『薫る』森の中で
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年07月18日 11時11分00秒
「今日も薫っておるの」
手にしていたシロツメグサが腐れ落ちていくのを眺めながら、ク・サーヤ・クッセーワが呟いた。
ここは『腐敗の森』と呼ばれる、フェイエス大森林のどこかにきっとある森。森にあるもの全てが緩やかに腐っていく、エーテルの変異がもたらした魔界だった。
サーヤは森の前で今日の『薫り』を確かめる。
植物が腐敗していく独特の匂い。生物が腐れ落ちる不快な薫り――。とにかく腐臭などと生易しい表現では表し切れないほどの『薫り』が森を取り巻いていた。
常人であれば近寄ることさえ躊躇うどころか逃げ出していく森を前に、サーヤは平然と足を踏み入れる。
途端、『とても濃い匂い』がサーヤを包んだ。
しかし、サーヤは気にすることなく生きながらにして全てが腐敗していく森を進んでいく。
「……ふむ、まだあるのじゃな」
しばらく行くと石造りの道しるべに出くわした。
サーヤは表面についたなんだかよくわからないべっとりとしたものを拭きとりつつ、懐かし気に呟く。
「まぁ、帰ってくんなと言われとるから帰らんが」
プイっと道しるべに背を向けたサーヤが、せっかくふき取った布を後ろ手に放り投げた。
布はべちゃりと鈍い音を立て道しるべに覆いかぶさる。
「さて、早くせねば日が暮れるのじゃ」
サーヤはこゆーい臭気も何のその、道しるべに別れを告げると森を奥へ奥へと分け入っていった。
●
森は奥へと進むごとに腐敗の度合いを増し、植物はおろか土すらも腐り始めた。
ずぶずぶと足をとる泥上の土を慣れた足捌きで越えてくサーヤ。
目的地はもうすぐ。目の前の腐れ大樹を超えた場所にある。
「……む」
通い慣れた――というには久しぶりの場所だが、それでも個々の匂いは強烈に印象に残っている。
しかし、今日の匂いは少しだけ違和感を感じた。
例えるなら塩を振ったトマトと砂糖をまぶしたトマトの差程度の違和感。
その微々たる違いをサーヤは鋭敏な臭覚と今日のおやつの種類によって見分けるのだ。
「何かが蠢いておるな」
今日のおやつを頬張りながら、サーヤは足を止め臭覚に集中する。
ずぶずぶと腐った土に足が埋まっていくのも気にせず、違和感の正体を探るべく鼻をひくつかせた。
「……っ。この匂いは」
馴染み深い匂いに混じる僅かな臭い。サーヤはようやく違和感の正体を思い当たる。
「バナナ……! いや、違うのじゃ。なぜこんな場所に奴がおる……奴はこの時期、もっと森の奥深くに」
サーヤの声に緊張が滲む。膝まで飲み込まれた足をずっぽりと引き抜くと、急いで目的の場所へと足を向けた。
●
サーヤはずぶずぶの腐葉土を踏破し、腐れ大樹を越えた先にある腐れ洞窟へ辿り着いた。
「変わった所はなさそうじゃな」
辺りの気配を確認し、洞窟の前に立てかけられていたシロアリに食われてぼろぼろの立て板を取り外す。
途端、中からむわっとあふれてくる薫りと湿気。
「……うむ、中も無事なようじゃ」
サーヤはこぼれてくる薫りを嗅ぐと満足げに頷いた。
年がら年中ムシムシじめじめした洞窟内は、一歩踏み入れるだけで外とはまったく違った薫りに包まれる。
サーヤはやはり匂いなど気にもせず洞窟に入り、程なくして洞窟の奥に行き当たる。
「久しぶりじゃな。二月ぶりといった所か?」
小部屋ほどの空洞に辿り着いたサーヤが小さく囁きかけた。
空洞の中央に鎮座する――魔獣に。
うねうねと蠢く粘性に富んだ身体。半透明なゼリー状の体内にはど紫な核が浮いている。
サーヤはそんな魔獣に対し、警戒するどころか親愛の情すら感じさせる表情で近づいて行く。
「元気にしておったか?」
サーヤはスライム状の魔獣に話しかけると、行くりと手を伸ばし。
――ずぼっ。
伸ばされた手はそのままスライムの中へと飲み込まれていった。
じゅぅと肉を焼くような不快な異臭が辺りに立ち込めるが、そもそもが臭いのでよくわからない。
サーヤは肉の焼ける事など気にせずスライムの核――からちょっと下にあった石造りの器を掴むと腕を引っこ抜いた。
「……ふむ、いい塩梅じゃ」
でろでろの粘液塗れな器を満足げに見下ろすサーヤ。一先ず焼けただれた腕にヒールをかけつつ、床へと置いた器をパカッと開いた。
中から現れたのは、得も言われぬ色合いに変化した鳥の丸焼きだった。こんがり香ばしい肉の薫りに代わり漂ってくるのは腐臭――というだけでは表現できない刺激臭だった。
サーヤはそんなこと気にもせずナイフと取りだすと、鳥の丸焼きの腹を裂く。瞬間、更に強烈な臭気が爆発した。
収納母体であるスライムが思わず逃げ出そうと身を蠢かす程に強烈な臭気に、辺りの景色すら歪んで見える。
「うむ、臭いも申し分ないの。よい発酵具合じゃ」
常人であれば数秒と正気を保っていられないだろう臭気空間のただ中にいるにもかかわらず、サーヤは平気な顔で――というより嬉しそうに頷いた。
サーヤは鳥の丸焼きから内容物を素手で取り出す。そして――。
――ペロリ。
あろう事か口に含んだ。
もぐもぐぺちゃぺちゃ……口の中で吟味しながら転がされる内容物。
「ふむ……少し酸味が足らぬが、まぁ及第点じゃな」
ごくりと内容物を飲み込んだサーヤが納得の表情を浮かべた。
サーヤは残りの内容物を持参した特製調味料ケースに収納すると腰袋にそっとしまい込む。
「さて、これで今度の料理コンテスト優勝は貰ったようなものじゃな。今から審査員や観客どもの驚く顔が目に浮かぶようじゃ」
サーヤは上機嫌に呟くと、内容物の器だった鳥の丸焼きをスライムの中に放り込んだ。
空洞内にこの世のものとも思えぬスライムの悲鳴が鳴り響く中、鳥の丸焼きだったものはその中で消化されていった。
「それではまた頼むぞ。我が相棒よ」
びくびくと痙攣しているようにも見えるスライムに、不器用なウィンクを送りつつサーヤは踵を返した……瞬間だった。
――どんっ!!
