蛇はテーブルをぐるりと囲む
王立アプリーリス魔法学院 イベントノベル(テーマ)制作 あまのいろは納品 2021年05月02日 14時59分21秒
●
蛇という生き物は、怖いものや悪いものとして扱われやすい。
嫌悪の対象になることもあるけれど、蛇は知恵や生命の象徴とする側面も持っていた。
―――ビクーニャ王国、アプリーリス魔法学院。
此処にも、その蛇を掲げる寮がある。サーペント寮だ。
多くのひとが持つ印象通りサーペント寮は魔法のなかでも弱体魔法に強く、毒や薬品の研究も盛んに行われていた。
そんな寮生たちが集まれば、さぞ陰謀渦巻く黒い話がされることだろう、なんて思うひともいるかもしれないけれど。
その多くは、ちょっと研究熱心なだけの少年少女たちで、まだ年端もいかない子供たちであるから。年相応に友情も育むし、勉学に励むし、恋におちたりもする。
これは、そんなサーペント寮に属する少年少女たちの、ただの日常のお話――――……。
●
授業や部活が終われば、寮の談話室で会話を楽しむ。それは魔法学院の生徒たちの日課といってもいい。サーペント寮も同じだ。
談話室のテーブルのひとつに部活で作ったお菓子を並べているのは、アヴェラ・ウッチェロ。
彼女はソファに沈むように深く座っている人物の姿を見て、ふう、と小さく溜息を吐いた。
「鹿凛さん、また授業に出なかったんですか?」
ソファでくつろいでいた水島・鹿凛は顔を上げると、もちもちドーナツに手を伸ばしながら首を傾げた。
「授業ぅー? 別に出なくてもわかるじゃん……」
それよりお菓子のほうが大切だと、手に取ったドーナツを口へと運ぶ。おいしい! と顔を輝かせるその姿に悪い気はしないけれど。
「そのドーナツみたいにぷくぷくになってしまっても知りませんよ?」
「なるほど……。食べるほど痩せる薬品……。これを作っ」
「きゃ――――っ!!?」
どこからか聞こえてきた悲鳴によって、鹿凛の言葉は打ち消された。
けれど、サーペント寮では爆発や悲鳴は日常茶飯事である。いちいち気にするほどのことではないと、アヴェラや鹿凛をはじめとする談話室の面々は変わらずのほほんと会話を楽しんでいる。
ばたばたと近付いてきた足音を響かせる誰かが、扉を開けた勢いそのままに談話室へ転がり込んできても、やっぱりいちいち気にしない。
「ま、またスカート焦げましたっ!!」
ばたばたと燃えるスカートを叩いている彼女の名前は、エフィルミア。
彼女がうっかり爆発を起こしたりスカートを焦がしたりするのは、それもやっぱり日常茶飯事で。
「あら、火傷していない? 指大丈夫?」
アヴェラは消火活動を終えたエフィルミアの手をそぅっと取って、まじまじと観察。
舐めると治るのよ、なんて口に含もうとするから、エフィルミアは恥ずかしそうに手を引っ込めた。
「ふふふ、1年生は元気でいいね」
くすくす、楽しそうな笑い声。賑やかな様子を微笑ましそうに見ていた漆原・香墨はそう言って、彼女たちが集まるテーブルへと近付いた。
隣良いかなと確認すると、近くのソファへと優雅に座り直す。その瞬間、とろけそうな良い香りがふわりと漂う。
「みんな授業はついていけてるかな?」
「なーんでみぃーんな、授業授業ってー……。そんなことよりお茶しましょう! いいお茶っ葉入ったんですよー!!」
「あはは。分からないことがあったら聞いてくれていいよって言いたかっただけだよ」
不満げに紅茶缶を揺らす鹿凛に、頼れるひとは多いほうがいいからね、と香墨は微笑んで。他に頼れそうなひとは、ときょろりと辺りを見回した。
「ああ、いた。先輩、パヴェル先輩!」
談話室の角、紫色のベルベットのカーテンで区切られた向こう。香墨はその暗がりに向かって軽く手を振る。
何も見えず1年生たちが首を傾げて様子を伺っていると――。
びくり、と。僅かに影が動いて。カーテンの影から、パヴェル・A・サムルガチェフがそろぉり、と顔を覗かせた。
「…………ああ、その。……よ、呼んだか?」
自身に注がれる視線に、パヴェルの視線は不安そうに行ったり来たり。またカーテンの向こうへ引っ込みそうになるパヴェルのもとへ駆け寄ると、香墨はぐいと腕を掴んだ。
「ほらほら、たまには談笑するのも悪くないだろう?」
