儚燈孤悲歌

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年06月29日 16時58分57秒

●燈に烟り

 筆を走らせていた手が、止まる。
 世界は何だかふわふわしていた。普段殆ど口にしない果実酒――を思い切り水で割ったもの。

 そんなものでも最低限の用途は満たしてくれた様で、呆……とした視線の中洋燈(ランプ)が揺れる。
 今はあまり深く物を考えたくなかった。報告はこまめに記して送っていた心算(つもり)ながら。

 体感として。瞬くほどの間に色々有り過ぎた。自分の立場の変遷も。
 実家(いえ)に対して抱え込まざるを得ない秘密も。

 誰も――真っ白でなんていられない。そんなことは、自分が一番分かっていた筈。
 筈だった――――のに。

 レティシア・レインフィールは自分の事を決して善人だとは思っていない。
 人に引っ張られ易く、感情に振り回され、信念も誇りも凡庸で、悪意にも恐怖にも弱い。

 学園で白百合に例えられていた頃から思っていた――自分は、綺麗に見せかけているだけの造花だ。
 皆が喜んでくれるから微笑んでいるだけ。争いたくないから一歩下がっているだけ。

 なのに今置かれている立場たるや。半年前どれ程想像の翼を羽ばたかせても想定出来なかったろう。
 反社会組織(テロリスト)の幹部からは勧誘の言葉を賜り、北方の英雄やその側近とは一度ならず面識を得て。

 自国の王子から釘を刺され、『白薔薇』と『黒鋼竜』。それぞれの縁故に過剰な深入りをしている。
 いつ足を踏み外したのか。外の世界の知見を得る――と言う名目は何処かへ吹き飛んでしまっていて。

 前回実家に帰った時にどれほど釘を刺されたか。決して忘れたつもりはなかった。
 自分の役割を――――“レインフィールの家に役立つような”振る舞いを放棄したつもりも、無かった。

 学園(パンクリアース)での生活が、どれほど安全圏に囲われた日々だったのか今となっては良く分かる。
 反発の意思などこれと言って無いのに、事実追い込まれている自分の立ち位置に改めて愕然とする。

 今から次に実家(いえ)へ帰るのが恐い。寝る前にと机に置いた蒼玉の耳飾りが指に触れて鳴った。

「……お母さん」

 ――――私は、これからどうすれば良いのでしょうか。

 旅に出た時は、こうではなかった筈だ。少なくとも、見通しも結末もはっきりしていた。
 少なくとも、自分ではそのつもりだった。かつて母がしたと聞く自由な旅を、最後の思い出作りに。

 けれど今はどうだろう。頭の中が混濁して。視界はやっぱり心許なくて。もう、何もかも分からない。
 いいや。誰にも、きっと分からない。だって自分が一番良く分からないのだから。

 思考は曖昧の色を強めていく。まるで頁(ページ)でも捲る様に。意識は一際強い想いに手繰られて。

●恋ひ嗄れ

 レティシアの一番古い記憶は、愛すべき父の寝物語(のろけばなし)で綴られる。
 それが事実有った事かどうかは定かではなく、けれど近しい某かは確かに有った事なのだろう。

 真白き調べ(アリア)。帝国留学中の父――ヴィルフリード・レインフィールが愛した帝都の歌姫。
 王国貴族とは言えあくまで次男であったヴィルフリードにはある程度の自由と時間と若さがあり。

 恋の焔と言うのは特に燻る時間と比例せず、時に赤々と燃え上がる物らしいことを語っていた。
 若き伯爵家令息からの熱烈と言う他無いアプローチは、見事帝都の花を射止めるに至る。

 話としてはそれだけの事を、微に入り細を穿ち多種多様な美辞麗句を交えて語る。
 そんな父がどれほど母を愛していたか。身命賭すだけの価値をその想いに見出だしたか。

 物心ついたばかりと言って良いレティシアにとっては少しばかり難しくとも。
 あたかも物語の中の貴公子と姫君の如く。ただただ眩いものとして刻まれたのは必然だと言えた。

