雨に濡れた黒い羽根
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年03月12日 20時06分30秒
●かつて鴉は白かった
そこは大森林と湿地帯の境界線にある小高い丘の上。
始まりの記憶は――――そんな辺鄙な場所に生えた古い大樹の根の間。
何でそんな所に座り込んでいたのか分からない。布一枚纏い、煤と泥塗れ。
空から降ってきた水滴に顔を打たれて、初めて自分が座っている事に気が付いた。
「……雨」
雨だ。ワタシはこれを知っている。雨滴。空の流す涙。名前を失くした神々の祝福。
森の木々は雨が無ければ生きられない。世界は支え合いで出来ている。
脳裏を過ぎったのは知識。ただぼんやりと実感のない。ただ其処にあるだけの言葉。
それが何で、誰のもので、どういう意味があったのかも分からない。
漠然と。曖昧に。薄ら暈けて霞んでいく。ここは、どこで。今は、いつで。
――――ああ、そうじゃない。もっともっと単純な話だ。
それを。おかしなことだと思っていなかったことが、そもそもおかしな話だった。
ほんの少しだけ回るようになった頭で、出来る限り一生懸命考えた。
ワタシは―――――一誰だろう。
“オイ ナニカ イルゾ”
音が響く。呆然と空を見つめていた。何かを。大切な、何かを忘れている気がする。
忘れていると言えば、そもそもが。何もかも忘れているのかもしれないけれど。
ふいと視線を向ければ、其処には長物を持った2人組。
ワタシと似たような。けれどずっと大きい生き物と、物凄く強そうな銀色の怪物。
“ナンダ ■■■ノガキジャナイカ”
また、何か鳴った。■■■のガキ。それはワタシを指しているようだった。
鳴った――――声を上げた、大きい生き物が怪物へと目配せする。
外のヒトだ――――と、直感する。外のヒト。外って何処で、ヒトって何だろう。
考えとして浮かぶことと、理解出来ることが一致しない。何だかとても、気持ちが悪い。
“ナンデコンナトコロニイルンダ、オヤハ”
オヤハ?……オヤって何だろう。こんな所ってどこだろう。わからない。わからない。
わからないわからないわからない。何もかもがわからない。
「わからない」
“ナマエハ?”
「わからない」
わからない事を聞くのは止めて欲しかった。放っておいて欲しい。
しとしとと降る雨が頬を濡らした。空がまっくろだ。いやだな、と何故か思った。
“……■■られたのか?”
「……わ、からない」
ずき、と頭が痛んだ。わからない。何を言っているのかわからない。
ただ息苦しい。胸が苦しい。いやだな。とてもいやだ。何で。何で何で何で。
「……まあ、何だ。こんなところに居ると風邪引くぜ」
「おい、本気か?」
怪物が初めて鳴――――声を上げた。
喜んでいる様には見えない。嫌――――とも、違う。……困って、いる?
じっと見ていると、怪物が大きく息を吐いた。
それを受けてか大きなヒトが笑う。何処か、温かなものを感じるその笑い。
自分の頬を触る。雨に濡れ続けた肌は冷たくて。それが何故だか寂しくて。
どうすればあんな風になれるのだろうと、そんな気持ちがほつりと胸に落ちた。
「しかし、連れて行くにしても名前が無いのは不便だな」
大きなヒトが顎を撫でてそう呟くと。怪物が老いた大樹を眺めぽつりと応えた。
「クロハだ」
「……あ?」
視線を追えば、木の枝に留っていたのは一匹の鴉。
突然雨が降り出したからか。その視線はこちらを見下ろし微動だにしない。
その翼は雨に濡れ黒く輝きとても綺麗で。煤と泥に塗れたワタシとは似ても似つかない。
けれど。それを見つめて瞳を細めた銀色の怪物は、満足そうに頷いたのだ。
「クロハと名乗ると良い」
そう告げられて手を引かれ、2人に大樹の根本から救い出されると。
丘の向こうには陽射しが差して。何羽もの鴉が飛んでいた。
ワタシ達の上には雨が降り続けているのに、それはとても不思議な光景で。
まるでわけがわからなくて。思わず笑ってしまうような――――ああ、それなのに。
「クロハ」
