リンゴアメは赤く染まって
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年02月20日 22時32分45秒
●冒険者になった日
時は夕暮れ時―――エラトゥーン都市同盟。通称、『同盟』。
通商協定で結びつくこれら都市国家群で、史上最大と呼ばれる港湾都市が『リブラネスタ』だ。
『同盟』第一位の都市とは即ち、大陸最大の商都だと言い換えられる。
この街では後ろ暗い物を除けば殆ど何でも揃う。商人の街ゆえに物価はやや高めであるにせよ。
それだけ多くの物品が流通しているということは、同時に多くの人が行き交うと言う事だ。
辺りを少し見回せばドワーフが居る。エルフが居る。ハーフリング、リザードマン、ゴブリンが居る。
そして、スヴァン同様の半獣人もまた、当たり前の様に闊歩している。
誰もそれを不思議とは思わないし、髪の色も肌の色も。気にする者などそうそうお目に掛かれない。
(……何度見ても、奇妙な光景だ)
数日の予習。脱出経路の選定。最悪のケースに備えての下準備。気付けば随分長居している。
スヴァン=ウォルフ=ユーウェンが冒険者になった日。けれど通りの光景は既に何度も見たそれだ。
確かに、『同盟』自体が――比較的ではあるが――他種族混成に抵抗の無い地域ではある。
しかし、それでも。例えば同じ酒場の卓にエルフとドワーフが付いたら諍いは免れない。
王国や帝国の唯人の半獣人差別は根強い。
当然ゴブリンを亜人と謗ったり、黒髪や黒鱗を邪竜に連なる悪しき存在と忌避する者も居る。
が、それがここまで表に出て来ない街は珍しい。大陸内は方々巡ったが、稀有と言って良い。
大都市であれば猶更だ。自然に考えれば有り得ない水準で秩序が。治安が保たれている。
それが良い事なのか、悪い事なのかと言えば、恐らく良いことなのだろう。
何処となく不自然に思え、いっそ居心地が悪いと言う方が、ズレていることは分かっていた。
“よお、そこのいかした眼帯の兄ちゃん。一本どうだい”――――露天商から掛けられた声に視線が向く。
眼帯、と言う特徴を指し自分でないこともあまり無い。どうも売られているのは果物の様だった。
しかし。どうもただの果物ではない様だ。良く尖った木の棒に刺さっている。
経験上、こういう良く分からない品は2種に分類される。新機軸の食べ物か、体に害がある食べ物だ。
良く観察すると、表面には何やら見慣れない光沢がある。僅かに甘い香りで光を反射するそれ。
直感する――――あれがもし金属であれば、恐らく体に害がある方の食べ物だ、と。
「お、何だ。リンゴアメは初めてか。安くしとくぜ」
りんごあめ。……アメ? スヴァンの脳裏で電流が奔り、眼前の物を二度見する。
彼とて、流石にリンゴは食べた事が有る。野生でも成っている比較一般的な果物だ。
そして勿論、アメも知っていた。唯でさえ高価な砂糖を水で溶かすなどして作る狂気の菓子だ。
貧困層の下層街などで人を探す時に1つ2つ握らせると、子供の動きが目に見えて良くなる。
しかし、そんな物でリンゴを包むなどすれば出来上がる菓子は相当に高価な筈。
対して、眼前で売られている棒に刺さった光沢を持った果物は、精々リンゴ3つ分の値段だった。
いや――――いやいやいやいやそんな上手い話が、有る訳がない……!
