ってるって事は、やっぱりあいつらが黒だ」
「わかった、すぐに、本部に知ら、せる」
「待て待て。まだ決定的な証拠がない」
「名簿が、ある。これ以上は、いる?」
「それはあくまで名簿だ。なんとでも言い逃れができる。やっぱり攫われた貴族の誰かと接触しないとな」
ニヤリと口元を歪ませたライスに、言い知れぬ不安を感じながらもティトは頷いた。
ライスはそれを同意と受け取り、更なる調査を提案する。
目的地はもちろん廃鉱山だ。こんな名簿が存在する以上、そこに貴族の子供達が囚われている可能性だってある。二人は翌日、元鉱夫だと言う男から内部の地図を入手すると、入念な潜入計画を立て準備を行った。
そして、潜入調査決行の日が来た。
二人は夜も遅くに鉱山へと近づくと、封鎖されていた入口から潜入を目指す。
「お前は外で待っていろ。後、すぐに報告ができるように『緑の鳥』を用意しておいてくれ」
「一人で、大丈夫……?」
「心配すんな。これでも諜報部では期待のホープだぜ?」
「……自称」
「ええ、どうせそうですけどね!?」
いつものやり取りを終え、拳を合わせると二人は動き出す。
ここからは真剣勝負、一歩間違えば死ぬことだってある危険な任務だ。
でも大丈夫。ライスとは何度も難しい依頼をこなしてきた。
「……だから、大丈夫」
ティトは足取り軽く去っていくライスの背を見つめ小さく呟いた。それが彼との最後の別れだとも知らずに――。
●
「さぁて、今日も楽しいお遊戯の時間ですよぉ」
鉄扉が開き、血で汚れた白衣を纏う男が現れる。
「おやおやおや? まさか壊れてしまったのですかぁ?」
男は床に這いつくばるティトを見下ろし、残念そうな表情を浮かべた。
後ろで鉄扉の閉まる音がする。
「もしもーし。ふーむ、息はあるようですねぇ」
男は足でティトの顎を持ち上げると、その虚ろな表情に安堵のため息をついた。
そして、無造作に足を引く。
当然、支えを失った頭は床に強く打ち付けられるが、ティトに反撃や反論する力は既に残されていなかった。
「で~は、始めましょうかぁ」
男がパチンと指を弾くと、外から滑車の回る音と共に鎖が巻き上げられていく。
鎖はティトの両手の枷と繋がっており、ティトはその体を持ち上げられた。丁度、脚が浮いた所で男が再び指を鳴らし、鎖が固定される。
「貴女のような素晴らしい素体に出会えるなんて私は幸運だ。だからぁ、もっともっと頑張ってくださいねぇ?」
男は力無く項垂れるティトに近づくと、手にした馬鞭でその顎を持ち上げる――。
ライスと別れ一旦宿に戻ったティトに待っていたのは、この男と護衛達だった。
気配を察知しすぐに撤退を計るが、それを許してはもらえない。男は授恵者だった。
ティトは一般人と授恵者の力量の差を身をもって学ぶ事となる。
今まで血の滲む様な努力で身に着けた技が、ことごとく通じない。身に着けた戦闘術の全てをぶつけるティトを男はまるで子犬と戯れるように軽くあしらった。
捕えられたティトは、すぐにこの牢獄に連行された。手足を拘束され目隠しをされたままに投獄されて、そこからは水すらも与えられずお遊戯という名の拷問を繰り返された。
最初は指だった。頑なに自白を拒むティトに、『K』と名乗った男は残念そうに近づくと、何の躊躇もなくへし折り傷つけ弄ぶ。抗う事も難しい激痛にティトは悲鳴を上げた。
相手は幼いハーフビーストの娘。普通ならすぐに泣いて許しを請う年齢の少女がどうだ。任務に忠実なのか、誰かへの忠誠か、どれだけ責め苦を受けても一切の自白をしない。だが、それが男の嗜虐心に火を付けてしまう。喜色を浮かべる男の責め苦は、日増しにエスカレートしていった。
――バチンっ!
「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっっ!!!!」
一際大きな悲鳴が廃鉱山に響き渡った。
「あぁ、これで走れなくなってしまいましたねぇ。かわいそうに」
Kは巨大な鋏についたティトの血をぺろりと舐めとると、恍惚の表情を浮かべた。
そして、ティトの耳元に顔を寄せるとゆっくりと囁きかける。
「自白なんてもう結構ですよぉ。喋られたら壊さないといけなくなるので、どうぞ、黙秘を貫いてくださいねぇ」
それだけを言って、Kは今日もティトの身体を弄んだ。
●
明り取りに開けられて小さな穴から日が覗く。今日も朝を迎えた。
昨日までの拷問で、ティトの身体と精神は限界を迎えつつある。Kは牢獄に入るやティトの様子を見てすぐに退室する。代わりに牢獄へと入ってきた男がティトの治療を始めた
Kはティトの衰弱が目に見えて酷くなってくると、部下に命じ手当てをさせるのだ。
出血には縫合を。脱水には水分を。空腹には食料を――。ティトの命は、全てKの掌の上にあった。
「お前もよく耐えるよなぁ。こんなに小さいのによくやるぜ」
化膿し始めた傷口に度数の高い酒を流しかけた男が呟く。肌を焼く様な痛みに、ティトの顔が醜く歪んだ。
「まぁ、おかげでKさんの機嫌がすこぶるいいから、もっと粘って欲しいけどよ」
男は消毒したティトの傷口に包帯を巻いていく。
「ほんとこんなになってまで自白しないなんて……あ。もしかして、誰かが助けてくれるとでも思ってるのか?」
包帯を巻き終え、ティトに食事を用意した男がふと問いかける。
もちろんティトは何もしゃべらないが、それを肯定と受け取ったのか、男は呆れるように溜息をついた。
「いっとくがあの男なら助けに来ねぇぞ?」
「え……」
思わず声に出してしまいティトは慌てて口を手で塞ごうとする。
しかし、手枷を嵌められた手は動かず、鎖を鳴らすだけになった。
「Kさんがちょっと遊び過ぎちまったからな。最後はそりゃぁもう……見てるこっち迄ちびりそうになったぜ」
男は何か思い出したのか込み上げてきた何かを必死で耐えている。
「まぁ、お嬢ちゃんも大概だけどな。だから程々で情報喋って殺してもらえよ。お前みたいなガキをいたぶられるのは、あんま見てて気持ちいもんでもないしよ」
治療に当たる男がさらりと言った『殺してもらえよ』という言葉が、ティトの中で何度も繰り返される。
どこか心の中で予感していた。ライスがもういないのだという事。
ティトにとって唯一味方であるライスがすでにないのであれば、ここを生きて出る可能性は限りなく低いだろう。
『もういいんじゃないの?』
心の中の誰から囁く。