薬研の音
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2021年03月09日 19時51分18秒
『お前はゲルト。そう、ゲルトだ!』
それが最初の記憶だった。
大きくて暖かい手。
うるさくて大きな声。
くしゃくしゃの笑顔――。
他の事はほとんど覚えていない。でも、その光景だけは覚えている。まだ生まれたばかりの子ゴブリンだったのに。
「……久しぶりに見たな、この夢」
硬い寝床から起き上がり、ゲルトは自分を両手を見つめる。
最近は――特に冒険者になってからはほとんど見ていなかった夢。昔々の父との記憶。
「あれからもう3年、か」
授恵者として目覚めた3年前。まだ存命だった父は、その事をとても喜んでくれた。
ずっとブラックデスの構成員だった家系に、待望の授恵者が生まれた事に父は「やはりゲルトと名付けて正解だった!」と子供のようにはしゃいでいたのが、印象に残っている。
とにかく粉骨砕身働く勤勉の人だった。ブラックデスの下っ端構成員だったが、何か理由があってマフィアを抜けたと聞いた。組織を抜ける時には落とし前で、かなりの大怪我を負い一月ほど寝込んでいたが、その表情はとても晴れ晴れとしていた。
組織を抜けた後は堅気で商売を始めた。趣味だった園芸に精を出し、薬草を栽培しては販売して家を支えてくれた。
ゲルトが薬草学に興味を持ったのも、最初は父の手伝いをしたいという一心から。家に家宝だと伝えられてきたボロボロの薬草学の書を何度も何度も読み漁り、ほぼ独学で身に着けてからは、父の手伝いで店に立つことも増えていった。
「あの時はずっと……」
ずっとこんな幸せな時間が続くと思っていた。決して裕福ではなかったけど、家があって、日々食べられる物があって。母は早くに他界していなかったけど、仕事があって、父が居て……。
「そうか、今日は父さんの……」
なんでこんなに父の事を鮮明に思い出したのか、ようやくそれに思い至った。
冒険者になって日々忙しく過ごしていると、どうしても日付の感覚が狂ってくる。それですっかり忘れていたけど、今日は一年に一回の特別な日だ。
そう、あれは今日と同じ、雨期に入る前のゴールディでの何気ない一日だった。
●
「父さん、これはどこに置いておけばいいの?」
「ああ、そこの棚に頼む」
薬研を前後に揺らしながら、父ゲトラウトは振り向いた。
「そこの棚って……もう置くところがないよ」
相変わらずの片付け下手の父に嘆息しつつ、ゲルトは薬草の入った籠を一旦机に置くと棚の整理に取り掛かった。
「これ、萎れちゃってるけど大丈夫なの……?」
「わっ、キノコ生えてる?!」
「虫! こら食べるな!!」
がやがやと賑やかに棚の整理を続けるゲルト。
「いやぁ、お前が居てくれて助かるよ」
そんな息子の働きっぷりを微笑ましく見つめるゲトラウトは、好物のゴブリナ草を取り出そうとして――。
――ドンッ!!
「なんだっ!?」
突然、入り口からの爆音に、ゲルトは脚立から落ちそうになった。
入り口を見れば、ガラの悪そうな3人のゴブリンが立っていた。
「よぉ、ゲトラウト。久しぶりだな」
先頭の赤膚ゴブリンがずかずかと店の中へと入ってくる。
「……何の用だ」
父がそのゴブリンに答えている。もしかして知り合い……? いや、名前を呼ばれていたのだからそうなのだろう。ゲルトは店の奥からじっと成り行きを見つめる。
「おいおい、連れないなぁ。盃交わした仲じゃねぇか」
父の座るカウンターへとやって来た赤膚ゴブリンが、どんとわざとらしい音を立て手をついた。
「ちょっと、手が足りねぇんだ。付き合ってくれよ」
グッと顔を寄せにやにやと不快な笑みを浮かべる。
「俺はもう組織を抜けた人間だ。関係ない、出て行ってくれ」
冷たく言い放つ父の言葉に、赤膚の頬がピクリと揺れた。
「あぁ? それが客に対する態度か?」
赤膚は声に苛立ちを滲ませながら、手近な薬草を乱暴に手に取ると、カウンターへと叩きつける。
「おっと、すまねぇな。ちょっと力が入り過ぎちまった」
そういうと、叩きつけた時に飛んだ薬草の汁を、手下から奪い取った上着で拭きとった。
「金は用意してる。こんなちんけな店をちまちま経営してるよりも、よっぽど楽に過ごせる額をな」
「……興味はない」
「まぁ、そう言うなよ。俺達にはお前が必要なんだ。なんせ今回の相手はあのマダム・バタフライだからな」
「なっ! ホワイトライフとやり合うのか!?」
赤膚から出た名前を聴くや否や、父は椅子を倒し立ち上がる。
「念願だろう? だからわざわざ声をかけに来てやったんだ。おまけに少なくない報酬も手に入る。乗らねぇ手はないだろ?」
「……」
「どうだ?」と更に問いかけてくる赤膚に、父はじっと黙り込んだままカウンターを見つめていた。
「なに、お前の獲物があれば余裕の仕事だ。なぁ、『毒師』ゲトラウト」
「その名を出すな!!」
「おっと、すまねぇな。口を滑らせた」
