永い夜にはスパイスを添えて
四ノ月血戦 イベントノベル(テーマ)牡丹の氏族制作 夏八木ヒロ納品 2025年05月23日 09時00分58秒
食事は大切なものだ。口にし喉を通ったものだけが、己を形作っていく。味を重視するか、栄養を重視するかは当事者によりけり。文化的であればあるほど食事の作法もより儀式的になる。
それは、たとえ吸血鬼であっても変わらない。
●
雪蘭が目を細めて一瞥すれば、男はうっとりとした表情で自ら跪いて見せた。たとえ彼女が牡丹の氏族で自身の捕食者であるとしても、その美貌に焼き切れた脳漿は男に危機感を報せない。形の良い唇が己へと近付くことに、心の内から歓喜すら沸き起こる。
普段と変わらない夕食風景。それを、ネヴィルは面白くない顔で眺めていた。
「ねえ、ヴィル。食事の最高のスパイスを知っている?」
「サボリーか? いいから早く終えてくれ雪蘭。お前は食べるのが遅い」
「あら、随分と急かすのね。ゆっくりお喋りを楽しむのも、良い晩餐の形でしょうに」
牙が皮膚を破り、零れた赤い液体が雪蘭の唇を染める。餌である男は、この場においては完璧な器でもあった。雪蘭が血を啜りやすいような姿勢を保ち、痛みに耐えながら微笑んでいる。
「男じゃなくて、女を食せば良いだろ。女の方が美味いぞ」
不機嫌な表情を隠すことなく続けるネヴィルの足下には、女が転がっていた。否、それもまた女の形をした器である。青白い顔こそしているが、それは静かに寝息をたてているようであった。
雪蘭はそこで、微かに恍惚とした笑みを夫へと向けた。
「男は血気盛んだから、味が濃くて好きよ。そうは思わない?」
「美女の方が美味いし、見目も良い」
せっかくの晩餐なのだから皿も美しい方が得だ――そのくらいの言い分ではあったが、自分のこの発言が失言であることにネヴィルはすぐに気が付いた。だが取り繕うにも、次の言葉が浮かんでこない。そもそもネヴィルにとってみれば、味も器もそこまで重要ではないのだ。
「まぁ、酷い。妻というものがありながら、他の女を美しいというのね……」
案の定、雪蘭はそう言って嘘泣きのジェスチャーを始める始末。彼が本当に気にしているのが何か、雪蘭は始めからわかっているようだった。
「……あまり意地の悪いこと言わないで。どんな美貌を以てしても、お前に敵う女は吸血鬼にだっていやしない」
「嬉しい。あなたならきっとそう言ってくれるって、私はいつだって信じているのよ」
そう言って微笑む雪蘭は可憐で、ネヴィルは思わず顔を緩めてしまう。自身よりよほど猫のような彼女に振り回されているのを自覚しつつ、それでも構わないと思えてしまうから困る。
けれど、やられるばかりでは味気ない。ネヴィルは自分の首に両手をかけると、襟足にかかる髪を勿体ぶるようにかきあげた。首筋を美しく露出させる姿勢のままネヴィルは目を細める。
“存分に吸ってくれ”と言わんばかりの、挑発。
「そういうお前はどうなんだ?」
ごとんと静かに鈍い音がした。既に絶命した男が、飲みかけだった血液を零しながら床に倒れたのだ。
雪蘭がゆっくりと立ち上がる。そうして、酷く愛おしげな仕草でネヴィルへと手を伸ばした。
「それを私に聞いてどうするの?」
答えなんてわかりきっているでしょうに――なんて続けようとして、雪蘭は黙した。だってそれはお互い様だ。わかりきった答えを何度でも聞きたくて、私達は悠久に睦み合いを続けている。
ネヴィルへと指で触れ、その形を、体温を確かめる。他の誰も触れられない彼。心の奥底から湧き上がるのは、決して綺麗なだけではない複雑な感情。
「あなたは私だけのもの。……私も、あなたひとりだけのものよ」
柔らかな果実に口づけるように優しく、雪蘭はネヴィルの首筋に歯を当てた。吸血鬼同士のこれは、当然に捕食ではない。腹を満たすのは彼の血ではない。なのに、溢れる赤い液体を舌で掬うのを、どうしても止めることができない。
喉を嚥下する感触すら甘く脳を痺れさせ、雪蘭は背筋をぴんと逸らした。水音をたてて唇を離すと、唾液と混じった薄い赤が美しく糸を引く。
「……正解は、嫉妬か?」
胸奥からふつふつと込み上げる熱を押し込めながら、ネヴィルはふと問いを口にした。そう、最高のスパイスの話。答えをまだ聞いてなかった。
「いいえ、愛よ。なんて、陳腐だったかしら?」
「悪くない。俺も、お前を味わいたくなったよ」
身を乗り出し、今度はネヴィルの指が雪蘭の襟を崩した。そうして露わになった白い首筋に優しく牙をたてる。
鋭くも甘やかなその痛みに雪蘭は恍惚の笑みを浮かべ、己の体重を預けるようにしてネヴィルの背へと両手をまわした。隙のない彼女が自分だけに見せる無防備に、ネヴィルは心臓が高鳴るのを感じ尾を揺らした。
この行為に意味などはない。だから良いのだ。食事にならなくとも、雪蘭の血は確かに自身を形成している。
