未だ形なき器
キャラクターノベル制作 炙りとろ左門納品 2021年05月26日 16時13分57秒
男は、少女が幼い頃から、その成長をずっと見守ってきた。冒険者として魔女と共に名声をほしいままにしていた彼は、肺を患ったことをきっかけに引退し、ヴェローナの花嫁の叔父として、教育係として日々を送ることになった。貴族としての役割に沿って娘に接する両親の代わりに、彼が愛情を注いできた存在、それが——リヴィエラ=ディ=ヴェローナである。
「遠くへ行こうか」
祭りの喧騒も遠い路地裏で、純白の衣裳を手繰り寄せて肩を震わせ、涙を溢れさせる姪に、男は静かに告げた。
● 旅路をゆく
雲ひとつない空の青さは、故郷の青とはまた違った色だ。リヴィエラは車窓から空を見上げ、ぼうっとそんなことを考える。馬車は、エラトゥーン都市同盟の栄都リブラネスタへと向かっていた。
かつて冒険者であった叔父、アレアルディ=ヴェローナに導かれ、リヴィエラは大聖堂を飛び出したその足で故郷を出た。流石に花嫁衣裳からは着替えているし、涙で崩れた化粧も落としている。貴人と怪しまれないよう質素な服に身を包みつつ、リヴィエラもアレアルディも、簡易的ではあるが武装していた。
「向こうでは、私のことは『アレアルド』と。叔父と姪であることは明かしていいけれど、名乗るときは気をつけて」
「はい、叔父上……叔父さま」
「そうだね。ふふ、ギルド長に君を紹介できるのが楽しみだ。手塩にかけて育てたんだから」
元冒険者であるアレアルディは、ありとあらゆる武芸をリヴィエラに伝授した。その結果として、彼女は数々の武勲を得ている。得意な流派こそ異なるが、リヴィエラには才能があった。これならば冒険者としてもやっていける——アレアルディはそう見立て、彼女を冒険者ギルドのあるリブラネスタへ連れていくことを決めた。
「二年だ」
アレアルディが眼前でぴっと二本指を立て、リヴィエラは顔を上げた。同じ、夜明けを映す紫色の瞳が瞬く。
「二年、冒険者をして……ヴェローナに帰るか、冒険者として生きていくかを決めなさい」
「決める……私が?」
「そうだ」
リヴィエラは目を伏せた。自分で決めろと言われて、急に不安になったのだ。
侯爵夫人となるべく日々を送っていた時は、自分の意志など問題ではなかった。「自分は、ヴェローナの花嫁という器に注がれた水だ」——そう、思っていた節さえある。
そして、今もなお。
「時間はあるよ。兄上にはきちんと連絡をしておくし」
リヴィエラの不安そうな表情を見てとって、アレアルディは柔く微笑んだ。
「ゆっくり考えなさい」
● 水の楔
馴染みの部屋。洗いざらしのベッドシーツ。月明かりを反射する白い綿布に、リヴィエラは体を横たえる。
手のひらの中には、銀のタグ。
新しい器。
そこに注がれる、私という水。
だが、器の形は、触れて確かめようにも、あまりに朧げで。
こんなに心細い気持ちは、はじめてだった。
「ああ……」
か細く漏れる溜息に、応えるものはいない。
ただのリヴィエラに、一体どれ程の価値があるというのだろう。
誰かのために努力することは、愛を思えばこそ、辛くとも耐えられた。
——誰か、私のかたちを、教えて欲しい。
もうすっかり大人であるはずなのに、まるで迷子になった気分だ。
そんな不安定な足場の上ではじまった冒険者としての日々は、彼女が不安に思うほどの不都合も問題もなく過ぎていった。季節が一巡りする頃には、彼女は十分に一人前とみなされていた。
だが、ただのリヴィエラを定義できるには至っていない。
不安からか、無意識のうちにヴェローナのリヴィエラであろうとする。貴族としての矜持に基づく振る舞いは、彼女に明確な指針を与えてくれるからだ。
約束の期日まで、残り一年。
(私は、見出せるだろうか)
目を閉じる。不安が溢れないように、蓋をする。
しっかりしなくてはいけない。
足取りは軽く。微笑みを浮かべて。
自由であるように振る舞え。
そうしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
深い深い水の底に沈んでいくような感覚の中、リヴィエラは懐かしい夢を見た。
花が咲き乱れる春の庭で、彼と出会ったこと。
並んで座り、ヴェローナの未来を語り合ったこと。
確かに同じ方向を見ていたはずなのに、いつの間にか分かれた道を戻ることもできず。彼のそばには別の少女がいる。
