始まりの詩
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年06月25日 16時30分54秒
その日、雷雨が里を襲った。
滝のような雨と轟く雷鳴。天の怒りと涙。もし神がいるのならその悲しみはどれほどのものなのだろう。
眠れぬ夜に、そんな事をぼんやりと思っていた。
「何もこんな日に泣かなくてもいいじゃない」
少女が一人、扉の前で呟いた。
同時に稲光が少女を映し出す。
長く美しい銀髪が揺れる頭部には狼の耳が揺れ、不安げに窓の外を覗く瞳は紅玉のように赤く輝く。細身の体には不釣り合いに豊かな胸。臀部には髪色と同じく銀の尾がゆらりと揺れていた。
「もうすぐ生まれるのに……」
少女は部屋の中の気配を探る。中には大人が沢山集まっていた。
今夜、この里に新たな命が誕生する。母体のお腹の大きさから双子の可能性が高いと言われていた。
この里で双子は「忌み子」。不吉の象徴たる双子は、生まれ落ちた瞬間にその片側の命を潰される。それが不吉を退ける唯一の手段として、古くより伝わってきた。
「……バカみたい」
少女はドアを背に呟いた。
まだ大人になりきれていない未熟な自分でもわかる。せっかく生まれてきた命を他人の手で摘まれるなんて、その行為こそ不吉だ。
当然口には出せない。そんな事をすればこの里にいられないどころか、異端として狩られる羽目になる。
「なんで双子なんて生まれてくるのかしら……」
少女は天井を見上げる。
板張りの天井の先、厚く黒い雲の上にいるだろう神に向かい問いかける。
「答えてよ……」
当然、答えなんて返ってくるわけもない。
少女は自嘲気味に微笑むと、視線を落とした。まさにその時――。
――おぎゃぁおぎゃぁ!!
ドアの向こうから、二つ産声がした。そして――。
――しっかりしろ!
――だめだ、出血が止まらない!
――誰か! ヒーラーだ! ヒーラーを呼んで来い!
――そんなもの、この里にはいない!
少女はドアに頭の耳をぴとっとくっつけ、慌ただしい中の様子を伺う。
中では大人たちの焦りと悲鳴、そしてバタバタと慌ただしく動く音が絶え間なく聞こえた。
――やはり双子は忌み子じゃ!
――早く潰すんだ! そうすれば、母親は助かるかもしれない!!
――そんな……! せっかく生まれた子を……!!
――早く選べ! 姉を残すか妹を残すか!!
――くっ……俺には、選べ……。
聞き慣れた声が苦しんでいる。
声の主は今まさに生まれたばかりの双子の父で、自分の父親の弟。叔父にあたるその男は、剣の師匠でもあり……憧れでもあった。
いつも優しく時に厳しく凛然と佇むそんな男が、混乱し動揺している。
何かしたい。叔父に何か声を掛けたい。そう思うが部屋に立ち入るなときつく言われている。
ドアに当てた耳から中の様子を予想する事しかできない自分に、少女は歯噛みする。なんと無力なのかと。
そんな時だった。一際大きな雷鳴が建物を包み込んだ。
――な、なんだお前は!
――ぐはっ!
――きゃーー!?
雷鳴を機に部屋の中の声が一変する。
悲鳴と恐怖が入り交じり、剣撃音まで聞こえた。
少女はただ事ではないとドアを押すが、閂が架けられているのかびくともしない。
「どうしたの! 入れて!」
少女はドアを激しく叩きながら中の大人に訴える。
しかし、中から反応はない。少女は何とか部屋に入ろうと、今度は体をぶつけ始める。何度も何度も、勢いをつけてドアに体をぶつけるが、分厚いドアに全て跳ね返された。
何度も体当たりをぶつけ、既に肩の感覚はない。それでも少女は諦めず、ドアに体をぶつけ続ける。
少女は焦っていた。中から聞こえる声が――――いつからか聞こえなくなっていたから。
「はぁはぁ……そんな」
少女の脳裏に最悪の光景が浮かぶ。少女はその想像を掻き消す様に頭を振って――気が付いた。
「……ひぃ!」
ドアの下から流れてきた赤い血に、少女はすくみ上る。
中は想像した通りの光景になっている。そう少女が確信した時――。
――ガタンっ。
閂が外される音がした。
少女は思わず尻餅をつき後ずさる。しかし、背に壁が当たりそれ以上下がれない。
目の前ではゆっくりとドアが開いていく。きっと、この惨状を巻き起こした何かが這出てくる。少女は恐怖にキュッと瞳を閉じた。
