【邂逅】殺意の中の対峙
清和アヤカシ闘乱帖 イベントノベル(テーマ)井上機関制作 革酎納品 2026年04月22日 06時58分56秒
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その場の空気が、鮮血の紅に染まった。
否――実際にはそう感じた様に思えただけだ。
井上機関北条隊を率いる北条 桜麟と、彼の前で薄い笑みを浮かべているマザリモノの碌。
この両者の間に湧き起こる殺気の嵐は、余人からすれば息をするのも耐え難い程の重苦しい圧迫感をその場に凝固させていた。
ほんの少し前、北条隊は虚出現の報を受けて現場へと急行した。
八洲国の東都から少し外れたところにある、郊外の古い街並みを望む畑道。
だが、そこに駆けつけた時には既に巨大な狼の姿を模した虚は骸と化しており、その傍には民間人の血に濡れた無残な死体が転がっている。
そして、その傍らに漫然と佇むマザリモノの青年――それが、碌だった。
北条隊の隊士が得物を引き抜き、右半身が黒い妖神に覆われているマザリモノに斬りかかろうとしたが、しかし桜麟は無言のまま右掌を掲げ、彼らの動きを制した。
「その民間人を殺したのは、お前か?」
「俺は虚を殺っただけ……そこの死体は、俺が来た時にはもう手遅れだったよ」
桜麟に応じながら、碌は涙をぽろぽろと流している自身の半身をそっと撫でた。彼の右半身を覆う黒い妖神は、その表面に無数の目を浮かべる不気味な姿の持ち主だが、しかし随分と大人しく、そして優しい色を湛え、碌の為にひたすら泣き続けていた。
そんな碌と妖神を視界の隅に収めつつ、桜麟は改めて周囲を目視で検分した。
虚の死骸の口蓋部分や牙などには、犠牲者の衣服の一部が絡み付いている。
それらを認めて、桜麟は目の前の青年の言葉に嘘は無いと判断した。
「……どうやら、お前の証言は正しいようだ」
「へぇ……マザリモノのいうこと、信じるんだ? 井上のクセに」
碌は眉根を寄せ、更には桜麟とその部下達が武器を収めたことに幾分不満げな様子でふんと鼻を鳴らした。
「残念だよ……お前らがいつも通り襲いかかって来たなら、遠慮なく殺せたのに」
まるで挑発するかの如く、せせら笑う。そんな碌の不敵なひと言に、一部の隊士らは色めき立った。だが桜麟は目線だけで、部下達を制した。
ここでこちらが先に手を出すのは拙い、と。
現状、虚を退治しただけのマザリモノを無闇に討伐する訳にはいかない。
そう――今は、まだ。
「ねぇ……なんでお前らって、人間はいつも善で、護るべきものだって思えるの?」
この世界にはどうしようもない程に性根の腐った人間も居れば、ただ涙を流すばかりで何の害も及ぼさぬ心優しい妖神も居るというのに――そんな碌の吐き捨てる様な低い声に、桜麟は僅かに眉の端を動かした。
ピリピリと、殺気だけが更に色濃く場の空気を侵蝕してゆく。
ほんの些細な切っ掛けさえあれば、いつでも互いの刃を斬り結ぶことが出来る程の危うさで。
いつでも斬り合える。かかって来い――碌の放つ殺気には、そんな強烈なメッセージが込められていた。
だが桜麟は、自制した。自分が力を振るうのは、ここではない、と。
「何故、そこまでひとを憎む?」
だが、碌は答えない。答えること自体がまるで馬鹿馬鹿しいといわんばかりに。
彼の中では、人間は死に絶えて当然だという認識があるのかも知れない。
●
何故、ひとを憎むのか。
桜麟からの反問に、碌は心底反吐が出る思いながら、しかしその面には不敵な笑みが浮かんでいた。
あらゆる負の感情を常に隠し続けてきた、碌の笑顔。
だがその目は決して笑っていない。吊り上げた口角の端には、獰猛な野獣の牙がちらついている様な錯覚すら感じられる。
人間は、すべからく死すべし――今、ここで碌が桜麟やその部下の隊士らと刃を交えていないその事実が、寧ろ奇跡であるかの様に思えた。
だが同時に、不思議な光景でもある。
人間を極度に憎悪する青年の右半身では、黒塗りの目玉だらけという不気味な影の如き妖神が、ひとを憎まざるを得ない碌の為にただただ悲しみ、涙を流し続けている。
桜麟が見たところ、碌はこの妖神をこれ以上悲しませない為だけに、己の力と感情を抑えている様にも感じられた。
「次は、殺し合えると良いな」
それだけいい残して、碌は踵を返した。
対する桜麟は、マザリモノの青年の後姿に油断なく警戒の視線を張り付かせたまま、部下達に被害者の遺体収容と虚の死骸の回収を命じた。
あの青年が何故、あれ程に人間への憎悪を募らせているのかは分からない。だが今回犠牲となった民間人に、それ程の罪があったのだろうか。
恐らく、答えは出ない。
(それでも、俺は)
桜麟は、運ばれてゆく遺体に両手を合わせて冥福を祈ってから、もう一度碌が去っていった方向に視線を流した。
争いを忌避するかの如く涙を流す妖神と、人間に憎悪と殺意を剥き出しにする、人間である筈の青年。
