カホールの娘
キャラクターノベル制作 蔭沢 菫納品 2021年05月04日 21時28分36秒
カホールの里は何も変わっていなかった。疲れを知らぬリザードマンの子らが走り回っては子守主の女達に追いかけられ、洗濯物は風にたなびき、そろそろ夕餉が近い家々からは、煮炊きの香りが漂ってきていた。
レイヤ・ダライ=カホールは久しぶりに戻って来た故郷を喜びを込めて探検する。上ろうとしては何度も落ちた木。宝物を隠した石の裏。友人皆で集まって、台所から『貰って来た』菓子をこっそり食べた物陰。果物を冷やすのにぴったりな泉。心がほぐれ、自然と微笑みが浮かぶ。
「レイヤ、レイヤ! どこにいるのですか、レイヤ。夕餉の準備が出来ましたよ」
遠くからフライパンをカンカンと鳴らす音と、僅かにレイヤと似た、愛情あふれるたおやかな女の声が聞こえる。
「はぁい、母様、今いきますっ」
レイヤは泉で水切り遊びをしていた子ども達に別れを告げ、家へと戻る。かつて故郷に住んでいた時と同じように、夕餉の献立に期待を込めて、足取りも軽く。
リザードマンは親の概念は非常に薄いとされるが、それには少し語弊がある。確かに卵を孵化所でかえし、子守主らがその世話をするが、少なくとも生まれ育ったカホールについては、レイヤは独特の考えを持っていた。親の概念が薄いのではなく、一族全員が家族だ、というものである。
例えばレイヤを孫のように可愛がる長老衆は祖父母に等しい存在であるし、卵親違いの子達はきょうだいのようなもの。先ほども自分より数年前に生まれた、子守主に甘えてばかりいた姉貴分の娘が、心配と興味の入り混じった様子で外の世界について様々な質問をレイヤに行っていた。その様子は実の妹を案ずる姉よりも、更に熱心であった。――彼女自身の性質もあっただろうが。
そこに弟分や妹分がわらわらと集まってきて、ちょっとした質問大会になっていた。外の様々な国のこと。様々な魔獣のこと。様々な食べ物のこと。
ともあれ、そこには他の人々が想像する親の概念の薄さ――言い換えれば家族の情の薄さはなく、一つの群れの柔らかな愛情があった。少なくとも、レイヤはそう思っている。
自宅に戻れば、広い居間に巨大なテーブルが置かれ、そこに様々な料理が置かれていた。乾かしたトマトを飾りつけた豆のペーストとパンの山。スパイスの効いた肉を野菜と一緒に串焼きにしたものは、焼きたてらしくまだ脂がじゅうじゅうと音を立てている。泉で取れた大きな白身魚は香草で包み焼きにされ、側に味付け用のくし形に切られたレモンが沢山と塩の壷が一つ。揚げ焼き肉団子はほかほかと湯気をあげ、待ちきれずナッツのはちみつ漬けをくるんだ焼き菓子の山に手を出そうとした弟の腕を、母親のシャレム・ダライ=カホールが優雅なしぐさで掴み、ねじりあげようとする。
「奥よ、そこまでしなくても良いのではないかね?」
一番奥の席にどっかと座っているセンザンコウのハーフビースト――父のバトバヤル・ダライ=カホールがたしなめるように妻に声をかける。バイザー付きのハーフヘルムで目元を隠した彼は独特の威圧感があったが、そのバイザーの下の目は丸く黒く愛嬌のあるものだとレイヤは知っていた。
「だって大事な娘が帰宅したのですよ? 先に食事を初めているなんてそんなかわいそうなこと――! さあ、レイヤ。早く席について頂戴な」
青鱗のしなやかな母に促され、レイヤは席に着く。やがて宴が始まった。近所の人々がやいのやいのと戻ってきたレイヤと話したがり――もしくはこの宴に乗っかって酒盛りを始めようとしたり――目まぐるしく出たり入ったりをする。家の外では大人達が度数の高い酒を呑みながら酔っ払って明るい歌をうたい出し、レイヤは『家族』に質問攻めにされる。
レイヤは語る。外の世界の様々な食べ物のこと。伝承のこと。匠の腕から作られる魔法のようなお菓子の数々の話をした時には、ケーキと戦を司る人魚の神の信徒達が、羨ましそうな憧れの表情を浮かべて祈りのしぐさを行った。
レイヤは味わう。久しぶりの故郷の味は、何度も旅先で思い出したもの。母の使うスパイスや塩の分量。揚げ焼き団子の中身。そしてナッツのはちみつ漬けを噛んだ時の食感と香り高さといったら!