「お、俺に出来ることなら、なんでもするが……。……その、俺は……」
おどおどと居心地が悪そうにしながらもカーテンの影から引っ張り出されたパヴェルは、促されるままソファに座る。
その気弱そうな態度からは想像もできないがっしりとした体格のパヴェルである。そっと座ってもソファはずっしりと沈み、同じソファに座った香墨の身体が僅かに傾いた。
まだ学園に来たばかりの1年生たちは、あの気弱な性格が彼の持つ元々の性格だと思ったことだろう。
(ふわっとしたおみみが生えてる……)
(ふむ、大きくて素敵な手ですね。筋張っている手の指も良いものです)
おおきな身体をちいさく丸めて不安そうに眼を泳がせる姿は、見た目から感じる印象とはだいぶちぐはぐしていて、なんだか可愛らしい。
彼をテーブルに迎えた1年生たちは、そんなことを考えたひともいたことだろう。けれど、パヴェルにとっては、自分に向けられる視線はすべて居心地の悪いもの。
だって、この姿は。身体の一部が獣と化したこの姿は。――彼の、ほんとうの姿ではなかったから。
「…………お、俺は、パヴェル・A・サムルガチェフ、だ……。……その、俺に出来できることなら、なんでも言ってくれ。協力しよう……」
途切れ途切れになりながらも、なんとか言い切った。ほう、と思わず一息吐いたパヴェルだったけれど。
パヴェルの後ろから、何かの影がぴょっと飛び出したものだから。パヴェルは身を守るように慌ててその場から飛び退いた。
がしゃんっとおとが響いて。ぐわんぐわんと揺れるテーブル、飛び退いた勢いで倒れたソファ。気配を察知してすぐに立ち上がった香墨は、倒れるソファに巻き込まれずに済んだ。
「――――ッ!?」
「何の話してるんスか? 面白そうな話なら俺にも1枚噛ませて下さいよー」
不意に現れた少年は、パヴェルに手を差し伸べるけれど。手を取りそうにないと思ったのか、手を引っ込めると口角をにぃんまりと持ち上げた。ギザギザの歯がにまりと覗く。
「あ。どもどもー、1年の服部ッス! 同輩も先輩方もどうぞよろしくお願いしまーす!」
軽い調子で挨拶をした服部・閑蔵は、倒れたソファを起こすとその真ん中にどっかと座り込む。お皿から投げ出されたドーナツをひとつ摘まむと、ぱくっと口へ放った。
●
さてさてさて。それじゃあ、楽しいティータイムも仕切り直し。
テーブルの上にお菓子を広げたら、人数分のティーカップを並べよう。お皿が足りない? 魔法を使って増やしたら?
お菓子はたっぷりあるけれど。お茶のお供に楽しいお喋りも添えれば、なんて素敵なティータイム!
――――ああ、でもこれは蛇たちのお茶会。それをゆめゆめお忘れなきように。
「このお茶美味しいですねー」
ティーカップを口へ運んだエフィルミアの周りにほんわり花が舞う。その横でガトーショコラを手に取ったパヴェルもこくりと頷いた。
次々とお菓子が消えていくのを見るに、多くは語らないがきっと彼も美味しいと思っているのだろう。
愛らしい少女と、おおきな先輩。普通にしていたら交わることのなさそうなふたりが並ぶ姿は、見ているだけでなんだかほのぼのとした気分になる。
その向かいでは、先ほど彼を随分と驚かせた閑蔵がお茶にお菓子にお喋りにと、忙しなく口を動かしていた。
「あ、これからの学院生活に役立ちそうな情報とか知ってます? 大歓迎ッスけど」
「ふふ、ぜんぶ教えてしまったら面白くないだろう?」
香墨がそう答えれば、ちぇ、とちょっと唇を尖らせて。
「お菓子食べる? 今話題のやつ買って来たの!」
「手触りがなんか変わってるっスけど……。ま、流行りなら大丈夫ッスよね」
鹿凛が差し出した話題だという独創的なお菓子も、躊躇わずぽいっと口に放る。
閑蔵が選んだのは一口サイズのチョコレート。――――と、思いきや。形はチョコレートであるけれど、手触りは大福のように柔らかい。口に含めば、ピーナッツの味がした。
「なん……、えっ。なんスかこれ? 悪戯ッスか?」
鹿凛の話によると、これは味も見た目も感触もすべてが不揃いなあべこべスイーツだそうだ。運が悪いと舌先がぴりりと痺れたりもするらしい。
「……はぁ~……。…………これは、悪戯の幅が広がる予感……」
