夜天の末裔、緑瞳のセリーヌ
キャラクターノベル制作 望月誠司納品 2021年03月29日 18時46分14秒
「テキストー、ヒライテー」
パンクリアース学園において一般教養の授業は教師が教室へとやってきて行われる。
窓辺から差し込む春の日差しを浴びながら十四歳の少女は本を開いた。
「センテンスワンカラー、ロードクシテクダサーイ、デハ……ミズ・セリーヌ」
「はい」
指名されたセリーヌは教科書――開かれたページには『創世記』の文が引用されている――を手に立ち上がった。
身長およそ140cm、艶やかに長い茶色の髪と煌く緑色の瞳を持つ少女だ。
顔立ちに幾分か幼さを残す小柄な娘は、背筋をピンと伸ばし、手にした本に目を走らせながら、桃色の唇を開き、白い喉を震わせて、朗々とした高音の女声を発した。
「『――初めに神は霊智の澱から箱庭を創造された。
箱庭は天地に境なく、霊智そのものであった。
小さき神々は霊智に力を分け与えたもうた。
霊智は天となり、地となり、光となり、闇となり、火となり、水となりて、最後に生命となった。
神と小さき神々はこれを祝福なさった』」
読み上げてゆくとやがて教師より、
「エークセレントッ」
と声がかかった。
「イイハツオンデース」
賞賛の声と共に着席を促されたので再び席に座る。
続きを後ろの男子生徒が指名されて読み上げてゆく。
(上手く読めたのよ)
ほっとセリーヌは息をついていた。
セリーヌが学園に入学したのは十一歳の時だったから、もう授業の進行形式にも慣れたものだった。
無論、新しい学科などになると今までとはまったく違う運びになる事も多いのだが、初年度からあった基礎的なものなら基本の流れは、そう大差なかった。
(そっか、もう三年になるのよね……)
緑瞳の少女は隣にある教室の窓へと視線を移し、その外を眺めた。
セリーヌは元々、王都に住んでいたエルフではない。
彼女の父はヒューマンだったが母はエルフで、この地より遥かに西北にあるフィルエス大森林で暮らしていたのである――
●
『湖水』
『樹花』
『灰火』
『聖鳥』
そして
『夜天』
フィルエス大森林に住まうエルフの源流たる五氏族である。
それらが源流であるが、領域の拡大や旅立ち及び外界からの森への帰還などにより新たな氏族が興されるなどして、大森林には沢山の氏族が存在している。
セリーヌは夜天の末裔だった。
風に揺れる深緑の梢から洩れる木漏れ陽が、白く透明な天への階を薄暗い森の地へと落とし、光注ぐ張り巡らされた巨大な樹根の上には、ヒューマンの男が一人腰を下ろしていた。
年寄り、という程に歳を喰ってはいないが、少年、という程に幼くも無い。
彼は黙ってじっと森の樹々の枝のアーチが作る、森道の彼方を見つめていた。
セリーヌの父である。
父は寡黙だった。
そして、時折り、何処か遠くをじっと見つめる事があった。
「……おとーさんはアレ、何してるの?」
幼いセリーヌは、家の前の庭先に出て、枯れ枝の棒の先で地面をガリガリとひっかいている最中、ふと気になって小首を傾げた。
「良いのよ、そっとしておいてあげて」
エメラルドのような美しい瞳の女――若い容姿のエルフだ――は微笑し、右手に持つ枯れ枝の先を地面につけ、
「それよりセリーヌ、その文字を覚えたら次はこれね」
幼女が描いた文字の隣に、別の線が多くて複雑な文字を描く。
「わ、なんか、むつかしそーなの」
「大丈夫よ。何度も書いてれば覚えるわ、がんばって」
「はーい!」
「良い子ね」
セリーヌが元気良く返事すると母は微笑んでセリーヌの頭を優しく撫でてくれた。
●
森での暮らしは穏やかだった。
緩やかに時が過ぎていった。
ある晩の御飯時、
「おとーさんとおかーさんってずっとこの森に住んでた訳じゃないのよね?」
昼間、近所の――といっても随分立地は離れているが――エルフが通りがかって家先で遊んでいたセリーヌへとそんなような事を言ったのだ。言った、というか独白の呟きが聞こえた、といった方が正しかったが。
――どういうこと?