雨に降られ過ぎて何処か壊れてしまったのか。
冷え切った肌の上を温かい雨が流れていく。何故だろう。なんでなんだろう。
何を持っていたのかも。何を失くしたのかも。自分が誰なのかも分からないのに。
胸を衝く気持地の行き先が分からない。見える世界はぐにゃぐにゃになって。
「ワタシは、クロハ」
――――そうして。棄てられた白い鳥は鴉になった。
自分がどんな鳥だったかも、まるで思い出せないままに。
●いつか旅路の果てるまで
「ねーねー、あれなに? 怪物?」
「お前本当に何も知らねぇんだなあ」
「ビヒモーと言う。家畜だ」
「家畜……うっそだあ。だってあんな強そう……」
「まあ、俺もあんまり真っ正面から勝てる気はしねえかな……」
憶えてるかな。そう聞くたび、呆れたように答えをくれたこと。
知っていること、知らないこと、どちらも関係なしに、沢山沢山教えてくれた。
怪物でなく蜥蜴人で。大きなヒトではなくて唯人。
ボクも含めて3人共が授恵者。だから、旅をするにはそれほど困らない。
「大陸は広い。独りで歩くには危険が多過ぎる」
「うぇー、ボク勉強嫌い……」
「勉学を避けては竜にはなれぬ」
「う゛っ ……竜になるって、そんなに凄いことなの? ボクもなれる?」
「無論だ」
沢山のことを教えて貰った。ボクらが使える不思議な力はエーテルと言って。
それは世界から与えられた一欠片に、ボク達が自分の意志で形を与えてあげること。
自分、を指す言葉にも色々あった。オレに、ワタシ。それにボク。
2人がオレでワタシだから、ボクは自然とボクになって。いつしかそれが当たり前で。
「良いか、笑うことだ。辛くても苦しくても笑えば大体何とかなる!」
「わかった!」
「それは色々と語弊があるな」
「何とかならなくても笑えば何とかなった気になれる!」
「駄目じゃん!!」
「根本解決に程遠い訳だが」
笑うこと。楽しむこと。前を向いて足を踏み出せば必ず少し先へ進めること。
それはどれほど大切なことだろう。どれほど尊いことだろう。2人はとんだお人好しで。
ボクを拾った所為で損する事も多かったのに。いつだって前を向いていた。
痛いくらい肩を叩いて気にすんな。そんなこともある。クロハは何も悪くないって。
そう何度でも教えてくれた。繰り返し繰り返しそう言って笑ってくれた。
そんな2人があんまり面白くて。一緒に旅するのが楽しくて。大好きだったから。
気付けばボクも笑えるようになっていた。固く冷たいだけだった頬を上げて。
2人と一緒に居られれば幸せだった。何処を歩いていても。何をしていても。
いつからだろう。自分が何で、本当は誰かなんて気にもしなくて良くなったのは。
どうしてだろう。2人と一緒にいられるだけで、恐いものなんて何も無かった。
「それにしたって、ボクの髪こんなに真っ白なのにクロハってちょっとおかしいよねー?」
「あー、それな。ほんとな。あん時の洗ってみた後の顔ったらな、っく」
「それも、征竜様の御導きだ」
「うっわ、ずっる! 都合が悪くなるとすぐ征竜様に逃げる!」
「なークロハ。リザードマンってそういうとこあるよなあ」
だからさ。
だから、2人だけが少しずつ時を重ねていて。ボクの姿だけが昔のままでも。
2人がボクのことを眩しいみたいに見つめる眼差しに、例えばボクが気付いてたとしても。
それでも、どこかで終りが来るだなんて。そんなことさ。
ほんとうに、考えたことさえ無かったんだよ。
●白鴉は独り羽ばたいて
――――その日も、雨が降っていた。
「――――あー……クロハか。歳だな、ちょいしくじった」
2人があんまりお人好しだから、嵌められたり陥れられたりは日常茶飯事で。
そういった事に注意してばかりいたから、気付いたらそういう手口に詳しくなっていた。
身体はまるで成長しなくて子供っぽいからって、荒事は全くさせて貰えなかったけれど。
ずるい戦い方は身に付いた。隠れたり潜んだりも得意になった。
しっかりしている様に見えて騙されやすい2人だから、ボクが見張っていてあげないと。