ぼそり。閑蔵の口から何やら不穏な言葉が聞こえた気がするけれど、気にしたらいけない。
「口直しがてら、ひとつどう?」
「わあっ、形も可愛いですね!」
アヴェラが差し出したものを見て、エフィルミアの瞳がきらきらと輝いた。
それは、部活で作ったというクッキー。星やハート、クマなど様々な形でくり抜かれて、見た目も可愛く楽しめる。
エフィルミアは早速ひとつ摘まんでぱくり。さっくりとした香ばしい食感と、たっぷり使ったバターの風味が口いっぱいに広がった。
「とっても美味しいです!」
美味しそうにクッキーを頬張るエフィルミア。同級生たちも美味しそうにクッキーを口へ運ぶ。
けれど、香墨とパヴェルはクッキーに手を伸ばしはしたものの、なかなか口へと運ばない。――それもそのはず。上級生である彼らはお菓子を使った悪戯も、痛いほど、それはそれは痛いほど身に染みて分かっているから。
「…………毒は入っていませんよ。いつか入れてみようとは思っているけれど」
そんなふたりの様子に気付いて、ほんのちょっとだけむぅっと不満そうな表情を見せたアヴェラ。パヴェルはそれに気付くと慌ててクッキーをぱくっと口に放る。
例えこれを食べたことで身体が動かなくなったとしても、これも後輩のため。後悔はない。――パヴェルが胸の中でそんな漢気を抱いていたことは、きっと誰も気付かないだろうけれど。
「……うん、美味しい……。…………ありがとう」
「お礼なんて……。それよりこれに毒を入れても気付かれないよう、匂いをきつくした方がいいかしら?」
「それは逆に怪しまれる気がするなあ」
悪戯を警戒しながらも、香墨は後輩へのアドバイスは忘れない。
易々と悪戯されるつもりはない。けれど、いつか後輩たちが自分への悪戯を成功させる日が来ることを、ほんのすこしだけ楽しみにしていたりもするのだ。
形は違えど、ふたりとも先輩として後輩たちのことを思っている。
今はまだ、それに気付けはしないだろうけれど。彼らが成長していけば、あれは分かりにくい優しさであったのだと気付く日もくるだろう。
「みーんな真面目すぎだよう。折角のティータイムなのに難しいばっかりしてえ」
鹿凛は机にだらっと身体を預けたまま、カップを引き寄せずずっと紅茶を啜る。
彼女にとって魔法や薬品の研究は、考えるより感じたままにするものだったから。
真面目な話がちょっぴり退屈に感じてしまうのは、難しく考えなくてもなんとなく出来てしまう天才肌故の悩みかもしれない。
「俺も魔法薬や毒薬の類は専ら使う方で、作ったりとか研究っていうのはさっぱりです。みんな色々考えてるんスねー」
でも、面白い使い方とか応用なら得意分野ですよー! と、閑蔵はけらけら笑う。笑いながら、水島さんも面白い使い方考えるのはどうですか、なんて言葉も付け加えて。
「面白い使い方か~……」
「あっ! 面白いかは分かりませんが、こんなのがありますよ」
むむむと悩んでいる鹿凛へ、エフィルミアが小さな小瓶を差し出した。中に入っているものは、角砂糖のように見える。
「…………これは?」
「この前を液体を混ぜたら、一瞬にして結晶化しちゃったんです。角砂糖みたいになったから面白いなあって思いまして!」
――――それは、その、うん。
テーブルにほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。うん、確かに面白い。悪戯に使うことも出来そうだ。
だけど、効果が分かっているから悪戯が出来るのであって、効果不明のこの謎物体は悪戯に使うのには少々危険が過ぎる。――作り出した張本人、エフィルミアにその気がないことだけが救いである。
エフィルミアはシュガーポットの蓋を持ち上げて、ちょんとその上に置いてみせた。
「ほら、見分けが付かないで――……あっ」
――かちゃん。無慈悲なおとがした。
すぐに回収するつもりだったのに、謎物体から手を離したときエフィルミアの指先がうっかりシュガーポットに引っかかってしまったのだ。
そう、つまり。――――角砂糖と謎物体が、混ざってしまった。
謎物体が混ざった角砂糖なんて、危険だからと捨ててしまえばいい話。けれど、その探求心を捨てきれず突き進んでしまうのも、蛇を掲げる寮の業のようなもので。
