二律背反

四ノ月血戦 イベントノベル(テーマ)白の司祭制作 九弐ニデル納品 2025年05月01日 13時35分06秒

 夕の礼拝を終え、それぞれの家に夕餉や仕事に戻る信徒、あるいは狩りに出る聖職者を見送ったアレン(フェアロス・アーラ・アスプロス)は教会の扉を閉めた。鍵をかけることはしないが、ここからは夜の始まりだという区切りだ。
 聖具室に装束を掛けに戻った彼は、養女のルナ(コルネリウス・アーラ)が蝋燭を片付けているところに鉢合わせた。彼女はたった5本の蝋燭を片付けるのにずいぶん時間を使っていたようだった。磨かれた棚の表面にはルナの顔がぼんやり反射している。それがどうにも憂いを含んでいるようで、アレンは優しく声を掛けた。
「片付けありがとうございます、ルナ」
「あ、はい……今日もお疲れさまでした」
 慌てたように振り返るルナの耳が、きゅ、と下がる。彼の娘はごまかしが下手だ。何か隠し事をしているらしいことは、ずいぶん前から気付いている。アレンはそれに表情を変えないように微笑みながら頷いて続けた。
「教皇様がお隠れになってからこっち、お祈りに来られる方も増えましたしね」
 安心を求めにやってくる信徒にそれを与えるのは、教会付きの司祭の重要な役目だった。アレン自身もできるだけ情報を集めたり、教会に併設している孤児院の周りは目を光らせるようにして、変事に備えている。戦いに積極的でないルナも、求められては狩りに参加しているのを彼は知っていた。だが――

「一昨日の話を訊いてもいいでしょうか?」
 それを聞くなり、ルナの耳は1回跳ね上がってまた落ちた。父が言うのは一昨日の宵に彼女が参加した狩りのことに違いなかった。
 全体の戦果は悪くなかった。親吸血鬼1名と子吸血鬼2名は死亡、逃亡できたのはわずかに1名。
「充分な結果だったようですね」
「ええ……」
 ルナも、盾役として何度も味方を救い役目を果たした。
「でも、貴方は最後の1名を逃がしたのですね」
 父の声はどこまでも誠実で、それだけにルナは少し身を小さくして俯くしかなかった。
 それがあまり良くないことであるのは彼女もわかっている。逃がした相手が戻ってくるかもしれない、子供達や弱い立場の皆が危険に晒されるかもしれない、父が言うことが真っ当な心配であることもわかっている。
「……はい」
 だが、そんなに簡単に分けてしまえるものだろうか。“吸血鬼だから”。殺してよい。憎んでよい。そんな線の引き方で良いのだろうか。彼女は長らくそう悩んでいる。人間をひとくくりにできないように、吸血鬼だってできないのではないか。だから、“吸血鬼でも”。共に生きてよい。……恋して、よい。もしかしたら、そんな風に考えられはしないかと、彼女はずっと誰かに赦しを乞いたがっている。
 ――誰にも言えない。父さんにも、……神様にも。
 ルナはひとつの横顔をはっきり思い描きながら、一方で父の忠告に真摯に頷いた。その横顔には牙がある。父の言葉はどこまでも彼女を心配している。その2つは深い深い谷のように断絶していて、今のルナは両の谷壁に細い綱を掛けぶら下がっているのだった。
「いつか、ルナの身にも危険が及ぶかもしれません」
「はい……」
 父の予見は全く正しい。正しいどころか、それはもはや起きていたことを言い当てている。先日、偶然に行きあった吸血鬼相手にいつもどおりに振舞ったら、最終的に“儀式”に誘われてしまった。やっと突き放して逃げてきたが、毎回ああもうまくは行かないだろう。あの吸血鬼にも再会してしまったら……とはいえ、父には言えない、と彼女は口をつぐんでいる。父の心配をこれ以上増すわけにも、自分の想いへの疑念を持たせるわけにもいかないから。だから、通報すらしていなかった。

「貴方のやり方について、怒っているわけではありません」
 若いひとびとが、経験と知識を深め、いろいろな方法を模索することは常に有用です。そう続けたアレンの気持ちに偽りはない。彼はルナがよく考え、見聞きしようとし、行動していることを知っていた。彼にとってはそれは尊重し支えるべきものであることに揺らぎはない。
「ただ、心配を……しています」
 この娘は“善意”に弱い。それが悪意を包み込んでいたとしても、彼女は手を取ってしまうだろう。彼はそれを理解しているからこそ、この大事な宝に傷がついてしまいそうなことからは遠ざけてやりたかった。言い方は穏やかではあるが、彼にそこを譲るつもりはない。彼は、彼自身が彼女を失うことに怯えているのではなく、彼女が、彼女自身の大事なものを失う結果になることを憂いていた。
「これを渡しておきます」
 娘の手を広げさせ、美しい白蝶貝で出来た護符を乗せる。
 ――気休めに、すぎない。
 だが、この賢明な娘が、父の言葉を思い出してくれるように。
「魔除けです」
 静かで、小さな声。それだけでルナには伝わったようだった。その白い指が護符を包むように握りしめる。僅かに頭を垂れた娘をおいて、アレンは聖具室を出た。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0