獣の誓い
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年03月05日 21時31分03秒
●洞穴の底
――――してやられた、と言う他はない。
油断していた心算はなかった。浮ついた気持ちで仕事に挑んだりはしない。
けれど想定を外していたことは、認めざるを得ないだろう。事実こうして嵌められている。
ここはゴブリンの巣。それも、総数30は下らないそれなりに大規模な物らしい。
らしい、というのはあくまで伝聞であるからで、おまけにその情報の信用度は低い。
実際にはどれだけ居るのか想像すら難しい。根本的な部分で亜人の知識がなさ過ぎる。
かつて属していたメドゥの指先が標的にしていたのは大半がヒトであり。
そうでなくとも、それ以前。極北で闊歩していたのはクリーパーか魔獣が殆どだ。
ヒトが生きるには厳し過ぎ、同族同士で争いあえる程の余裕はまるでない。
だからこそ、目端も効かなければ目測もつけられない。
聞き齧った内容から推測出来ることは、ここはゴブリンの巣だ。ということと――――
その、恐らくは最下層ということ。それが、今知り得る全てだと言えた。
腰を確かめると、幸い普段から携えている剣は落としていない。
護身用の――――或いは、自決用の――――短剣も懐に潜ませてあるままだ。
しかし持ってきた荷物はない。つまり光源が無い。突然暗闇を見通す力に目覚めたりもしない。
嗅覚を頼りに、何とか周囲の環境を探ることは出来ているが。
例え断片的であっても視覚情報が入って来ると来ないとでは掛かる負荷が段違いだ。
おまけに一部のゴブリンは夜目が効くと聞く。与太話であれば良いが警戒は外せない。
「わざわざリブラネスタまで追ってくるとは。……律儀なことだ」
恨みを買っていることは分かっていた。が、どうも自分が思う以上に根が深いらしい。
過日、エスト・ポーラで待ち伏せを受けた事と言い。案外暇な人間と言うのは居るものだ。
幸い、亜人共は獲物が罠に掛かった。等と想像すらしていまい。
何せ彼を嵌めたのはゴブリンではなく、ただの人間だ。
そこが余計に面倒だとも言える訳だが――――さて、ここからどうした物か。
少なくとも此処から脱しない事は始まらないし、生きて出ようとすれば戦いは免れない。
剣と短剣が各一本。光源、食料、水、それぞれ無し。怪我がなかった点だけが幸いだ。
状況は辛うじて最悪とは言わずとも……しかしいっそ笑える程度には悪い。
「……行くか」
と言って。はいそうですかと死んでやれる訳もない。身を起こしては周囲を探る。
男――――即ち昨日新米冒険者になった男。スヴァン・ウォルフ・ユーウェンは。
こと、生き汚さだけは人後に落ちない自信が有るのだ。
●事の発端
何が何やら、と言うのが率直な感想だった。
手元に有るのは幾許かの綿紙の束。その全てが、"冒険者への依頼票"だ。
リブラネスタは冒険者ギルドの総本山。必然的に人々は冒険者への依頼に慣れきっている。
村の近郊に出没した亜人を追い払って欲しいだとか。猫の里親を探していますだとか。
如何にも取るに足らない様に見える物も数多い。逐一対応していては切りがないだろう。
その中から、これはと思うものを選び受付に持ち込む。依頼とはそういう物、らしい。
が、しかし……だ。
(これでは、本当に困っている人間には何一つ手が届かないのではないだろうか)
依頼票が掲載され、それを受ける人間が手を挙げる。
ある程度纏まった数が揃い、現場に向かった時には村は既に焦土に変わっていた。
例えばこんな場合。最初の1、2人でも先行すれば救えた命が有るかもしれない。
そうでなくとも、真実追い込まれている人間が報酬を用意して依頼を出す。など……
――――どう考えても、現実的とは思えない。
大陸方々を巡り、何でも屋をしていた頃はもっと火急の事態の方が遥かに多かった。
相談する時間も、仲間を募る余裕も無い。報酬も大抵は前払い半分の後払い半分だ。
そういった経験を鑑みると、あまりにも悠長だ。何故こんな業種が持て囃されるのか。
手元の紙面の束を受付に置き直す。どうにも食指が動かない。
或いは、後ろ盾を得る事を重視し過ぎて選択を早まったか、とすら――――
(……ん)
ギルドを出ようとして。一人振り返る。だからこそ、スヴァンはその人影に気付いた。
依頼票らしき紙を右手に握り締めた、薄汚れた男。左手に小振りな革袋。
依頼人、という奴だろう。つまりは今からギルドに依頼を出すところか。
だがその風体は如何にも身を持ち崩した人間のそれだ。革袋もあまりに小さい。
中身が全て金貨という話でも無い限り、あれでは冒険者を複数雇う事など適うまい。
報酬が少なければ、当然手を挙げる人間の数も減る。依頼として成立するか相当危うい。
(さて、どうしたものか)
正直、今日は冒険者として真っ当に依頼を受けようと思いギルドの門を潜ったのだ。
