太公望と頼りになる彼の友人

キャラクターノベル(グループ)制作 夜帷かもめ納品 2021年06月06日 11時25分38秒

「んなぁお」
「そう言うなって。じきに釣れるだろうさ」
「なぁ~ん?」
「ああ、約束だ。だからお前さん、少し待っててくれやぁ」
 岸から伸びた桟橋に声がする。冷たい朝靄に包まれた湖面には、動くものがない水面を右と左に分けるように真っすぐ釣り竿が突き出されていた。竿の先から垂らされた糸は風に流され、時折り揺れては波紋をひとつふたつと投げかけている。

 声の主はパヴェル・A・サムルガチェフとその飼い猫だ。筋骨隆々たる偉丈夫であるパヴェルは、桟橋に腰を下ろして胡坐をかきつつ、両手で釣り竿を握りしめている。その横には、まだ踏む者のいない新雪のような真っ白な毛並みの猫が一匹寝ころんでいた。
 たびたび催促の声を上げる白猫とは対照的に、パヴェルはいたってのんびりしたものである。竿先を何度かしゃくって魚が食いつかないのをみると、竿を上げてから再び仕掛けを投げ込む。ゆっくりと浮きが沈んで、もう一度浮いてくるのを眺めてやり、傍らの猫へと向き直った。空腹を訴える猫の尻尾がこまかく左右に揺れている。どうやら相当に腹の虫の居所が悪いらしい。
「そう焦れるなって。お前さん、焦ったら狩りは上手くいかないぜ?」
 パヴェルは思わず苦笑した。

「おはようございます、パヴェルさん」
 見慣れた背中を桟橋に見つけ、ネーヴェ・グラヌローザは声を掛けた。それを聞いて、パヴェルもぐい――と腰を伸ばして振り返る。
「おお、ネーヴェの嬢ちゃん。おはようさん」
「お早いのですね」
「まあなぁ。こいつ(・・・)が腹が減ったって鳴くものだから」
「ふふっ、なるほど」
「なぁん」
 パヴェルがネーヴェに言葉を返すと、それに白猫が続いた。先客の鳴き声にネーヴェの腕から黒猫がぴょんと飛び降りる。
「あら、アーテル」
 兄弟を見つけたアーテルは、再会を喜ぶように鼻を摺り寄せた。そんな二匹の様子を見ながら、ネーヴェも釣り竿に仕掛けを結び終える。

「いつ頃からこうしているんですの?」
 まだ魚の影も形もない籠を覗き込んで、ネーヴェはパヴェルに問いかける。二人の持つ竿には魚のアタリは来ない。
「ん? いや、ついさっきだなぁ」
「そうなんです?」
「おう。その前は鍛錬をしていたんだ」
 だから魚が釣れないと、俺も腹が減ってしまうとパヴェルは笑う。それにつられる様に、ネーヴェもほほ笑みを浮かべた。
「それは大変。頑張って朝ごはんを釣らないといけませんですわね」
 遠くの方で、魚が跳ねる。あれは届かないだろうと、パヴェルが言った。ネーヴェも頷いて、立ち上がる。陽が少し高く昇り始めて湖面の照り返しが眩しい。ポイントを変えて桟橋の根元の淀みに狙いを定めると、静かに仕掛けを落としていった。

「おぉい、あんまり遠くに行くんじゃないぞぉ」
 飼い主たちが話に花を咲かせている間に、子猫たちは湖から少し離れた漁師小屋の方へと行っていた。網や船、大きな浮きなどが陸に干してあるのは、遊び盛りの子猫にとっては宝の山だ。目の届く所にいるように――ともう一度呼びかけると、しばらく駆けまわって遊んだ後で二匹はパヴェルとネーヴェの下へと帰ってきた。
「おかえりなさい、アーテル」
「たくさん遊んできたなぁ。じきにお前さんの魚も釣れるからなぁ」
 パヴェルが竿を片手に、空いた手で猫の尾の付け根を撫でてやると、二匹は目を細めた。
「そういえば。パヴェルさんの猫ちゃんのお名前……まだ聞いていませんでしたわ」
 こっちにもおいでとネーヴェが手を伸ばすと、パヴェルから離れて白猫は彼女へ鼻を寄せる。
「いやぁ……それがな」
 珍しいことに歯切れが悪く言葉を濁したパヴェルは、「まだ決まってねぇんだ」と頬を掻いた。
「んなぁお」
 そんな飼い主を少し咎めるように、白猫が鳴く。
「あら、そうなんですの?」
「いやぁ、名前を呼ばずとも言う事は聞くし、こっちに着いてきてくれるからなぁ……」
「それは確かにそうですわ。でも」
「それに、あれだ。俺、あんまり名前とか付けんの、得意じゃねぇし」
「なるほど……それなら魚が釣れるまでの間、一緒に猫ちゃんのお名前を考えるのはいかがですかしら?」
「なぁお!」
「おぉ! それはありがたい。いや、確かに名前が無いのはかわいそうだしなぁ」
 ネーヴェの提案に、パヴェルはひざを打って同意する。その大きな音に驚いて、二匹の猫は走って逃げていった。
「ん、あぁ! すまんすまん。おぉい、帰ってこぉい!」
 竿を置いて猫を追いかけていったパヴェルの姿に、ネーヴェの笑みも深くなる。

