顔も知らない誰かを明日へ
キャラクターノベル制作 九蓮宝燈納品 2021年05月17日 14時50分47秒
ブレイブ・レオンハートは辺境の農村に生まれた。
生家は村の御三家を称する土地持ちで、数軒の小作人家族の面倒を見ていた。
ブレイブは六人きょうだいの長子で、跡継ぎとして他の子供とは区別されて育った。
読み書き、算術、武芸といった、農地の経営や村の防衛に必要な教養はもちろん、次期家長としての価値観を植え付けられた。
曰く。
――男たるもの弱音を垂れ流すなかれ。
――敬意は女子供を守る強さと責任の見返りと知れ。
――弱味を見せるな。守るべきものを不安にさせるな。
自分の望みとは関係なく、勝手に優遇された。その見返りとして、いささか躾というには苛烈な性格の矯正を強いられた。
ブレイブの心には抑圧という楔が執拗に打ち込まれ続けたものの、生来の人のよさが失われることはなかった。
表面的には、時折意固地になることがあるが、基本的に陽気で、目上に従順、目下には面倒見がよいという印象を与える青年に育った。
つまり、田舎っぽく純朴な、ごくごく平凡な――理想的な――農民である。
大人たちはこの結果に満足、あるいは物足りないながらも妥協した。
多少変わったことといえば、ブレイブと従妹のノーレッジが、時を前後して【神の祝福】を受け、授恵者となったことであろう。
もとより村の有事の際には先頭に立つ立場だったブレイブ。少々強くなったとしてもとくに下克上となるわけではない。
多少御三家の他の二家より力をつけることにはなったので睨まれるようにはなった。が、あくまで多少であった。レオンハート家は、嫡子ブレイブは手元に置かざるを得なかったが、ノーレッジのほうは村の外に修行に出して自ら戦力を削ぎ、妬みを回避した。女子はいずれ嫁に出すのだから……と、期待させることの一つや二つも言ったのだろう。
とにかく、ブレイブは授恵者になったからといって危険視されることもなく、村の中での評価は『平凡な青年』であり続けた。
辺境はエーテルによる影響で、極北に近いにもかかわらず温暖な気候である。
二人の祝福が、その後に起きた気候に影響しているエーテルの局地的変動の予兆であったのかもしれない。
その年の夏は涼しく、長雨だった。
収穫は芳しくなく、蓄えのない貧しい小作人の生活は困窮した。
ブレイブは狩猟で得た二羽の山鳩を持って、生家が土地を貸しているとある家族を訪問した。
この家は若い夫婦と赤子が一人。
妻のほうは産後の体力の回復が思わしくなく、あまり多くの仕事をこなせないため、村の中でもとくに貧しい家庭だった。
「これ、旦那さんと食いな。ジョン坊起きてっか?」
在宅だった妻に鳩を渡し、ブレイブは家に入った。ジョン坊とは赤子の名である。
揺り籠にはふにゃふにゃとしたジョン坊がすっぽり納まっていた。昼寝はしておらず、指をねぶり足を動かして、意味のない声を発している。
「よしよし、お前はかわいいなぁ」
ブレイブはジョン坊の腹を撫でたり頬をつついたりしてかわいがった。
手袋を片方裏返してもう片方の指で結わえ、手首部分を結び目に被せて人形を作る。
それをジョン坊の顔の前で振ってみせるが、ジョン坊の視線があわない。
「……その子ね。目が見えないみたいなの」
ブレイブに妻が低い声で言った。
「……そっか」
ブレイブは妻の顔も見ずに返事をした。
「お前も大変だなー。困ったことがあったら俺が守ってやっからよぉ……強く生きろよな」
ジョン坊の頭を撫でると、細い髪は柔らかく、掌がほんのり温かかった。
四日後。
ブレイブが再びこの家を訪問したとき、揺り籠は空だった。
妻は狭い家の中で壁を向いて泣いていた。夫は妻の背を撫でている。
「……何があった? ジョン坊、どうしたんだよ」
ブレイブの胃のあたりに嫌な予感が込みあげる。この家に入るまで一切の予兆がなかったことが、最悪のケースを想像させた。
――育てられないから。
夫がそう言った瞬間、ブレイブの頭の芯が一瞬にして赤熱した。
夫の胸ぐらを掴んで立たせ、壁に押しつける。
「なんでだよッ! 育てられないってどういうことだよ!」
妻の嗚咽が耳につく。
事情はこうだった。
不作のため、この家には食糧がない。他所から買う金もない。妻はもはや乳が止まって久しく、赤子の腹を満たすこともできない。
そして無理をして育てたところで、目が見えない子は労働力にはならない。
だから、夫婦二人生き残るために苦渋の決断をした。
「そんな……ジョン坊、もういないのかよ……」
