契約の右手

キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年03月19日 18時42分50秒

 すっかりと春めいた空気は、ここ古き港湾都市エスト・ポーラでも感じられる。どこか寂しげに見えた冬の港町から、一殻剥けたように感じるのは人々の活気のせいだろうか。

 路地を奔る潮風に帽子を押さえながら、リサ・ベイカーはあの場所を目指していた。
 時刻は昼前。約束の時間には少し早いけれど、馴染みの店でなら時間を潰すのは苦じゃない。

「見えた」

 舵輪に絡まるウミヘビの看板のかかるドアを、リサはゆっくりと押した。

「いらっしゃい」

 いつものタイミングでいつもの声。カウンターでカップを磨くマスターが迎えてくれた。

「奥の席使いますね」

 マスターに声をかけ店の奥へ。リサはいつもの席へ辿り着くと、使い込まれた椅子を引き腰かけた。
 窓から見える港の風景を眺める。注文はまだしない。それは待ち人が来てからでいい。

「ほんと変わらない。良くも悪くも」

 港の風景はいったいいつから変わっていないのだろう。もちろん新しい設備や施設は増えていってるし、古くなった倉庫とかも改修されている。
 この街が変わってないと思うのは、その空気感。目まぐるしく変わっていくリブラネスタとは対照的な、古くて保守的な変わらない街。それがここ港湾都市エスト・ポーラ。

「なんて、偉そうな事考えてるなぁ」

 哀愁でも郷愁でもない。ただ客観的にそう思うのはきっと父の影響だろう。物事を主観で見ない商人特有の目線。そんな物の見方を叩きこまれた日々が、そう思わせた。
 それが嫌で飛び出したのに、やっぱり根底にあるのは父の教えなんだと、最近思う事がある。

「随分物憂げね」

 そんな事を思っていると、待ち人が来た。
 春色のコートを椅子の背もたれにかけ、椅子を引いた淑女。
 春の日差しがよく似合う笑顔、リサの継母『メリッサ=ベイカー』その人だった。

「お義母様、わざわざごめんなさい」
「あら、リサさんがいきなり頭を下げるなんて……何か嫌な予感がするわね」
 と言いつつも、にこにことリサの方を見ながら椅子へ腰かけるメリッサ。
「はい、それじゃお話を聞きましょうか」
 淑女らしくピンと背筋を伸ばし座ると、笑顔のまま問いかけた。
「実はご相談があります」
「はい、なんでしょう」
「えっと……」
「はい、やり直し」
「えっ?」
「駄目よ? 相手と交渉するのに「えっと」なんて前置き使っちゃ。それだけで舐められてしまうわ」
 ニコニコと笑顔のままぴしゃりと言い切るメリッサに、リサはぽかんと口を開ける。
「はい、そのお顔も駄目ね。表情は口ほどのものを言うわ。交渉の基本はポーカーフェイスよ?」
「あ、あのお義母様……? これは交渉とかそういう話じゃなくて……」
「あら、交渉ごとじゃなかったの? 重要な、それこそ貴女の人生に関わる様なお願いがあるんでしょ?」
「えっ!?」
 まるで全てを見透かしているようなメリッサの言葉に、リサは思わず目を剥いた。
「お義母様、何処まで知っているの……?」
「何処までって、何も知らないわよ? ただ、この場所を選んだことと内密に私に連絡してきた事に予測を立てただけよ」
 平然とそう言うが、そんな事普通の人間に出来る事ではない。それこそ歴戦の商人――。
「歴戦の商人だった……」
「うん?」
「ううん、こっちの話。えっと――じゃなくて、お義母様」
 わざわざ言い直し、背筋を伸ばしたリサ。
「お願いがあります」
 真っ直ぐにメリッサの目を見て話しかけた。
「はい、お伺いしましょう」
 相変わらず柔和な笑みを湛えるメリッサの目は、真剣な商人の目。しかし、リサは臆することなく話を始める。
「実は王立パンクリアース学園の編入試験へ合格しました」
「まぁ、それはすごい。おめでとう、リサさん」
 リサの報告にメリッサは手を合わせ驚きと喜びの声を上げた。
「ありがとうございます。それで4月から通える資格を得たのですけど、二つ問題があります」
「聞いましょう」
「はい。一つは年齢。私はまだ未成年なので、入学には親の許可が必要です」
 そう言うと、リサは椅子の横に立てかけてあった鞄から、一枚の紙を取り出した。
「これが保護者承諾書です」
「はい、拝見しますね」
 言うと、メリッサは机の上に置かれた紙を自分の方へと寄せ、目を通し始める。
 何とも言えない沈黙が、ただでさえ静かなカフェに流れた。