とセリーヌが男を見上げて尋ねると、そのエルフは結局口を閉ざしてまた何処かへ行ってしまったので仔細はわからなかった。
なので、こうして両親に直接尋ねる事にしたのである。
「この森に来る前って、どこで何をしていたの?」
父と母は顔を見合わせた。
そして、
「おかーさん、今日はお腹いっぱいでイヴォンが食べられないの。セリーヌ食べる?」
と皿に載った焼き菓子をセリーヌの眼前へと差し出して来た。
外側はとび色に、中はクリーム色に焼けた、とても美味しい焼き菓子である。いつも食べ過ぎては駄目よ、と一個しか食べられないのだが、今日は二個食べて良いという事だろうか?
幼いセリーヌは緑瞳をキラキラと輝かせた。
「うん!」
エルフの童女は喜んで手を伸ばし、焼き菓子を手に取ってカリカリとリスのように齧りながら食べてゆく。
とても甘く、しかしそれでいてしつこ過ぎないまろやかな風味が口の中に広がってゆく。
にこにこと焼き菓子をほおばっていると寡黙な父が珍しく話しかけて来た。
「……そういえばセリーヌはもう簡単な文なら書けるようになったんだって?」
幼女は急いで菓子を咀嚼し飲み込み、
「うん! ばっちりなのよ!」
「そうか、偉いぞ。さすがは母さんの子だな」
「あら、貴方も物覚えは悪くないでしょう?」
父と母がそんな事を言って笑い合っている。
幸せな気分になったセリーヌは、その晩はすっかり、尋ねていた事柄を忘れてしまったのだった。
●
しかし、である。
幸か不幸か幼いセリーヌの物覚えの良い頭脳はポンコツではなかった。
その晩は忘れたが、再びふとした時に思い出し、また晩御飯時に両親に尋ねてみた。
すると、その時もまたなんやかんやとはぐらかされてしまった。
幼女はその二度の経験から、
『――もしかして、晩御飯時に両親の過去を尋ねると、高確率で美味しい料理を一品多く食べられるのでは?』
という事実を推察、学習した。
ので、それからは好物が出て来る日を狙い澄まして尋ねる事とした。
くれるのはいつも母だったので、母の分が減ってしまうから一時、気が咎めやめようかとも思ったのだが、晩御飯の後に母がこっそり一人でイヴォンを食べている姿を目撃した為、問題なさそうだとの判断をくだした。イヴォンは沢山作り置きができる焼き菓子なのである。
父は焼き菓子をもしゃもしゃ食べるセリーヌを見てにこにこしていたが母は深々と嘆息し、あくる日、
「貴方、セリーヌへ昔の事を話した方が良いのではないかしら」
「……しかし」
「だって、このままではセリーヌがビヒモーになってしまうもの」
「……それは由々しき事態だな」
かくて、愛娘の食べ過ぎを心配した両親は、重かった口を開き過去の事を語ってくれた。
その晩、狙っていた二個目のイヴォンが食べられない事態となりセリーヌはちょっぴりがっかりしたのだが、それはそれとして両親の過去は大変気になっていたので、しっかりと耳を傾けた。
「――私とお父さんはね、大陸中を旅して回っていたのよ」
「大陸中を?」
「そう」
その晩から、母は時折り、物語を語ってくれるようになった。
暖炉を囲んで母が語り、父は懐かしむように目を細めていた。
セリーヌはそんな二人が好きだった。
そんな日々が好きだった。
しかし、宝石のように煌いてた日常は、唐突に終わりを告げた。
●
八年前――セリーヌが六歳の時の事だった。
いつものように童女が家先で遊んでいると森道の奥から大勢の人間達がやってきた。
