ク・サーヤ・クッセーワの何でもない一日

キャラクターノベル制作 紀藤トキ納品 2021年06月13日 14時38分27秒

 「匂い使い」であるク・サーヤ・クッセーワの朝は早い。同じ姿勢で寝ていればよどむ体臭が目を覚ましてくれる。寝坊とは無縁の健康的な生活は匂いの(クッセー)おかげだ。エルフとして生を受けて250年、人の世界に出て数十年。この体質と共に生きてきたサーヤに隙は無い。

「すまないが、出て行ってくれんかね。他の客からの苦情がな……」
「ふむ。何か、わらわに問題があったのじゃろうか?」
「いや、そんな事は。もちろんお題は結構だよ」
「馬鹿を言うでない。良き宿であったが、わらわの体質が悪かったのであろう」

 こんな感じで、初めての宿はだいたい無料で泊まれそうになるが、よほどのことが無ければちゃんとお金は支払う。そうしないと、本当に困った時に野宿になりかねないからだ。目先の利益より将来の繋がりである。食事処の場合は少し面倒で、店主の聞き分けが良くとも他の客がうるさい場合もあった。

「てめぇ! クッセーんだよ! 飯がまずくなるだろうが!!」
「この程度で味が分からなくなるそちの舌が貧弱なのじゃろう?」
「んだと、このクセェ耳長チビが! しばらく飯を食えなくしてやろうかぁ?」

 礼には礼を。無礼には無礼を。暴力には悪臭を。挑発に応じて路地裏に向かった先にはチンピラ3人がいたが。4人まとめて悪臭に沈め、何食わぬ顔でテーブルに戻る。

「あ、あんた……無事だったのかい。あいつらはこの辺りじゃ有名な質の悪い札付きだってのに」
「わらわの武術の前には敵ではなかったが。悪党であったのなら良きことじゃな」

 なかなか手ごわい相手だったが、戦いが長引いて汗をかいたせいで臭度(クッセー指数)が増えたのが奴らの敗因だった。(戻ってこないと思ったので皿を下げていた)店側の好意で、新しい皿をこっそり出してもらって店の裏でいただく。朝から一食浮いたので今日は良い日だ。

「さて……、また宿が無くなったのじゃが。どうしたものじゃろうな」

 実のところ、住処はある。何十年も暮らしていれば、拠点の一つもできようという物だ。しかし、隣の家まで歩いて1時間くらいかかる場所なので、利便性はない。文無しにでもならねば帰りたくない場所だった。帰ると言えば、故郷にも随分戻っていない。(エルフ時間で)じわじわと衰退していく故郷の森を救うために旅立ったサーヤは、定期的な報告を欠かしてはいなかったが。

『さーたん、旅に不便はありませんか。こっちは元気でやっていますので、絶対帰ってこないでください』
『サーヤがいなくなってから腐敗の森の進行がゆっくりになった気がする。しばらく様子をみるので帰ってこないでください』
『サーヤおば様、都会の話は楽しくまたお手紙お待ちしております。でも帰ってこないでください』
『お姉さまには甥ができました。可愛い双子です。絵姿を同封しますので顔を見には帰ってこないでください』

 大体返事の最後が同じ文面なので、村を出てから帰ったことは無い。サーヤもわかっているのだ。自分の匂いが少しばかり刺激的過ぎて、田舎暮らしのエルフには刺激が強すぎた事は。村に住んでいたころの最後の50年くらいは親兄弟の顔も見ず、伝達はもっぱら置き手紙頼りだった。まかりなりにも人とお話ができる都会の暮らしに慣れてしまった彼女は、寂しいあの頃にはもう戻れはしないだろう。

「ふむ。そうじゃな……。よし、仕事をしよう」

 貯金に手を付けたくなければ、働けばよい。冒険者ギルドへ向かうサーヤの足取りは軽かった。

「クッセーワ! てめぇ、来るなら来ると……。ええい。こっちに来い!」

 表から入ると、即座に飛んでくるヒューマンの男。ギルドの受付で、冷たい表情と動じない態度が有名だとは後で聞いた。そんな男が、自分を相手にすると目を見開き、唾を飛ばしながら駆け寄ってくる。齢250にもなるのに、異性からこんなにも激しく求められたことはない。女としてときめいてしまうのは仕方がないのではないだろうか。

「個室、貸し切りだ。今から1時間……、いや、2時間は誰も来るな」
「は、はい……!」

 じろりと睨まれた新人っぽい職員が、顔色を青くしながら駆け去っていく。

(大丈夫、そちが心配するようなことは彼とわらわの間には起きておらぬよ。今はまだな。じゃが、こうして2人きりの逢瀬も10度を超える。そろそろ情熱的な口説き文句が出てくるのではなかろうか? いや、歳の差もあるゆえ断るしかなかろうがの。いやあ困ったものじゃなあ)

 などと自意識過剰な内心を抱えつつ、サーヤは室内へ入った。むわ、とそれだけで室温が3度くらい上がったような気がする。いや、あがったのは温度や湿度ではなく不快指数だったか。

「……お前に向いた仕事は、幾つかある。楽なのと危険なのと面倒なのと、どれがいい」
「わらわの為に選んでおいてくれたのじゃな。心遣い痛み入る」
「お、おう……。まあ、仕事だからな」

