期末試験前のRhapsody
王立アプリーリス魔法学院 イベントノベル(テーマ)制作 夏八木ヒロ納品 2021年04月14日 10時39分52秒
期末考査前の学院はどこもにわかにざわついている。特に大図書室には様々な年齢、寮服の者が入り乱れ、魔術書や教本を借りたり勉強を教え合ったりと賑やかだ。
「おー、人が多い……」
借りていた本を返すためにやってきたタクマは、東方出身者に多い黒曜石のような目をぱちくりと瞬かせた。普段は図書室を利用しない生徒もやってくるため、この時期は特に人が増える。一年生の彼にとっては、そういう試験前の空気すら初めての経験だ。
いつもと雰囲気の違う図書室に新鮮さを覚えながら、この一年ですっかり慣れた本の返却を行う。入れ替わりに魔術道具の図鑑を借り読書スペースへ行くと、端へ追いやられるようにして本を読む少年の姿をすぐに見つけた。
「ヨル先輩!」
呼ばれ、少年はすぐに顔を上げる。年齢は十四ほどだろうか。大きな傷跡がある仏頂面をタクマに向けると、小さな声で挨拶を返した。
「なんだ、タクマ君か。テスト勉強?」
「ううん。勉強は一応、普段からやってるし」
いそいそと隣の椅子に座ると、タクマは大判の表紙をヨルに見せた。写真たっぷりの図鑑本ではあるが、内容は既に三年生の授業内容にも差し掛かっている。難しそうなの読むんだな、とヨルは穏やかに微笑んだ。
サーペント寮のタクマとスワン寮のヨル。寮も学年も違う二人だが、図書館常連同士の顔なじみだ。
そこで、図書室の様子がいっそうざわついた。タクマとヨルもつられてそちらを見れば、出入り口から颯爽と一人の女子が入ってきたところだ。
つやつやの金髪に、魔法の才能が特に高い者に現れやすいとされるオッドアイ。ドラゴン寮服を着こなしているのは、誰もが目を引く美少女だ。
「わ。確か、実技試験でいつも成績トップの、みゅみゅあん先輩……」
ほうと息巻くタクマ。一年生の彼からすれば、五年生のみゅみゅあんは雲の上にいる人だ。そんなタクマに何か言いたげなヨルへ、みゅみゅあんもまた目を留めた。――なんと、力強い歩みで二人の元へと歩いてくる。
「あ、やっぱり! ヨルちゃんじゃん」
「うっ」
呼ばれたヨルは不機嫌そうに視線だけをみゅみゅあんへ。なるほど、知り合いだったらしい。
「こんにちは。みゅみゅあん先輩も試験勉強ですか?」
熱心ですね、流石です。朗らかに笑うタクマの言葉に、今度はみゅみゅあんが「うっ」と呻いた。
「そうなの。みゅみゅちゃん唯一の弱点の筆記試験の克服のために図書室に来たんだよ……」
つやつやでふわふわの金髪が、なんだかしおしおと萎びれていた。
それを心配そうに見るタクマに、ヨルが静かに補足する。
「みゅみゅあん先輩は、筆記試験が伝説級にダメダメなんだ」
「伝説級に……!」
ちょっとやそっとの成績なら伝説なんて言われない。謎の貫禄に、タクマは思わず息を呑む。
「弟よりも酷い点数をとったらお尻ペンペンの刑なんだよーお母さんすっごく怒ってて! ねーヨルちゃん、なんか成績がバーンと上がる方法ない? 革命的美少女のピンチなんだがー?」
「自分で言うか? あと自分より低学年に聞くか??」
頭の良いタクマは理解し始めていた。この先輩、黙ってれば美人の人だ!