手に槍と盾を持ち、腰に剣を佩き、要所が鉄で補強された革の鎧兜に身を包んでいる。
――兵士だ。
先頭部にはそれとは装いの異なる立派な装束に身を包んだ男達が歩いていた。
皆、怖いくらいに張り詰めた表情、目をしていた。
「――セリーヌ」
今までに聞いた事の無い、硬い声音で母から名を呼ばれた。
セリーヌは母に手を引かれ、家の奥へと連れていかれた。
後の事はセリーヌは良く覚えていない。
次に記憶に残っているのは母と一緒に峠の道を歩いている時の事だった。
険しい道に息を切らしながら背後を振り返れば、見えたのは青い空と白い雲、そして、眼下に海のように広がる緑の森とひときわ巨大な樹木の姿。
――フィルエスの大森林だ。
自分達はそれに背を向けて歩いていた。
やがて母と共に山を越え、下り、荒野に出た。
シルトラース帝国に入ったのだという。
見渡す限り平坦な野の広がる大平原を母と共に歩いた。
とても厳しい旅だった。
幼かったセリーヌの記憶は朦朧としていて曖昧だ。
けれど、非常に辛かった事だけは覚えている。それでも母が居たから耐えられた。母もとても苦しそうだったけれど、けどセリーヌの手を握り毎晩、優しく微笑みかけてくれた。
やがて二人は帝国辺境の町に辿り着いた。
辺境の町の宿で母はセリーヌを連れ一人の男と会った。
伯父なのだという。
セリーヌは自分達は母のいう『用事』を済ませたらフィルエス大森林に帰るのだと思っていた。帰れるのだと思っていた。
しかし、
「セリーヌ、愛しているわ。どうか元気で健やかに。伯父様の言う事をよく聞くのよ」
母は泣きそうな顔をして言ったのだ。
「……お母さん?」
「それとセリーヌ」
母は緑色の瞳でじっとセリーヌを見つめて、
「貴方の素性は他の誰にも知られてはいけないわ。隠しなさい……どうか夜天の加護が共にありますように」
最後に、もう一度母はセリーヌの事を愛していると述べて、宿の部屋から出て行った。
「――お母さん!」
セリーヌは声をあげ後を追いかけようとした。けれど、その肩に力が加わって、前に進む事が出来なかった。
振り向くと、セリーヌの肩を掴んだ伯父が顰め面で立っていた。
「……セリーヌ、君はお母さんと一緒にはいけない。私と一緒にリーンエスへ行くんだ」
●
伯父との旅は、母と共に歩いてフィルエス大森林より山を越え帝国の町まで辿り着いたかつての旅と比べ格段に楽だった。
馬車を使えたからだ。
宿も使えた。
質の良い宿で、暖炉に火も入れられていたから、極寒の夜に母と二人身を寄せあって震えながら眠った日々とは雲泥の差だった。身体とは別の何かが凍えてしかたなかったが、暖炉があっても、母がいない。
伯父はどうやらかなり裕福な人間のようだった。
彼はリーンエス王国の貴族なのだという。
そして、セリーヌも貴族である伯父の屋敷でこれからは暮らすのだという。
(だから、お母さんは素性を隠せと言ったのかしら?)
リーンエス王国の貴族社会では貴族はヒューマンであることが暗黙的に求められている――つまり、ヒューマン以外の種族は、貴族としてはあまり良い立場にいない。だから。
それとも――他に何かが、あるのだろうか?
セリーヌの脳裏に森にやってきた大勢の兵士とそして身分が高そうな男達の姿が甦った。
(あの人達は、一体、何?)
母も伯父も尋ねても答えてはくれなかった。父は――何処へ行ったのだろう?