一体何処で自分が甘味を好むことがバレたのかは知らないが。
恐らく、この露店商はスヴァンを狙い撃ちにする為にのみ、此処で店を開いているに違いなかった。
一見して分かる範囲でも費用対効果をまるで無視している。
こんな値段でアメを売り捌いていたら、利益など殆ど出ない筈だ。得する部分が1つも無い。
(だが、詰めが甘い)
どんな私怨か仇討ちか。所以は知らずとも、心当たりならば吐いて捨てる程ある。
彼の前歴は限りなく殺し屋に近い。そして、世の中に絶対的善などと言う物が存在しない以上。
スヴァンが殺した相手にも縁故が有る筈だ。殺されるに足る理由は、確かに有ったのだとしても。
例えばそれと等しい数だけ親愛や友誼を結んだ相手が居ても、何もおかしな話ではない。
その全貌など当然把握していない。いつ、どこで、どんな相手が刺客であっても不思議はない。
だがそういった諸々を考慮するなら、今回の仕掛け人は全くの素人でないにせよ三流だ。
相手の趣味嗜好を事前に揃えると言う手際は、決して悪くない。しかし踏み込みが浅い。
決して商売に造詣が深い訳でもないスヴァンに、なお違和感を抱かれる程度では――――
「そうだな、最初ってことで2割引きで「1つ貰おう」」
即断即決で購入したリンゴアメを手にリブラネスタの表通りを歩く。
スヴァンの予想が正しければ、恐らくは相手方から何かしらのアクションがある筈だ。
こういった場合、自分から動いても徒労になることが多い。素性の隠蔽は裏稼業の必須技能だ。
そうやって焦らせることで心身の余裕を削いでいく。手法としては規範的とすら言える。
一口齧ったリンゴアメは、本当にアメで包んであるようでとても甘かった。
警戒に研ぎ澄ませた緊張感がそこはかとなく何処かへ雲散霧消していく。
ぱりぱりとしたアメの食感の後に来るリンゴのしゃくりと響く歯応え。
果汁の甘さにリンゴ特有の酸味が相俟って、良い。語彙力がやや抜け落ちているが、とても良い。
1つと言わずもっと買い込んでおくべきだった。5つ買えば1つ無料も同然だったものを。
事前に色々と繰り広げていた考察は何処へやら。満足げに頷く黒毛の雪豹。
その隙を縫う様に、人影が駆ける。油断は一瞬。瞬き二度ほど。されど――――隙は、隙だ。
手に持っていたリンゴアメが消え、笑い声が響いた。それがどんな種類の人間かは考えずとも分かる。
恐らく、難民の子供だ。
世界最大級の都市の1つ。『帝都』の崩壊以来、『リブラネスタ』にも元帝国民が増えた。
同盟まで無事辿り着けた者達は、比較的余力のある者が多かったが、勿論それが全てではない。
例え故郷が滅びても、両親さえ健在であれば子供達は笑ってのける。
それはいっそ驚くべき柔軟性の高さであり、スヴァンには飲み込み難い事実ではあるが。
けれど、貧すれば鈍すなどと言うように。彼らはその柔軟性故に堕ちるのも早い。
誰もそんなことを逐一教え込まずとも、餓えれば盗む。当然に。でなければ、死ぬからだ。
笑って盗みを働く彼らを、或いは真っ当な。例えば慈善事業などに手を出すような。
大陸でも特に恵まれた側に居る人間ならば、気紛れで掬い上げられるのかもしれない。
だが、彼はそうではない。何人も殺し、両手を血と罪で染め、尚生き足掻く獣の類だ。
所詮子供のしたこと。見逃すべきか、と言う逡巡は一瞬で終わった。
――――否。罪を犯したなら理解らせねばならない。自分が何をし、何を奪ったのか。
でなければ彼らもまた獣になるだけだ。人は人に生まれようと、些細な理由で滑り落ちる。
それは――――市民の味方様であるならば。
……放っておくわけには、いかないのだろう。きっと。
●市民の味方
市内の地図は既に頭に入れてある。子供の足は早く、大人の想像すらしない道を辿る事も多い。
が、しかし。たとえどんな道を辿ろうとも、リンゴと砂糖の甘い香りまでは消せない。
嗅覚を頼りに、子供特有の軽い足音に耳を澄ます。