「……これだけ角砂糖があれば、ひとつくらいなら問題ないのでは……?」
「…………いや、危険じゃないか……?」
胸のなかでは、好奇心と倫理観がはんぶんずつ。なんとも言えない空気を断ち切るように、鹿凛はそれをひとつ摘まむと、紅茶へ放って見せた。
「そうそう! そんなピンポイントで当たらないって!」
結果。
あっと言う間も与えず、それが紅茶へ落ちた瞬間にはティーカップが爆発していた。
凄まじい爆発音。飛び散る紅茶にティーカップ。ぼわぼわっと立ち上った謎の煙が談話室を包んで――……。
「みてみて! 虹色のアルパカがいるよ!」
「!!?」
背後からそんな楽しそうな声が聞こえて、誰もが慌てて振り向く。そう言って楽しそうに笑う生徒は、目の焦点がなんか、その、合っていなかった。
――――あ。これ、やばいやつだ。考えるよりも早く、本能がそれを感じ取る。
「きゃ――!? ごめんなさい! ごめんなさい!?」
大惨事ではあるけれど、こんなのはサーペント寮ではよくあること。談話室にいる面々の行動は素早い。
「服部くん、君のフットワークの軽さが頼りだ! 先生を呼んできてくれ!」
「あいあいさー!! ビクーニャ王族を右にッスね!!?」
「いけない、閑蔵さんもやられたわ!! パヴェル先輩、まだ正気な者を抱えて離脱しましょう!」
「お、……おう!!」
――――こうして、愉快なティータイムは幕を閉じる。ドタバタ慌ただしく終わりを迎えるのも、よくある話。幸い怪我人は出なかったようだけれど、怪我人が出ることも、よくある話。
それでも、蛇たちは今日もテーブルを囲うことを止めない。その探求心は、誰にも止めることは出来ないだから――――……。
蛇という生き物は、怖いものや悪いものとして扱われやすい。
嫌悪の対象になることもあるけれど、蛇は知恵や生命の象徴とする側面も持っていた。
―――ビクーニャ王国、アプリーリス魔法学院。
此処にも、その蛇を掲げる寮がある。サーペント寮だ。
多くのひとが持つ印象通りサーペント寮は魔法のなかでも弱体魔法に強く、毒や薬品の研究も盛んに行われていた。
そんな寮生たちが集まれば、さぞ陰謀渦巻く黒い話がされることだろう、なんて思うひともいるかもしれないけれど。
その多くは、ちょっと研究熱心なだけの少年少女たちで、まだ年端もいかない子供たちであるから。年相応に友情も育むし、勉学に励むし、恋におちたりもする。
これは、そんなサーペント寮に属する少年少女たちの、ただの日常のお話――――……。
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授業や部活が終われば、寮の談話室で会話を楽しむ。それは魔法学院の生徒たちの日課といってもいい。サーペント寮も同じだ。
談話室のテーブルのひとつに部活で作ったお菓子を並べているのは、アヴェラ・ウッチェロ。
彼女はソファに沈むように深く座っている人物の姿を見て、ふう、と小さく溜息を吐いた。
「鹿凛さん、また授業に出なかったんですか?」
ソファでくつろいでいた水島・鹿凛は顔を上げると、もちもちドーナツに手を伸ばしながら首を傾げた。
「授業ぅー? 別に出なくてもわかるじゃん……」
それよりお菓子のほうが大切だと、手に取ったドーナツを口へと運ぶ。おいしい! と顔を輝かせるその姿に悪い気はしないけれど。
「そのドーナツみたいにぷくぷくになってしまっても知りませんよ?」
「なるほど……。食べるほど痩せる薬品……。これを作っ」
「きゃ――――っ!!?」
どこからか聞こえてきた悲鳴によって、鹿凛の言葉は打ち消された。
けれど、サーペント寮では爆発や悲鳴は日常茶飯事である。いちいち気にするほどのことではないと、アヴェラや鹿凛をはじめとする談話室の面々は変わらずのほほんと会話を楽しんでいる。
ばたばたと近付いてきた足音を響かせる誰かが、扉を開けた勢いそのままに談話室へ転がり込んできても、やっぱりいちいち気にしない。
「ま、またスカート焦げましたっ!!」
ばたばたと燃えるスカートを叩いている彼女の名前は、エフィルミア。