それがどうにも気を削がれる物であったというだけで、果たして帰って良いものか。
そもそも、そんなことを言っていたら何時まで経っても仕事を受けられないのではないか。
と、言う疑問は確かにある。内心の困惑も戸惑いも、或いは時間が解決するかもしれない。
けれど、しないかもしれない。スヴァン自身、自分がやや面倒な性格をしている自覚は有る。
何かしらの理が通れば納得は出来るのだろうが、そうでなければ後を引きそうだ。
そうやって古巣と袂を分かった過去がある以上、楽観視するのも難しい。
などと暫し眺めていたものの、男はギルドに入るか入らないか、という辺りをうろついている。
リブラネスタの冒険者ギルドは人の出入りも多く、冒険者が全員品行方正ではない。
あれでは自らトラブルを引き寄せるような物だ――――と。
結局のところ、そこで所謂"余計な心配"をしてしまったのだ。
後から思えばそれが、今回の失態の直接原因だ。もう少し注意深く観察すべきだったろう。
気付けば男の依頼内容を確認し、集落の近くに出来たゴブリンの巣の偵察であると聞き。
これも何かの縁かと安請負いした挙げ句、その巣穴の誰が見ても分かる落とし穴。
――――ゴブリンが掘れる物とは思えす、恐らく最初から有ったのだろう――――へと。
背中を見せた瞬間見事蹴り落とされた。預けていた荷物は持ち去られた事だろう。
つまりは、言い訳も効かない程見事に誘い込まれた……という事だ。
(話がとんとん拍子に運び過ぎている、とは思ったが……)
最初からスヴァンを狙っていたのであれば、ギルドの中に入る訳には行かなかったろう。
入口でうろついて居る所に話しかけた時、救われた様な表情をされるわけだ。
薄汚れた男当人にはまるで見覚えがなかったが。
金を握らされれば他人を陥れることにまるで痛苦を感じない人間など、幾らでも居る。
こうして何もかもに合点が行ったところでしかし、ことは既に遅い。
守るべき者もなく。誰を救える訳でもなく。けれど、窮状を打破しなければ、死ぬ。
冒険者になり、市民の味方として極力後ろ暗いことはするまいと。
そう、決意していた所にこれだ。……全く嫌になってくる。
「――――つまりは、いつも通りと言う事か」
人は、そうそう簡単には変われはしない。例え変わろうという意志が有ろうとも。
変わりたいと願う人間を、周囲はけれどすぐにはそうと受け取ってはくれない。
それが積み重ねるということであり、それが生きるという事なのだろうと。
スヴァンもまた、良く分かっているつもりでは、あったが――――
愛用の剣を鞘から抜き放ち、一歩踏み出す。遠く近く、生き物の気配を感じる。
恐れがないと言えば嘘になるが。しかし未知の場所での戦いには慣れていた。
一寸先は闇。けれども闇は元より――――スヴァンの戦場だ。
●屍山血河
ゴブリン自治領『ゴールディ』。その土地に住まうゴブリン達は人語を解し。
ある者は冒険者として成り上がりを目指し。またある者は商人として版図を広げ。
人に混ざって自らの市民権を得る為に日々活動しているのだと、聞く。
けれど、ゴールディに属さないゴブリン達は軒並み総じてこう呼ばれる。
人類に仇為す者――――蛮族、と。
GOOOOOOOOOB!
雄叫びを上げ、粗末な棍棒を振り翳し迫り来る、無数の子供大の影。
それが十分な空間の無い洞窟内では恐るべき驚異になることを、スヴァンは初めて知った。
視界が効かないが故に鼻と耳だけが頼りだが、相手の漂わせる腐臭とも異臭とも呼べる物。
恐らく野生の亜人特有の酷い体臭が嗅覚までも狂わせる。
直感と、僅かに見える影の挙動。棍棒を振りかぶる風切り音だけを頼りに身を躱す。
何度か剣を振ってみて分かったことだが、スヴァンの体躯は洞窟と比して大き過ぎるのだ。
(……これは、拙いな)
剣先が引っ掛からない様に振ることは酷く難しく、刺突を中心に動くほか無い。
そうすると自然と動きが直線的になり、ゴブリン達はこの攻撃圏にすぐに慣れた。
次いで飛んできた土塊の礫がじわじわとスヴァンの体力を削っていく。
思い掛けない苦戦と暗闇に居続ける心理的な圧迫感が焦りとなって心身を苛む。
それでも、鍛え上げた戦士としての身体はゴブリンなどに比べれば遥かに頑強だ。
真っ向勝負で追い回せば殺すことそのものは難しくはない。
切っ先が頭か喉に刺されば即死。そうでなくとも四肢を奪う程度は容易い。
ゴブリン達の振るう棍棒は、鎧どころか体躯に当たったとしても然程問題はない。
問題があるとすれば唯一つ。――――まるで未知数の、敵の数だ。
「――――っ、15は殺した筈だ。後どれだけだ。何体居る……!」
入れ代わり立ち代わり襲い来る影を"数える"という行為を全面的に拒絶する。
自分が何体殺したかも、あと何体居るかも分からない。
GOOOOOOOOOB!GOOOOOOOOOB!!GOOOOOOOOOB!!!