母は――何処へ行ったのだろう?
●
その後、五年程、セリーヌはリーンエス王国の伯父の屋敷で暮らした。
不自由の無い生活だった。
伯父は父と母との話をたまにしてくれた。古くからの知り合いであるらしかった。
けれど伯父は、父の昔を聞こうとすると、その時には決まってとても悲しそうに口を閉ざした。
「セリーヌ、パンクリアース学園に入学する気はないか」
あくる日、伯父はセリーヌへと尋ねて来た。
セリーヌはエルフである。王国貴族が集まるその場所へ通う事には少し迷ったが、
「私は君のお父さんとは、パンクリアース学園で出会ったんだよ」
伯父にそのように語られ興味が湧いた。
――パンクリアース学園に通ったら、私にも友達が出来るかしら?
父や伯父が幼い頃に学んだというその学舎を見てみたい。
そう思ったセリーヌは、伯父の誘いに頷き学園への入学意志を固め、その為の準備を開始した。
そうして十一歳になった時、パンクリアース学園へと入学したのである。
●
花壇に色とりどりの花が咲いていた。
緑の芝生には白いテーブルと椅子が設置されている。
テーブルの上には瀟洒な軽食とティーセットが並べられていた。
「――ですからね、改めて申し上げますけれど、わたくしのお父様はそりゃーもう立派なジェントルメンなんですのよ」
ハチミツ色の長い髪をくるくると顔の両脇で巻いている少女が、白い磁器製のティーカップを手に艶然と微笑む。
鮮やかな深紅のドレスに身を包んだ貴族のお嬢様だ。歳はセリーヌと同年である。
彼女の父は王国から伯爵位を授与されていて、彼女曰くでは大層立派な人物であるのだそうだ。
(お父さん、か……)
友人の話に耳を傾けつつセリーヌは胸中で呟いた。十四歳になっていた。あの日から八年の歳月が流れていた。
今頃父は何処で何をしているのだろう?
母も何処で何をしているのだろう?
愛する両親の事を想うと胸がとても締めつけられて眠れない夜もあったけれど、セリーヌは前を向いて学園生活に励んでいた。友人も何人かできた。特に目の前の黄金ドリラーな髪型のお嬢様には仲良くして貰っている。自慢屋なのが玉に瑕だが悪い娘では無い。
「――わたくし『それなら新しい事業なんて巨大リスクを抱えるよりパンを配った方がよろしいのではなくて?』と申し上げたのですけど、そしたらお父様『施すのでは救えない、共に同じ仕事にあたる友とすべきだ』とおっしゃるの。わたくしそれを聞いてお父様は凄いなと――ちょっとセリーヌさん、セリーヌさん? 聞いてらっしゃる?」
「うん、大丈夫、聞いてるのよ」
カリカリと焼き菓子を栗鼠のようにかじりつつセリーヌは頷く。
これも悪くは無いけれど母が焼いてくれたイヴォンの方が美味しかったな、なんて胸中で思う。
「そう? それなら良いのですけど、ともかくですね、学問、武勇、財力、容姿、いずれも優れているのは貴き血筋の者なれば当然の事ですけれど、しかし真に貴い一族であるならば、わたくし、何よりも心根が豊かでなければならないと思うのですわ。セリーヌさんもそうは思われません事?」
「そうね。私は、どれか一つ優れているだけでも十分立派だって思うけど」
「それでは全てが優れているわたくしのお父様はやっぱりハイパーですわね!」
黄金ドリル少女は我が意を得たりとばかりにほーっほっほっほっほと高笑いし出した。
セリーヌは苦笑した。
「貴方はホント、お父さんの事が好きなのね」
「当然ですわ。尊敬しておりますもの」
セリーヌも父の事が好きだった。
(――お父さん、お母さん、セリーヌは強く生きてるのよ)
緑瞳の少女は金髪少女へ「そうなの」と相槌を打ちつつ微笑んで、かつての父と同じように遠くを見つめるのだった。
パンクリアース学園において一般教養の授業は教師が教室へとやってきて行われる。