その様子をバトバヤルとシャレムは幸せそのものといった様子で眺めている。両人ともに優れた戦士でありながら、なぜか娘は術師の技を授かった。そのことは最大の謎であったが、とはいえ上手いこと娘が外の世界でやっていることに安心している様子であった。甘やかしすぎず、しかし突き放しすぎず。その愛情にレイヤは浸る。聞き慣れた声のざわめき、騒ぎすぎる近所の大人達を脅すために母が素振りをするフライパン――それに耐えられるのは、里では父位のものであった――、そして話をねだる人々。
レイヤはしみじみと思う。長い道をたどり、久しぶりにカホールへ帰って来た、と。
レイヤ・ダライ=カホールは久しぶりに戻って来た故郷を喜びを込めて探検する。上ろうとしては何度も落ちた木。宝物を隠した石の裏。友人皆で集まって、台所から『貰って来た』菓子をこっそり食べた物陰。果物を冷やすのにぴったりな泉。心がほぐれ、自然と微笑みが浮かぶ。
「レイヤ、レイヤ! どこにいるのですか、レイヤ。夕餉の準備が出来ましたよ」
遠くからフライパンをカンカンと鳴らす音と、僅かにレイヤと似た、愛情あふれるたおやかな女の声が聞こえる。
「はぁい、母様、今いきますっ」
レイヤは泉で水切り遊びをしていた子ども達に別れを告げ、家へと戻る。かつて故郷に住んでいた時と同じように、夕餉の献立に期待を込めて、足取りも軽く。
リザードマンは親の概念は非常に薄いとされるが、それには少し語弊がある。確かに卵を孵化所でかえし、子守主らがその世話をするが、少なくとも生まれ育ったカホールについては、レイヤは独特の考えを持っていた。親の概念が薄いのではなく、一族全員が家族だ、というものである。
例えばレイヤを孫のように可愛がる長老衆は祖父母に等しい存在であるし、卵親違いの子達はきょうだいのようなもの。先ほども自分より数年前に生まれた、子守主に甘えてばかりいた姉貴分の娘が、心配と興味の入り混じった様子で外の世界について様々な質問をレイヤに行っていた。その様子は実の妹を案ずる姉よりも、更に熱心であった。――彼女自身の性質もあっただろうが。
そこに弟分や妹分がわらわらと集まってきて、ちょっとした質問大会になっていた。外の様々な国のこと。様々な魔獣のこと。様々な食べ物のこと。
ともあれ、そこには他の人々が想像する親の概念の薄さ――言い換えれば家族の情の薄さはなく、一つの群れの柔らかな愛情があった。少なくとも、レイヤはそう思っている。
自宅に戻れば、広い居間に巨大なテーブルが置かれ、そこに様々な料理が置かれていた。乾かしたトマトを飾りつけた豆のペーストとパンの山。スパイスの効いた肉を野菜と一緒に串焼きにしたものは、焼きたてらしくまだ脂がじゅうじゅうと音を立てている。泉で取れた大きな白身魚は香草で包み焼きにされ、側に味付け用のくし形に切られたレモンが沢山と塩の壷が一つ。揚げ焼き肉団子はほかほかと湯気をあげ、待ちきれずナッツのはちみつ漬けをくるんだ焼き菓子の山に手を出そうとした弟の腕を、母親のシャレム・ダライ=カホールが優雅なしぐさで掴み、ねじりあげようとする。
「奥よ、そこまでしなくても良いのではないかね?」
一番奥の席にどっかと座っているセンザンコウのハーフビースト――父のバトバヤル・ダライ=カホールがたしなめるように妻に声をかける。バイザー付きのハーフヘルムで目元を隠した彼は独特の威圧感があったが、そのバイザーの下の目は丸く黒く愛嬌のあるものだとレイヤは知っていた。
「だって大事な娘が帰宅したのですよ? 先に食事を初めているなんてそんなかわいそうなこと――! さあ、レイヤ。早く席について頂戴な」
青鱗のしなやかな母に促され、レイヤは席に着く。やがて宴が始まった。近所の人々がやいのやいのと戻ってきたレイヤと話したがり――もしくはこの宴に乗っかって酒盛りを始めようとしたり――目まぐるしく出たり入ったりをする。家の外では大人達が度数の高い酒を呑みながら酔っ払って明るい歌をうたい出し、レイヤは『家族』に質問攻めにされる。
レイヤは語る。外の世界の様々な食べ物のこと。伝承のこと。匠の腕から作られる魔法のようなお菓子の数々の話をした時には、ケーキと戦を司る人魚の神の信徒達が、羨ましそうな憧れの表情を浮かべて祈りのしぐさを行った。
レイヤは味わう。久しぶりの故郷の味は、何度も旅先で思い出したもの。母の使うスパイスや塩の分量。揚げ焼き団子の中身。そしてナッツのはちみつ漬けを噛んだ時の食感と香り高さといったら!
その様子をバトバヤルとシャレムは幸せそのものといった様子で眺めている。両人ともに優れた戦士でありながら、なぜか娘は術師の技を授かった。そのことは最大の謎であったが、とはいえ上手いこと娘が外の世界でやっていることに安心している様子であった。甘やかしすぎず、しかし突き放しすぎず。その愛情にレイヤは浸る。聞き慣れた声のざわめき、騒ぎすぎる近所の大人達を脅すために母が素振りをするフライパン――それに耐えられるのは、里では父位のものであった――、そして話をねだる人々。
レイヤはしみじみと思う。長い道をたどり、久しぶりにカホールへ帰って来た、と。