視界から外れようと五感を駆使すれば、そうそう獲物を逃したりはしない。
(南へ向かっているな……難民街か)
難民街。勿論そうと称される地形が街の中に在る訳ではない。あくまで通称だ。
が、商都である以上。どれほど治安が整って見えても成功者が居れば、そうでない者も居る。
それでも。リブラネスタの下層民であれば未だまともな生活が出来ている方だろうが。
ギルドの支援を受けている難民層となると、手に職がある者ばかりではない。
逃げる足音は止まらない。その罪の多寡は未だ分からずとも。
捕まればどうなるか位は流石に理解しているのだろう。だが――――当然逃がす道理はない。
所詮は難民だ。逃げ方があまりにも素直過ぎる。
頭に入れておいた地図の中から最短ルートを選び、先回りすると視線の直線上。
ぎょっとした顔の子供と相対する。手には齧りかけのリンゴアメ。
例えここで踵を返したとして。スヴァンの歩幅なら距離を詰めるのに10秒掛からない。
「奪ったものを、返して貰おうか」
自分で思う以上に、恫喝に近い声が出た。慌てて手元のリンゴアメを隠すも既に遅い。
真っ直ぐに歩みを寄せると、殴られると思ったのだろうか。子供が頭を抱えて蹲る。
アメを持つ手が震えていた。怯えている。竦んでいるのだ。己を断罪する大人の仕草に。
罪の意識も無く窃盗に走っているのであれば、罰を示すことも役割の内かと思っていたが。
皮肉にも――――その様に。いつかの自分を――――垣間見た。
伸ばそうとした手を握る。これが、市民の味方という奴か。何と言う面倒な仕事だ。
冒険者になって初日にして、彼は自分の決断を心から後悔していた。
こんなものに正答など無い。正答がない問いにどう応えろと言うのだろう。
例えば。此処でこの子供を哀れんで。幾許か施しをしたとしよう。
それでどうなる。罪は贖われないまま放り出され、子供は盗みを稼ぐ術と取り違える。
例えば。此処でこの子供に痛みを以て、罪を思い知らせたとしよう。
罰を受け恐怖を学んだところで、では飢えて死ぬまで蹲っていることが正しい事なのか。
――――そんな筈がない。
どんな理由があれ。どんな経緯があれ。生きる為に足掻く事を否定して何が市民の味方だ。
それを許容することは出来ない。たとえそれが全くの善であるのだとしても。
逡巡は長く。拳は血が出るほどに握られて。それでも尚、答えは出ない。
けれど。――――けれど、だ。
「お前、何が出来るんだ。荷物持ち位は務まるのか」
淡々としたその問に、頭を抱えていた子供が瞬く。その手からリンゴアメを取り上げる。
あっ、と声を上げる暇もあればこそ。返しで肩に掛けていた小さな鞄を放り投げた。
「食う物が欲しいなら、稼いで得るべきだ。違うか」
これを持って逃げようとするならば。握った拳を振り下ろさざるを得ない。
その確信は、良くも悪くも裏切られ。鞄を抱えた子供がスヴァンの方を瞬いて見返す。
ああ、分かっている。自分は余計な世話をやこうとしている。必要の無いことをしている。
でも仕方ないだろう。それが、冒険者なのだと言うのであれば。
「宿は表通りだ。賃金は払う」
告げて、応じも待たずに踵を返す。背の方から追いかけるように響く小さな足音。
それは彼が彼なりに考えて行った市民の味方としての最初の仕事だ。
かつて、黒い雪豹と嘲られ、罵られ、虐げられた男は、未だ何一つ救えてはいない。
こんなものがただの偽善に過ぎないと、スヴァン自身が誰より良く分かっている。
始まりなど、所詮こんなものだ。劇的でなく、華々しくもなく、特別でもない。
それでもきっと、自分は何かが出来たのだと。そう自身に言い聞かせる。
街並みの人は途絶えること無く。一見すれば穏やかで、秩序が保たれ、幸福に見える。
だが一枚表皮を剥がせば、いつでも零れ落ちる者は居る。見逃されている、者は居る。
それを今一度思い出せたことは、収穫だったと言えるのだろうか。