長い夜は始まったばかり。互いに溺れゆく二人は、甘い闇へ沈む。
それは、たとえ吸血鬼であっても変わらない。
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雪蘭が目を細めて一瞥すれば、男はうっとりとした表情で自ら跪いて見せた。たとえ彼女が牡丹の氏族で自身の捕食者であるとしても、その美貌に焼き切れた脳漿は男に危機感を報せない。形の良い唇が己へと近付くことに、心の内から歓喜すら沸き起こる。
普段と変わらない夕食風景。それを、ネヴィルは面白くない顔で眺めていた。
「ねえ、ヴィル。食事の最高のスパイスを知っている?」
「サボリーか? いいから早く終えてくれ雪蘭。お前は食べるのが遅い」
「あら、随分と急かすのね。ゆっくりお喋りを楽しむのも、良い晩餐の形でしょうに」
牙が皮膚を破り、零れた赤い液体が雪蘭の唇を染める。餌である男は、この場においては完璧な器でもあった。雪蘭が血を啜りやすいような姿勢を保ち、痛みに耐えながら微笑んでいる。
「男じゃなくて、女を食せば良いだろ。女の方が美味いぞ」
不機嫌な表情を隠すことなく続けるネヴィルの足下には、女が転がっていた。否、それもまた女の形をした器である。青白い顔こそしているが、それは静かに寝息をたてているようであった。
雪蘭はそこで、微かに恍惚とした笑みを夫へと向けた。
「男は血気盛んだから、味が濃くて好きよ。そうは思わない?」
「美女の方が美味いし、見目も良い」
せっかくの晩餐なのだから皿も美しい方が得だ――そのくらいの言い分ではあったが、自分のこの発言が失言であることにネヴィルはすぐに気が付いた。だが取り繕うにも、次の言葉が浮かんでこない。そもそもネヴィルにとってみれば、味も器もそこまで重要ではないのだ。
「まぁ、酷い。妻というものがありながら、他の女を美しいというのね……」
案の定、雪蘭はそう言って嘘泣きのジェスチャーを始める始末。彼が本当に気にしているのが何か、雪蘭は始めからわかっているようだった。
「……あまり意地の悪いこと言わないで。どんな美貌を以てしても、お前に敵う女は吸血鬼にだっていやしない」
「嬉しい。あなたならきっとそう言ってくれるって、私はいつだって信じているのよ」
そう言って微笑む雪蘭は可憐で、ネヴィルは思わず顔を緩めてしまう。自身よりよほど猫のような彼女に振り回されているのを自覚しつつ、それでも構わないと思えてしまうから困る。
けれど、やられるばかりでは味気ない。ネヴィルは自分の首に両手をかけると、襟足にかかる髪を勿体ぶるようにかきあげた。首筋を美しく露出させる姿勢のままネヴィルは目を細める。
“存分に吸ってくれ”と言わんばかりの、挑発。
「そういうお前はどうなんだ?」
ごとんと静かに鈍い音がした。既に絶命した男が、飲みかけだった血液を零しながら床に倒れたのだ。
雪蘭がゆっくりと立ち上がる。そうして、酷く愛おしげな仕草でネヴィルへと手を伸ばした。
「それを私に聞いてどうするの?」
答えなんてわかりきっているでしょうに――なんて続けようとして、雪蘭は黙した。だってそれはお互い様だ。わかりきった答えを何度でも聞きたくて、私達は悠久に睦み合いを続けている。
ネヴィルへと指で触れ、その形を、体温を確かめる。他の誰も触れられない彼。心の奥底から湧き上がるのは、決して綺麗なだけではない複雑な感情。
「あなたは私だけのもの。……私も、あなたひとりだけのものよ」
柔らかな果実に口づけるように優しく、雪蘭はネヴィルの首筋に歯を当てた。吸血鬼同士のこれは、当然に捕食ではない。腹を満たすのは彼の血ではない。なのに、溢れる赤い液体を舌で掬うのを、どうしても止めることができない。
喉を嚥下する感触すら甘く脳を痺れさせ、雪蘭は背筋をぴんと逸らした。水音をたてて唇を離すと、唾液と混じった薄い赤が美しく糸を引く。
「……正解は、嫉妬か?」
胸奥からふつふつと込み上げる熱を押し込めながら、ネヴィルはふと問いを口にした。そう、最高のスパイスの話。答えをまだ聞いてなかった。
「いいえ、愛よ。なんて、陳腐だったかしら?」
「悪くない。俺も、お前を味わいたくなったよ」
身を乗り出し、今度はネヴィルの指が雪蘭の襟を崩した。そうして露わになった白い首筋に優しく牙をたてる。
鋭くも甘やかなその痛みに雪蘭は恍惚の笑みを浮かべ、己の体重を預けるようにしてネヴィルの背へと両手をまわした。隙のない彼女が自分だけに見せる無防備に、ネヴィルは心臓が高鳴るのを感じ尾を揺らした。
この行為に意味などはない。だから良いのだ。食事にならなくとも、雪蘭の血は確かに自身を形成している。
長い夜は始まったばかり。互いに溺れゆく二人は、甘い闇へ沈む。