死へ至る黒き病、その名は……

キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年04月06日 12時30分33秒

●黒い宝石は嘲笑う

 大陸を旅していれば何処かで必ず耳にする言葉が在る。
 即ち『王国』に飢える者無し。それほどに――――彼の国の食糧事情は恵まれている。

 だがそれが決して、事実でないこともまた。彼はこの上なく良く知っている。
 例えばそう。王国国境付近の都市、その外縁部などは……所謂、貧民街(スラム)になっている。

 王国は貴族の物だ。国内の殆ど全ての土地を、王国貴族の絶対領権が支配する。
 しかしそれは一面的な見方に過ぎない。確かに、国家としてはその表現で正しいのだろう。

 けれど、個人レベルに視点を落とせば。王国と言うのは同盟以上に"商人の国"――――だ。
 貴族は支配し、搾取するが、個人までは管理しない。面倒だからだ。けれど商人は違う。

 個の権利を。価値を。時に生命をすら根刮ぎに換金する。生きると稼ぐは同義という生き物だ。
 ――――愚かな人間を骨まで喰い物にする。それが、この国の一側面だ。

 そしてそんな国の、それも辺境の、更に底辺同然の場所で――――男は。
 スヴァン=ウォルフ=ユーウェンは真冬のゴミ山の中で行き倒れていた。

(…………腹が、減り過ぎて……――――もう、動けん)

 身動きが取れない。無理矢理抜けた刺客への『メドゥの指先』の追跡は執拗だった。
 我武者羅に身を晦ますこと2ヶ月。腰を落ち着ける暇もなく。路銀は尽き。稼ぎの当ても無く。

 それでも軋む体躯を動かして逃げた。逃げ続け、逃げ回った。
 次に捕捉されれば命は無いと確信していた。油断をなくすとは徹底する事だと経験から学んだ。

 各地を転々とする傍ら、口に入りそうな物を片っ端から口に入れて虎口を凌いだ。
 徐々に味覚は鈍化していき、身体にも異常を来していたが生きる為に仕方なかった。

 そうして大陸西方を一巡りして王国へ戻り、漸く追っ手の気配すら消えた頃、限界が来た。
 まさか、メドゥの追跡を撒き切って、結果飢え死になど冗談ではない。

(どうしてこうなってしまうんだ。まるで、何も変わっていないかの様に)

 誰か、パンをくれなどとは言わない。クリーパーだろうと魔獣だろうと構わない。
 何か、何か食える物をくれ。それさえあれば、俺はまだ戦える。抗える。それさえ――――

 そんなことを想い、意識を手放しかけた――――その時だった。

「大丈夫、ですか……? まだ、生きてます?」

 澄んだ、透き通る様な音色が耳朶に響いた。
 それはまるで、噂に聞く湖上の精霊の様な、まるで現実感の無い声音で。

 恵まれた者が、恵まれた環境を与えられ、恵まれた教養を積むと――――こうなる。
 そうとでも言うかの様な少女が。世界から祝福された人間が。スヴァンを見て佇んでいた。