へへへと下衆な笑みを浮かべる赤膚。一方、父はこちらを伺うような気配を見せている。
毒……? 毒ってどういう事だ……。
「……三日後、『捻じれ竹』で」
「ふっ、色のいい返事を待ってるぜ」
そういうと、赤膚は手下を連れて店を出ていった。
「と、父さん……?」
「さぁ、ゲルト、仕事だ。今日も頑張るぞ!」
恐る恐る問いかけたゲルトに、振り返った父はいつもの笑顔を浮かべていた。
●
三日後――。
「おや、ゲトラウトさんは居ないのかい? 腰痛の薬が欲しかったんだけど」
「ごめんなさい。少し用事で。でも薬なら用意してますよ!」
常連の老婆に用意していた薬袋を差し出し、ゲルトは笑顔を作る。
「おぉ、流石ゲトラウトさんだねぇ。助かるよ」
老婆は薬袋を受け取ると、代金を置き店を出ていった。
父は朝から出かけると言って、店には顔を出していない。その代わりに来店する常連の客へ渡す薬を大量に用意していた。
「これがあの爺様。こっちがあの子。これが――」
どれを誰に渡すか、用意された薬袋にはちゃんと名前が記されている。
「これじゃ、店を離れられないじゃないか……」
常連とはいえ、普段こんなに沢山の人が店に訪れる事はない。なのに今日は特別多い。そして、事前に用意されていた薬も沢山だ。
後で聞いた話だけど、丁度この日に薬を渡すから取りに来て欲しいと、前日にゲトラウト自ら常連の家々を回ったらしい。
「なんでオレが店番なんて……!」
店が無人になったことを確認して、ゲルトは愚痴をこぼした。
父はきっとあのゴブリン達と会うためにどこかへ行ったに違いない。
あいつらが来た時、雰囲気もそうだが不穏な言葉もいくつか聞いた。もしかしたら、父は大変な事をしているかもしれない。
ゲルトは幼心にそう感じていたが、店番を任された以上、ここを離れるわけにはいかなかった。
「父さん……」
寂しさと悔しさに父の名を呼んだ時、店のドアが開かれる。
「父さん!」
「え?」
「あっ! ごめんなさい、いらっしゃいませ!」
思わず叫んでしまったが、入り口に立っていたのは常連の青年だった。
「あれ、ゲトラウトさんは?」
一瞬驚きつつも入ってきた青年は、先ほどの老婆と同じように父を探す。
「ごめんなさい。少し出かけてて……」
これも先程と同じやり取り。
こんな感じで、その日ゲルトはずっと店番をせざるを得なかった。
そして――。
●
「……え」
次の日だった、その話を聞かされたのは。
結局、父は昨夜帰ってこなかった。そして、今日は帰ってくるかと店番をしていたら――。
「早く行っておあげ……」
消沈する老婆。その口から先ほど語られたのは――父の死だった。
ゲルトは店番を放り出して、老婆に教えてもらった場所へと急ぐ。何度も転び擦り傷を作るが、そんな事気にもせず、必死で駆けた。
そして、人混みを掻き分けた先に横たわっていたのは、父だった。
「父さん!」
人混みの足元を這うように前進し、父の元へ辿り着く。
「父さん! 父さん!!」
横たわる父を揺すり何度も名前を呼ぶが、返事は無い。
頬を触り、手を握り、肩を揺すった。
そして気が付いた。父が――冷たくなっている事を。
「……そんな、なんで」
ぺたりと尻餅をつき呆然と父を見下ろす。
がやがやと背後でやじ馬たちが何かを言ってるが、全然耳に入ってこなかった。
「……帰ろう、父さん」
そんな事よりも、これ以上父をこんな道端に寝かせておくのが嫌で。沢山の人の目に晒されているのが嫌で、ゲルトは父の身体を持ち上げ背負った。
授恵者の力があったから、父の亡骸を重いとは感じなかった。店へ戻り、裏手にある薬草畑の真ん中に墓を掘った。
決して大きくはない父の身体を折りたたみ、穴の中へと入れる。
掘り出した土を、父の身体にかけていくと、次第にその姿が見えなくなった。
盛り土をして墓石代わりの石を置く。
「……終わった」
無心で行っていた作業が終わり、疲労感と虚無感が一気に押し寄せる。
そして、頬を伝う涙も。
この街では人の死はすぐ傍にある。ゲルトも何度も人の死を見てきた。無残なものから安らかなものまで。
しかし、今この感情は……。
「これから、どうすればいいの……」
物言わぬ盛り土に向かって、ゲルトは小さく問いかけた――。
●
「きっと父さんが忘れるなよって、教えに来てくれたんだな」
ゲルトは寝台から起き上がると、ぐっと伸びをする。
「忘れててごめん。お詫びに好物のゴブリナ草を沢山持っていくからな」
寝台から飛び降りさっさと準備を済ませた。最後にいつもの白いマントを羽織り、バックパックを背負って。中には沢山のゴブリナ草。これだけあれば満足してくれると思う。
「ノーラ、行くぞー」
相棒の白狼に声をかけると、ピクリと耳を立てこちらに駆け寄ってきた。
「今日は少し遠いからな。途中で薬草を探しながら行こうな」
頭を擦り付けてくる相棒の背中を撫でてやりながらドアを開くと、あの日と同じ抜けるような青空が広がっていた――。