「あ、でも」
何か思いついたヨルは、にやりと笑うとタクマを指差す。
「タクマ、もの凄く勘が良いから、テストのヤマを当てられますよ。この間同じ寮の奴に教えていた」
「えっ」
急に水を向けられ動揺するタクマ。目を輝かせるみゅみゅあん。
「でででも先輩五年生ですよね!? おれ内容全然わかんないと思うし」
「この際だからなんでもよし! タクちゃん! どこが出るかだけでもどうか何卒!」
押しつけられた分厚い教科書を前に、助けを求めてタクマがヨルを見れば、彼は涼しい顔で再び本を読み始めているところだった。
●
「あ、いた! シスルさん! シスルさーん!」
穏やかな声に呼ばれて、褐色肌の少女はその凜とした視線を彷徨わせた。声のする方――下を見ると、シスルの座る木枝のほぼ真下、大樹の根元ほどにスワン寮の寮服が見える。ふわりとした髪に穏やかな表情は、シスルも知った顔だった。
「なんだ、ジュンじゃんか。こんなところまでご足労だな」
「ご足労だな、じゃないですよ。授業開始五分でいなくなっちゃうんですもん」
ジュンとシスルは同学年だ。寮は違えど授業が同じというのも、学院においては珍しくはない。とはいえ、開始時に一緒でも終了時に双方居るとは限らない。シスルはサボリ魔だった。
「ははは! センセーも問題なんだよなー」
呆れたように眉尻を下げるジュンの目前に、シスルは身軽な動作で降り立つ。しなやかな身体の伸びと一連の所作は、まるで絵画のように美しい。魔法を使っていないのが不思議なくらいだと、ジュンは小さく息を吐く。
「で。何?」
「へっ!?」
「何かあるからここまで来たんじゃねーの?」
いつの間にか顔をぐっと近づけて覗き込んできていたシスルに、ジュンははっとなって後ろへ下がる。そうして少し慌てた指が、ポートフォリオから皺一つ無いプリントを二枚取り出した。突き出すように差し出す。
「えっと。ほら、さっきの授業の。一応いるかなと思って」
「あー。いるいる、サンキュ」
魔法史Ⅱと書かれた文字の多いプリントを眺め、シスルは思わず眉を顰めた。流石、僅か五分で抜け出した授業。もう見るからに眠くなる。
「史学、苦手なんですか?」
「だぁってよ、昔のことなんか今知って何になんだよ。まあ試験に出るから、一応見とくけど」
「試験……」
そう、期末考査はもう目前。如何に自由奔放なシスルであれ、点数が低くて良いとは思わないはずだ。少し心配そうな顔で見るジュンへ、それでもシスルはひらひらと右手を振る。
「ちょっと筆記が上手くいかなくても実技で取り返す。あたしが本気出せば試験くらいヨユーだっつーの」
「まあ、そうかもしれませんけど。前回みたいに一夜漬けとか駄目ですよ。散々だったじゃ無いですか」
「ぐぬ……」
「徹夜とかも駄目ですからね。頭がぼーっとするし、健康にも良くない」
むん、と珍しく眉を吊り上げるジュンに、シスルは思わず狼狽えた。この鈍臭くて押しの弱い男は、たまにとても頑固で融通が利かなくなるのを知っている。シスルがどう言って誤魔化そうかを考えるより前に、何かを思いついたジュンがぱっと笑顔を見せた。
「そうだ。シスルさん、勉強会をしましょう。史学なら俺教えられます」
「は!? やだよ」
なぜ授業を抜け出すほどに退屈な勉強をコイツと二人でやらなきゃなんねーんだ! という感情をありありと顔に出すシスルだが、ジュンはやる気満々である。
「そんなに掛かりませんよ。そうと決まれば図書室に――」
その時だ。地面が揺れるような、どんという低い大きな音が響いた。
強く吹く風、腕で顔を庇う二人は、同時に音のした方を見る。
「今のなんだ?」
「えっと、図書室の方、ですかね」
二人が見る先、校舎の一角からは濛々と煙が上がっていた。
●
「本棚が倒れたぞ!」
「壁が崩れてる! 東側に回れ!」
「動ける奴は怪我人を運べ!」