取り戻したリンゴアメは赤く染まって、リブラネスタの果てに陽が落ちる。
改めて齧ったそれは、やはりとても甘く……いっそ胸焼けがしそうなほど、甘ったるく。
まるで馴染みのない感情が胸を突く。思わず所在無げに尻尾が揺れる。
けれどそれは決して、悪い気分ではなかった。
――――困ったことに――――悪い気分では、なかったのだ。
●後日談
尚、後々になって判明したことではあるが。件のリンゴアメの屋台はただの屋台だった。
どうも質が悪いと見做された砂糖と商品価値が低いリンゴでコストを抑えているのだとか。
商人の利益追求への意欲。その貪欲さと発想の手広さには、正直瞠目せざるを得ない。
あれもまた、有る一側面においての――――市民の味方なのだろう。
5本買った。
時は夕暮れ時―――エラトゥーン都市同盟。通称、『同盟』。
通商協定で結びつくこれら都市国家群で、史上最大と呼ばれる港湾都市が『リブラネスタ』だ。
『同盟』第一位の都市とは即ち、大陸最大の商都だと言い換えられる。
この街では後ろ暗い物を除けば殆ど何でも揃う。商人の街ゆえに物価はやや高めであるにせよ。
それだけ多くの物品が流通しているということは、同時に多くの人が行き交うと言う事だ。
辺りを少し見回せばドワーフが居る。エルフが居る。ハーフリング、リザードマン、ゴブリンが居る。
そして、スヴァン同様の半獣人もまた、当たり前の様に闊歩している。
誰もそれを不思議とは思わないし、髪の色も肌の色も。気にする者などそうそうお目に掛かれない。
(……何度見ても、奇妙な光景だ)
数日の予習。脱出経路の選定。最悪のケースに備えての下準備。気付けば随分長居している。
スヴァン=ウォルフ=ユーウェンが冒険者になった日。けれど通りの光景は既に何度も見たそれだ。
確かに、『同盟』自体が――比較的ではあるが――他種族混成に抵抗の無い地域ではある。
しかし、それでも。例えば同じ酒場の卓にエルフとドワーフが付いたら諍いは免れない。
王国や帝国の唯人の半獣人差別は根強い。
当然ゴブリンを亜人と謗ったり、黒髪や黒鱗を邪竜に連なる悪しき存在と忌避する者も居る。
が、それがここまで表に出て来ない街は珍しい。大陸内は方々巡ったが、稀有と言って良い。
大都市であれば猶更だ。自然に考えれば有り得ない水準で秩序が。治安が保たれている。
それが良い事なのか、悪い事なのかと言えば、恐らく良いことなのだろう。
何処となく不自然に思え、いっそ居心地が悪いと言う方が、ズレていることは分かっていた。
“よお、そこのいかした眼帯の兄ちゃん。一本どうだい”――――露天商から掛けられた声に視線が向く。
眼帯、と言う特徴を指し自分でないこともあまり無い。どうも売られているのは果物の様だった。
しかし。どうもただの果物ではない様だ。良く尖った木の棒に刺さっている。
経験上、こういう良く分からない品は2種に分類される。新機軸の食べ物か、体に害がある食べ物だ。
良く観察すると、表面には何やら見慣れない光沢がある。僅かに甘い香りで光を反射するそれ。
直感する――――あれがもし金属であれば、恐らく体に害がある方の食べ物だ、と。
「お、何だ。リンゴアメは初めてか。安くしとくぜ」
りんごあめ。……アメ? スヴァンの脳裏で電流が奔り、眼前の物を二度見する。
彼とて、流石にリンゴは食べた事が有る。野生でも成っている比較一般的な果物だ。
そして勿論、アメも知っていた。唯でさえ高価な砂糖を水で溶かすなどして作る狂気の菓子だ。
貧困層の下層街などで人を探す時に1つ2つ握らせると、子供の動きが目に見えて良くなる。
しかし、そんな物でリンゴを包むなどすれば出来上がる菓子は相当に高価な筈。
対して、眼前で売られている棒に刺さった光沢を持った果物は、精々リンゴ3つ分の値段だった。
いや――――いやいやいやいやそんな上手い話が、有る訳がない……!