――お前、か……。
しかし、出てきたのは叔父だった。
全身を血に染め、息も絶え絶えな叔父が少女を見つめている。
「お、おじさん!!」
少女はすぐに立ち上がり、今にも倒れそうな叔父の元へ駆け寄った。
叔父が膝から崩れそうになるのを間一髪支える。
「ひ、酷い……」
ゆっくりと座らせた叔父を改めて見た。服は切り裂かれ流れる血は床に血だまりを作っている。息も荒く、話す事すらままならない様子が一目でわかった。
「一体誰がこんな事を!」
それでも少女は必死で話しかける。話す事を止めてしまったら全てが終わると感じたから。
――この子を……。
叔父が言葉を絞り出す。少女は一言一句聞き漏らすまいと、艶やかな銀髪が血に濡れるのも気にせず叔父の口元に頭の耳を寄せた。
――この子を、頼む……。
叔父は力を振り絞り、マントで隠れていた腕を上げた。そこには――。
「赤ちゃん……」
生まれたばかりの赤子が、鳴き声もあげず静かに寝息を立てていた。
●
あれから何年たっただろう。
もう見る事もないだろう故郷を想う。
あの子は今何をしているだろう。
もう会う事もないだろう、残してきた愛し子を想う――。
●
それは突然の出来事だった。
村人の誰かが空を指さし大声で叫ぶ。他の者も何事かと空を見上げた。
空が――東の空が真っ黒に染まっていた。
見た事もない空色に村人達は動揺し狼狽える。
空の黒はゆっくりと広がっていて、この里へ近づいている。
異変を感じ取った一人が「逃げろ!」と叫んだのを合図に、村人達の不安が一気に爆発した。
悲鳴と怒声がそこかしこで巻き起こり、取るものも取りあえず西へと逃げ始めた。
そんな中、ティトは呆然と東の空を見上げていた。
村人から逃げろと声を掛けられるも、ティトは動かない。
不吉な雲が全てを覆い尽くさんばかりに広がっている。青い空を黒く染めながら、どんどん黒く暗く……。
「ティト!」
突然名前を呼ばれ、ティトははっと顔を上げた。
ティトはすぐに声の主を探すために頭を振る。すると、こちらに駆けてくる影を見つけた。
「グェン……?」
「早く逃げろ! 何をしておる!!」
居るはずのない顔に首をかしげていると、小柄な体を抱え上げられた。
雲が少しだけ遠ざかる。
「家財など捨てろ!! 命を守るんじゃ!!」
見知った顔が頭の上で怒鳴り声を上げている。
ティトはゆっくりと視線を上げた。
「グェン。どうし、て?」
「ティト、久しぶりじゃな。だが、ゆっくりと再会を喜んでもいられん!」
精悍な顔つきの白狼のハーフビースト。見間違うはずはない。その男は自分の祖父だった。
祖父グェンは小柄なティトを脇に抱えると、里の者の避難を誘導していく。
「おろし、て。自分で歩け、る」
「そうか、それなら走れ。西へ逃げるんじゃ」
「……くる、の?」
「む。気付いておったか。そうじゃ、来る」
ティトの短い問いかけにグェンは東の空を見上げた。
「わしがここで押さえ、なんとしても里の者を逃がす。ティト、お前は先に逃げるんじゃ」
「……逃げない、よ。ぼくも、戦える、から」
「何を言っておる。あれは普通の相手……まさか、お前、覚醒したのか」
驚きゆっくりと問いかけるグェンに、ティトはこくりと頷く。
「そうか。あのティトが……」
グェンは感慨深くティトを見ると、ゆっくりと地面へ下した。
「戦えるのじゃな?」
「問題、ない」
「よし、食い止めるぞ」
再びグェンの言葉に頷いたティト。
空は黒さを増し、地には不気味な気配が広がりつつあった。
●
「ティト! 後ろじゃ!!」
「わかっ、た」
しわがれた声に体をのけぞらせ、爪閃をかわす。
翻された爪先を今度は飛び越え避けると、ナイフを鱗の継ぎ目にねじ込む。
傷を負った痛みか、それとも怒りか。異形が耳障りな悲鳴を上げさらに苛烈な攻撃を始めた。
左右で長さの違う腕は距離が読み辛い。それでも小柄な体を駆使し、受けるのではなく全てを避けていく。それが自分が――従姉と生み出した戦い方。
長い左腕が鞭のようにしなり迫りくる。それを数cmの見切で避けると、バックステップ。一旦距離を取り、今度は大地を踏みしめ前へ跳躍。
腕を振り抜き、無防備となった異形の肩口へナイフの一撃をねじ込んだ。
「ティト、下がれ!」