窓辺から差し込む春の日差しを浴びながら十四歳の少女は本を開いた。
「センテンスワンカラー、ロードクシテクダサーイ、デハ……ミズ・セリーヌ」
「はい」
指名されたセリーヌは教科書――開かれたページには『創世記』の文が引用されている――を手に立ち上がった。
身長およそ140cm、艶やかに長い茶色の髪と煌く緑色の瞳を持つ少女だ。
顔立ちに幾分か幼さを残す小柄な娘は、背筋をピンと伸ばし、手にした本に目を走らせながら、桃色の唇を開き、白い喉を震わせて、朗々とした高音の女声を発した。
「『――初めに神は霊智の澱から箱庭を創造された。
箱庭は天地に境なく、霊智そのものであった。
小さき神々は霊智に力を分け与えたもうた。
霊智は天となり、地となり、光となり、闇となり、火となり、水となりて、最後に生命となった。
神と小さき神々はこれを祝福なさった』」
読み上げてゆくとやがて教師より、
「エークセレントッ」
と声がかかった。
「イイハツオンデース」
賞賛の声と共に着席を促されたので再び席に座る。
続きを後ろの男子生徒が指名されて読み上げてゆく。
(上手く読めたのよ)
ほっとセリーヌは息をついていた。
セリーヌが学園に入学したのは十一歳の時だったから、もう授業の進行形式にも慣れたものだった。
無論、新しい学科などになると今までとはまったく違う運びになる事も多いのだが、初年度からあった基礎的なものなら基本の流れは、そう大差なかった。
(そっか、もう三年になるのよね……)
緑瞳の少女は隣にある教室の窓へと視線を移し、その外を眺めた。
セリーヌは元々、王都に住んでいたエルフではない。
彼女の父はヒューマンだったが母はエルフで、この地より遥かに西北にあるフィルエス大森林で暮らしていたのである――
●
『湖水』
『樹花』
『灰火』
『聖鳥』
そして
『夜天』
フィルエス大森林に住まうエルフの源流たる五氏族である。
それらが源流であるが、領域の拡大や旅立ち及び外界からの森への帰還などにより新たな氏族が興されるなどして、大森林には沢山の氏族が存在している。
セリーヌは夜天の末裔だった。
風に揺れる深緑の梢から洩れる木漏れ陽が、白く透明な天への階を薄暗い森の地へと落とし、光注ぐ張り巡らされた巨大な樹根の上には、ヒューマンの男が一人腰を下ろしていた。
年寄り、という程に歳を喰ってはいないが、少年、という程に幼くも無い。
彼は黙ってじっと森の樹々の枝のアーチが作る、森道の彼方を見つめていた。
セリーヌの父である。
父は寡黙だった。
そして、時折り、何処か遠くをじっと見つめる事があった。
「……おとーさんはアレ、何してるの?」
幼いセリーヌは、家の前の庭先に出て、枯れ枝の棒の先で地面をガリガリとひっかいている最中、ふと気になって小首を傾げた。
「良いのよ、そっとしておいてあげて」
エメラルドのような美しい瞳の女――若い容姿のエルフだ――は微笑し、右手に持つ枯れ枝の先を地面につけ、
「それよりセリーヌ、その文字を覚えたら次はこれね」
幼女が描いた文字の隣に、別の線が多くて複雑な文字を描く。
「わ、なんか、むつかしそーなの」
「大丈夫よ。何度も書いてれば覚えるわ、がんばって」
「はーい!」
「良い子ね」
セリーヌが元気良く返事すると母は微笑んでセリーヌの頭を優しく撫でてくれた。
●
森での暮らしは穏やかだった。
緩やかに時が過ぎていった。
ある晩の御飯時、
「おとーさんとおかーさんってずっとこの森に住んでた訳じゃないのよね?」
昼間、近所の――といっても随分立地は離れているが――エルフが通りがかって家先で遊んでいたセリーヌへとそんなような事を言ったのだ。言った、というか独白の呟きが聞こえた、といった方が正しかったが。
――どういうこと?