一体何処で自分が甘味を好むことがバレたのかは知らないが。
恐らく、この露店商はスヴァンを狙い撃ちにする為にのみ、此処で店を開いているに違いなかった。
一見して分かる範囲でも費用対効果をまるで無視している。
こんな値段でアメを売り捌いていたら、利益など殆ど出ない筈だ。得する部分が1つも無い。
(だが、詰めが甘い)
どんな私怨か仇討ちか。所以は知らずとも、心当たりならば吐いて捨てる程ある。
彼の前歴は限りなく殺し屋に近い。そして、世の中に絶対的善などと言う物が存在しない以上。
スヴァンが殺した相手にも縁故が有る筈だ。殺されるに足る理由は、確かに有ったのだとしても。
例えばそれと等しい数だけ親愛や友誼を結んだ相手が居ても、何もおかしな話ではない。
その全貌など当然把握していない。いつ、どこで、どんな相手が刺客であっても不思議はない。
だがそういった諸々を考慮するなら、今回の仕掛け人は全くの素人でないにせよ三流だ。
相手の趣味嗜好を事前に揃えると言う手際は、決して悪くない。しかし踏み込みが浅い。
決して商売に造詣が深い訳でもないスヴァンに、なお違和感を抱かれる程度では――――
「そうだな、最初ってことで2割引きで「1つ貰おう」」
即断即決で購入したリンゴアメを手にリブラネスタの表通りを歩く。
スヴァンの予想が正しければ、恐らくは相手方から何かしらのアクションがある筈だ。
こういった場合、自分から動いても徒労になることが多い。素性の隠蔽は裏稼業の必須技能だ。
そうやって焦らせることで心身の余裕を削いでいく。手法としては規範的とすら言える。
一口齧ったリンゴアメは、本当にアメで包んであるようでとても甘かった。
警戒に研ぎ澄ませた緊張感がそこはかとなく何処かへ雲散霧消していく。
ぱりぱりとしたアメの食感の後に来るリンゴのしゃくりと響く歯応え。
果汁の甘さにリンゴ特有の酸味が相俟って、良い。語彙力がやや抜け落ちているが、とても良い。
1つと言わずもっと買い込んでおくべきだった。5つ買えば1つ無料も同然だったものを。
事前に色々と繰り広げていた考察は何処へやら。満足げに頷く黒毛の雪豹。
その隙を縫う様に、人影が駆ける。油断は一瞬。瞬き二度ほど。されど――――隙は、隙だ。
手に持っていたリンゴアメが消え、笑い声が響いた。それがどんな種類の人間かは考えずとも分かる。
恐らく、難民の子供だ。
世界最大級の都市の1つ。『帝都』の崩壊以来、『リブラネスタ』にも元帝国民が増えた。
同盟まで無事辿り着けた者達は、比較的余力のある者が多かったが、勿論それが全てではない。
例え故郷が滅びても、両親さえ健在であれば子供達は笑ってのける。
それはいっそ驚くべき柔軟性の高さであり、スヴァンには飲み込み難い事実ではあるが。
けれど、貧すれば鈍すなどと言うように。彼らはその柔軟性故に堕ちるのも早い。
誰もそんなことを逐一教え込まずとも、餓えれば盗む。当然に。でなければ、死ぬからだ。
笑って盗みを働く彼らを、或いは真っ当な。例えば慈善事業などに手を出すような。
大陸でも特に恵まれた側に居る人間ならば、気紛れで掬い上げられるのかもしれない。
だが、彼はそうではない。何人も殺し、両手を血と罪で染め、尚生き足掻く獣の類だ。
所詮子供のしたこと。見逃すべきか、と言う逡巡は一瞬で終わった。
――――否。罪を犯したなら理解らせねばならない。自分が何をし、何を奪ったのか。
でなければ彼らもまた獣になるだけだ。人は人に生まれようと、些細な理由で滑り落ちる。
それは――――市民の味方様であるならば。
……放っておくわけには、いかないのだろう。きっと。
●市民の味方
市内の地図は既に頭に入れてある。子供の足は早く、大人の想像すらしない道を辿る事も多い。
が、しかし。たとえどんな道を辿ろうとも、リンゴと砂糖の甘い香りまでは消せない。
嗅覚を頼りに、子供特有の軽い足音に耳を澄ます。
視界から外れようと五感を駆使すれば、そうそう獲物を逃したりはしない。
(南へ向かっているな……難民街か)
難民街。勿論そうと称される地形が街の中に在る訳ではない。あくまで通称だ。
が、商都である以上。どれほど治安が整って見えても成功者が居れば、そうでない者も居る。
それでも。リブラネスタの下層民であれば未だまともな生活が出来ている方だろうが。