再びかけられた声に、ティトは異形の肩を足場に大きく飛び退く。
まさに間一髪。先ほどまでティトの体があった場所へ魔力の渦が収束し、空間を丸ごと切り取った。
異形は上腕部の肉をごっそりとえぐり取られ、再び耳障りな悲鳴を上げる。
「隙……!」
ティトは地面へ着地すると同時に再び飛び、異形との距離を詰める。
異形は短い右腕で迎撃しようと待ち構えるが、遅い。ティトは右腕の豪爪を掻い潜り鳩尾の核に必殺の一撃を叩き込んだ。
――パキーン……。
核を砕かれた異形は、三度耳障りな悲鳴を上げるとそのまま後ろに倒れ込む。そして、黒い霧となってこの世から消え失せた。
「気を抜くな! まだまだおるぞ!」
地面に落ちたナイフを拾い上げるティトに、再び声がかかった。
声の主は、先ほどの魔法を放った異形の相手をする祖父グェンのもの。
齢60を超えたとは思えない体捌きで、異形達の中でも上位に位置するであろう相手を翻弄し続けている。
「こちらはいい! 別のをやれ!」
祖父の助けに向かおうと足を向けたら、再び声をかけられた。
ティトは返事をせずこくりと頷くと、別の異形へと向かっていく。
まだ距離は稼げていない。足の遅い老人や子供が必死で逃げているのをちらりと横目で確認しながら、ティトは別の異形へ刃を向けた。
●
「今日はここで休憩じゃ!」
グェンの言葉に村人達は地面へ崩れ落ちた。
まだ動く元気のある者が野営の準備を始める中、グェンは村の代表たちとの話し合いに臨む。
ティトはそんな祖父を見送り、後方の警戒に就いた。
夜の黒とはまるで違う、全てを飲み込む闇が東の空を覆っている。闇はまだまだ広がっており、この場所もいつまで無事かわからない。
ティトは異形がいつ襲ってきてもいいように、じっと闇を見つめ続けた――。
「ティト」
どれくらい闇を睨んでいただろうか。グェンの声にはっと気づいたティトはようやく闇から視線を外す。
「替わろう」
「大丈夫……グェンこそ休ん、で」
「ふむ……それじゃ、一緒に見張りをしながら休むか」
このままではいつまでも代わりそうにない孫娘に、グェンは肩を竦めた。
そして、近くにあった木の根元に腰を下ろすと、ティトを手招きする。
「……ティト、少し話をしよう」
「話?」
ティトが隣に座ったことを確認し、グェンが呟くように話しかけた。
「この逃避行はいつまで続くかわからん」
「うん……」
「あの闇はこの大陸の全てを飲み込むかも知らん」
「あれは……なに?」
「わしにもわからん。ただ、ヒトの敵。それだけはわかる」
ティトの問いに答えたグェンはゆっくりと空を塗りつぶす闇へ目を向けた。
「ティト」
「なに?」
グェンがじっとティトを見つめている。それだけで、次の句を一向に口にしない祖父にティトは首をかしげる。
「ふぅ……本当は話すつもりはなかったのじゃが」
しばらくティトの顔を見ていたグェンが視線を外し溜息をついた。
「この際じゃ、全部話しておこう。お互い、明日はどうなるかわからぬ身じゃしな」
それは諦めの笑顔なのか、優しく微笑むグェンは再びティトの向かい口を開く。
「お前の従姉は――生きておる」
「……え」
思いがけぬ言葉にティトはぽかんと口を開けた。
グェンの言う従姉とは、突然何の前触れもなくティトの前から姿を消した育ての親のような存在。心の片隅でずっと気にかけていた彼女の事が、グェンの一言で一気に脳裏に溢れた。
「あの子はお前を捨てたわけではない。お前の成長を待っておったのじゃ」
「なん、で……今、そんな事……」
「あの子は復讐のために里を捨てた」
突然の事に混乱するティトに、グェンはさらに続ける。
「あの子はお前の父親が殺された場所におった。師と仰いでおったお前の父を目の前で殺されたのじゃ。あれはずっと心の奥底に復讐の炎を灯しておる。復讐という悪しき心に支配されておる」
「なに……わけ、わかんな、い……」
グェンの言葉にティトの心がかき乱された。
「あの子は、お前の為に出ていったのじゃ」
「……そんなの……勝手すぎ、る」
わかってやってくれとグェンは言うが、いきなりそんな話をされても心に入ってこない。
ティトはぶんぶんと頭を振って色々な考えを追い出そうとする。
誰も復讐なんて頼んでいない。そんなのはただの自分勝手、エゴだ。そんなエゴの為に、自分は置いていかれ、悲しみに暮れたのか。
