七鱗の疵跡 上
キャラクターノベル制作 STANZA納品 2021年06月25日 16時11分29秒
サイラスの母親はヒューマンだった。
もちろん生物学的な母親ではない、育ての親という意味だ。
卵を一括で孵化させて集団で育てるのは、リザードマンの間ではごく一般的なことだ。
だが彼が育ったコミュニティは、色々な意味で一般的ではなかった。
当時の彼には知る由もなかったが、信仰心が篤いと言える範囲を遥かに超えて、あらぬ方向に突き抜けていたのだ。
まず、そこの大人達は卵を産まない。
その代わり、他所のコミュニティから卵を奪って来る。彼もその一人、いや一個だった。
集落には卵や子供達の世話をするヒューマンの女が何人かいた。
雇われていたのか、奴隷的なものだったのか――恐らく後者だろうが、女達は与えられた仕事の範囲を超えて子供達に関わる事をしない。
だが彼女――子供達がバーサンと呼んでいた女、マーサだけは違った。
「バーサン、今日のおやつ何?」
子供達が腹を空かせて厨房に顔を出すと、彼女はいつも「大人達には内緒だよ?」と言いながら、おやつの饅頭を出してくれた。
本当は「何?」などと訊くまでもない。
この清貧を旨とする集落では、材料はいつも同じ、畑でとれた芋と雑穀。そこに残り物や野菜くずでバリエーションを加えるのがせいぜいだ。
「もう少し種類があると良いんだけどねぇ。それに本当は、中に甘いあんこを入れるのよ」
彼女はそう言ったが、その練って蒸しただけの、ほんのり甘い素朴な菓子は彼等の好物――集落の暮らしで殆ど唯一の楽しみだった。
集落の大人達にとって、子供はただの労働力。
巣と呼ばれる養育場で行われる子育ては、家畜の飼育と変わらない。
個人差はあるが、大体は5歳から7歳くらいで巣を卒業するまでに必要な技能を叩き込まれ、それ以後は一人前の労働力として扱われる。
食事の支度から掃除洗濯、農作業など、集落の運営に必要なことは全て子供の仕事だった。
大人達は何もしない。
何もしてはいけないのだ。魂を磨くための修行と称して、日がな一日征竜に祈りを捧げることの他には。
食事さえも最低限、歌舞音曲は禁止、遊びなど以ての外、性行為など言語道断――
「お前達もいずれはその資格を得られる、その魂を磨き続け、清貧を心がけておればな」
長老はいつもそう言っていたし、サイラスもそれを疑わなかった。
修行中の大人達は魂の抜けた人形にしか見えなかったが、それでも、あの大人達のようになることが何よりの幸福だと信じていた。
――あの時までは。
サイラスが6歳になる少し前、マーサが死んだ。
顔も手も皺だらけで髪は真っ白だったから、かなりの高齢だったのだろう。
病か寿命か、それはわからない。
「今度はいつ生まれてくる?」
死の間際、彼はマーサに訊いた。
彼女は首を振った。
「私達は、あなた達とは違うの」
その時初めて、種族というものを意識した。
自分達とは異なる魂の在り方を知った。
「じゃあオレが竜になって、バーサンをオレ達みたいにしてやるよ」
蜥蜴の願いを聞き届けた征竜が、自分達を竜人に変えたように。
竜になれば、きっとそれくらい簡単だ。
「だって竜はスゴイんだから!」
その時、誰か年長の子供が言った。
「お前が竜になれるわけないだろ、前世の記憶もないくせに」
彼はもう156回目の転生だと言っていた。
(……アホなのこいつ?)
サイラスは思った。
まずその記憶というのが怪しいし、それが本当だとしても156回も転生してまだ竜になれないとか、どんだけポンコツなのか。
これ転生で竜になるとかガセじゃね? 無理ゲーじゃね? 最初から詰んでね?