そんな風に――――これまで大丈夫だったから、これからも大丈夫だと思っていた。
でも、決してそんなことはなくて。どんなことでも、終わりは必ずやって来る。
だから、ボクはそれを恐れて。もっと、もっと真剣にならなくちゃならなかったんだ。
かつてはボクを見下ろして。差し出してくれた。大好きな手が手首から転がっていた。
誰がどう見たって分かる戦いの跡。何人斬ったのか、点々と転がる遺体の先の先。
砂利道一面が赤く染まって。地面に命が滲んでいく。世界の一欠片が溢れていく。
「……馬鹿だなあ。だから、迎えに行くまで待っててって……」
ああ。今、ボクは笑えているかな。彼が教えてくれたとおりに。
先走って無茶をするのはいつもの事なのに。分かってたのに。一番知ってたのに。
大好きな人達が倒れていた。首の傷は致命傷。もう1人も出血が酷過ぎる。
なんでそんなことばかり分かってしまうんだろう。
どうして今日に限って、2人から目を離してしまったんだろう。
「はは、本当な……この手じゃ、冒険者も……引退かねえ」
多勢に無勢で必死に戦ったのが分かった。尽きてしまった命は魔法でも戻らない。
今が最後の瞬間だと嫌でも伝わる。2人とも何も悪くないのに。悪いとすれば、ボクだ。
あんまりにも楽しくて。いつも笑ってばかりいたから。――――きっと罰が当たったんだ。
「そうだよ。もう良い齢なんだからさ。2人共、何処かに家でも買ってゆっくりしなよ」
血塗れの身体を抱き寄せると、何も掴めない腕が空中を彷徨う。
腕を抱き寄せ祈った。――――征竜様。征竜様。征竜様。どうか。
どうかこの優しいヒトたちを竜にしてあげて下さい。2人は、絶対に何も悪くない。
罪が有ったならボクが背負うから。罰が下るならボクが償うから。だから――――どうか。
「……そうな。そうするか……クロハも、一緒に」
――――声が途切れると同時に、雨が止んだ。いつかの丘と真逆の景色。
遠目には幾らも雨が降っているのに、ボク達の上だけ雲から光が滲み出す。
割れた雲間から木漏れ日が射して。覗いた青空は呆れるくらい。
まるでわけがわからなくて。思わず笑ってしまうほど――――あんまりにも綺麗だった。
一生で一度の願いごとは、もしかすると聞き届けられたのかもしれない。
そうでなければ、あんまりだとも思う。征竜様は、わかりやすい応えなんてくれない。
返り血で濡れた手を、自分の頬に添えて持ち上げる。
前はとても難しかった笑顔が、今なら無理矢理でも作ることが出来る。
2人のお陰で笑えるようになった。
2人が居たから、笑って良いんだと思えるようになった。
それにどれほど感謝してるかなんて。それがどれほど嬉しかったかなんて。
ボクのことを置いていってしまった2人には、もう伝えることも出来ない。
「ずるいよ。都合が悪くなると、すぐ……」
いずれにせよボクはこれから、どうしたって頑張って、此処から歩き出さないといけないんだ。
2人の教えを嘘にしない為に。最期の願いを本当にする為に。
いつか必ず竜にならないといけない。また2人と一緒に居たいから。
その為にはどう償えば良いんだろう。どう積み上げれば良いんだろう。
答えは2人が教えてくれる。困っている人は助けよう。親切には恩返ししよう。
いつでも笑って、前を向いて、足を踏み出せば――――
「必ず――――少し先へ進む」
どれだけの時を重ねても。どれだけ痛みを積み上げても。どれほど独りが辛くたって。
笑いながら歩んでいけば、きっと何とかなるのだから。恐れるものなんか、何もない。
今ならきっと、ビヒモーにだって勝ってみせるよ。
――――――
翌朝、とある村の公共墓地の片隅に密かにそっと作られた2つの墓標。
それはとある犯罪組織から村を守った勇敢な冒険者達へ感謝とともに築かれた物だった。
墓前には雨に濡れた黒い羽根が捧げられ。村人達は彼らの勇敢さを忘れはしなかった。
けれど彼らと共に居たもう一人は、気付かない程ひっそりと姿を消していたのだと言う。
村人達は謝礼の一つも受け取らず姿を消した件の人物の所在を方々探ったが――――