彼女がうっかり爆発を起こしたりスカートを焦がしたりするのは、それもやっぱり日常茶飯事で。
「あら、火傷していない? 指大丈夫?」
アヴェラは消火活動を終えたエフィルミアの手をそぅっと取って、まじまじと観察。
舐めると治るのよ、なんて口に含もうとするから、エフィルミアは恥ずかしそうに手を引っ込めた。
「ふふふ、1年生は元気でいいね」
くすくす、楽しそうな笑い声。賑やかな様子を微笑ましそうに見ていた漆原・香墨はそう言って、彼女たちが集まるテーブルへと近付いた。
隣良いかなと確認すると、近くのソファへと優雅に座り直す。その瞬間、とろけそうな良い香りがふわりと漂う。
「みんな授業はついていけてるかな?」
「なーんでみぃーんな、授業授業ってー……。そんなことよりお茶しましょう! いいお茶っ葉入ったんですよー!!」
「あはは。分からないことがあったら聞いてくれていいよって言いたかっただけだよ」
不満げに紅茶缶を揺らす鹿凛に、頼れるひとは多いほうがいいからね、と香墨は微笑んで。他に頼れそうなひとは、ときょろりと辺りを見回した。
「ああ、いた。先輩、パヴェル先輩!」
談話室の角、紫色のベルベットのカーテンで区切られた向こう。香墨はその暗がりに向かって軽く手を振る。
何も見えず1年生たちが首を傾げて様子を伺っていると――。
びくり、と。僅かに影が動いて。カーテンの影から、パヴェル・A・サムルガチェフがそろぉり、と顔を覗かせた。
「…………ああ、その。……よ、呼んだか?」
自身に注がれる視線に、パヴェルの視線は不安そうに行ったり来たり。またカーテンの向こうへ引っ込みそうになるパヴェルのもとへ駆け寄ると、香墨はぐいと腕を掴んだ。
「ほらほら、たまには談笑するのも悪くないだろう?」
「お、俺に出来ることなら、なんでもするが……。……その、俺は……」
おどおどと居心地が悪そうにしながらもカーテンの影から引っ張り出されたパヴェルは、促されるままソファに座る。
その気弱そうな態度からは想像もできないがっしりとした体格のパヴェルである。そっと座ってもソファはずっしりと沈み、同じソファに座った香墨の身体が僅かに傾いた。
まだ学園に来たばかりの1年生たちは、あの気弱な性格が彼の持つ元々の性格だと思ったことだろう。
(ふわっとしたおみみが生えてる……)
(ふむ、大きくて素敵な手ですね。筋張っている手の指も良いものです)
おおきな身体をちいさく丸めて不安そうに眼を泳がせる姿は、見た目から感じる印象とはだいぶちぐはぐしていて、なんだか可愛らしい。
彼をテーブルに迎えた1年生たちは、そんなことを考えたひともいたことだろう。けれど、パヴェルにとっては、自分に向けられる視線はすべて居心地の悪いもの。
だって、この姿は。身体の一部が獣と化したこの姿は。――彼の、ほんとうの姿ではなかったから。
「…………お、俺は、パヴェル・A・サムルガチェフ、だ……。……その、俺に出来できることなら、なんでも言ってくれ。協力しよう……」
途切れ途切れになりながらも、なんとか言い切った。ほう、と思わず一息吐いたパヴェルだったけれど。
パヴェルの後ろから、何かの影がぴょっと飛び出したものだから。パヴェルは身を守るように慌ててその場から飛び退いた。
がしゃんっとおとが響いて。ぐわんぐわんと揺れるテーブル、飛び退いた勢いで倒れたソファ。気配を察知してすぐに立ち上がった香墨は、倒れるソファに巻き込まれずに済んだ。
「――――ッ!?」
「何の話してるんスか? 面白そうな話なら俺にも1枚噛ませて下さいよー」
不意に現れた少年は、パヴェルに手を差し伸べるけれど。手を取りそうにないと思ったのか、手を引っ込めると口角をにぃんまりと持ち上げた。ギザギザの歯がにまりと覗く。
「あ。どもどもー、1年の服部ッス! 同輩も先輩方もどうぞよろしくお願いしまーす!」
軽い調子で挨拶をした服部・閑蔵は、倒れたソファを起こすとその真ん中にどっかと座り込む。お皿から投げ出されたドーナツをひとつ摘まむと、ぱくっと口へ放った。
●
さてさてさて。それじゃあ、楽しいティータイムも仕切り直し。
テーブルの上にお菓子を広げたら、人数分のティーカップを並べよう。お皿が足りない? 魔法を使って増やしたら?