ギルドの支援を受けている難民層となると、手に職がある者ばかりではない。
逃げる足音は止まらない。その罪の多寡は未だ分からずとも。
捕まればどうなるか位は流石に理解しているのだろう。だが――――当然逃がす道理はない。
所詮は難民だ。逃げ方があまりにも素直過ぎる。
頭に入れておいた地図の中から最短ルートを選び、先回りすると視線の直線上。
ぎょっとした顔の子供と相対する。手には齧りかけのリンゴアメ。
例えここで踵を返したとして。スヴァンの歩幅なら距離を詰めるのに10秒掛からない。
「奪ったものを、返して貰おうか」
自分で思う以上に、恫喝に近い声が出た。慌てて手元のリンゴアメを隠すも既に遅い。
真っ直ぐに歩みを寄せると、殴られると思ったのだろうか。子供が頭を抱えて蹲る。
アメを持つ手が震えていた。怯えている。竦んでいるのだ。己を断罪する大人の仕草に。
罪の意識も無く窃盗に走っているのであれば、罰を示すことも役割の内かと思っていたが。
皮肉にも――――その様に。いつかの自分を――――垣間見た。
伸ばそうとした手を握る。これが、市民の味方という奴か。何と言う面倒な仕事だ。
冒険者になって初日にして、彼は自分の決断を心から後悔していた。
こんなものに正答など無い。正答がない問いにどう応えろと言うのだろう。
例えば。此処でこの子供を哀れんで。幾許か施しをしたとしよう。
それでどうなる。罪は贖われないまま放り出され、子供は盗みを稼ぐ術と取り違える。
例えば。此処でこの子供に痛みを以て、罪を思い知らせたとしよう。
罰を受け恐怖を学んだところで、では飢えて死ぬまで蹲っていることが正しい事なのか。
――――そんな筈がない。
どんな理由があれ。どんな経緯があれ。生きる為に足掻く事を否定して何が市民の味方だ。
それを許容することは出来ない。たとえそれが全くの善であるのだとしても。
逡巡は長く。拳は血が出るほどに握られて。それでも尚、答えは出ない。
けれど。――――けれど、だ。
「お前、何が出来るんだ。荷物持ち位は務まるのか」
淡々としたその問に、頭を抱えていた子供が瞬く。その手からリンゴアメを取り上げる。
あっ、と声を上げる暇もあればこそ。返しで肩に掛けていた小さな鞄を放り投げた。
「食う物が欲しいなら、稼いで得るべきだ。違うか」
これを持って逃げようとするならば。握った拳を振り下ろさざるを得ない。
その確信は、良くも悪くも裏切られ。鞄を抱えた子供がスヴァンの方を瞬いて見返す。
ああ、分かっている。自分は余計な世話をやこうとしている。必要の無いことをしている。
でも仕方ないだろう。それが、冒険者なのだと言うのであれば。
「宿は表通りだ。賃金は払う」
告げて、応じも待たずに踵を返す。背の方から追いかけるように響く小さな足音。
それは彼が彼なりに考えて行った市民の味方としての最初の仕事だ。
かつて、黒い雪豹と嘲られ、罵られ、虐げられた男は、未だ何一つ救えてはいない。
こんなものがただの偽善に過ぎないと、スヴァン自身が誰より良く分かっている。
始まりなど、所詮こんなものだ。劇的でなく、華々しくもなく、特別でもない。
それでもきっと、自分は何かが出来たのだと。そう自身に言い聞かせる。
街並みの人は途絶えること無く。一見すれば穏やかで、秩序が保たれ、幸福に見える。
だが一枚表皮を剥がせば、いつでも零れ落ちる者は居る。見逃されている、者は居る。
それを今一度思い出せたことは、収穫だったと言えるのだろうか。
取り戻したリンゴアメは赤く染まって、リブラネスタの果てに陽が落ちる。
改めて齧ったそれは、やはりとても甘く……いっそ胸焼けがしそうなほど、甘ったるく。
まるで馴染みのない感情が胸を突く。思わず所在無げに尻尾が揺れる。
けれどそれは決して、悪い気分ではなかった。
――――困ったことに――――悪い気分では、なかったのだ。
●後日談
尚、後々になって判明したことではあるが。件のリンゴアメの屋台はただの屋台だった。
どうも質が悪いと見做された砂糖と商品価値が低いリンゴでコストを抑えているのだとか。
商人の利益追求への意欲。その貪欲さと発想の手広さには、正直瞠目せざるを得ない。
あれもまた、有る一側面においての――――市民の味方なのだろう。
5本買った。