 ――――貴族だ。と、確信する。間違えようもなく疑いもない。
 服飾1つ取っても庶民の物とは縫製がまるで違う。堅実で、緻密で、洗練され、瀟洒だ。

「――――っ、ごほ、く、えるも……を」

 息を。声を絞り出す。胃が軋む。指一つ動かすのが重い。辛い。苦しい。それでも。

「えっ、た、食べ物!? 食べ物、ですか。え、っと……」

 慌てて差し出された物は、銀の紙に包まれた黒い宝石だ。そうとしか見えなかった。
 宝石など与えられてどうしろというのか。

 身動き一つ取れないスヴァンにとってはそんなものに微塵の価値もない。
 換金するだけの力など、どう振り絞っても湧いてこない。

 貴族という奴は、これほど庶民と乖離しているのかと――――そんな。
 いっそ筋違いも甚だしい憤りすら、枯渇しかけていた……男の口元へ。

 その黒い宝石が寄せられる。寄せられて、瞬く。嗅覚に刺激。それは、酷く甘い芳香だった。
 まさか、喰えるのか……? 瞳を見開いて少女を見返すと、頷き一つ。

 意を決して宝石に噛み付いた。残る力の全てを賭して噛み砕いた。
 次の瞬間、脳裏を駆け巡った痛みにも近しい衝撃を何と表現すれば良いだろう。


 ――――――神々の世界が見えた。


 空腹に活動を止めていた胃袋がエネルギーとなる物を受け止め動き出す。
 視界は明滅し身体の血液の流れすら感じられる。唾液が止まらない。何も考えられない。

 鈍っていた味覚が"甘味"と言う未だ嘗て無い刺激に歓喜の声を上げていた。
 感じられる。確かに、口一杯に広がる苦味と甘味。味の暴力だ。思考が吹き飛んだ。

 呆然と虚空を見詰めながら唖然とし続けるスヴァンが果たしてどう見えたのか。
 少女が怯えた様に後退るが、それどころではない。価値観が引っ繰り返る衝撃があった。

 何だ。何だ今の食べ物は。理解を超えている。美味いとか、美味くないとかではない。
 人の。人間の食べ物か……? 馬鹿な、冒涜的過ぎる。頭がおかしくなりそうだ。

「イ、まのハ……?」

「ひっ、ちょ、ちょこれいと、ですが……だ、だいじょ」

「チョ!コ!レイト!!……そンなもノガッ!!」

「――――っ、!?」
 
 震える両手で顔を抑える。チョコレイト。チョコレイトという、食べ物か。
 名前があると言うことは、流通しているという事だ。信じられない。信じたくない。

 けれど、事実は事実だ。受け入れる他ない。戦慄く自我を強い自制心で抑え込む。
 その挙動は殆ど薬物患者の物に近く。見ていた推定貴族の少女は完全に怯えきっていたが。

「もっト、あ……ル?」

「ご、ごめんなさい……宿に戻れば、幾つか……多分、ですけど」

「売ってくれ」

 ――――かくしてスヴァンは今回もギリギリで命を繋ぎ。
 流れるような土下座で以て、貧民街に煮炊きに来ていたと言う貴族の少女の紹介で。

 貧民街の片隅に居場所を得るに至ったのだった。

●望めば離れ、求めるほどに遠く
 
 路銀を稼ぐことに成功し、生活も徐々にまともな物にはなってきたものの。
 初日に散々貪った黒い宝石(チョコレイト)の代金は、庶民には莫大と言って良い物になった。

 今のスヴァンはチョコレイトローンで首も回らない。
 そこまで高価な物なら食べてしまう前に教えて欲しかった……とも、思うものの。

 借り主が貴族では踏み倒す事も出来ないが、借り主が貴族だからこそ急かされもしない。
 日々の稼ぎがチョコレイトローンの返済に消えていくのは、色々心に来る物はあるが。

「嗚呼――――それにしてもチョコレイトが食べたい」

 虚ろな目で煮出し炊き出しの手伝いに向かう、立派な中毒患者(ジャンキー)が其処に居た。
 思考せずとも身体は動く。メドゥの指先で始末屋をしていた経験が此処で生きていた。

 最低限、食べた分返さなければ、旅にすら出られない。
 今日も用意された食材を、鍋に入れて目分量で塩を振り、適当に味を付けて大雑把に煮込む。

「ウォルフさんも大分慣れて来ましたね」

「押忍」

 いざという(借金から逃げる)時の為に偽名を用いるのは裏稼業の嗜みである。
 実際、貴族の少女の支払いは確かで、額も仕事量と比すれば破格だと言えた。

 そんな庶民には良心的な稼ぎすらチョコレイトローンの前には風前の灯火と言うのだから。
 黒い宝石(チョコレイト)本気で恐い。美味過ぎて恐い。また食べたい。

「ところで、あんたは何でこんな事をしてるんだ?」

 野菜が煮込まれる独特の芳香に釣られ、行き倒れ寸前のご同輩が通りの端々からぞろぞろと。
 この区画にこれほど人が居たのかと思わせる行列が、あっという間に出来上がる。

 騙されたか、嵌められたか、自ら身を持ち崩したか。事情はそれぞれあるのだろうが。
 基本、『王国』では普通に働き普通に稼げば普通に喰っていける……と、言われている。

 それでも行き着くところまで行き着く人間がこれほど居る。王国の隠された現実だ。
 その光景を眺めて、貴族の少女が冷え切った手を温めようと小さく白い息を吐く。

「貴族の義務には領民の生活保護も含まれます。貧困街は特に治安が乱れ易いので……」

「そういう事を聞いているんじゃない」

 分かっていて誤魔化そうとしたのだろう。こんな作業は貴族がする事じゃない。
 少なくとも、実際に出向いて手伝いまでするなんて言うのは、行き過ぎだ。

 バツが悪そうに視線を逸らすその仕草から、何かしら事情があることは容易に知れた。
 ことが家庭内のいざこざであるなら……当然口出しする権利など無いが。

「傀儡なのです、私達は」

 ぽつりと、呟いたそれは。まだ子供と言って良い年齢の娘の口から出るには重過ぎて。
 聞くんじゃなかったと思う一方で、そういう手合いか――――と、安心もする。

「父は、上から派遣されて来た豪商の言いなりで。私達家族も。
 ……点数稼ぎに上手く使われているんです。貴族なんて言っても、結局そんな――――」

 誰かに話したかったのだろう。堰を切った様に溢れる言葉を聞き流し。
 要点だけ掻い摘んで視線を伏せる。つまり、その豪商が居なくなれば万事解決……と。

 結論が明瞭なのは良いことで、それが手近であれば尚更望ましい。

「幾ら出す?」

「……えっ」

 つまり互いの利害は、一致しているのだと。

「その豪商が、あんたの領内から居なくなったら、その功労者に幾ら出す?」
 
 口元を戦慄かせて黒い雪豹を見る貴族の少女は、けれど。
 良心と理性、現実と損益の天秤を揺らしあった結果、高潔で居続けることは出来なかった。

 彼女が、黒い宝石(チョコレイト)など差し出さなければ、そんな悩みなど抱えず済んだろうに。
 死に至る病、その名はチョコレイト。喰った者も。喰わせた者も、最早純白ではいられない。

 げに恐ろしきは人の業。これを悲劇と呼ばずして何と称せば良いだろう。
 結論から言えば。少女は悪鬼の囁きに抗い通すこと叶わず――――

 チョコレイトローンは3日で消えた。
 
 けれど、彼女の家に在ったチョコレイトはスヴァンが冗談抜きで全部喰い尽くした様で。
 追加のチョコレートは遂ぞ手に入らなかったのである。

 何か恩人だの何だのごちゃごちゃ言っていたがチョコレートの無い貴族に用はない。
 早々に身辺を整理し旅立ったので、その後彼女らがどうなったのかは杳として知れない。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0