ブレイブは夫婦が生活に困っているだろうとは思っていたが、そこまで逼迫しているとまでは気づかなかった。
家の中に肉を煮た匂いがした。
これは先日、自分が持ってきた山鳩だろうか。
そういえば、この家に来て煮炊きの匂いがしたことは、今日の他にあっただろうか。
あの日は、あの日は。
思い出せない。
ブレイブは家に戻って父親の部屋に怒鳴りこんだ。
今まで反抗などしてこなかった息子が血相を変えて飛び込んで来たので、父親は多少面食らった。が、訴えを聞くと、あまりのくだらなさに溜め息をついた。
「小作を守るのが地主だろ! 小作料は妥当だったのかよ。貸付とか……なんかウチができることがあったんじゃないのか!」
興奮するブレイブを父親は冷ややかに一瞥した。
「そんなことはしょっちゅう起こっている。お前が気づかなかっただけだ。いちいち気にしていたらキリがない」
「んなわけねぇよ! こんな大ごと! 騒ぎにならねぇわけねぇだろ」
「当たり前の出来事だから誰も騒がんのだ」
ブレイブは愕然とした。女子供を守るのが男だと、家族を飢えさせないのが家長の務めだと信じていた。
なのに、自分があずかり知らぬところで取りこぼした命があった。
(俺が生きてる意味あんのかよ。そんなの……)
気づかなかった自分が馬鹿で無力だった。
涙が鼻の先で雫になり、ぽたりと膝に落ちた。
その数日後。
ノーレッジの修行先に大荷物を背負ったブレイブが現れた。
「ブレイブお兄ちゃん? どうしたの?」
「家出してきた。これからエドゥノーグに行く」
「えぇ?! お兄ちゃんもう二十歳だよね」
久々に会う従妹に遅れてきた反抗期扱いされようと、ブレイブの意志は固かった。
「金が要るんだ。迷宮に潜って稼ぐ。運がよければ……」
ブレイブは言いかけて続きを飲み込む。女で分家のノーレッジに村の政治の事情を打ち明けることはできない。重要ごとは各家の家長のみで共有されるのが村のしきたりだ。
「俺は先に行ってるけど、お前も修行が明けたら来い」
「うん……修行の成果を試せるから、いいけれど」
ノーレッジは賢い娘だ。
しばらく村には帰っていないが、何か事情があるのだろうと考えた。
小さいころに憧れたお兄ちゃんが頼ってくれたという喜びもあった。
「あと一年したら必ず行くわ」
ノーレッジが約束したので、ブレイブはその日のうちに馬車に乗った。
ひと月後。
ブレイブの生家に、失踪した息子から手紙と多額の金が送られてきた。
曰く。
自分はエドゥノーグにいる。
金は村の貧しい家に配ってほしい。
生活に困った家があったら、子供を間引いたり売ったりする前に手紙で知らせてほしい。なんとか金を工面して送るので、後生だからしばらく耐えてほしい、と。
父親は呆れ、母親は息災の知らせに安堵した。
父親は早々とブレイブを見放していて、すぐ下の弟がすでに次期家長として教育され始めていた。なのでブレイブの居場所がわかっても連れ戻されることはなかった。
金の使い方は母親が説得した結果、ブレイブの意向通りにということになり、ブレイブへとその旨が返信された。
その後。
一年してノーレッジが合流しパーティーを結成。
ブレイブが迷宮に挑み始めてかなりの時間が経ったが、その間ずっと村では悪天候が続いた。
不作は軽度かつ長期、さらには局地的なもので、困窮したのはブレイブの故郷の中でもとくに貧しい小作の家だけに留まった。
付近の村や町に行けば食糧が買えたのは幸いだったのか不幸だったのか。
村を放棄するほど困りはしないが、住民全員の腹を満たせるほどは実らないという、嫌らしい状況が数年続いた。
ブレイブが強くなるにつれて収入は増え、定期的な仕送りの額も増えたが、村の貧困はそれを上回る早さで拡大していった。
ブレイブはペインキルを常用するようになった。
痛覚は人が死なないための重要な機能であり、遮断すればそれだけ死が近づくことをブレイブは理解していた。
それでも自分の弱さを克服し、死の間際まで敵の攻撃を受け続けて踏ん張ることを選んだ。
村から苦難を知らせる手紙があれば一も二もなく金を送った。
自分の苦労はパーティーメンバーをはじめ、他人には隠し、休日には隠れてカエル取りで小銭を稼いだ。
やがて報酬を求めて実力以上の依頼を受けるようになり、ときには派手に失敗した。
ある者はブレイブの自ら危険に突っこむ命知らずをあざ笑い、『野心家』『目立ちたがり屋』と評価した。
またある者は、強い意志をもって難しい仕事を乗り越える勇気を称えた。