とセリーヌが男を見上げて尋ねると、そのエルフは結局口を閉ざしてまた何処かへ行ってしまったので仔細はわからなかった。
なので、こうして両親に直接尋ねる事にしたのである。
「この森に来る前って、どこで何をしていたの?」
父と母は顔を見合わせた。
そして、
「おかーさん、今日はお腹いっぱいでイヴォンが食べられないの。セリーヌ食べる?」
と皿に載った焼き菓子をセリーヌの眼前へと差し出して来た。
外側はとび色に、中はクリーム色に焼けた、とても美味しい焼き菓子である。いつも食べ過ぎては駄目よ、と一個しか食べられないのだが、今日は二個食べて良いという事だろうか?
幼いセリーヌは緑瞳をキラキラと輝かせた。
「うん!」
エルフの童女は喜んで手を伸ばし、焼き菓子を手に取ってカリカリとリスのように齧りながら食べてゆく。
とても甘く、しかしそれでいてしつこ過ぎないまろやかな風味が口の中に広がってゆく。
にこにこと焼き菓子をほおばっていると寡黙な父が珍しく話しかけて来た。
「……そういえばセリーヌはもう簡単な文なら書けるようになったんだって?」
幼女は急いで菓子を咀嚼し飲み込み、
「うん! ばっちりなのよ!」
「そうか、偉いぞ。さすがは母さんの子だな」
「あら、貴方も物覚えは悪くないでしょう?」
父と母がそんな事を言って笑い合っている。
幸せな気分になったセリーヌは、その晩はすっかり、尋ねていた事柄を忘れてしまったのだった。
●
しかし、である。
幸か不幸か幼いセリーヌの物覚えの良い頭脳はポンコツではなかった。
その晩は忘れたが、再びふとした時に思い出し、また晩御飯時に両親に尋ねてみた。
すると、その時もまたなんやかんやとはぐらかされてしまった。
幼女はその二度の経験から、
『――もしかして、晩御飯時に両親の過去を尋ねると、高確率で美味しい料理を一品多く食べられるのでは?』
という事実を推察、学習した。
ので、それからは好物が出て来る日を狙い澄まして尋ねる事とした。
くれるのはいつも母だったので、母の分が減ってしまうから一時、気が咎めやめようかとも思ったのだが、晩御飯の後に母がこっそり一人でイヴォンを食べている姿を目撃した為、問題なさそうだとの判断をくだした。イヴォンは沢山作り置きができる焼き菓子なのである。
父は焼き菓子をもしゃもしゃ食べるセリーヌを見てにこにこしていたが母は深々と嘆息し、あくる日、
「貴方、セリーヌへ昔の事を話した方が良いのではないかしら」
「……しかし」
「だって、このままではセリーヌがビヒモーになってしまうもの」
「……それは由々しき事態だな」
かくて、愛娘の食べ過ぎを心配した両親は、重かった口を開き過去の事を語ってくれた。
その晩、狙っていた二個目のイヴォンが食べられない事態となりセリーヌはちょっぴりがっかりしたのだが、それはそれとして両親の過去は大変気になっていたので、しっかりと耳を傾けた。
「――私とお父さんはね、大陸中を旅して回っていたのよ」
「大陸中を?」
「そう」
その晩から、母は時折り、物語を語ってくれるようになった。
暖炉を囲んで母が語り、父は懐かしむように目を細めていた。
セリーヌはそんな二人が好きだった。
そんな日々が好きだった。
しかし、宝石のように煌いてた日常は、唐突に終わりを告げた。
●
八年前――セリーヌが六歳の時の事だった。
いつものように童女が家先で遊んでいると森道の奥から大勢の人間達がやってきた。