初めて明確に、そう思った。
マーサは粉々に砕かれて、畑の土に混ぜられた。
本当はマサヨという東洋風の名前なのだと知ったのは、かなり後になってからのことだった。
それからすぐ、彼は一人前になった。
やがて真面目によく働く良い子だと評判になった。
だからそのご褒美に、巡礼に同行する許可を得た――と、思っていた。
それは修行者の中から選ばれた数人が、征竜が棲むと言われる聖地に向かって旅をするもので、武者修行の旅「マナズィール」を真似て「ズィーリィ」と呼ばれていた。
一行は修行者が二人に護衛の戦士が二人、それにサイラスの他に子供が二人という小規模な編成だった。
子供達の名前はカイアスとフィーニス、いずれもマーサに育てられた、サイラスにとっては兄弟の様なものだ。
彼等は最初、その旅を素直に喜び、選ばれたことを誇りに思っていた。
「征竜様ってどこにいるんだろうな」
「決まってないらしいよ、だから探して旅をするんだって」
「会えたらどうなるんだ?」
「その場ですぐに竜にしてもらえるって聞いた」
「会えなかったら?」
「会えるまで旅を続けるんだよ」
もし会えないままで死ぬことがあっても、それまでの旅路は全て征竜が見ていてくれる。
だから次の転生では、より徳を積んだ状態から始められるのだと大人達は言っていた。
「征竜って、そういうアレだったか?」
サイラスは疑問に思う。
征竜は遥かな昔、彼等リザードマンに恩恵を与えてくれた。
それは事実なのだろうと思う。
だがそこから先は彼等自身の努力と精進あるのみ、という話ではなかっただろうか。
(なんか胡散臭いんだよな)
それでも、旅に出ること自体は楽しみだった。
サイラスも、他の誰も、集落の外に出たことがなかったのだ。
しかし――
「おい、メシの用意はどうした?」
護衛の戦士が彼等を見下ろし、不機嫌そうに地面に尾を叩き付ける。
旅の間も彼等の仕事は変わらない――いや、寧ろ増えていた。
食事の支度に洗い物、修行者の身の回りの世話、食料や水の調達、それに移動中の荷物の運搬。
修行者は相変わらず何もしない。
戦士も何もしない。ただ偉そうに彼等を監視し、威張り散らしているだけだ。
「カネが足りねぇ? だったら盗め、それが嫌ならどれか一匹売っぱらってこい」
ある日、戦士の一人が言った。
「お前ら何のために連れて来てると思ってんだ? 小間使いなんざ一匹いりゃ充分なんだよ……知ってるか、リザードマンのガキってな結構良い値で売れるんだぜ?」
いざとなれば非常食にもなる――そう言って、そいつは長い舌で口の周りをぺろりと舐めた。
「逃げよう」
奴隷のような生活が続いたある夜、カイアスが言った。
無理だ――サイラスは思った。
だが止めはしなかった。
好きにすればいいと思った。
死に方くらい、自分で決めてもいいだろうと。
翌日、野営地に祭壇を作れと命令された。
「内臓と肉はきっちり分けろよ、血抜きも丁寧にな。そうしないとすぐに腐るぞ。鱗は丁寧に剥がせ、ドラゴンの鱗って言や飛びつく馬鹿もいる」
征竜への貢物が祭壇に捧げられた。
まだ未熟な子供は、死後に転生の輪から外れて迷子になってしまうことがある。
だがこうして肉体を征竜に捧げられることで、無事に転生の輪に戻ることが出来ると、大人達は信じていた。
フィーニスはそれから、口をきかなくなった。
何も食べなくなった。
それから暫くして、また別の野営地に祭壇が作られた。
「なあ、サイラス? てめぇは逃げようなんて思わないよなぁ?」
頷くしかなかった。
「よぉし、良い子だ……やっぱりお前は見込みがあるな、さすが七鱗だ」