―――その白いエルフが村を訪れることは、結局二度と無かったと伝えられている。
そこは大森林と湿地帯の境界線にある小高い丘の上。
始まりの記憶は――――そんな辺鄙な場所に生えた古い大樹の根の間。
何でそんな所に座り込んでいたのか分からない。布一枚纏い、煤と泥塗れ。
空から降ってきた水滴に顔を打たれて、初めて自分が座っている事に気が付いた。
「……雨」
雨だ。ワタシはこれを知っている。雨滴。空の流す涙。名前を失くした神々の祝福。
森の木々は雨が無ければ生きられない。世界は支え合いで出来ている。
脳裏を過ぎったのは知識。ただぼんやりと実感のない。ただ其処にあるだけの言葉。
それが何で、誰のもので、どういう意味があったのかも分からない。
漠然と。曖昧に。薄ら暈けて霞んでいく。ここは、どこで。今は、いつで。
――――ああ、そうじゃない。もっともっと単純な話だ。
それを。おかしなことだと思っていなかったことが、そもそもおかしな話だった。
ほんの少しだけ回るようになった頭で、出来る限り一生懸命考えた。
ワタシは―――――一誰だろう。
“オイ ナニカ イルゾ”
音が響く。呆然と空を見つめていた。何かを。大切な、何かを忘れている気がする。
忘れていると言えば、そもそもが。何もかも忘れているのかもしれないけれど。
ふいと視線を向ければ、其処には長物を持った2人組。
ワタシと似たような。けれどずっと大きい生き物と、物凄く強そうな銀色の怪物。
“ナンダ ■■■ノガキジャナイカ”
また、何か鳴った。■■■のガキ。それはワタシを指しているようだった。
鳴った――――声を上げた、大きい生き物が怪物へと目配せする。
外のヒトだ――――と、直感する。外のヒト。外って何処で、ヒトって何だろう。
考えとして浮かぶことと、理解出来ることが一致しない。何だかとても、気持ちが悪い。
“ナンデコンナトコロニイルンダ、オヤハ”
オヤハ?……オヤって何だろう。こんな所ってどこだろう。わからない。わからない。
わからないわからないわからない。何もかもがわからない。
「わからない」
“ナマエハ?”
「わからない」
わからない事を聞くのは止めて欲しかった。放っておいて欲しい。
しとしとと降る雨が頬を濡らした。空がまっくろだ。いやだな、と何故か思った。
“……■■られたのか?”
「……わ、からない」
ずき、と頭が痛んだ。わからない。何を言っているのかわからない。
ただ息苦しい。胸が苦しい。いやだな。とてもいやだ。何で。何で何で何で。
「……まあ、何だ。こんなところに居ると風邪引くぜ」
「おい、本気か?」
怪物が初めて鳴――――声を上げた。
喜んでいる様には見えない。嫌――――とも、違う。……困って、いる?
じっと見ていると、怪物が大きく息を吐いた。
それを受けてか大きなヒトが笑う。何処か、温かなものを感じるその笑い。
自分の頬を触る。雨に濡れ続けた肌は冷たくて。それが何故だか寂しくて。
どうすればあんな風になれるのだろうと、そんな気持ちがほつりと胸に落ちた。
「しかし、連れて行くにしても名前が無いのは不便だな」
大きなヒトが顎を撫でてそう呟くと。怪物が老いた大樹を眺めぽつりと応えた。
「クロハだ」
「……あ?」
視線を追えば、木の枝に留っていたのは一匹の鴉。
突然雨が降り出したからか。その視線はこちらを見下ろし微動だにしない。
その翼は雨に濡れ黒く輝きとても綺麗で。煤と泥に塗れたワタシとは似ても似つかない。
けれど。それを見つめて瞳を細めた銀色の怪物は、満足そうに頷いたのだ。
「クロハと名乗ると良い」
そう告げられて手を引かれ、2人に大樹の根本から救い出されると。
丘の向こうには陽射しが差して。何羽もの鴉が飛んでいた。
ワタシ達の上には雨が降り続けているのに、それはとても不思議な光景で。
まるでわけがわからなくて。思わず笑ってしまうような――――ああ、それなのに。
「クロハ」
雨に降られ過ぎて何処か壊れてしまったのか。
冷え切った肌の上を温かい雨が流れていく。何故だろう。なんでなんだろう。