「本当は言うつもりはなかったんじゃなが」
「……」
と、グエンは申し訳なさそうにティトを見た。ティトはじっと黙って地面を睨み付けていた。
「……それともう一つ。お前に伝えておかねばならぬことがある」
「え……?」
祖父の言葉に、ティトはまだあるのかとグッと身構えた。
先ほどの話もかなり衝撃的な内容だった。この極限の状況で話す内容なのだから当然と言えば当然なのだが、それにしても内容が重すぎる。
「お前の両親の話じゃ」
「父さんと母さん、の……」
グェンの言葉には先ほどとまた違った重みを感じる。ティトは出来るだけ心を閉ざしながらグェンの声に耳を傾けた。
「お前の両親は――実は異母兄弟なんじゃ」
まったく思いもしなかった単語が飛んできてティトは首を傾げる。
「お前の父は我が息子。そして、母親……あれも、我が娘じゃ」
「え……」
「わしがまだ若い頃――」
と、事態が飲み込めないティトに向け、グェンは静かに語り始めた。里の誰も知らない隠された過去を――。
ティトの父が生まれて間もなくの頃だった。
グェンは幼馴染の女にとあることを相談された。それは、自分を身籠らせてほしいという願いだった。
グェンは当然断った。幼馴染の女とその夫が心から愛し合っていると知っていたから。そして、自らも妻を愛していたから。
しかし、女は地に頭をこすりつけグェンに頼み込んだ。彼女の夫は――種なしだったのだ。
彼女の夫はその事に気づいておらず、何度も何度も子を作ろうと努力していた。しかし、一向に子が宿る気配はなかった。夫は絶望し、女に当たる事も増えていたという。
その話を聞き、グェンは一度だけだと、関係を持った。
その時にはまさか、自分が蒔いた種があのような悲劇を起こすとは思いもせずに――。
時は過ぎ、帝国の諜報部で働いていたグェンの元に、一通の手紙が送られてきた。
内容は自分の息子と、幼馴染の女の娘が結婚し、子を授かったという知らせであった。
驚いたグェンはすぐに休暇を申し出ると里へと戻り、息子夫婦と対面する。
すぐに堕胎させなければならない。そうしないと一族に伝わる呪いが顕現する可能性がある。
グェンはそう決意を決めて帰郷した。しかし、仲睦まじくグェンを迎えた二人の幸せそうな笑顔を見た瞬間、何も言えなくなってしまった。
可能性は所詮可能性。そう自分に言い聞かせ、結局祝辞だけを送り、グェンは早々に村を後にしてしまった。
「それは、どういう、こと……?」
「……お前の身体の事じゃ。お前が何故そんなにも小柄か。理由を知っておるか?」
「しらな、い」
「それは我が一族に伝わる呪いによって引き起こされたものじゃ」
「なに……それ」
自分が同年代の者達より小柄なのは自覚していた。ただそれは成長期がちょっと遅れているだけで、そのうち皆のように、そう思っていた。
「本来ならこの呪いを受けた者は短命になる運命じゃ。しかし、お前は授恵者として目覚めた。本来の持ち得なかった頑強な体を手に入れた」
そう言ってグェンはじっとティトを見た。
「すまんな。全てわしのせいじゃ」
グェンはじっと見返してくる父親譲りの瞳の色に、すっと頭を下げる。
「……もう、お終、い?」
「ああ、もう隠しておることはない。別にわしの武勇伝など聞きたくないじゃろ?」
「聞きたくな、い」
おどけるように話す祖父に、ティトはツンと顔を背けた。
「お前ももう一人立ちできる歳じゃ。自分の事は自分で決めろ。従姉を探しに出てもいい。授恵者として目覚めたのじゃ、冒険者となるのも面白いじゃろう。とにかく、お前はもう何にも縛られる必要はない」
「……」
「まぁ、全て生き残れればの話じゃがな」
そう言って苦笑するグェンを見つめ、ティトは考える。
この逃避行がいつまで続くかわからない。だけど、もし終わったのなら。その時は自分で歩む先を決める時なのかもしれない。
真っ先に脳裏に浮かんだのは従姉の姿。思い出しただけで、ふつふつと怒りがわいてきた。
自分勝手に我儘に、村を捨てて飛び出した大人になりきれない従姉に、一言言ってやらなくては気が済まない。誰も復讐なんて望んでいない。そんな事をしたって両親は帰ってこない。そんな事より、貴女に返ってきてほしい。そう伝えるために――。