瓦礫の崩れる音に怒号、大図書室は騒然としていた。先程までの平穏は嘘のように、足下には踏まれた本が数多転がっている惨状。
天井の高い図書室の中央には、黒々とした悍ましい竜のような何かが現れていた。広い図書室よりもなお巨きく、尾を振るえば壁のような本棚が次々になぎ倒されていく。
「なんなのあれ! 召喚術の失敗? 錬成魔法バグ? 完っ全に化け物なんだけど!!」
タクマを庇うように抱きしめ、みゅみゅあんが声を荒げる。すぐに教員へ連絡は行ったはずだが、現状対応できる者はこの場にいない。
「そのあたりだろうね。とにかく今は避難を」
「ヨル先輩、左に避けて!」
タクマの声は速かった。振り返るより先にヨルは左へと一歩退く。刹那、一閃の光が右腕へと掠った。
ヨルが焼けるような熱に舌打ちして見れば、腕はぱきぱきと石化を始めている。
逃げ道である出入り口の一つが潰れた為か、室内は未だ混乱していた。ヨルは詠唱を口にすると、左手で自身の肩の辺りを掴む。すると身体から抜き取られるように、手には一本の剣が生成されていた。
「タクマ君を頼んだ」
「――は!? ちょっとヨルちゃ、」
みゅみゅあんの声を掻き消すように、突如ヨルは咆吼をあげる。当然に怪物は首をもたげ、その視線をヨルへ。彼は気にせず剣を構え駆け出す。
今にも泣き出しそうなみゅみゅあんの側を、一つの影が通り過ぎた。動きが速すぎて目にも止まらなかったのは、彼女が脚部に風の魔法を纏わせた上で床を蹴っていたからだ。連続で魔法を行使し続ける魔力に類い希なるセンス――シスルは飛ぶようにおおきく跳躍し、ヨルの隣へと降り立った。
「何かおもしれーことになってんじゃん! なんなんだよあれは」
「わからない! 石化の魔法を使う、時間稼ぎを」
竜が振り下ろす爪をまともに受けて、ヨルの剣が粉々になる。合流したシスルがその爪を風の刃で払えば、その瞬にヨルが次の剣を造り構えた。
その足下から、ふわりと光が舞った。まるで油彩を描くような筆の軌跡が、空中に描かれていく。不思議な光景だった。
「⋯⋯大丈夫ですか!? 今回復を!」
普段の穏やかさを感じさせない、緊張感のある声色で言ったのはジュンだ。シスルに続いて駆けつけた彼が編んだのは治癒の魔法。全員の傷とヨルの動かない腕までもを、その絵画は癒していく。
「よーし、みゅみゅちゃんも一発かましてやんよ!」
みゅみゅあんもまた、手をかざして魔力を指に込めた。難解な魔法式も組み上げるための原理も、彼女にはさっぱりわからない。わからないがイメージすることはできる。そしてイメージは、必ず作り出すことができた。
みゅみゅあんの方へ相当量の魔力が収束しているのを、その場にいる全員が肌に感じていた。しかし、側に居たタクマが首を振る。
「まだだめです。まだ……頭の上の目、そこじゃないと、ダメージが通らない」
「頭の目……?」
近接で戦うヨルも、敵の頭の上など到底見えるものではない。思わず振り返ると、タクマはじっと竜を見つめるだけだ。ただ、その両の目に魔力が集まっているのがわかる。
時を数秒越えた速度の指示、そして上空からの空間認識。あらゆる情報を瞬時に集積するタクマの魔法。
「上だな? ジュン! 少し力を貸してくれ」
走ったのはシスルだった。彼女は素早くみゅみゅあんを抱えると脚部に風を纏わせる。ジュンは一瞬視線を彷徨わせるも、すぐに彼女の意図を掴み、魔法を詠唱した。回復魔法の応用。魔力を癒やしではなく、純粋に力を分け与えるイメージでシスルへと繋ぐ。その力をバネに、シスルはみゅみゅあんを抱えたまま跳んだ。
「わ、わ! シスちゃんちょっと怖!」
「頭上に目があるらしい、それを狙うんだ。大丈夫、落としやしねーよ!」
敵の攻撃はヨルの剣が防ぎ、ルートはタクマが指示を投げる。意識を逸らし、ガラ空きの上空から狙うはみゅみゅあん。
「あれだ!」
「まっかせて! 全部燃やしてやる――!」
翳した手から迸る炎。あらたかな光は、一瞬全てを眩ませた。