「新年のダンスパーティに誘う為に、一体何度試行錯誤(リハーサル)を繰り返したことか。
 此処だけの話。後にも先にも、何かにあれほどの情熱を傾けた事はなかったな」

 そう語っていた父の努力が全て、父の友人を通して母へと伝わっていた。
 ――――と、後日。幾許かの年月を経て母の日記から知った時には思わず笑いが零れたものだ。

 けれどきっとそんな父の真っ直ぐな姿勢が貴族と言うもの。血縁と言うものに絶望していた。
 母の閉ざされた心を溶かしたのだろう……と。今になって思う。きっと、人はそれを恋と呼ぶのだ。

 同時に。どうしてそんな父(ヴィルフリード)と母(アリア)が共に歩めなかったのか。
 母は、そうまでして寄り添う事を選んだ人の手を。最後の最後で離してしまったのか。

 そこだけが、幼心にずっと腑に落ちなかった。
 ――――そこだけが、長くを経てもどうしても納得が行かないままでいた。

 父は言った。お母さんは間違いなくレティを愛していたと。そして勿論、僕も……と。
 だったら何故、と思わずにはいられなかった。それが、誤解だと分かって――――尚。

 "なんでおかあさんは、私の傍に居てくれないの……?"

 幼い我が娘(こ)にそう問われた、父の表情を憶えている。
 結局のところ、父から母を奪ったのが、自分なのだと知るのはもう少し後の事だ。

 "誰もがそれを知っていた。知っていて口にしなかった。知らなかったのは貴女(わたし)だけ"
 
 血の繋がらない義母がレティシアにとってのお母様(はは)だった。
 お母様は厳しかった。貴族として生まれ貴族に嫁いだ。生粋の青き血である彼女は。

 けれどきっと、とても寂しかったのだろう。苛立ちは多く、寄る辺の無い義理の娘へと向いた。
 本来彼女の想い人は父の兄であり、二人は将来を約束された許嫁だったのだから。

 きっと、其処には義務だけでない想いがあったのだろうと思う。
 描かれるべき将来は輝かしく、お母様にも歩んで行こうと思っていた未来が有った筈だ。

 それを病魔が奪い去った。元々体の弱かった伯父は流行り病で早世したと聞いている。
 あくまでただの巡り合わせで。誰が悪かった訳でもない。けれどそれで全てが狂った。

 もしも。伯父が健在であったなら、父と母は婚姻を結び一緒に暮らす予定だった。

 もしも。お母様がその時伯父の子を孕んでいなければ。また違う人生が有ったろう。

 もしも。父の傍に母が居なければ。父はいつかお母様を心から愛せたのかもしれない。

 望む姿を映す紋具の鏡でも覗きこんでいる様に、今のレティシアには少しだけ理解出来る。
 そんな理不尽に苛まれたなら、誰だって。自分以外の誰かの所為にしたくなる。

 お母様にとってのそれは、病魔で、伯父で、父で、義理の娘(わたし)で。
 彼女から。父から。母から。義母から――――本来得られるべき幸せを奪って生まれて来た私は。
 
“貴女はただ、レインフィール家の道具としての役割を遵守すれば良いのよ。
 それが当家の家名を継ぐ理由の全てで、不出来な貴女にも出来るたった一つの貢献なのだから”

 ――――それを、甘んじて受け入れなければならないのだと。

●遠く水底に

“――――本当に?”