「――確認しました。さすがは王立パンクリアース学園、内容におかしな所はありませんね」
 メリッサは紙を机の上に戻し、再びリサを見る。
「署名は私でいいですか? 必要ならお父様のサインを貰ってきてあげますよ?」
「えっ、署名していただけるんですか……?」
「あら、必要なのでしょう?」
「そ、そうなんですけど、この紙に署名するという事は、入学を許可するという事で……」
「はい、そうですよ」
「いいんですか……?」
「いいですよ?」
 驚くリサとは対照的に、不思議そうに首をかしげるメリッサ。
「その……条件とかも特にない、ですか?」
 あまりにあっさりとした許可に、リサは恐る恐る問いかける。
「ないですけど……うーん、そうね。折角だから、駄目と言われた時の交渉文句を聞かせてもらいましょうか」
「えっ!?」
「どうしたの? まさか考えていなかったわけじゃないのでしょ?」
「か、考えてました」
「はい、では聞かせてください」
 いらない事を言わなければよかったと後悔してももう遅い。リサは渋々口を開く。
「私は冒険者としての依頼で、何度か学園に入りました。そこで、学園を知りました。王国中から叡智が集まり、人脈が集まり、お金が集まる。決して清く美しい園ではありませんが、私はそんな学園にとても心を惹かれました」
 リサは一度言葉を切ると、メリッサから視線を外した。
「私は知らない世界を見てみたい。冒険者の世界もとても新鮮だったけど、それとは全然違う学生達の世界。学園という知識の匣は、まだ未熟な私にとってすごく魅力的に映りました」
 呟くように自らの心情を語る。
「それに得られる経験は将来、ベイカー家の一助になるはずです」
「ふふ、最後のそれは本心で言っているのかしら?」
「……わかりません。打算かもしれません」
「正直ね」
 笑みを絶やさないメリッサの顔を再び見た。そして、学園へ執着する――多分本当の理由を口にする。
「学園へ行きたい一番の理由は、お友達の存在です」
「お友達?」
「はい、同じ冒険者仲間なんですが、その方は学園の生徒でもあります。冒険者として何度か一緒の依頼をこなしたこともあります」
「その人の為に学園へ? それは冒険者としての交友では駄目なの?」
「我儘でしかない事はわかっています。でも、チャンスがあるのなら、私はその人と同じ学生になってみたい」
 そう言うとリサは真っ直ぐにメリッサの瞳を見つめた。
「……青春ね」
「……え?」
「学園でのラブロマンス。やっぱりあなた達くらいの年頃の子は憧れるのね」
「お義母様……?」
「いいわ、意中の殿方がいるのならなおさらですものね。入学を許可します」
「ち、違いますっ! お友達は女の子です!!」
「あら、そうなの? 私ったらてっきり……」
「てっきり、なんですか!? そ、そう言うのは……まだ……その……」
 先程の勢いはどこへやら。すっかり俯いてしまったリサ。
「ふふ、やっぱり青春ね」
 そんな義理の娘の姿を、メリッサは嬉しそうに見つめたのだった。

●
 マスターが運んできた軽食をぺろりと平らげ、食後の紅茶で口直しする。
「それじゃ、もう一つのお願いを聞きましょうか」
「は、はい」
 紅茶の入ったカップをソーサーに戻し、リサは大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
「もう一つのお願いは、お金です」
「はい」
 その二文字の言葉が出た途端、メリッサの纏う空気が変わる。表情こそ変わらないものの、その空気は長くお金と対峙してきた者特有の凄みを感じさせた。
「必要なお金は、編入費用と学費です」
 そんな空気に押し負けないように、自らを鼓舞しながらリサは話を続ける。
「冒険者として稼いできたお金があるので、編入費用は何とか捻出出来ます。でも、それ以外に使えるお金が残りません」
「なるほど」
「毎年の学費については、冒険者としての稼ぎを当てていくつもりです」
「必要なのは初期費用という事ね」
 メリッサの言葉に、リサはこくんと無言で頷いた。
「学業と冒険者業、それは両立できると考えているの?」
「はい、幸いな事にそのお手本が近くにいます」
「お友達ね」
「そうです。彼女のやりようを見習って、学業と冒険者業の両立を目指します」
 そういって、真剣な眼差しを向けてくるリサから視線を外し、紅茶のカップを手に取ったメリッサは、一口含むとカップを戻す。

