いつか仰ぎ見た天(そら)
キャラクターノベル制作 夜帷かもめ納品 2021年07月28日 13時45分55秒
「にゃん」
「も少しばかり、待ってくれやぁ」
湖面には一筋の釣り糸が、ぽつりぽつりと波紋を投げかけていた。パヴェル・A・サムルガチェフは先ほどからアタリの来ない釣り竿の先を、のんびりと眺めている。その横にはフーアが焦れた様子で転がっていた。
「やっぱりこんぐらい、のんびりしてる方が性に合ってる気がするんだよなぁ」
仕掛けを手繰り寄せて餌を付け直し、もう一度投げ入れる。ぽちゃんと、また波紋が広がった。
パヴェルが考えているのは帝国難民キャンプにて組織された、ロモズ歩兵団の面々のことだ。彼はリーヴァー子爵筆頭に率いられるロモズ歩兵団の、重兵8番隊隊長の任を先日来より拝命している。魔力と武力。それぞれの長所を掛け合わせて運用することで戦況に臨機応変に対応する理想を説いて、めでたく隊長として認められた――はずだった。
だが。
「なかなかなぁ。難しいもんだ」
「なぁん?」
パヴェルの呟きにフーアの合いの手が入る。彼が答えようとしたその時に、竿がぐい、と引かれてしなった。
「おぉっとぉ」
フーアへの答えを後回しに、パヴェルは釣り上げた魚を手繰り寄せる。
「こんな所にいたのですか」
パヴェルの背中から、声が掛けられた。確か――別の重兵隊の隊長職を担っている男だ。訓練に顔を出さないパヴェルを見かねて、その様子を探りに来たのだろう。釣り上げた魚を針から外しながら、パヴェルは声の主に向かって苦笑した。
「いやぁ、授恵者になる、責任のある立場になるっていうもの難しいもんだなぁ」
熾した焚火に炙られる魚を見ながら、パヴェルはもう一度繰り返した。爆ぜる火を見ながらだと、心の内面が自分でもよく見えてくる気がする。目に見える武勲や褒章が欲しかった時期もあった。いくつかは、実際に手に入れもした。
――だが、その先にある景色は彼が望んだものとは少しばかり違っていた。
「俺はどうするべきなんだろうなぁ……」
「――」
パヴェルを呼びに来た男は黙したまま、答えない。
功績を残せば残すほど、影響力は増す。責任も増える。付き従う者も現れる。だが、同時に組織としての動き方も求められる。組織内や組織間での軋轢、衝突も避けられないものとなってくる。それを避けられないものだと切り捨ててしまうのは簡単なことだが、パヴェルはそうしなかった。あるいは、出来なかった。
焼けた一匹の身をほぐして冷まし、フーアへと分け与える。一本を男に差し出し、自分も別の焼き魚に齧り付くと内臓の苦さが口の中へと広がった。故郷に置いてきたはずの過去が、そのほろ苦さに交じって思い出される。
学術都市ヴェルクリエ。パヴェルの故郷である。
そこでの経験を思い返すと、彼の胸の裡には今も晴れることのない、もやもやとした黒いものが蟠っているのだった。
「つまりは、組織っちゅうんが合ってないのかもしれんなぁ」
二匹目の魚に手を伸ばしながらパヴェルは呟き続ける。呟きに乗せると、まとまらぬ思いが形になるような、そんな気がした。
「なぁん!」
相槌を打つように鳴くフーアの横で、男は尚も黙っている。ただ、その横顔には少し笑みが浮かんでいた。彼が何を考えているのかは、パヴェルにも分からない。
対等な立場として連携や協力をするのは問題ない。だが、指示を出す立場として歩兵団の面々に命令を下すのはどうにも性に合わなかった。それに、大きな組織のなかで周囲の顔色を見ながらあれこれと考えるのもパヴェルにはどうにも好きになれない。そういった面倒ごとや、自分の存在そのものが利用されるという状況を嫌ってヴェルクリエを出たはずなのに。気が付けばまた、組織の中にいる自分に気が付いたのだ。
だからパヴェルは迷っている。
進むべき道と思って進んだ先、その道が望まぬ先へと繋がっていた。では、どうすればいいのだろうか。進むか、戻るか、横に逸れるか。
少なくとも、今のままでは前に進むことは出来ないと。そう、パヴェルは思っているのだ。
「これ、返しちまう訳にはいかんものかねぇ」
手にしたのは、ひとつの記章。任命式の際に授かった、かつては彼自身が追い求めたもの。だが今となってはその存在が重い。
拝命以来、顔を見せない隊長のことを歩兵団の団員たちはどう思っているのだろうか? 今後、帝都奪還に向けて更に戦闘が激化していった場合に、団員に負担を強いるような非情な命令は――俺にはできない。それは、歩兵団全体としては間違っているのではないか?