 最近、時折声が聞こえる気がする。
 それは“あかいせかい”の記憶。誰にも語るわけにはいかない鎖と鍵を掛けた秘密。

 レインフィールは代々中立を以て旨とする。王国に於いてそれは、瑕疵が赦されないと同義だ。
 隙を見せれば付け込まれる。貸しを作れば返さねばならず、借りを売っても縁が出来る。

 自らを以て自らを立たせる。不羈の家門である事を貫かなければ必ず何処かで傾く。
 そんな家の令嬢が、反社会組織の幹部に手を差し伸べられ。あまつさえ無事生き残った。

 口さがない王宮雲雀は喜び勇んで醜聞に脚色するだろう。どれほど家に迷惑が掛かるだろう。
 お母様は怒り狂うだろう。――――義兄も、父も二度と外へ出る事を許してくれないだろう。

“――――貴女はそれで良いの”

 良いわけがない。お母様のお腹に義兄が居ることが分かった時。
 娘を傷物にされた貴族の権利として、お母様の生家から婚姻の履行を求められた時。

 父は、全てを棄ててでも母の手を取って逃げようとしたのだと。
 父から贈られた母が遺したと言う日記には、その時の千々乱れた想いが赤裸々に綴られていた。

 それでも母は父を愛していた。愛しているが故に、自分が父にとって重荷になると気付いていた。
 だから手を振り払ってでも逃げた。元々歌姫となり身を立てるまで方々転々としていたらしい。

 旅慣れた母の行方を、父は結局掴めなかった。失意の末、何も得られず家へ戻り。
 母は――――そんな旅先で、私を生んだ。父との子である、私(レティシア)を。

“――――なら、どうして”

 どうして。母は愛する人の手を払ってまで、身を隠したのか。

 どうして。そこまでしたのに尚、私を生むことを選んだのか。

 どうして。私は――――誰も彼もから。ただ、奪うことしか出来ないのか。

 納得出来ない事は沢山あって。今となっては呑み込まざるを得なかったこともある。
 それそのものは問題ではない。ただ、今。私は果たしてそれらに報いていられるのか。

 唯でさえ危険な女の一人旅。そこに乳呑み子が一人加わってはもう身動きが取れない。
 母は自らの誇りであり、愛情の証ですらある歌声を売り物としてまで私を育ててくれた。

 その歌を。母の事は殆ど覚えていなくとも。紡いでくれた子守唄を憶えている。
 それは紛れもない愛情の証なのだと。お母さんには確かに、心から、感謝している。

“――――どうして貴女は、そんなに窮屈そうなのかしら”

 なのに。どうして涙が零れるのだろう。
 どうして皆。私を護ると言って勝手に居なくなってしまうのだろう。

 幼子の自分が父に投げた問いかけが。消えない木霊の様に繰り返す。
 どうしてそんな残酷な事が言えたのか。そう思う一方で――――確かに。心の何処かで。

“なんで?”

 かつて子供の頃は。愛する人の手を離したお母さんの判断は、間違いだと思っていた。
 少し大人になって。愛する人の手を離したお母さんの判断は、正しかったのだと分かった。
 
 けれど今。今更に、厳重に厳重に閉じ込めておいた一番幼い頃の自分が問い掛けてくる。
 眩い願いを見る程に。確かな覚悟を見る程に。強い慟哭を見る程に。尊い誓いを見る程に。

“――――なんで、誰も私の傍には居てくれないの?”

 世界には、こんなに輝かしい物が溢れていて。それと同じ位、昏く澱んだ物が蔓延っている。
 家を出なければ触れることは無かった。旅に出なければ出会うことは無かった。

 例え、神の祝福なんてものを得た事があるいは何かの間違いだったのだとしても。
 その選択を後悔したいとは思わない。間違っていたとも、思っていない。

 だからこそ、その問いは。ずっとずっと深くに沈ませたままでいられた問いかけは。
 自分にはそんな権利など無いと思っていられれば、幸せでなくとも不幸ではなかった疑問は。
 
 こんなにどうしようもなくなって。途方に暮れる様な気持ちの中にこそ。そっと紛れ込む。
 いや。考えたくない。直視したくない。真っ直ぐ見つめる勇気が――――ない。

“嘘吐き”