お菓子はたっぷりあるけれど。お茶のお供に楽しいお喋りも添えれば、なんて素敵なティータイム!
――――ああ、でもこれは蛇たちのお茶会。それをゆめゆめお忘れなきように。
「このお茶美味しいですねー」
ティーカップを口へ運んだエフィルミアの周りにほんわり花が舞う。その横でガトーショコラを手に取ったパヴェルもこくりと頷いた。
次々とお菓子が消えていくのを見るに、多くは語らないがきっと彼も美味しいと思っているのだろう。
愛らしい少女と、おおきな先輩。普通にしていたら交わることのなさそうなふたりが並ぶ姿は、見ているだけでなんだかほのぼのとした気分になる。
その向かいでは、先ほど彼を随分と驚かせた閑蔵がお茶にお菓子にお喋りにと、忙しなく口を動かしていた。
「あ、これからの学院生活に役立ちそうな情報とか知ってます? 大歓迎ッスけど」
「ふふ、ぜんぶ教えてしまったら面白くないだろう?」
香墨がそう答えれば、ちぇ、とちょっと唇を尖らせて。
「お菓子食べる? 今話題のやつ買って来たの!」
「手触りがなんか変わってるっスけど……。ま、流行りなら大丈夫ッスよね」
鹿凛が差し出した話題だという独創的なお菓子も、躊躇わずぽいっと口に放る。
閑蔵が選んだのは一口サイズのチョコレート。――――と、思いきや。形はチョコレートであるけれど、手触りは大福のように柔らかい。口に含めば、ピーナッツの味がした。
「なん……、えっ。なんスかこれ? 悪戯ッスか?」
鹿凛の話によると、これは味も見た目も感触もすべてが不揃いなあべこべスイーツだそうだ。運が悪いと舌先がぴりりと痺れたりもするらしい。
「……はぁ~……。…………これは、悪戯の幅が広がる予感……」
ぼそり。閑蔵の口から何やら不穏な言葉が聞こえた気がするけれど、気にしたらいけない。
「口直しがてら、ひとつどう?」
「わあっ、形も可愛いですね!」
アヴェラが差し出したものを見て、エフィルミアの瞳がきらきらと輝いた。
それは、部活で作ったというクッキー。星やハート、クマなど様々な形でくり抜かれて、見た目も可愛く楽しめる。
エフィルミアは早速ひとつ摘まんでぱくり。さっくりとした香ばしい食感と、たっぷり使ったバターの風味が口いっぱいに広がった。
「とっても美味しいです!」
美味しそうにクッキーを頬張るエフィルミア。同級生たちも美味しそうにクッキーを口へ運ぶ。
けれど、香墨とパヴェルはクッキーに手を伸ばしはしたものの、なかなか口へと運ばない。――それもそのはず。上級生である彼らはお菓子を使った悪戯も、痛いほど、それはそれは痛いほど身に染みて分かっているから。
「…………毒は入っていませんよ。いつか入れてみようとは思っているけれど」
そんなふたりの様子に気付いて、ほんのちょっとだけむぅっと不満そうな表情を見せたアヴェラ。パヴェルはそれに気付くと慌ててクッキーをぱくっと口に放る。
例えこれを食べたことで身体が動かなくなったとしても、これも後輩のため。後悔はない。――パヴェルが胸の中でそんな漢気を抱いていたことは、きっと誰も気付かないだろうけれど。
「……うん、美味しい……。…………ありがとう」
「お礼なんて……。それよりこれに毒を入れても気付かれないよう、匂いをきつくした方がいいかしら?」
「それは逆に怪しまれる気がするなあ」
悪戯を警戒しながらも、香墨は後輩へのアドバイスは忘れない。
易々と悪戯されるつもりはない。けれど、いつか後輩たちが自分への悪戯を成功させる日が来ることを、ほんのすこしだけ楽しみにしていたりもするのだ。
形は違えど、ふたりとも先輩として後輩たちのことを思っている。
今はまだ、それに気付けはしないだろうけれど。彼らが成長していけば、あれは分かりにくい優しさであったのだと気付く日もくるだろう。