洞窟の入り口で大きな音がする。それも一度や二度ではなかった。
サーヤは振り向いたまま足を止め、じっと入口の様子を伺う。
「嗅ぎ付けてきよったか……何とタイミングの悪い」
吐き捨てるように言ったサーヤは入り口を睨み付けた。
見覚えのある腕が見える。聞き覚えのある咆哮が聞こえる。
小さな洞窟の入り口から時折見える影、一目で巨体だとわかるそれを前に、サーヤはどうしたものかと考える。
「入り口を塞がれたのは誤算じゃったな」
この洞窟へ来る道中、漂う薫りからアレの存在は勘づいていた。
しかし、まだ近くにはいないだろうと楽天的な考えが仇になった。
サーヤは自らの浅慮に自嘲しながらもゆっくりと入口に近づいて行く。
「……腐れゴリラが」
この腐敗の森固有の魔獣『腐れゴリラ』。
ヒトのパートナーともなる利口なゴリラが、この森の臭気に侵され魔獣と成ったのがそれだった。
膂力は人の数倍。知能も高く、毒まで吐く。
厄介この上ない魔獣と化したゴリラを前に、サーヤは杖を構えた。
「下手に撃てばせっかく見つけた発酵所が崩れるかもしれぬのじゃ」
サーヤは洞窟、そしてこの洞窟の主をちらりと見やりながら呟く。
「何にせよ、ここから引き剥がさんことにはどうにもならんのじゃ」
ゴリラの太い腕が洞窟の中まで入ってくる。
がりがりと地面を搔き、出てこい、それを寄こせと、蠢いている。
「ふん、寄こせじゃと? 阿呆が。そちがそう言うからこそ、ここでこっそりと作っておるのじゃ。誰がやるものか」
そう言うとサーヤは地面を掻く太い腕にゆっくりと近づき――しゃがみ込み――暗針を手に持って――狙いを定めると――。
――ぷすっ。
腐れゴリラの中指と爪の間に差し込んだ。
『ぶおぉぉぉぉっ!?!?』
突然の激痛に、腐れゴリラは悲鳴を上げ手を引っこ抜く。
「ふん、図体ばかりでかくとも、急所はそう変わらん」
それと合わせるようにサーヤが洞窟から踊り出た。
「なんじゃ、さらにブサイクになりおったのぉ」
外へと出たサーヤは軽やかな身のこなしで腐れゴリラから距離を取ると、改めてその姿を見やる。
ゴリラの姿は前にもまして、肉がただれ腐り落ちそうになっている。特に顔が悲惨で、ただれた肉で左半分が埋まっているほどだった。
「腐敗の森に魅了されたのが運の尽きじゃったな」
サーヤは目の前で怒り狂うゴリラに哀愁を向け溜息をつく。
『ぐおぉぉぉぉ!!!』
そんなサーヤの仕草を挑発と取ったのか、腐れゴリラが咆哮を上げ突進してきた。
その辺のよくわからない腐った低木とか、変な色のコケを纏う岩とかを粉砕しながら猛然と距離を詰めてくる。
「無駄じゃ。洞窟で仕留めきれなんだそちの負けじゃ」
しかし、サーヤはゴリラの突進をじっと見つめながら動揺一つしない。逆に憐みさえ感じる眼差しでその動向をじっと見つめた。
「あの洞窟を壊される訳にもいかんしの。腐敗の森の仲間同士ではあるが……悪く思うな」
サーヤは振り下ろされる剛腕を寸ででかわすと、下がってきた顎に刃を見舞う。
べちゃりと嫌な音を響かせつつ肉がそぎ落とされ、ゴリラは怒りの咆哮を上げた。
怒り狂った腐れゴリラの無茶苦茶な攻撃がサーヤを襲うが、その全てを避けながら返す手で腐った肉をそぎ落としていく。
拳を打ち付けるごとにそぎ取られていく肉。剥き出しになる骨。
しかし、腐敗の森の影響で痛覚すら麻痺しているのか、腐れゴリラは負傷など気にもせずサーヤに拳を振り下ろし続けた。
「その根性だけは認めるが……哀れじゃな。ひと思いにその命、断ってやろう」
最早、骨だけになった拳を振り回し続ける腐れゴリラに嘆息し、サーヤは双刃を交差させると――。
「一つ、人よりいいにおい
二つ、不埒な悪臭三昧
三つ、魅せるぞ――最臭奥義!」
決まり文句を口上に、刃を一閃させた。