 ――――その声が、果たして誰のものだったか。そんなことも分からなくなる。
 混濁した意識は酩酊にも似て。ぐるぐるぐるぐると面白いほど回りに回って沈んでいく。

 まるでお伽噺の人魚姫だ。深く、深く、歌声すら届かないほど、いっそ底まで沈んでしまえば良い。
 レティシアは自分が眠りに落ちているのだと。そんな自覚も無いままに。

 世界は大きく暗転して、呆気ないほどほつりと途切れた。

●夢と現と

 ――――何故か。長い、とても長い夢を見ていた気がする。
 普段より鈍い頭とぼんやりとした眼差しで顔を上げると、窓の外は未だ夜明け前。

 王都の夜は街角に設置された発光型紋具で照らされ、壮観と言える幻想的な景色が広がるが。
 夜明けともなればそれらも流石に沈黙し、静寂と初夏にしては冷えた大気が通りを支配する。

 王国は、今混乱の最中にある。国内では貴族派と王党派がそれぞれに矛先を研ぎつつあり。
 レティシアの母校である学園では、彼女と大差ない年頃の令嬢令息が彼我の立場で競い合っている。

 遥か北方では帝国奪還の兵が立ち、つい先日南方都市ヴィントへの進軍を開始した。
 世界は動乱の最中に在り――――今、時代は授恵者の力を求めている。

 悩みからも戸惑いからも、今はそっと目を逸らす。目を逸らす事は得意だった。自分事は二の次だ。
 中堅と呼ばれるだけの経験を積んだ癒し手(ヒーラー)である彼女が、求められる場所は決して少なくない。

 少なくとも。既に直面してしまった何かに集中している間は、余計な事を思い患わないで済む。
 今はそれで良い。それが良い。それで誰かが救われるなら問題は無い――――その筈だ。

「……もっと、頑張らないと」

 何を。と言う目的すらはっきりとしない。けれど心が急かすまま、背を押すままに。
 燃料の尽きた洋灯の蓋をそっと閉ざそうとして、燈火に熱された金属部品が指先に触れた。

「――――熱っ」

 はたして滅多に飲まない果実酒など口にしたからか。どうも駄目だ。何だか上手く行かない。
 書き終えた報告の手紙に視線を落とし、封をするのは起きてからにしようと。

 そう決意して、うっすら火傷した指を掻き抱き、レインフィールの令嬢は一人寝台に身を倒す。
 ころりと転がり天井へと視線を向ければ。やはり机に伏していたのでは熟睡には程遠かったのだろう。
 
 程なくして白じむ様な眠気に誘われ。虚ろな眼差しは何処か遠くへ向けられる。
 ほんの短い間に幾多の出会いがあった。これまでの一生分程に言葉を手繰り、驚く程に心を乱された。

 それでも未だ、分からない。誰も教えてはくれないし、指し示してもくれはしない。
 選ぶことは苦手だ。決めることは苦手だ。それでも精一杯に頑張って来た。

 褒めて欲しい。慈しんで欲しい――――なんて。そんな、我儘。誰にも言えるわけがなくて。
 せめて何処へ向かえば良いのか。何を求めて旅するのか。それさえ分かったなら。こんなに。

 ――――こんなに。

 ただ一つだけ確かなことがあるとすれば。求めていたもの(それ)はきっと。
 自由などでは無かったのだろう。
 
「……――――」

 遠く遠く子守唄。澄んだ歌声はけれど確かな像を結ぶ事なく。目尻からぽたりと涙が伝った。
 ああ、恩返しもしないと――――と。朧げな夢は現と不意に混ざり合い、ただ静かに融け堕ちる。

 記憶の彼方へ問いかけても。自分の心に投げかけても。王国を吹き抜ける風は冷たくて。
 誰か助けて欲しいなんて、言えない。言えない。――――言えるわけ
 
 答えは出ない。
 
 答えは――――――――出ない。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0