首の後ろにあった筈の、七枚の鱗。
その剥がされた跡が、熱く燃えていた。
もちろん生物学的な母親ではない、育ての親という意味だ。
卵を一括で孵化させて集団で育てるのは、リザードマンの間ではごく一般的なことだ。
だが彼が育ったコミュニティは、色々な意味で一般的ではなかった。
当時の彼には知る由もなかったが、信仰心が篤いと言える範囲を遥かに超えて、あらぬ方向に突き抜けていたのだ。
まず、そこの大人達は卵を産まない。
その代わり、他所のコミュニティから卵を奪って来る。彼もその一人、いや一個だった。
集落には卵や子供達の世話をするヒューマンの女が何人かいた。
雇われていたのか、奴隷的なものだったのか――恐らく後者だろうが、女達は与えられた仕事の範囲を超えて子供達に関わる事をしない。
だが彼女――子供達がバーサンと呼んでいた女、マーサだけは違った。
「バーサン、今日のおやつ何?」
子供達が腹を空かせて厨房に顔を出すと、彼女はいつも「大人達には内緒だよ?」と言いながら、おやつの饅頭を出してくれた。
本当は「何?」などと訊くまでもない。
この清貧を旨とする集落では、材料はいつも同じ、畑でとれた芋と雑穀。そこに残り物や野菜くずでバリエーションを加えるのがせいぜいだ。
「もう少し種類があると良いんだけどねぇ。それに本当は、中に甘いあんこを入れるのよ」
彼女はそう言ったが、その練って蒸しただけの、ほんのり甘い素朴な菓子は彼等の好物――集落の暮らしで殆ど唯一の楽しみだった。
集落の大人達にとって、子供はただの労働力。
巣と呼ばれる養育場で行われる子育ては、家畜の飼育と変わらない。
個人差はあるが、大体は5歳から7歳くらいで巣を卒業するまでに必要な技能を叩き込まれ、それ以後は一人前の労働力として扱われる。
食事の支度から掃除洗濯、農作業など、集落の運営に必要なことは全て子供の仕事だった。
大人達は何もしない。
何もしてはいけないのだ。魂を磨くための修行と称して、日がな一日征竜に祈りを捧げることの他には。
食事さえも最低限、歌舞音曲は禁止、遊びなど以ての外、性行為など言語道断――
「お前達もいずれはその資格を得られる、その魂を磨き続け、清貧を心がけておればな」
長老はいつもそう言っていたし、サイラスもそれを疑わなかった。
修行中の大人達は魂の抜けた人形にしか見えなかったが、それでも、あの大人達のようになることが何よりの幸福だと信じていた。
――あの時までは。
サイラスが6歳になる少し前、マーサが死んだ。
顔も手も皺だらけで髪は真っ白だったから、かなりの高齢だったのだろう。
病か寿命か、それはわからない。
「今度はいつ生まれてくる?」
死の間際、彼はマーサに訊いた。
彼女は首を振った。
「私達は、あなた達とは違うの」
その時初めて、種族というものを意識した。
自分達とは異なる魂の在り方を知った。
「じゃあオレが竜になって、バーサンをオレ達みたいにしてやるよ」
蜥蜴の願いを聞き届けた征竜が、自分達を竜人に変えたように。
竜になれば、きっとそれくらい簡単だ。
「だって竜はスゴイんだから!」
その時、誰か年長の子供が言った。
「お前が竜になれるわけないだろ、前世の記憶もないくせに」
彼はもう156回目の転生だと言っていた。
(……アホなのこいつ?)
サイラスは思った。
まずその記憶というのが怪しいし、それが本当だとしても156回も転生してまだ竜になれないとか、どんだけポンコツなのか。
これ転生で竜になるとかガセじゃね? 無理ゲーじゃね? 最初から詰んでね?