何を持っていたのかも。何を失くしたのかも。自分が誰なのかも分からないのに。
胸を衝く気持地の行き先が分からない。見える世界はぐにゃぐにゃになって。
「ワタシは、クロハ」
――――そうして。棄てられた白い鳥は鴉になった。
自分がどんな鳥だったかも、まるで思い出せないままに。
●いつか旅路の果てるまで
「ねーねー、あれなに? 怪物?」
「お前本当に何も知らねぇんだなあ」
「ビヒモーと言う。家畜だ」
「家畜……うっそだあ。だってあんな強そう……」
「まあ、俺もあんまり真っ正面から勝てる気はしねえかな……」
憶えてるかな。そう聞くたび、呆れたように答えをくれたこと。
知っていること、知らないこと、どちらも関係なしに、沢山沢山教えてくれた。
怪物でなく蜥蜴人で。大きなヒトではなくて唯人。
ボクも含めて3人共が授恵者。だから、旅をするにはそれほど困らない。
「大陸は広い。独りで歩くには危険が多過ぎる」
「うぇー、ボク勉強嫌い……」
「勉学を避けては竜にはなれぬ」
「う゛っ ……竜になるって、そんなに凄いことなの? ボクもなれる?」
「無論だ」
沢山のことを教えて貰った。ボクらが使える不思議な力はエーテルと言って。
それは世界から与えられた一欠片に、ボク達が自分の意志で形を与えてあげること。
自分、を指す言葉にも色々あった。オレに、ワタシ。それにボク。
2人がオレでワタシだから、ボクは自然とボクになって。いつしかそれが当たり前で。
「良いか、笑うことだ。辛くても苦しくても笑えば大体何とかなる!」
「わかった!」
「それは色々と語弊があるな」
「何とかならなくても笑えば何とかなった気になれる!」
「駄目じゃん!!」
「根本解決に程遠い訳だが」
笑うこと。楽しむこと。前を向いて足を踏み出せば必ず少し先へ進めること。
それはどれほど大切なことだろう。どれほど尊いことだろう。2人はとんだお人好しで。
ボクを拾った所為で損する事も多かったのに。いつだって前を向いていた。
痛いくらい肩を叩いて気にすんな。そんなこともある。クロハは何も悪くないって。
そう何度でも教えてくれた。繰り返し繰り返しそう言って笑ってくれた。
そんな2人があんまり面白くて。一緒に旅するのが楽しくて。大好きだったから。
気付けばボクも笑えるようになっていた。固く冷たいだけだった頬を上げて。
2人と一緒に居られれば幸せだった。何処を歩いていても。何をしていても。
いつからだろう。自分が何で、本当は誰かなんて気にもしなくて良くなったのは。
どうしてだろう。2人と一緒にいられるだけで、恐いものなんて何も無かった。
「それにしたって、ボクの髪こんなに真っ白なのにクロハってちょっとおかしいよねー?」
「あー、それな。ほんとな。あん時の洗ってみた後の顔ったらな、っく」
「それも、征竜様の御導きだ」
「うっわ、ずっる! 都合が悪くなるとすぐ征竜様に逃げる!」
「なークロハ。リザードマンってそういうとこあるよなあ」
だからさ。
だから、2人だけが少しずつ時を重ねていて。ボクの姿だけが昔のままでも。
2人がボクのことを眩しいみたいに見つめる眼差しに、例えばボクが気付いてたとしても。
それでも、どこかで終りが来るだなんて。そんなことさ。
ほんとうに、考えたことさえ無かったんだよ。
●白鴉は独り羽ばたいて
――――その日も、雨が降っていた。
「――――あー……クロハか。歳だな、ちょいしくじった」
2人があんまりお人好しだから、嵌められたり陥れられたりは日常茶飯事で。
そういった事に注意してばかりいたから、気付いたらそういう手口に詳しくなっていた。
身体はまるで成長しなくて子供っぽいからって、荒事は全くさせて貰えなかったけれど。
ずるい戦い方は身に付いた。隠れたり潜んだりも得意になった。
しっかりしている様に見えて騙されやすい2人だから、ボクが見張っていてあげないと。
そんな風に――――これまで大丈夫だったから、これからも大丈夫だと思っていた。
でも、決してそんなことはなくて。どんなことでも、終わりは必ずやって来る。