 頭を下げると、気まずそうに視線を背けた。書類の中身を見ると、下水のどぶ攫い、腐った沼地の調査、サウゼル大樹林の素材回収となっている。

「この、素材というのはなんじゃ?」
「ああ。なんとかいう、すっげー臭い花を取って来いとさ。お前ならできると思ってな。前までは俺がやってたんだが……」

 この男、かつては冒険者だったが膝に矢を受けてしまったらしい。なるほど、それでサーヤの実力を見込んでこの仕事を引き継ぎたいというのだろう。しかし、しかしだ。

「この仕事は万年鼻炎の俺にしかできないと思っていたが……、お前ならやれるはずだ」
「わらわとてそちの期待には応えたいと思うのじゃがな……」

 彼は「匂い使い」なら知っているべき、根本的な事を勘違いしていた。やはり、人とエルフでは分かりあえないのだろう。寿命だけではない。生き方が違い過ぎるのだ。たぶん。きっと。たとえば、いま。この場でサーヤがおならをしたとしよう。とても臭い中で今更ちょっと屁をこいたくらいで何の差があるのか、と素人は思う。しかし違う、違うのだ。100の悪臭に1の悪臭を加えれば結果は100ではなく101となる。自身の体臭に慣れたサーヤにとっても、新たな別の悪臭はそれはそれでしんどいのだ。……と、言う事を少し言葉を選んで伝えると、男は微妙な顔をして頷いた。

「……そうか。じゃあこの下水のも無理か」
「できれば避けたいものじゃな」
「こっちの腐った沼地も駄目だろうな」
「それは平気じゃ」

 解せぬ、と言う顰め面を浮かべる男の手から、書類を受け取る。自然の腐敗臭は故郷の村で良く嗅いで居たから、馴れているのだ。まあ、そんな過去をここで語る必要もあるまい。イイ女が過去を語るのは、ムードのあるバーでほろ酔い加減になった時くらいだ。まあ、そんな店はそもそもサーヤの入店お断りだろうが夢を見る位はタダである。

「依頼、確かに引き受けたのじゃ。面倒じゃが、期日までには片付けられるじゃろ」
「ああ。それじゃあな」

 事前に告げられていた時間どころかその半分ほどで席を立ち、視線だけで交わされるハードボイルドな大人の別れを告げる。この後の残った時間、鼻詰まりの男は孤独に部屋を消臭するのだ。冒険者ギルド勤めは実にブラックだった。ギルドを去ったサーヤは、旅支度の為に家へ帰ることにした。街を出て、別の村へ通じる道をぶらぶら歩き、途中で道を逸れて森へ入る。森の中の(人里離れた)一軒家に住む可憐な妖精(怪しいロリ婆)、それがサーヤの今の姿だった。

「誰も出迎えてくれないのは少し寂しい物じゃな」

 相臭、もとい相性が良い生物がいればやぶさかでもないのだが。普通の生き物と共同生活を営むにはサーヤはいささかハードルが高い。虫なら案外大丈夫では? と思った事もあるのだが、この前久しぶりに家で1週間くらい過ごしたら、家庭内害虫(見知らぬ同居人)が部屋の隅でひっくり返って死んでいた。今度はナメクジかカタツムリでチャレンジしてみようかとも思う。でも、そいつら出迎えてはくれないな。

「水、食物。あと香水(ぶーすとあいてむ)」

 てきぱきと荷造りをして、ついでに軽く掃除もするともう辺りは暗くなってきた。忘れていたのでポストを見ると、故郷からの『帰ってくるな』手紙に混じって立派な書簡が一通混ざっていた。

「パンクリアース学園じゃと? 何の用じゃ」

 そもそもどうやってこの家をつきとめたのか。開封してみる。

「ふむふむ……、住居完備、三食昼寝付き(魔法使いの塔へご招待)。一生涯保証(実験動物扱いで)とな」

 ちょっとばかり、いや本当はかなり魅力を感じてしまったが、外出制限がきつそうなのでお断りすることにした。これでも、故郷を救うための調査を諦めたつもりはない。

「エーテルがどうのこうので土地が腐る、と言う不思議さであるなら、わらわの体質も大差ないのじゃろうがな」

 自分の事が250年かけてさっぱりわからないのに、腐る森の事など簡単にはわからないのかもしれない。でも、わかったことはないわけではない。100の悪臭に1を足せば101の悪臭になる。100の悪臭に50の良い匂いを混ぜると、差し引きで50になるかといえばそうではなく、だいたい150の悪臭になる(今回は見せなかった最臭奥義である)。そう思えば、森の事も、余計な足し算をしたら悪化しそうだな、とは思うのだ。原因をスパッと解決できれば何よりなのだが、サーヤにはあてがない。頭のいい誰かを口説き落とすのも、年齢……ではなく体質的にちょっと難しい。やはり、地道にお金を稼ぐしかないという結論に戻ってきた。

 今日も大体いつも通りの日々で、「匂い使い」としての特別さを世間にアピールする事には失敗してしまった。明日にはきっと、サーヤの特別な良さを世界が認めてくれる時が来るわけはないのだが、まあいつも通りに平和な日が過ごせると良いな、と。ささやかな願いを胸に、彼女は眠りにつこうとする。

「やっぱこの布団くっせーわ」

 そうだ、布団干そう。明日は晴れると良いな、と思いながら今度こそ夢の国へ向かうサーヤであった。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0