手に槍と盾を持ち、腰に剣を佩き、要所が鉄で補強された革の鎧兜に身を包んでいる。
――兵士だ。
先頭部にはそれとは装いの異なる立派な装束に身を包んだ男達が歩いていた。
皆、怖いくらいに張り詰めた表情、目をしていた。
「――セリーヌ」
今までに聞いた事の無い、硬い声音で母から名を呼ばれた。
セリーヌは母に手を引かれ、家の奥へと連れていかれた。
後の事はセリーヌは良く覚えていない。
次に記憶に残っているのは母と一緒に峠の道を歩いている時の事だった。
険しい道に息を切らしながら背後を振り返れば、見えたのは青い空と白い雲、そして、眼下に海のように広がる緑の森とひときわ巨大な樹木の姿。
――フィルエスの大森林だ。
自分達はそれに背を向けて歩いていた。
やがて母と共に山を越え、下り、荒野に出た。
シルトラース帝国に入ったのだという。
見渡す限り平坦な野の広がる大平原を母と共に歩いた。
とても厳しい旅だった。
幼かったセリーヌの記憶は朦朧としていて曖昧だ。
けれど、非常に辛かった事だけは覚えている。それでも母が居たから耐えられた。母もとても苦しそうだったけれど、けどセリーヌの手を握り毎晩、優しく微笑みかけてくれた。
やがて二人は帝国辺境の町に辿り着いた。
辺境の町の宿で母はセリーヌを連れ一人の男と会った。
伯父なのだという。
セリーヌは自分達は母のいう『用事』を済ませたらフィルエス大森林に帰るのだと思っていた。帰れるのだと思っていた。
しかし、
「セリーヌ、愛しているわ。どうか元気で健やかに。伯父様の言う事をよく聞くのよ」
母は泣きそうな顔をして言ったのだ。
「……お母さん?」
「それとセリーヌ」
母は緑色の瞳でじっとセリーヌを見つめて、
「貴方の素性は他の誰にも知られてはいけないわ。隠しなさい……どうか夜天の加護が共にありますように」
最後に、もう一度母はセリーヌの事を愛していると述べて、宿の部屋から出て行った。
「――お母さん!」
セリーヌは声をあげ後を追いかけようとした。けれど、その肩に力が加わって、前に進む事が出来なかった。
振り向くと、セリーヌの肩を掴んだ伯父が顰め面で立っていた。
「……セリーヌ、君はお母さんと一緒にはいけない。私と一緒にリーンエスへ行くんだ」
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伯父との旅は、母と共に歩いてフィルエス大森林より山を越え帝国の町まで辿り着いたかつての旅と比べ格段に楽だった。
馬車を使えたからだ。
宿も使えた。
質の良い宿で、暖炉に火も入れられていたから、極寒の夜に母と二人身を寄せあって震えながら眠った日々とは雲泥の差だった。身体とは別の何かが凍えてしかたなかったが、暖炉があっても、母がいない。
伯父はどうやらかなり裕福な人間のようだった。
彼はリーンエス王国の貴族なのだという。
そして、セリーヌも貴族である伯父の屋敷でこれからは暮らすのだという。
(だから、お母さんは素性を隠せと言ったのかしら?)
リーンエス王国の貴族社会では貴族はヒューマンであることが暗黙的に求められている――つまり、ヒューマン以外の種族は、貴族としてはあまり良い立場にいない。だから。
それとも――他に何かが、あるのだろうか?
セリーヌの脳裏に森にやってきた大勢の兵士とそして身分が高そうな男達の姿が甦った。
(あの人達は、一体、何?)
母も伯父も尋ねても答えてはくれなかった。父は――何処へ行ったのだろう?
母は――何処へ行ったのだろう?