殺しても殺しても殺しても殺しても湧いてくる。まるで無限地獄だ。
切っ先が岩肌を削った。動きが荒くなっている。息が乱れる。
足首に軋むような痛み。踏み込んだ際に挫いたか、鋭い岩にでもぶつけたか。
今、自分がどんな状況かも分からない。ただ剣を突き出す。ただ歩く。ただ前へ進む。
どれだけ時間が経った。あとどれだけだ。あと何体だ。
いいや、どれだけ居ようと構わない。殺す。殺し尽くす。殺し尽くして、生きてやる。
――――思考が研ぎ澄まされる。単純反射だけで対峙した影を貫き殺す。
追い詰められた精神が透明感を増す。簡単な話だ。至極、簡単な話だった。
何を勘違いしていたのだろう。人は――――簡単に死ぬ。
人より幾倍も頑丈な筈の授恵者ですら。ゴブリンなどに此処まで追い詰められるのだ。
冒険者が数を頼み、依頼を受けるという形を取るのは。
市民の味方である彼らには……敗北が許されないからに他ならない。
負ければ死ぬのだ。それは自分だけで終わらない。より広く。多く。無数に死ぬ。
例えば今、自分が手に掛けている亜人共のように。
(そうか、その為には――――)
GOOOOOOOOOOOOOBUUUUUUUUUUUUU!!!!!
一際大きな影が立ち塞がる。直感する、こいつはこれまでの相手とは訳が違う。
体格からしてスヴァンとそれほど大差ない。亜人とはこれ程格差が有るものか。
振り被った棍棒が岩肌を抉り轟音を立てる。一撃が重い。受ければ無事では済まない。
跳び跳ねた拍子に自分が殺した遺体に足を取られ転ぶ。敵の位置が分からない。
――――死ぬ。
そう脳裏に過ぎった瞬間。スヴァンは剣を投擲していた。
棍棒がそれを弾くように動いたのが分かった。その隙を――――体勢の崩れを突く。
身を翻し突貫した。手の位置は分からずとも腕ならば判別は容易だ。
両腕を抑える。強い異臭、だが気にならない。生命の危機の前には全てが些末事だ。
喉笛に噛み付く。皮膚を喰い散る。怯えが混じった悲鳴が上がった。
頬を殴る。目に爪先を突き入れる。もう一度牙を立てた。殴る。殴る。もう一度。もう一度だ。
気付けば、一際大きいゴブリンは動きを止めていた。地面を這い蹲り、転がった剣を握り直す。
疑問の。困惑の。或いは取るに足らない戸惑いの答えは、すぐそこに転がっていた。
強くなければならない。全ては、そこからだ。
守りたい者を守ろうと思うならば。己の我を通したいと願いのであれば。
誰かの為になりたいと思うのであれば。救われぬ者に救いの手を伸ばしたいならば。
――――生きたいと、真摯に、切実に、自分自身と向き合うのであれば。
「強くなってやる」
血糊を全身に浴びて尚、剣を振るった。愛用の剣が岩肌を削ってなまくらになる。
それでも叩きつけた。最後は懐剣を抜いて拳で殴った。そうして歩き続けた。
漸く――――光が見えたと思った頃には。洞窟の外は既に夜になっていた。
月明かりが、これほどに眩しいと思ったのは生まれて初めてかもしれなかった。
一歩穴蔵から踏み出で、倒れ込む。疲れていた。疲れ切っていた。
もしも今ここで、ダメ押しに間者の一人でも潜まされていたなら。
スヴァンの生は此処で終わっていたことだろう。
けれどそうではなかった。そうではなかったから……拳を握り、静かに告げる。
「強くなってやるさ」
多くの者が、スヴァンの死を望むのであれば。
所以有ってその命を狙うことが、それほどに強い想いなのであれば。
嗚呼――――良いだろう。半獣人は、半分とは言えど元は獣だ。
所詮この世が弱肉強食だと言うのならば……それしか無いと言うのなら、今更拒んだりはしない。
「怨恨も、因縁も、殺意も――――総てが無駄だと思える位に……!」
牙を剥かず生きる道など、最初から求めてはいないのだ。今までも。そして、これからも。
それが黒い雪豹のターニングポイント。男はこの日漸く自ら、冒険者として生きることを選んだ。
屍で築いた洞穴の奥へと響いた咆哮は唯一つ。応える者も、命すらも無い。
それでも確かに、男は己の甘さの招いた結末を心の臓まで深く深く、刻み込む。
総ては死山血河の決断で。正しくも、穏やかでも、優しくも、いいや。それどころか誰の為でもない。
こんな物が人間らしい正道だとは到底言えまい。冒険者が嗤わせる。地の底で呻く獣の誓いだ。
けれど、今はそれで良い。例え鮮血の上であれ、そこに理が立つならば。
無理矢理にだろうと腑に落とすことは――――決して難しくはなかった。
スヴァン・ウォルフ・ユーウェンは。
こと生き汚さだけならば、決して人後に落ちない自信が有るのだから。