「そうだ、ね……生き残れれば、それもいいかも、ね」
ティトはそう言って、驚く祖父を見上げた――。
滝のような雨と轟く雷鳴。天の怒りと涙。もし神がいるのならその悲しみはどれほどのものなのだろう。
眠れぬ夜に、そんな事をぼんやりと思っていた。
「何もこんな日に泣かなくてもいいじゃない」
少女が一人、扉の前で呟いた。
同時に稲光が少女を映し出す。
長く美しい銀髪が揺れる頭部には狼の耳が揺れ、不安げに窓の外を覗く瞳は紅玉のように赤く輝く。細身の体には不釣り合いに豊かな胸。臀部には髪色と同じく銀の尾がゆらりと揺れていた。
「もうすぐ生まれるのに……」
少女は部屋の中の気配を探る。中には大人が沢山集まっていた。
今夜、この里に新たな命が誕生する。母体のお腹の大きさから双子の可能性が高いと言われていた。
この里で双子は「忌み子」。不吉の象徴たる双子は、生まれ落ちた瞬間にその片側の命を潰される。それが不吉を退ける唯一の手段として、古くより伝わってきた。
「……バカみたい」
少女はドアを背に呟いた。
まだ大人になりきれていない未熟な自分でもわかる。せっかく生まれてきた命を他人の手で摘まれるなんて、その行為こそ不吉だ。
当然口には出せない。そんな事をすればこの里にいられないどころか、異端として狩られる羽目になる。
「なんで双子なんて生まれてくるのかしら……」
少女は天井を見上げる。
板張りの天井の先、厚く黒い雲の上にいるだろう神に向かい問いかける。
「答えてよ……」
当然、答えなんて返ってくるわけもない。
少女は自嘲気味に微笑むと、視線を落とした。まさにその時――。
――おぎゃぁおぎゃぁ!!
ドアの向こうから、二つ産声がした。そして――。
――しっかりしろ!
――だめだ、出血が止まらない!
――誰か! ヒーラーだ! ヒーラーを呼んで来い!
――そんなもの、この里にはいない!
少女はドアに頭の耳をぴとっとくっつけ、慌ただしい中の様子を伺う。
中では大人たちの焦りと悲鳴、そしてバタバタと慌ただしく動く音が絶え間なく聞こえた。
――やはり双子は忌み子じゃ!
――早く潰すんだ! そうすれば、母親は助かるかもしれない!!
――そんな……! せっかく生まれた子を……!!
――早く選べ! 姉を残すか妹を残すか!!
――くっ……俺には、選べ……。
聞き慣れた声が苦しんでいる。
声の主は今まさに生まれたばかりの双子の父で、自分の父親の弟。叔父にあたるその男は、剣の師匠でもあり……憧れでもあった。
いつも優しく時に厳しく凛然と佇むそんな男が、混乱し動揺している。
何かしたい。叔父に何か声を掛けたい。そう思うが部屋に立ち入るなときつく言われている。
ドアに当てた耳から中の様子を予想する事しかできない自分に、少女は歯噛みする。なんと無力なのかと。
そんな時だった。一際大きな雷鳴が建物を包み込んだ。
――な、なんだお前は!
――ぐはっ!
――きゃーー!?
雷鳴を機に部屋の中の声が一変する。
悲鳴と恐怖が入り交じり、剣撃音まで聞こえた。
少女はただ事ではないとドアを押すが、閂が架けられているのかびくともしない。
「どうしたの! 入れて!」
少女はドアを激しく叩きながら中の大人に訴える。
しかし、中から反応はない。少女は何とか部屋に入ろうと、今度は体をぶつけ始める。何度も何度も、勢いをつけてドアに体をぶつけるが、分厚いドアに全て跳ね返された。
何度も体当たりをぶつけ、既に肩の感覚はない。それでも少女は諦めず、ドアに体をぶつけ続ける。
少女は焦っていた。中から聞こえる声が――――いつからか聞こえなくなっていたから。
「はぁはぁ……そんな」
少女の脳裏に最悪の光景が浮かぶ。少女はその想像を掻き消す様に頭を振って――気が付いた。
「……ひぃ!」
ドアの下から流れてきた赤い血に、少女はすくみ上る。
中は想像した通りの光景になっている。そう少女が確信した時――。
――ガタンっ。
閂が外される音がした。
少女は思わず尻餅をつき後ずさる。しかし、背に壁が当たりそれ以上下がれない。
目の前ではゆっくりとドアが開いていく。きっと、この惨状を巻き起こした何かが這出てくる。少女は恐怖にキュッと瞳を閉じた。
――お前、か……。
しかし、出てきたのは叔父だった。