「てゅ~る」
「それは猫のご飯の名前ですわ」
「サクサク」
「美味しそうです。魚が釣れたら、フライにするのも良いかもしれませんわ」
「シガレット」
「おやつにはまだ早いのでは?」
「うぅむ」
 試しにと名前の案を挙げるパヴェルだが、どれもが食べ物に関連した名前になってしまう。
「パヴェルさんらしくて、面白いお名前だとは思いますけれど」
 そう思うでしょう? と傍らの子猫に問いかけると、二匹がそろって鳴き声をあげた。
「しかしなぁ。いま一つ締まらないのはどうにかならないかなぁ」
 頭を掻いて、照れ隠しのように仕掛けを湖に投げ入れるパヴェル。その横顔を見つつ、ネーヴェも「そうですわねぇ」と首を傾げた。その視線が、白猫の瞳と交わる。
「うなぁ?」
 水宝玉のようなその瞳は、水面からの光を照り返してきらきらと輝いていた。

「あなたのその眼。丸くって青くて、とても綺麗ですわね」
 ネーヴェは言葉を掛けながら、白猫へと手を伸ばす。屈んで視線を合わせると、彼女自身の姿が映って見えた。
「――そうですね。海を意味する単語や、毛並みを表す名前はどうでしょうか」
「例えば?」
 自分の中に湧き上がる考えをまとめるように、ゆっくりと呟くネーヴェ。パヴェルは彼女が意図する内容を、まだ掴み取れてはいない。
「そうですわね……マール(mar)」
「マール?」
「青い、澄んだ海とまんまるな瞳をかけてみましたのですが」
「なるほど。面白いなぁ」
「あるいは……フーア。ふわふわな毛並みもこの子の特徴だと思います」
「マールに、フーア。どっちも音の響きがいいな」
「いかがでしょうか?」
「俺は気に入ったぜぇ」
 お前さん、どっちが好きだい? パヴェルは猫へと呼びかける。
「なぁお」
「そうだな、分からないよなぁ……どうしたもんかねぇ」
 思案するパヴェルの足元に、アーテルが寄ってくる。気が付けば、置いた竿が引いていた。
「おっと、釣れたかな!」
 慌てて彼が糸を手繰り寄せると、大きな鯉が掛かっていた。これなら皆で分けても十分だろう。
「教えてくれてありがとなぁ――えぇと」
「アーテル、ですわ」
「アーテル、か。助かったぜぇ……そうだ!」
 針から鯉を外したパヴェルは、何かを思いついたように叫んだ。
「アーテル。せっかくだから、お前さんの名前から一つ文字を借りさせてもらうぜぇ」
「にゃぁ!」
「よし。フーア、お前さんの名前は今日からフーアだ。魚も釣れたことだし、帰って皆でご飯にしようぜぇ」
「ふふ、それはいい考えですわ。フーアにアーテルも、それでいいですかしら?」
「んなぁお」「にゃん」
「よし、決まりだ! いや、ネーヴェの嬢ちゃんに相談して良かった」
 鯉を籠へ入れると、パヴェルは満足げに立ち上がる。その足元には二匹の子猫がじゃれついていた。その様子を見ながら、ネーヴェは友人の力になれてよかったと。
 ひとり頷いてから皆の後を追ったのだった。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0