●
「ひゃっほー! すごくよく燃えた-! やっっぱみゅみゅちゃん天才なのでは? は?」
「いやーほんと死ぬかと思った! まあ、良い運動にはなったかな」
ドラゴン寮の二人の天才は顔を見合わせて笑い、
「ヨルさんは石化。タクマさんは魔力の使いすぎ。……応急処置はしましたけど、保健室には必ず行っておいてくださいね」
「……ありがとうございます、先輩」
スワン寮の先輩へ、後輩は小さく頭を下げた。
「やっぱり先輩方はすごい。おれも頑張って、もっと勉強をしないと」
ふわふわする頭で、最下級生はじっとそれを見ていた。
後に『大図書室の召喚事故』と語られることになるこの事件は、混乱のうちに幕を降ろす。細かな経緯を見ていた者はおらず、事件の概要は当事者達以外には多くの部分で謎を残した。しかし、結果として殆どの怪我人を出さず収束したのだという。
半壊した図書室は一時閉鎖となったものの、魔法学院の日常は続いていく。
「おー、人が多い……」
借りていた本を返すためにやってきたタクマは、東方出身者に多い黒曜石のような目をぱちくりと瞬かせた。普段は図書室を利用しない生徒もやってくるため、この時期は特に人が増える。一年生の彼にとっては、そういう試験前の空気すら初めての経験だ。
いつもと雰囲気の違う図書室に新鮮さを覚えながら、この一年ですっかり慣れた本の返却を行う。入れ替わりに魔術道具の図鑑を借り読書スペースへ行くと、端へ追いやられるようにして本を読む少年の姿をすぐに見つけた。
「ヨル先輩!」
呼ばれ、少年はすぐに顔を上げる。年齢は十四ほどだろうか。大きな傷跡がある仏頂面をタクマに向けると、小さな声で挨拶を返した。
「なんだ、タクマ君か。テスト勉強?」
「ううん。勉強は一応、普段からやってるし」
いそいそと隣の椅子に座ると、タクマは大判の表紙をヨルに見せた。写真たっぷりの図鑑本ではあるが、内容は既に三年生の授業内容にも差し掛かっている。難しそうなの読むんだな、とヨルは穏やかに微笑んだ。
サーペント寮のタクマとスワン寮のヨル。寮も学年も違う二人だが、図書館常連同士の顔なじみだ。
そこで、図書室の様子がいっそうざわついた。タクマとヨルもつられてそちらを見れば、出入り口から颯爽と一人の女子が入ってきたところだ。
つやつやの金髪に、魔法の才能が特に高い者に現れやすいとされるオッドアイ。ドラゴン寮服を着こなしているのは、誰もが目を引く美少女だ。
「わ。確か、実技試験でいつも成績トップの、みゅみゅあん先輩……」
ほうと息巻くタクマ。一年生の彼からすれば、五年生のみゅみゅあんは雲の上にいる人だ。そんなタクマに何か言いたげなヨルへ、みゅみゅあんもまた目を留めた。――なんと、力強い歩みで二人の元へと歩いてくる。
「あ、やっぱり! ヨルちゃんじゃん」
「うっ」
呼ばれたヨルは不機嫌そうに視線だけをみゅみゅあんへ。なるほど、知り合いだったらしい。
「こんにちは。みゅみゅあん先輩も試験勉強ですか?」
熱心ですね、流石です。朗らかに笑うタクマの言葉に、今度はみゅみゅあんが「うっ」と呻いた。
「そうなの。みゅみゅちゃん唯一の弱点の筆記試験の克服のために図書室に来たんだよ……」
つやつやでふわふわの金髪が、なんだかしおしおと萎びれていた。
それを心配そうに見るタクマに、ヨルが静かに補足する。
「みゅみゅあん先輩は、筆記試験が伝説級にダメダメなんだ」
「伝説級に……!」
ちょっとやそっとの成績なら伝説なんて言われない。謎の貫禄に、タクマは思わず息を呑む。
「弟よりも酷い点数をとったらお尻ペンペンの刑なんだよーお母さんすっごく怒ってて! ねーヨルちゃん、なんか成績がバーンと上がる方法ない? 革命的美少女のピンチなんだがー?」
「自分で言うか? あと自分より低学年に聞くか??」
頭の良いタクマは理解し始めていた。この先輩、黙ってれば美人の人だ!