そういった懸念が次から次に湧き上がってくる状況であれば、いっそこの証を返上して適切な人に任せたい。それが、彼なりの責任の取り方であるように思えるのだ。
「んなぁ~?」
「お好きにされるのが、良いのではないでしょうか」
ようやく、男がパヴェルに言葉を返す。
「隊長として、授恵者としての前に――貴方も一人の個人なのですから」
「そうだなぁ」
見上げた夕空は遠く澄んでいた。
「も少しばかり、待ってくれやぁ」
湖面には一筋の釣り糸が、ぽつりぽつりと波紋を投げかけていた。パヴェル・A・サムルガチェフは先ほどからアタリの来ない釣り竿の先を、のんびりと眺めている。その横にはフーアが焦れた様子で転がっていた。
「やっぱりこんぐらい、のんびりしてる方が性に合ってる気がするんだよなぁ」
仕掛けを手繰り寄せて餌を付け直し、もう一度投げ入れる。ぽちゃんと、また波紋が広がった。
パヴェルが考えているのは帝国難民キャンプにて組織された、ロモズ歩兵団の面々のことだ。彼はリーヴァー子爵筆頭に率いられるロモズ歩兵団の、重兵8番隊隊長の任を先日来より拝命している。魔力と武力。それぞれの長所を掛け合わせて運用することで戦況に臨機応変に対応する理想を説いて、めでたく隊長として認められた――はずだった。
だが。
「なかなかなぁ。難しいもんだ」
「なぁん?」
パヴェルの呟きにフーアの合いの手が入る。彼が答えようとしたその時に、竿がぐい、と引かれてしなった。
「おぉっとぉ」
フーアへの答えを後回しに、パヴェルは釣り上げた魚を手繰り寄せる。
「こんな所にいたのですか」
パヴェルの背中から、声が掛けられた。確か――別の重兵隊の隊長職を担っている男だ。訓練に顔を出さないパヴェルを見かねて、その様子を探りに来たのだろう。釣り上げた魚を針から外しながら、パヴェルは声の主に向かって苦笑した。
「いやぁ、授恵者になる、責任のある立場になるっていうもの難しいもんだなぁ」
熾した焚火に炙られる魚を見ながら、パヴェルはもう一度繰り返した。爆ぜる火を見ながらだと、心の内面が自分でもよく見えてくる気がする。目に見える武勲や褒章が欲しかった時期もあった。いくつかは、実際に手に入れもした。
――だが、その先にある景色は彼が望んだものとは少しばかり違っていた。
「俺はどうするべきなんだろうなぁ……」
「――」
パヴェルを呼びに来た男は黙したまま、答えない。
功績を残せば残すほど、影響力は増す。責任も増える。付き従う者も現れる。だが、同時に組織としての動き方も求められる。組織内や組織間での軋轢、衝突も避けられないものとなってくる。それを避けられないものだと切り捨ててしまうのは簡単なことだが、パヴェルはそうしなかった。あるいは、出来なかった。
焼けた一匹の身をほぐして冷まし、フーアへと分け与える。一本を男に差し出し、自分も別の焼き魚に齧り付くと内臓の苦さが口の中へと広がった。故郷に置いてきたはずの過去が、そのほろ苦さに交じって思い出される。
学術都市ヴェルクリエ。パヴェルの故郷である。
そこでの経験を思い返すと、彼の胸の裡には今も晴れることのない、もやもやとした黒いものが蟠っているのだった。
「つまりは、組織っちゅうんが合ってないのかもしれんなぁ」
二匹目の魚に手を伸ばしながらパヴェルは呟き続ける。呟きに乗せると、まとまらぬ思いが形になるような、そんな気がした。
「なぁん!」
相槌を打つように鳴くフーアの横で、男は尚も黙っている。ただ、その横顔には少し笑みが浮かんでいた。彼が何を考えているのかは、パヴェルにも分からない。
対等な立場として連携や協力をするのは問題ない。だが、指示を出す立場として歩兵団の面々に命令を下すのはどうにも性に合わなかった。それに、大きな組織のなかで周囲の顔色を見ながらあれこれと考えるのもパヴェルにはどうにも好きになれない。そういった面倒ごとや、自分の存在そのものが利用されるという状況を嫌ってヴェルクリエを出たはずなのに。気が付けばまた、組織の中にいる自分に気が付いたのだ。
だからパヴェルは迷っている。
進むべき道と思って進んだ先、その道が望まぬ先へと繋がっていた。では、どうすればいいのだろうか。進むか、戻るか、横に逸れるか。
少なくとも、今のままでは前に進むことは出来ないと。そう、パヴェルは思っているのだ。
「これ、返しちまう訳にはいかんものかねぇ」
手にしたのは、ひとつの記章。任命式の際に授かった、かつては彼自身が追い求めたもの。だが今となってはその存在が重い。
拝命以来、顔を見せない隊長のことを歩兵団の団員たちはどう思っているのだろうか? 今後、帝都奪還に向けて更に戦闘が激化していった場合に、団員に負担を強いるような非情な命令は――俺にはできない。それは、歩兵団全体としては間違っているのではないか?
そういった懸念が次から次に湧き上がってくる状況であれば、いっそこの証を返上して適切な人に任せたい。それが、彼なりの責任の取り方であるように思えるのだ。
「んなぁ~?」
「お好きにされるのが、良いのではないでしょうか」
ようやく、男がパヴェルに言葉を返す。
「隊長として、授恵者としての前に――貴方も一人の個人なのですから」
「そうだなぁ」
見上げた夕空は遠く澄んでいた。