「わかりました」

「じゃぁ!」
 再び顔を上げたメリッサに、リサはぱっと表情を輝かせるが。
「検討します」
 メリッサはその勢いを押さえるように、事務的にそう言った。
「け、検討……ですか」
「当然です。安くないお金を動かすのですから、この場で即決することはできません」
 笑顔ではあるものの、その表情は商人のそれ。
「そうですよね……」
「でも、即決に足る理由を聞かせてもらえるのであれば、その限りではありませんよ?」
 これもまた商人の顔。商機を逃すまいと獲物を狙う飢えた獣の目だ。それを笑顔でするのだから、やっぱり本物は怖い。
「即決に足る理由……ですか」
 ニコニコと笑顔を向けてくるメリッサとは対照的に、リサは視線を下げ考える。
 日頃慎重すぎるほど慎重な商人であっても、商機と見れば即断即決。その『商品』に価値を見出せば、商人は露店で夕食の食材を漁るご婦人よりも早く事を決める。だから、それだけ魅力のある『商品』を目の前にぶら下げなければならない。この歴戦の商人の目の前に。
「でしたら、簡単な事です」
 しばらく思索したリサはゆっくりと顔を上げ――笑顔を作った。
「ベイカー家はエスト・ポーラで豪商として名を馳せ、その威名は周辺都市にも及んでいます。しかしそれは、所詮は地方都市の中でだけ。他国は元より、他の同盟都市領ですら、商名を馳せるには程遠いのが現状です。果たしてそれはなぜか」
 「わかりますか?」と、問いかけるように一拍置いたリサ。
「ベイカー家に圧倒的に足りないのは人脈です。いくらこのエスト・ポーラで権勢を振るったって、それは所詮、井の中の蛙。世界は広いです。そして、それと同じだけの広さが商圏として存在します。
だから私は――リサ・ベイカーは学園へ通います。ベイカー家の名代として、人と会い人と交わり人と和を結びます。学園に集まる次代の顔達と共に切磋琢磨することで、ベイカーの名を世界の目に触れさせるために」
 言い終えたリサは、ふぅと静かに息を吐き出した。

「素晴らしい」

 リサの演説を聞き終え、メリッサは嬉しそうに手を叩く。
「まるでお父様を見ているようでしたよ」
「えぇっ!?」
「ふふ。それじゃ――これを」
 と、メリッサは嵌めていた手袋を外すと、薬指に光っていた指輪を外した。
 そして、それをテーブルへと滑らせる。
「こ、これって……」
「これを売って資金になさい。どのくらいの価値があって、相場がどうなっているのかは自分で調べる事。損をすれば、学費が賄えないかもしれませんね?」
「で、でもこれって……!」
 リサはテーブルに置かれた指輪から視線を上げ、継母を見る。
「ええ、婚約指輪です」
 そう、それをリサも知っていた。
「そんなの受け取れないよ! これは、二人の大切な思い出でしょ!」
「そうよ。だから二人とって一番大切な娘の為に使うの」
 驚き立ち上がったリサに向け、メリッサは当然のことだとそう言う。
「それにこれは私の物ですから。うちのお金は痛みません」
「そ、そうだけど……。でも、お父様に知られちゃったら……!」
「その時はその時。正直に話しますよ」
「うぅ……」
「心配しなくても、あの人は怒りませんよ。あ、でも、貴金属の相場は難しいですから、よく調べるんですよ? 損したことが知れたら、お父様も怒るかもしれませんね」
「そ、相場を教えてくれたりは――」
「しません」
「ですよねぇ……」
 がくりと肩を落とすリサに、メリッサは微笑みかける。
「応援しています。学業も冒険者業も、そしてちょっぴり商業も」
「……はい、がんばります!」
 笑顔で差し出された右手は契約の証。リサは継母の手をしっかりと握ると、元気よく頷いたのだった。

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アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0