「あ、でも」
何か思いついたヨルは、にやりと笑うとタクマを指差す。
「タクマ、もの凄く勘が良いから、テストのヤマを当てられますよ。この間同じ寮の奴に教えていた」
「えっ」
急に水を向けられ動揺するタクマ。目を輝かせるみゅみゅあん。
「でででも先輩五年生ですよね!? おれ内容全然わかんないと思うし」
「この際だからなんでもよし! タクちゃん! どこが出るかだけでもどうか何卒!」
押しつけられた分厚い教科書を前に、助けを求めてタクマがヨルを見れば、彼は涼しい顔で再び本を読み始めているところだった。
●
「あ、いた! シスルさん! シスルさーん!」
穏やかな声に呼ばれて、褐色肌の少女はその凜とした視線を彷徨わせた。声のする方――下を見ると、シスルの座る木枝のほぼ真下、大樹の根元ほどにスワン寮の寮服が見える。ふわりとした髪に穏やかな表情は、シスルも知った顔だった。
「なんだ、ジュンじゃんか。こんなところまでご足労だな」
「ご足労だな、じゃないですよ。授業開始五分でいなくなっちゃうんですもん」
ジュンとシスルは同学年だ。寮は違えど授業が同じというのも、学院においては珍しくはない。とはいえ、開始時に一緒でも終了時に双方居るとは限らない。シスルはサボリ魔だった。
「ははは! センセーも問題なんだよなー」
呆れたように眉尻を下げるジュンの目前に、シスルは身軽な動作で降り立つ。しなやかな身体の伸びと一連の所作は、まるで絵画のように美しい。魔法を使っていないのが不思議なくらいだと、ジュンは小さく息を吐く。
「で。何?」
「へっ!?」
「何かあるからここまで来たんじゃねーの?」
いつの間にか顔をぐっと近づけて覗き込んできていたシスルに、ジュンははっとなって後ろへ下がる。そうして少し慌てた指が、ポートフォリオから皺一つ無いプリントを二枚取り出した。突き出すように差し出す。
「えっと。ほら、さっきの授業の。一応いるかなと思って」
「あー。いるいる、サンキュ」
魔法史Ⅱと書かれた文字の多いプリントを眺め、シスルは思わず眉を顰めた。流石、僅か五分で抜け出した授業。もう見るからに眠くなる。
「史学、苦手なんですか?」
「だぁってよ、昔のことなんか今知って何になんだよ。まあ試験に出るから、一応見とくけど」
「試験……」
そう、期末考査はもう目前。如何に自由奔放なシスルであれ、点数が低くて良いとは思わないはずだ。少し心配そうな顔で見るジュンへ、それでもシスルはひらひらと右手を振る。
「ちょっと筆記が上手くいかなくても実技で取り返す。あたしが本気出せば試験くらいヨユーだっつーの」
「まあ、そうかもしれませんけど。前回みたいに一夜漬けとか駄目ですよ。散々だったじゃ無いですか」
「ぐぬ……」
「徹夜とかも駄目ですからね。頭がぼーっとするし、健康にも良くない」
むん、と珍しく眉を吊り上げるジュンに、シスルは思わず狼狽えた。この鈍臭くて押しの弱い男は、たまにとても頑固で融通が利かなくなるのを知っている。シスルがどう言って誤魔化そうかを考えるより前に、何かを思いついたジュンがぱっと笑顔を見せた。
「そうだ。シスルさん、勉強会をしましょう。史学なら俺教えられます」
「は!? やだよ」
なぜ授業を抜け出すほどに退屈な勉強をコイツと二人でやらなきゃなんねーんだ! という感情をありありと顔に出すシスルだが、ジュンはやる気満々である。
「そんなに掛かりませんよ。そうと決まれば図書室に――」
その時だ。地面が揺れるような、どんという低い大きな音が響いた。
強く吹く風、腕で顔を庇う二人は、同時に音のした方を見る。
「今のなんだ?」
「えっと、図書室の方、ですかね」
二人が見る先、校舎の一角からは濛々と煙が上がっていた。
●
「本棚が倒れたぞ!」
「壁が崩れてる! 東側に回れ!」
「動ける奴は怪我人を運べ!」
瓦礫の崩れる音に怒号、大図書室は騒然としていた。先程までの平穏は嘘のように、足下には踏まれた本が数多転がっている惨状。
天井の高い図書室の中央には、黒々とした悍ましい竜のような何かが現れていた。広い図書室よりもなお巨きく、尾を振るえば壁のような本棚が次々になぎ倒されていく。
「なんなのあれ! 召喚術の失敗? 錬成魔法バグ? 完っ全に化け物なんだけど!!」
タクマを庇うように抱きしめ、みゅみゅあんが声を荒げる。すぐに教員へ連絡は行ったはずだが、現状対応できる者はこの場にいない。