全身を血に染め、息も絶え絶えな叔父が少女を見つめている。
「お、おじさん!!」
少女はすぐに立ち上がり、今にも倒れそうな叔父の元へ駆け寄った。
叔父が膝から崩れそうになるのを間一髪支える。
「ひ、酷い……」
ゆっくりと座らせた叔父を改めて見た。服は切り裂かれ流れる血は床に血だまりを作っている。息も荒く、話す事すらままならない様子が一目でわかった。
「一体誰がこんな事を!」
それでも少女は必死で話しかける。話す事を止めてしまったら全てが終わると感じたから。
――この子を……。
叔父が言葉を絞り出す。少女は一言一句聞き漏らすまいと、艶やかな銀髪が血に濡れるのも気にせず叔父の口元に頭の耳を寄せた。
――この子を、頼む……。
叔父は力を振り絞り、マントで隠れていた腕を上げた。そこには――。
「赤ちゃん……」
生まれたばかりの赤子が、鳴き声もあげず静かに寝息を立てていた。
●
あれから何年たっただろう。
もう見る事もないだろう故郷を想う。
あの子は今何をしているだろう。
もう会う事もないだろう、残してきた愛し子を想う――。
●
それは突然の出来事だった。
村人の誰かが空を指さし大声で叫ぶ。他の者も何事かと空を見上げた。
空が――東の空が真っ黒に染まっていた。
見た事もない空色に村人達は動揺し狼狽える。
空の黒はゆっくりと広がっていて、この里へ近づいている。
異変を感じ取った一人が「逃げろ!」と叫んだのを合図に、村人達の不安が一気に爆発した。
悲鳴と怒声がそこかしこで巻き起こり、取るものも取りあえず西へと逃げ始めた。
そんな中、ティトは呆然と東の空を見上げていた。
村人から逃げろと声を掛けられるも、ティトは動かない。
不吉な雲が全てを覆い尽くさんばかりに広がっている。青い空を黒く染めながら、どんどん黒く暗く……。
「ティト!」
突然名前を呼ばれ、ティトははっと顔を上げた。
ティトはすぐに声の主を探すために頭を振る。すると、こちらに駆けてくる影を見つけた。
「グェン……?」
「早く逃げろ! 何をしておる!!」
居るはずのない顔に首をかしげていると、小柄な体を抱え上げられた。
雲が少しだけ遠ざかる。
「家財など捨てろ!! 命を守るんじゃ!!」
見知った顔が頭の上で怒鳴り声を上げている。
ティトはゆっくりと視線を上げた。
「グェン。どうし、て?」
「ティト、久しぶりじゃな。だが、ゆっくりと再会を喜んでもいられん!」
精悍な顔つきの白狼のハーフビースト。見間違うはずはない。その男は自分の祖父だった。
祖父グェンは小柄なティトを脇に抱えると、里の者の避難を誘導していく。
「おろし、て。自分で歩け、る」
「そうか、それなら走れ。西へ逃げるんじゃ」
「……くる、の?」
「む。気付いておったか。そうじゃ、来る」
ティトの短い問いかけにグェンは東の空を見上げた。
「わしがここで押さえ、なんとしても里の者を逃がす。ティト、お前は先に逃げるんじゃ」
「……逃げない、よ。ぼくも、戦える、から」
「何を言っておる。あれは普通の相手……まさか、お前、覚醒したのか」
驚きゆっくりと問いかけるグェンに、ティトはこくりと頷く。
「そうか。あのティトが……」
グェンは感慨深くティトを見ると、ゆっくりと地面へ下した。
「戦えるのじゃな?」
「問題、ない」
「よし、食い止めるぞ」
再びグェンの言葉に頷いたティト。
空は黒さを増し、地には不気味な気配が広がりつつあった。
●
「ティト! 後ろじゃ!!」
「わかっ、た」
しわがれた声に体をのけぞらせ、爪閃をかわす。
翻された爪先を今度は飛び越え避けると、ナイフを鱗の継ぎ目にねじ込む。
傷を負った痛みか、それとも怒りか。異形が耳障りな悲鳴を上げさらに苛烈な攻撃を始めた。
左右で長さの違う腕は距離が読み辛い。それでも小柄な体を駆使し、受けるのではなく全てを避けていく。それが自分が――従姉と生み出した戦い方。
長い左腕が鞭のようにしなり迫りくる。それを数cmの見切で避けると、バックステップ。一旦距離を取り、今度は大地を踏みしめ前へ跳躍。
腕を振り抜き、無防備となった異形の肩口へナイフの一撃をねじ込んだ。
「ティト、下がれ!」
再びかけられた声に、ティトは異形の肩を足場に大きく飛び退く。