そしていつしかブレイブはその蛮勇から、皮肉と敬意をこめて『勇者』と呼ばれるようになった。
生家は村の御三家を称する土地持ちで、数軒の小作人家族の面倒を見ていた。
ブレイブは六人きょうだいの長子で、跡継ぎとして他の子供とは区別されて育った。
読み書き、算術、武芸といった、農地の経営や村の防衛に必要な教養はもちろん、次期家長としての価値観を植え付けられた。
曰く。
――男たるもの弱音を垂れ流すなかれ。
――敬意は女子供を守る強さと責任の見返りと知れ。
――弱味を見せるな。守るべきものを不安にさせるな。
自分の望みとは関係なく、勝手に優遇された。その見返りとして、いささか躾というには苛烈な性格の矯正を強いられた。
ブレイブの心には抑圧という楔が執拗に打ち込まれ続けたものの、生来の人のよさが失われることはなかった。
表面的には、時折意固地になることがあるが、基本的に陽気で、目上に従順、目下には面倒見がよいという印象を与える青年に育った。
つまり、田舎っぽく純朴な、ごくごく平凡な――理想的な――農民である。
大人たちはこの結果に満足、あるいは物足りないながらも妥協した。
多少変わったことといえば、ブレイブと従妹のノーレッジが、時を前後して【神の祝福】を受け、授恵者となったことであろう。
もとより村の有事の際には先頭に立つ立場だったブレイブ。少々強くなったとしてもとくに下克上となるわけではない。
多少御三家の他の二家より力をつけることにはなったので睨まれるようにはなった。が、あくまで多少であった。レオンハート家は、嫡子ブレイブは手元に置かざるを得なかったが、ノーレッジのほうは村の外に修行に出して自ら戦力を削ぎ、妬みを回避した。女子はいずれ嫁に出すのだから……と、期待させることの一つや二つも言ったのだろう。
とにかく、ブレイブは授恵者になったからといって危険視されることもなく、村の中での評価は『平凡な青年』であり続けた。
辺境はエーテルによる影響で、極北に近いにもかかわらず温暖な気候である。
二人の祝福が、その後に起きた気候に影響しているエーテルの局地的変動の予兆であったのかもしれない。
その年の夏は涼しく、長雨だった。
収穫は芳しくなく、蓄えのない貧しい小作人の生活は困窮した。
ブレイブは狩猟で得た二羽の山鳩を持って、生家が土地を貸しているとある家族を訪問した。
この家は若い夫婦と赤子が一人。
妻のほうは産後の体力の回復が思わしくなく、あまり多くの仕事をこなせないため、村の中でもとくに貧しい家庭だった。
「これ、旦那さんと食いな。ジョン坊起きてっか?」
在宅だった妻に鳩を渡し、ブレイブは家に入った。ジョン坊とは赤子の名である。
揺り籠にはふにゃふにゃとしたジョン坊がすっぽり納まっていた。昼寝はしておらず、指をねぶり足を動かして、意味のない声を発している。
「よしよし、お前はかわいいなぁ」
ブレイブはジョン坊の腹を撫でたり頬をつついたりしてかわいがった。
手袋を片方裏返してもう片方の指で結わえ、手首部分を結び目に被せて人形を作る。
それをジョン坊の顔の前で振ってみせるが、ジョン坊の視線があわない。
「……その子ね。目が見えないみたいなの」
ブレイブに妻が低い声で言った。
「……そっか」
ブレイブは妻の顔も見ずに返事をした。
「お前も大変だなー。困ったことがあったら俺が守ってやっからよぉ……強く生きろよな」
ジョン坊の頭を撫でると、細い髪は柔らかく、掌がほんのり温かかった。
四日後。
ブレイブが再びこの家を訪問したとき、揺り籠は空だった。
妻は狭い家の中で壁を向いて泣いていた。夫は妻の背を撫でている。
「……何があった? ジョン坊、どうしたんだよ」
ブレイブの胃のあたりに嫌な予感が込みあげる。この家に入るまで一切の予兆がなかったことが、最悪のケースを想像させた。
――育てられないから。
夫がそう言った瞬間、ブレイブの頭の芯が一瞬にして赤熱した。
夫の胸ぐらを掴んで立たせ、壁に押しつける。
「なんでだよッ! 育てられないってどういうことだよ!」
妻の嗚咽が耳につく。
事情はこうだった。
不作のため、この家には食糧がない。他所から買う金もない。妻はもはや乳が止まって久しく、赤子の腹を満たすこともできない。
そして無理をして育てたところで、目が見えない子は労働力にはならない。
だから、夫婦二人生き残るために苦渋の決断をした。
「そんな……ジョン坊、もういないのかよ……」
ブレイブは夫婦が生活に困っているだろうとは思っていたが、そこまで逼迫しているとまでは気づかなかった。