いつか、あのマザリモノが敵として立ちはだかる日が来るのだろうか。
だがそれでも桜麟は新政府の意志の元、この国を護るだけだと心の中で低く呟いた。
その場の空気が、鮮血の紅に染まった。
否――実際にはそう感じた様に思えただけだ。
井上機関北条隊を率いる北条 桜麟と、彼の前で薄い笑みを浮かべているマザリモノの碌。
この両者の間に湧き起こる殺気の嵐は、余人からすれば息をするのも耐え難い程の重苦しい圧迫感をその場に凝固させていた。
ほんの少し前、北条隊は虚出現の報を受けて現場へと急行した。
八洲国の東都から少し外れたところにある、郊外の古い街並みを望む畑道。
だが、そこに駆けつけた時には既に巨大な狼の姿を模した虚は骸と化しており、その傍には民間人の血に濡れた無残な死体が転がっている。
そして、その傍らに漫然と佇むマザリモノの青年――それが、碌だった。
北条隊の隊士が得物を引き抜き、右半身が黒い妖神に覆われているマザリモノに斬りかかろうとしたが、しかし桜麟は無言のまま右掌を掲げ、彼らの動きを制した。
「その民間人を殺したのは、お前か?」
「俺は虚を殺っただけ……そこの死体は、俺が来た時にはもう手遅れだったよ」
桜麟に応じながら、碌は涙をぽろぽろと流している自身の半身をそっと撫でた。彼の右半身を覆う黒い妖神は、その表面に無数の目を浮かべる不気味な姿の持ち主だが、しかし随分と大人しく、そして優しい色を湛え、碌の為にひたすら泣き続けていた。
そんな碌と妖神を視界の隅に収めつつ、桜麟は改めて周囲を目視で検分した。
虚の死骸の口蓋部分や牙などには、犠牲者の衣服の一部が絡み付いている。
それらを認めて、桜麟は目の前の青年の言葉に嘘は無いと判断した。
「……どうやら、お前の証言は正しいようだ」
「へぇ……マザリモノのいうこと、信じるんだ? 井上のクセに」
碌は眉根を寄せ、更には桜麟とその部下達が武器を収めたことに幾分不満げな様子でふんと鼻を鳴らした。
「残念だよ……お前らがいつも通り襲いかかって来たなら、遠慮なく殺せたのに」
まるで挑発するかの如く、せせら笑う。そんな碌の不敵なひと言に、一部の隊士らは色めき立った。だが桜麟は目線だけで、部下達を制した。
ここでこちらが先に手を出すのは拙い、と。
現状、虚を退治しただけのマザリモノを無闇に討伐する訳にはいかない。
そう――今は、まだ。
「ねぇ……なんでお前らって、人間はいつも善で、護るべきものだって思えるの?」
この世界にはどうしようもない程に性根の腐った人間も居れば、ただ涙を流すばかりで何の害も及ぼさぬ心優しい妖神も居るというのに――そんな碌の吐き捨てる様な低い声に、桜麟は僅かに眉の端を動かした。
ピリピリと、殺気だけが更に色濃く場の空気を侵蝕してゆく。
ほんの些細な切っ掛けさえあれば、いつでも互いの刃を斬り結ぶことが出来る程の危うさで。
いつでも斬り合える。かかって来い――碌の放つ殺気には、そんな強烈なメッセージが込められていた。
だが桜麟は、自制した。自分が力を振るうのは、ここではない、と。
「何故、そこまでひとを憎む?」
だが、碌は答えない。答えること自体がまるで馬鹿馬鹿しいといわんばかりに。
彼の中では、人間は死に絶えて当然だという認識があるのかも知れない。
●
何故、ひとを憎むのか。
桜麟からの反問に、碌は心底反吐が出る思いながら、しかしその面には不敵な笑みが浮かんでいた。
あらゆる負の感情を常に隠し続けてきた、碌の笑顔。
だがその目は決して笑っていない。吊り上げた口角の端には、獰猛な野獣の牙がちらついている様な錯覚すら感じられる。
人間は、すべからく死すべし――今、ここで碌が桜麟やその部下の隊士らと刃を交えていないその事実が、寧ろ奇跡であるかの様に思えた。
だが同時に、不思議な光景でもある。
人間を極度に憎悪する青年の右半身では、黒塗りの目玉だらけという不気味な影の如き妖神が、ひとを憎まざるを得ない碌の為にただただ悲しみ、涙を流し続けている。
桜麟が見たところ、碌はこの妖神をこれ以上悲しませない為だけに、己の力と感情を抑えている様にも感じられた。
「次は、殺し合えると良いな」
それだけいい残して、碌は踵を返した。
対する桜麟は、マザリモノの青年の後姿に油断なく警戒の視線を張り付かせたまま、部下達に被害者の遺体収容と虚の死骸の回収を命じた。
あの青年が何故、あれ程に人間への憎悪を募らせているのかは分からない。だが今回犠牲となった民間人に、それ程の罪があったのだろうか。
恐らく、答えは出ない。
(それでも、俺は)
桜麟は、運ばれてゆく遺体に両手を合わせて冥福を祈ってから、もう一度碌が去っていった方向に視線を流した。
争いを忌避するかの如く涙を流す妖神と、人間に憎悪と殺意を剥き出しにする、人間である筈の青年。
いつか、あのマザリモノが敵として立ちはだかる日が来るのだろうか。
だがそれでも桜麟は新政府の意志の元、この国を護るだけだと心の中で低く呟いた。