まさに間一髪。先ほどまでティトの体があった場所へ魔力の渦が収束し、空間を丸ごと切り取った。
異形は上腕部の肉をごっそりとえぐり取られ、再び耳障りな悲鳴を上げる。
「隙……!」
ティトは地面へ着地すると同時に再び飛び、異形との距離を詰める。
異形は短い右腕で迎撃しようと待ち構えるが、遅い。ティトは右腕の豪爪を掻い潜り鳩尾の核に必殺の一撃を叩き込んだ。
――パキーン……。
核を砕かれた異形は、三度耳障りな悲鳴を上げるとそのまま後ろに倒れ込む。そして、黒い霧となってこの世から消え失せた。
「気を抜くな! まだまだおるぞ!」
地面に落ちたナイフを拾い上げるティトに、再び声がかかった。
声の主は、先ほどの魔法を放った異形の相手をする祖父グェンのもの。
齢60を超えたとは思えない体捌きで、異形達の中でも上位に位置するであろう相手を翻弄し続けている。
「こちらはいい! 別のをやれ!」
祖父の助けに向かおうと足を向けたら、再び声をかけられた。
ティトは返事をせずこくりと頷くと、別の異形へと向かっていく。
まだ距離は稼げていない。足の遅い老人や子供が必死で逃げているのをちらりと横目で確認しながら、ティトは別の異形へ刃を向けた。
●
「今日はここで休憩じゃ!」
グェンの言葉に村人達は地面へ崩れ落ちた。
まだ動く元気のある者が野営の準備を始める中、グェンは村の代表たちとの話し合いに臨む。
ティトはそんな祖父を見送り、後方の警戒に就いた。
夜の黒とはまるで違う、全てを飲み込む闇が東の空を覆っている。闇はまだまだ広がっており、この場所もいつまで無事かわからない。
ティトは異形がいつ襲ってきてもいいように、じっと闇を見つめ続けた――。
「ティト」
どれくらい闇を睨んでいただろうか。グェンの声にはっと気づいたティトはようやく闇から視線を外す。
「替わろう」
「大丈夫……グェンこそ休ん、で」
「ふむ……それじゃ、一緒に見張りをしながら休むか」
このままではいつまでも代わりそうにない孫娘に、グェンは肩を竦めた。
そして、近くにあった木の根元に腰を下ろすと、ティトを手招きする。
「……ティト、少し話をしよう」
「話?」
ティトが隣に座ったことを確認し、グェンが呟くように話しかけた。
「この逃避行はいつまで続くかわからん」
「うん……」
「あの闇はこの大陸の全てを飲み込むかも知らん」
「あれは……なに?」
「わしにもわからん。ただ、ヒトの敵。それだけはわかる」
ティトの問いに答えたグェンはゆっくりと空を塗りつぶす闇へ目を向けた。
「ティト」
「なに?」
グェンがじっとティトを見つめている。それだけで、次の句を一向に口にしない祖父にティトは首をかしげる。
「ふぅ……本当は話すつもりはなかったのじゃが」
しばらくティトの顔を見ていたグェンが視線を外し溜息をついた。
「この際じゃ、全部話しておこう。お互い、明日はどうなるかわからぬ身じゃしな」
それは諦めの笑顔なのか、優しく微笑むグェンは再びティトの向かい口を開く。
「お前の従姉は――生きておる」
「……え」
思いがけぬ言葉にティトはぽかんと口を開けた。
グェンの言う従姉とは、突然何の前触れもなくティトの前から姿を消した育ての親のような存在。心の片隅でずっと気にかけていた彼女の事が、グェンの一言で一気に脳裏に溢れた。
「あの子はお前を捨てたわけではない。お前の成長を待っておったのじゃ」
「なん、で……今、そんな事……」
「あの子は復讐のために里を捨てた」
突然の事に混乱するティトに、グェンはさらに続ける。
「あの子はお前の父親が殺された場所におった。師と仰いでおったお前の父を目の前で殺されたのじゃ。あれはずっと心の奥底に復讐の炎を灯しておる。復讐という悪しき心に支配されておる」
「なに……わけ、わかんな、い……」
グェンの言葉にティトの心がかき乱された。
「あの子は、お前の為に出ていったのじゃ」
「……そんなの……勝手すぎ、る」
わかってやってくれとグェンは言うが、いきなりそんな話をされても心に入ってこない。
ティトはぶんぶんと頭を振って色々な考えを追い出そうとする。
誰も復讐なんて頼んでいない。そんなのはただの自分勝手、エゴだ。そんなエゴの為に、自分は置いていかれ、悲しみに暮れたのか。
「本当は言うつもりはなかったんじゃなが」
「……」