(あなたのために、努力したの)
滲む悲しみを、粉々に砕いてしまえたら、どんなによかったことだろう。
——今なお、一片の勇気も持てないままだ。
「遠くへ行こうか」
祭りの喧騒も遠い路地裏で、純白の衣裳を手繰り寄せて肩を震わせ、涙を溢れさせる姪に、男は静かに告げた。
● 旅路をゆく
雲ひとつない空の青さは、故郷の青とはまた違った色だ。リヴィエラは車窓から空を見上げ、ぼうっとそんなことを考える。馬車は、エラトゥーン都市同盟の栄都リブラネスタへと向かっていた。
かつて冒険者であった叔父、アレアルディ=ヴェローナに導かれ、リヴィエラは大聖堂を飛び出したその足で故郷を出た。流石に花嫁衣裳からは着替えているし、涙で崩れた化粧も落としている。貴人と怪しまれないよう質素な服に身を包みつつ、リヴィエラもアレアルディも、簡易的ではあるが武装していた。
「向こうでは、私のことは『アレアルド』と。叔父と姪であることは明かしていいけれど、名乗るときは気をつけて」
「はい、叔父上……叔父さま」
「そうだね。ふふ、ギルド長に君を紹介できるのが楽しみだ。手塩にかけて育てたんだから」
元冒険者であるアレアルディは、ありとあらゆる武芸をリヴィエラに伝授した。その結果として、彼女は数々の武勲を得ている。得意な流派こそ異なるが、リヴィエラには才能があった。これならば冒険者としてもやっていける——アレアルディはそう見立て、彼女を冒険者ギルドのあるリブラネスタへ連れていくことを決めた。
「二年だ」
アレアルディが眼前でぴっと二本指を立て、リヴィエラは顔を上げた。同じ、夜明けを映す紫色の瞳が瞬く。
「二年、冒険者をして……ヴェローナに帰るか、冒険者として生きていくかを決めなさい」
「決める……私が?」
「そうだ」
リヴィエラは目を伏せた。自分で決めろと言われて、急に不安になったのだ。
侯爵夫人となるべく日々を送っていた時は、自分の意志など問題ではなかった。「自分は、ヴェローナの花嫁という器に注がれた水だ」——そう、思っていた節さえある。
そして、今もなお。
「時間はあるよ。兄上にはきちんと連絡をしておくし」
リヴィエラの不安そうな表情を見てとって、アレアルディは柔く微笑んだ。
「ゆっくり考えなさい」
● 水の楔
馴染みの部屋。洗いざらしのベッドシーツ。月明かりを反射する白い綿布に、リヴィエラは体を横たえる。
手のひらの中には、銀のタグ。
新しい器。
そこに注がれる、私という水。
だが、器の形は、触れて確かめようにも、あまりに朧げで。
こんなに心細い気持ちは、はじめてだった。
「ああ……」
か細く漏れる溜息に、応えるものはいない。
ただのリヴィエラに、一体どれ程の価値があるというのだろう。
誰かのために努力することは、愛を思えばこそ、辛くとも耐えられた。
——誰か、私のかたちを、教えて欲しい。
もうすっかり大人であるはずなのに、まるで迷子になった気分だ。
そんな不安定な足場の上ではじまった冒険者としての日々は、彼女が不安に思うほどの不都合も問題もなく過ぎていった。季節が一巡りする頃には、彼女は十分に一人前とみなされていた。
だが、ただのリヴィエラを定義できるには至っていない。
不安からか、無意識のうちにヴェローナのリヴィエラであろうとする。貴族としての矜持に基づく振る舞いは、彼女に明確な指針を与えてくれるからだ。
約束の期日まで、残り一年。
(私は、見出せるだろうか)
目を閉じる。不安が溢れないように、蓋をする。
しっかりしなくてはいけない。
足取りは軽く。微笑みを浮かべて。
自由であるように振る舞え。
そうしているうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
深い深い水の底に沈んでいくような感覚の中、リヴィエラは懐かしい夢を見た。
花が咲き乱れる春の庭で、彼と出会ったこと。
並んで座り、ヴェローナの未来を語り合ったこと。
確かに同じ方向を見ていたはずなのに、いつの間にか分かれた道を戻ることもできず。彼のそばには別の少女がいる。
(あなたのために、努力したの)
滲む悲しみを、粉々に砕いてしまえたら、どんなによかったことだろう。
——今なお、一片の勇気も持てないままだ。
登場キャラクター
リヴィエラ=ディ=ヴェローナ