家の中に肉を煮た匂いがした。
これは先日、自分が持ってきた山鳩だろうか。
そういえば、この家に来て煮炊きの匂いがしたことは、今日の他にあっただろうか。
あの日は、あの日は。
思い出せない。
ブレイブは家に戻って父親の部屋に怒鳴りこんだ。
今まで反抗などしてこなかった息子が血相を変えて飛び込んで来たので、父親は多少面食らった。が、訴えを聞くと、あまりのくだらなさに溜め息をついた。
「小作を守るのが地主だろ! 小作料は妥当だったのかよ。貸付とか……なんかウチができることがあったんじゃないのか!」
興奮するブレイブを父親は冷ややかに一瞥した。
「そんなことはしょっちゅう起こっている。お前が気づかなかっただけだ。いちいち気にしていたらキリがない」
「んなわけねぇよ! こんな大ごと! 騒ぎにならねぇわけねぇだろ」
「当たり前の出来事だから誰も騒がんのだ」
ブレイブは愕然とした。女子供を守るのが男だと、家族を飢えさせないのが家長の務めだと信じていた。
なのに、自分があずかり知らぬところで取りこぼした命があった。
(俺が生きてる意味あんのかよ。そんなの……)
気づかなかった自分が馬鹿で無力だった。
涙が鼻の先で雫になり、ぽたりと膝に落ちた。
その数日後。
ノーレッジの修行先に大荷物を背負ったブレイブが現れた。
「ブレイブお兄ちゃん? どうしたの?」
「家出してきた。これからエドゥノーグに行く」
「えぇ?! お兄ちゃんもう二十歳だよね」
久々に会う従妹に遅れてきた反抗期扱いされようと、ブレイブの意志は固かった。
「金が要るんだ。迷宮に潜って稼ぐ。運がよければ……」
ブレイブは言いかけて続きを飲み込む。女で分家のノーレッジに村の政治の事情を打ち明けることはできない。重要ごとは各家の家長のみで共有されるのが村のしきたりだ。
「俺は先に行ってるけど、お前も修行が明けたら来い」
「うん……修行の成果を試せるから、いいけれど」
ノーレッジは賢い娘だ。
しばらく村には帰っていないが、何か事情があるのだろうと考えた。
小さいころに憧れたお兄ちゃんが頼ってくれたという喜びもあった。
「あと一年したら必ず行くわ」
ノーレッジが約束したので、ブレイブはその日のうちに馬車に乗った。
ひと月後。
ブレイブの生家に、失踪した息子から手紙と多額の金が送られてきた。
曰く。
自分はエドゥノーグにいる。
金は村の貧しい家に配ってほしい。
生活に困った家があったら、子供を間引いたり売ったりする前に手紙で知らせてほしい。なんとか金を工面して送るので、後生だからしばらく耐えてほしい、と。
父親は呆れ、母親は息災の知らせに安堵した。
父親は早々とブレイブを見放していて、すぐ下の弟がすでに次期家長として教育され始めていた。なのでブレイブの居場所がわかっても連れ戻されることはなかった。
金の使い方は母親が説得した結果、ブレイブの意向通りにということになり、ブレイブへとその旨が返信された。
その後。
一年してノーレッジが合流しパーティーを結成。
ブレイブが迷宮に挑み始めてかなりの時間が経ったが、その間ずっと村では悪天候が続いた。
不作は軽度かつ長期、さらには局地的なもので、困窮したのはブレイブの故郷の中でもとくに貧しい小作の家だけに留まった。
付近の村や町に行けば食糧が買えたのは幸いだったのか不幸だったのか。
村を放棄するほど困りはしないが、住民全員の腹を満たせるほどは実らないという、嫌らしい状況が数年続いた。
ブレイブが強くなるにつれて収入は増え、定期的な仕送りの額も増えたが、村の貧困はそれを上回る早さで拡大していった。
ブレイブはペインキルを常用するようになった。
痛覚は人が死なないための重要な機能であり、遮断すればそれだけ死が近づくことをブレイブは理解していた。
それでも自分の弱さを克服し、死の間際まで敵の攻撃を受け続けて踏ん張ることを選んだ。
村から苦難を知らせる手紙があれば一も二もなく金を送った。
自分の苦労はパーティーメンバーをはじめ、他人には隠し、休日には隠れてカエル取りで小銭を稼いだ。
やがて報酬を求めて実力以上の依頼を受けるようになり、ときには派手に失敗した。
ある者はブレイブの自ら危険に突っこむ命知らずをあざ笑い、『野心家』『目立ちたがり屋』と評価した。
またある者は、強い意志をもって難しい仕事を乗り越える勇気を称えた。
そしていつしかブレイブはその蛮勇から、皮肉と敬意をこめて『勇者』と呼ばれるようになった。