と、グエンは申し訳なさそうにティトを見た。ティトはじっと黙って地面を睨み付けていた。
「……それともう一つ。お前に伝えておかねばならぬことがある」
「え……?」
祖父の言葉に、ティトはまだあるのかとグッと身構えた。
先ほどの話もかなり衝撃的な内容だった。この極限の状況で話す内容なのだから当然と言えば当然なのだが、それにしても内容が重すぎる。
「お前の両親の話じゃ」
「父さんと母さん、の……」
グェンの言葉には先ほどとまた違った重みを感じる。ティトは出来るだけ心を閉ざしながらグェンの声に耳を傾けた。
「お前の両親は――実は異母兄弟なんじゃ」
まったく思いもしなかった単語が飛んできてティトは首を傾げる。
「お前の父は我が息子。そして、母親……あれも、我が娘じゃ」
「え……」
「わしがまだ若い頃――」
と、事態が飲み込めないティトに向け、グェンは静かに語り始めた。里の誰も知らない隠された過去を――。
ティトの父が生まれて間もなくの頃だった。
グェンは幼馴染の女にとあることを相談された。それは、自分を身籠らせてほしいという願いだった。
グェンは当然断った。幼馴染の女とその夫が心から愛し合っていると知っていたから。そして、自らも妻を愛していたから。
しかし、女は地に頭をこすりつけグェンに頼み込んだ。彼女の夫は――種なしだったのだ。
彼女の夫はその事に気づいておらず、何度も何度も子を作ろうと努力していた。しかし、一向に子が宿る気配はなかった。夫は絶望し、女に当たる事も増えていたという。
その話を聞き、グェンは一度だけだと、関係を持った。
その時にはまさか、自分が蒔いた種があのような悲劇を起こすとは思いもせずに――。
時は過ぎ、帝国の諜報部で働いていたグェンの元に、一通の手紙が送られてきた。
内容は自分の息子と、幼馴染の女の娘が結婚し、子を授かったという知らせであった。
驚いたグェンはすぐに休暇を申し出ると里へと戻り、息子夫婦と対面する。
すぐに堕胎させなければならない。そうしないと一族に伝わる呪いが顕現する可能性がある。
グェンはそう決意を決めて帰郷した。しかし、仲睦まじくグェンを迎えた二人の幸せそうな笑顔を見た瞬間、何も言えなくなってしまった。
可能性は所詮可能性。そう自分に言い聞かせ、結局祝辞だけを送り、グェンは早々に村を後にしてしまった。
「それは、どういう、こと……?」
「……お前の身体の事じゃ。お前が何故そんなにも小柄か。理由を知っておるか?」
「しらな、い」
「それは我が一族に伝わる呪いによって引き起こされたものじゃ」
「なに……それ」
自分が同年代の者達より小柄なのは自覚していた。ただそれは成長期がちょっと遅れているだけで、そのうち皆のように、そう思っていた。
「本来ならこの呪いを受けた者は短命になる運命じゃ。しかし、お前は授恵者として目覚めた。本来の持ち得なかった頑強な体を手に入れた」
そう言ってグェンはじっとティトを見た。
「すまんな。全てわしのせいじゃ」
グェンはじっと見返してくる父親譲りの瞳の色に、すっと頭を下げる。
「……もう、お終、い?」
「ああ、もう隠しておることはない。別にわしの武勇伝など聞きたくないじゃろ?」
「聞きたくな、い」
おどけるように話す祖父に、ティトはツンと顔を背けた。
「お前ももう一人立ちできる歳じゃ。自分の事は自分で決めろ。従姉を探しに出てもいい。授恵者として目覚めたのじゃ、冒険者となるのも面白いじゃろう。とにかく、お前はもう何にも縛られる必要はない」
「……」
「まぁ、全て生き残れればの話じゃがな」
そう言って苦笑するグェンを見つめ、ティトは考える。
この逃避行がいつまで続くかわからない。だけど、もし終わったのなら。その時は自分で歩む先を決める時なのかもしれない。
真っ先に脳裏に浮かんだのは従姉の姿。思い出しただけで、ふつふつと怒りがわいてきた。
自分勝手に我儘に、村を捨てて飛び出した大人になりきれない従姉に、一言言ってやらなくては気が済まない。誰も復讐なんて望んでいない。そんな事をしたって両親は帰ってこない。そんな事より、貴女に返ってきてほしい。そう伝えるために――。
「そうだ、ね……生き残れれば、それもいいかも、ね」
ティトはそう言って、驚く祖父を見上げた――。