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その後、五年程、セリーヌはリーンエス王国の伯父の屋敷で暮らした。
不自由の無い生活だった。
伯父は父と母との話をたまにしてくれた。古くからの知り合いであるらしかった。
けれど伯父は、父の昔を聞こうとすると、その時には決まってとても悲しそうに口を閉ざした。
「セリーヌ、パンクリアース学園に入学する気はないか」
あくる日、伯父はセリーヌへと尋ねて来た。
セリーヌはエルフである。王国貴族が集まるその場所へ通う事には少し迷ったが、
「私は君のお父さんとは、パンクリアース学園で出会ったんだよ」
伯父にそのように語られ興味が湧いた。
――パンクリアース学園に通ったら、私にも友達が出来るかしら?
父や伯父が幼い頃に学んだというその学舎を見てみたい。
そう思ったセリーヌは、伯父の誘いに頷き学園への入学意志を固め、その為の準備を開始した。
そうして十一歳になった時、パンクリアース学園へと入学したのである。
●
花壇に色とりどりの花が咲いていた。
緑の芝生には白いテーブルと椅子が設置されている。
テーブルの上には瀟洒な軽食とティーセットが並べられていた。
「――ですからね、改めて申し上げますけれど、わたくしのお父様はそりゃーもう立派なジェントルメンなんですのよ」
ハチミツ色の長い髪をくるくると顔の両脇で巻いている少女が、白い磁器製のティーカップを手に艶然と微笑む。
鮮やかな深紅のドレスに身を包んだ貴族のお嬢様だ。歳はセリーヌと同年である。
彼女の父は王国から伯爵位を授与されていて、彼女曰くでは大層立派な人物であるのだそうだ。
(お父さん、か……)
友人の話に耳を傾けつつセリーヌは胸中で呟いた。十四歳になっていた。あの日から八年の歳月が流れていた。
今頃父は何処で何をしているのだろう?
母も何処で何をしているのだろう?
愛する両親の事を想うと胸がとても締めつけられて眠れない夜もあったけれど、セリーヌは前を向いて学園生活に励んでいた。友人も何人かできた。特に目の前の黄金ドリラーな髪型のお嬢様には仲良くして貰っている。自慢屋なのが玉に瑕だが悪い娘では無い。
「――わたくし『それなら新しい事業なんて巨大リスクを抱えるよりパンを配った方がよろしいのではなくて?』と申し上げたのですけど、そしたらお父様『施すのでは救えない、共に同じ仕事にあたる友とすべきだ』とおっしゃるの。わたくしそれを聞いてお父様は凄いなと――ちょっとセリーヌさん、セリーヌさん? 聞いてらっしゃる?」
「うん、大丈夫、聞いてるのよ」
カリカリと焼き菓子を栗鼠のようにかじりつつセリーヌは頷く。
これも悪くは無いけれど母が焼いてくれたイヴォンの方が美味しかったな、なんて胸中で思う。
「そう? それなら良いのですけど、ともかくですね、学問、武勇、財力、容姿、いずれも優れているのは貴き血筋の者なれば当然の事ですけれど、しかし真に貴い一族であるならば、わたくし、何よりも心根が豊かでなければならないと思うのですわ。セリーヌさんもそうは思われません事?」
「そうね。私は、どれか一つ優れているだけでも十分立派だって思うけど」
「それでは全てが優れているわたくしのお父様はやっぱりハイパーですわね!」
黄金ドリル少女は我が意を得たりとばかりにほーっほっほっほっほと高笑いし出した。
セリーヌは苦笑した。
「貴方はホント、お父さんの事が好きなのね」
「当然ですわ。尊敬しておりますもの」
セリーヌも父の事が好きだった。
(――お父さん、お母さん、セリーヌは強く生きてるのよ)
緑瞳の少女は金髪少女へ「そうなの」と相槌を打ちつつ微笑んで、かつての父と同じように遠くを見つめるのだった。