「そのあたりだろうね。とにかく今は避難を」
「ヨル先輩、左に避けて!」
タクマの声は速かった。振り返るより先にヨルは左へと一歩退く。刹那、一閃の光が右腕へと掠った。
ヨルが焼けるような熱に舌打ちして見れば、腕はぱきぱきと石化を始めている。
逃げ道である出入り口の一つが潰れた為か、室内は未だ混乱していた。ヨルは詠唱を口にすると、左手で自身の肩の辺りを掴む。すると身体から抜き取られるように、手には一本の剣が生成されていた。
「タクマ君を頼んだ」
「――は!? ちょっとヨルちゃ、」
みゅみゅあんの声を掻き消すように、突如ヨルは咆吼をあげる。当然に怪物は首をもたげ、その視線をヨルへ。彼は気にせず剣を構え駆け出す。
今にも泣き出しそうなみゅみゅあんの側を、一つの影が通り過ぎた。動きが速すぎて目にも止まらなかったのは、彼女が脚部に風の魔法を纏わせた上で床を蹴っていたからだ。連続で魔法を行使し続ける魔力に類い希なるセンス――シスルは飛ぶようにおおきく跳躍し、ヨルの隣へと降り立った。
「何かおもしれーことになってんじゃん! なんなんだよあれは」
「わからない! 石化の魔法を使う、時間稼ぎを」
竜が振り下ろす爪をまともに受けて、ヨルの剣が粉々になる。合流したシスルがその爪を風の刃で払えば、その瞬にヨルが次の剣を造り構えた。
その足下から、ふわりと光が舞った。まるで油彩を描くような筆の軌跡が、空中に描かれていく。不思議な光景だった。
「⋯⋯大丈夫ですか!? 今回復を!」
普段の穏やかさを感じさせない、緊張感のある声色で言ったのはジュンだ。シスルに続いて駆けつけた彼が編んだのは治癒の魔法。全員の傷とヨルの動かない腕までもを、その絵画は癒していく。
「よーし、みゅみゅちゃんも一発かましてやんよ!」
みゅみゅあんもまた、手をかざして魔力を指に込めた。難解な魔法式も組み上げるための原理も、彼女にはさっぱりわからない。わからないがイメージすることはできる。そしてイメージは、必ず作り出すことができた。
みゅみゅあんの方へ相当量の魔力が収束しているのを、その場にいる全員が肌に感じていた。しかし、側に居たタクマが首を振る。
「まだだめです。まだ……頭の上の目、そこじゃないと、ダメージが通らない」
「頭の目……?」
近接で戦うヨルも、敵の頭の上など到底見えるものではない。思わず振り返ると、タクマはじっと竜を見つめるだけだ。ただ、その両の目に魔力が集まっているのがわかる。
時を数秒越えた速度の指示、そして上空からの空間認識。あらゆる情報を瞬時に集積するタクマの魔法。
「上だな? ジュン! 少し力を貸してくれ」
走ったのはシスルだった。彼女は素早くみゅみゅあんを抱えると脚部に風を纏わせる。ジュンは一瞬視線を彷徨わせるも、すぐに彼女の意図を掴み、魔法を詠唱した。回復魔法の応用。魔力を癒やしではなく、純粋に力を分け与えるイメージでシスルへと繋ぐ。その力をバネに、シスルはみゅみゅあんを抱えたまま跳んだ。
「わ、わ! シスちゃんちょっと怖!」
「頭上に目があるらしい、それを狙うんだ。大丈夫、落としやしねーよ!」
敵の攻撃はヨルの剣が防ぎ、ルートはタクマが指示を投げる。意識を逸らし、ガラ空きの上空から狙うはみゅみゅあん。
「あれだ!」
「まっかせて! 全部燃やしてやる――!」
翳した手から迸る炎。あらたかな光は、一瞬全てを眩ませた。
●
「ひゃっほー! すごくよく燃えた-! やっっぱみゅみゅちゃん天才なのでは? は?」
「いやーほんと死ぬかと思った! まあ、良い運動にはなったかな」
ドラゴン寮の二人の天才は顔を見合わせて笑い、
「ヨルさんは石化。タクマさんは魔力の使いすぎ。……応急処置はしましたけど、保健室には必ず行っておいてくださいね」
「……ありがとうございます、先輩」
スワン寮の先輩へ、後輩は小さく頭を下げた。
「やっぱり先輩方はすごい。おれも頑張って、もっと勉強をしないと」
ふわふわする頭で、最下級生はじっとそれを見ていた。
後に『大図書室の召喚事故』と語られることになるこの事件は、混乱のうちに幕を降ろす。細かな経緯を見ていた者はおらず、事件の概要は当事者達以外には多くの部分で謎を残した。しかし、結果として殆どの怪我人を出さず収束したのだという。
半壊した図書室は一時閉鎖となったものの、魔法学院の日常は続いていく。