「みーんな真面目すぎだよう。折角のティータイムなのに難しいばっかりしてえ」
鹿凛は机にだらっと身体を預けたまま、カップを引き寄せずずっと紅茶を啜る。
彼女にとって魔法や薬品の研究は、考えるより感じたままにするものだったから。
真面目な話がちょっぴり退屈に感じてしまうのは、難しく考えなくてもなんとなく出来てしまう天才肌故の悩みかもしれない。
「俺も魔法薬や毒薬の類は専ら使う方で、作ったりとか研究っていうのはさっぱりです。みんな色々考えてるんスねー」
でも、面白い使い方とか応用なら得意分野ですよー! と、閑蔵はけらけら笑う。笑いながら、水島さんも面白い使い方考えるのはどうですか、なんて言葉も付け加えて。
「面白い使い方か~……」
「あっ! 面白いかは分かりませんが、こんなのがありますよ」
むむむと悩んでいる鹿凛へ、エフィルミアが小さな小瓶を差し出した。中に入っているものは、角砂糖のように見える。
「…………これは?」
「この前を液体を混ぜたら、一瞬にして結晶化しちゃったんです。角砂糖みたいになったから面白いなあって思いまして!」
――――それは、その、うん。
テーブルにほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。うん、確かに面白い。悪戯に使うことも出来そうだ。
だけど、効果が分かっているから悪戯が出来るのであって、効果不明のこの謎物体は悪戯に使うのには少々危険が過ぎる。――作り出した張本人、エフィルミアにその気がないことだけが救いである。
エフィルミアはシュガーポットの蓋を持ち上げて、ちょんとその上に置いてみせた。
「ほら、見分けが付かないで――……あっ」
――かちゃん。無慈悲なおとがした。
すぐに回収するつもりだったのに、謎物体から手を離したときエフィルミアの指先がうっかりシュガーポットに引っかかってしまったのだ。
そう、つまり。――――角砂糖と謎物体が、混ざってしまった。
謎物体が混ざった角砂糖なんて、危険だからと捨ててしまえばいい話。けれど、その探求心を捨てきれず突き進んでしまうのも、蛇を掲げる寮の業のようなもので。
「……これだけ角砂糖があれば、ひとつくらいなら問題ないのでは……?」
「…………いや、危険じゃないか……?」
胸のなかでは、好奇心と倫理観がはんぶんずつ。なんとも言えない空気を断ち切るように、鹿凛はそれをひとつ摘まむと、紅茶へ放って見せた。
「そうそう! そんなピンポイントで当たらないって!」
結果。
あっと言う間も与えず、それが紅茶へ落ちた瞬間にはティーカップが爆発していた。
凄まじい爆発音。飛び散る紅茶にティーカップ。ぼわぼわっと立ち上った謎の煙が談話室を包んで――……。
「みてみて! 虹色のアルパカがいるよ!」
「!!?」
背後からそんな楽しそうな声が聞こえて、誰もが慌てて振り向く。そう言って楽しそうに笑う生徒は、目の焦点がなんか、その、合っていなかった。
――――あ。これ、やばいやつだ。考えるよりも早く、本能がそれを感じ取る。
「きゃ――!? ごめんなさい! ごめんなさい!?」
大惨事ではあるけれど、こんなのはサーペント寮ではよくあること。談話室にいる面々の行動は素早い。
「服部くん、君のフットワークの軽さが頼りだ! 先生を呼んできてくれ!」
「あいあいさー!! ビクーニャ王族を右にッスね!!?」
「いけない、閑蔵さんもやられたわ!! パヴェル先輩、まだ正気な者を抱えて離脱しましょう!」
「お、……おう!!」
――――こうして、愉快なティータイムは幕を閉じる。ドタバタ慌ただしく終わりを迎えるのも、よくある話。幸い怪我人は出なかったようだけれど、怪我人が出ることも、よくある話。
それでも、蛇たちは今日もテーブルを囲うことを止めない。その探求心は、誰にも止めることは出来ないだから――――……。