だから、ボクはそれを恐れて。もっと、もっと真剣にならなくちゃならなかったんだ。
かつてはボクを見下ろして。差し出してくれた。大好きな手が手首から転がっていた。
誰がどう見たって分かる戦いの跡。何人斬ったのか、点々と転がる遺体の先の先。
砂利道一面が赤く染まって。地面に命が滲んでいく。世界の一欠片が溢れていく。
「……馬鹿だなあ。だから、迎えに行くまで待っててって……」
ああ。今、ボクは笑えているかな。彼が教えてくれたとおりに。
先走って無茶をするのはいつもの事なのに。分かってたのに。一番知ってたのに。
大好きな人達が倒れていた。首の傷は致命傷。もう1人も出血が酷過ぎる。
なんでそんなことばかり分かってしまうんだろう。
どうして今日に限って、2人から目を離してしまったんだろう。
「はは、本当な……この手じゃ、冒険者も……引退かねえ」
多勢に無勢で必死に戦ったのが分かった。尽きてしまった命は魔法でも戻らない。
今が最後の瞬間だと嫌でも伝わる。2人とも何も悪くないのに。悪いとすれば、ボクだ。
あんまりにも楽しくて。いつも笑ってばかりいたから。――――きっと罰が当たったんだ。
「そうだよ。もう良い齢なんだからさ。2人共、何処かに家でも買ってゆっくりしなよ」
血塗れの身体を抱き寄せると、何も掴めない腕が空中を彷徨う。
腕を抱き寄せ祈った。――――征竜様。征竜様。征竜様。どうか。
どうかこの優しいヒトたちを竜にしてあげて下さい。2人は、絶対に何も悪くない。
罪が有ったならボクが背負うから。罰が下るならボクが償うから。だから――――どうか。
「……そうな。そうするか……クロハも、一緒に」
――――声が途切れると同時に、雨が止んだ。いつかの丘と真逆の景色。
遠目には幾らも雨が降っているのに、ボク達の上だけ雲から光が滲み出す。
割れた雲間から木漏れ日が射して。覗いた青空は呆れるくらい。
まるでわけがわからなくて。思わず笑ってしまうほど――――あんまりにも綺麗だった。
一生で一度の願いごとは、もしかすると聞き届けられたのかもしれない。
そうでなければ、あんまりだとも思う。征竜様は、わかりやすい応えなんてくれない。
返り血で濡れた手を、自分の頬に添えて持ち上げる。
前はとても難しかった笑顔が、今なら無理矢理でも作ることが出来る。
2人のお陰で笑えるようになった。
2人が居たから、笑って良いんだと思えるようになった。
それにどれほど感謝してるかなんて。それがどれほど嬉しかったかなんて。
ボクのことを置いていってしまった2人には、もう伝えることも出来ない。
「ずるいよ。都合が悪くなると、すぐ……」
いずれにせよボクはこれから、どうしたって頑張って、此処から歩き出さないといけないんだ。
2人の教えを嘘にしない為に。最期の願いを本当にする為に。
いつか必ず竜にならないといけない。また2人と一緒に居たいから。
その為にはどう償えば良いんだろう。どう積み上げれば良いんだろう。
答えは2人が教えてくれる。困っている人は助けよう。親切には恩返ししよう。
いつでも笑って、前を向いて、足を踏み出せば――――
「必ず――――少し先へ進む」
どれだけの時を重ねても。どれだけ痛みを積み上げても。どれほど独りが辛くたって。
笑いながら歩んでいけば、きっと何とかなるのだから。恐れるものなんか、何もない。
今ならきっと、ビヒモーにだって勝ってみせるよ。
――――――
翌朝、とある村の公共墓地の片隅に密かにそっと作られた2つの墓標。
それはとある犯罪組織から村を守った勇敢な冒険者達へ感謝とともに築かれた物だった。
墓前には雨に濡れた黒い羽根が捧げられ。村人達は彼らの勇敢さを忘れはしなかった。
けれど彼らと共に居たもう一人は、気付かない程ひっそりと姿を消していたのだと言う。
村人達は謝礼の一つも受け取らず姿を消した件の人物の所在を方々探ったが――――
―――その白いエルフが村を訪れることは、結局二度と無かったと伝えられている。
登場キャラクター
- クロハ=ヴェローナ