初めて明確に、そう思った。
マーサは粉々に砕かれて、畑の土に混ぜられた。
本当はマサヨという東洋風の名前なのだと知ったのは、かなり後になってからのことだった。
それからすぐ、彼は一人前になった。
やがて真面目によく働く良い子だと評判になった。
だからそのご褒美に、巡礼に同行する許可を得た――と、思っていた。
それは修行者の中から選ばれた数人が、征竜が棲むと言われる聖地に向かって旅をするもので、武者修行の旅「マナズィール」を真似て「ズィーリィ」と呼ばれていた。
一行は修行者が二人に護衛の戦士が二人、それにサイラスの他に子供が二人という小規模な編成だった。
子供達の名前はカイアスとフィーニス、いずれもマーサに育てられた、サイラスにとっては兄弟の様なものだ。
彼等は最初、その旅を素直に喜び、選ばれたことを誇りに思っていた。
「征竜様ってどこにいるんだろうな」
「決まってないらしいよ、だから探して旅をするんだって」
「会えたらどうなるんだ?」
「その場ですぐに竜にしてもらえるって聞いた」
「会えなかったら?」
「会えるまで旅を続けるんだよ」
もし会えないままで死ぬことがあっても、それまでの旅路は全て征竜が見ていてくれる。
だから次の転生では、より徳を積んだ状態から始められるのだと大人達は言っていた。
「征竜って、そういうアレだったか?」
サイラスは疑問に思う。
征竜は遥かな昔、彼等リザードマンに恩恵を与えてくれた。
それは事実なのだろうと思う。
だがそこから先は彼等自身の努力と精進あるのみ、という話ではなかっただろうか。
(なんか胡散臭いんだよな)
それでも、旅に出ること自体は楽しみだった。
サイラスも、他の誰も、集落の外に出たことがなかったのだ。
しかし――
「おい、メシの用意はどうした?」
護衛の戦士が彼等を見下ろし、不機嫌そうに地面に尾を叩き付ける。
旅の間も彼等の仕事は変わらない――いや、寧ろ増えていた。
食事の支度に洗い物、修行者の身の回りの世話、食料や水の調達、それに移動中の荷物の運搬。
修行者は相変わらず何もしない。
戦士も何もしない。ただ偉そうに彼等を監視し、威張り散らしているだけだ。
「カネが足りねぇ? だったら盗め、それが嫌ならどれか一匹売っぱらってこい」
ある日、戦士の一人が言った。
「お前ら何のために連れて来てると思ってんだ? 小間使いなんざ一匹いりゃ充分なんだよ……知ってるか、リザードマンのガキってな結構良い値で売れるんだぜ?」
いざとなれば非常食にもなる――そう言って、そいつは長い舌で口の周りをぺろりと舐めた。
「逃げよう」
奴隷のような生活が続いたある夜、カイアスが言った。
無理だ――サイラスは思った。
だが止めはしなかった。
好きにすればいいと思った。
死に方くらい、自分で決めてもいいだろうと。
翌日、野営地に祭壇を作れと命令された。
「内臓と肉はきっちり分けろよ、血抜きも丁寧にな。そうしないとすぐに腐るぞ。鱗は丁寧に剥がせ、ドラゴンの鱗って言や飛びつく馬鹿もいる」
征竜への貢物が祭壇に捧げられた。
まだ未熟な子供は、死後に転生の輪から外れて迷子になってしまうことがある。
だがこうして肉体を征竜に捧げられることで、無事に転生の輪に戻ることが出来ると、大人達は信じていた。
フィーニスはそれから、口をきかなくなった。
何も食べなくなった。
それから暫くして、また別の野営地に祭壇が作られた。
「なあ、サイラス? てめぇは逃げようなんて思わないよなぁ?」
頷くしかなかった。
「よぉし、良い子だ……やっぱりお前は見込みがあるな、さすが七鱗だ」
首の後ろにあった筈の、七枚の鱗。
その剥がされた跡が、熱く燃えていた。
登場キャラクター
サイラス