ハリーヌが悪徳商人に飼われたお話

キャラクターノベル制作 紀藤トキ納品 2021年03月04日 14時17分57秒

 ハリーヌ・ヨツユビは紳士が嫌いになった。最初は、ハクビシン族の元から救ってくれたことに感謝もしたのだが。

(クソがッ。誰も信じちゃいけねぇってのに、甘ェよなあ)

 頭の中であのハクビシンが笑っている。そうではない、これ(ハクビシン)はもう一人の自分だ。

(信じてなど、ございませんですよ)

 ルールがあった。紳士が立ち上がると、何か言われる前に自分も立ち上がらなければならない。舌打ちを二度されたらついて来いの合図。それがなければその場でお見送りだ。ご飯は、舌打ちを聞くまで食べてはいけない。変な決まりだが、それは我慢できた。耐えがたいのは、服を着れない事だ。何か身を隠す物が欲しいと言えば、口を利くなと怒鳴られた。紳士は決して手を上げなかったが、怒鳴り声は怖かった。

(動物扱い、なのでございましょうか)

 しばらく過ごすうちに、そう思えてきた。紳士はハリーヌがハーフビーストだと知っている。言葉を喋れることも。だというのに、嘘をついていた。誰かに彼女をお披露目しようという思惑のようだ。気に入られるといいがとか告げてくる。

(面白れぇ。肝心なところで歌でも歌ってやれば、このシンシとか言う奴の顔は丸つぶれだぜ。最高だなァ)

 問題はハリーヌが余り歌を知らない事だったが。なんとなく、故郷の村の歌はそんな事に使いたくなかった。ハクビシン達が怒鳴るように歌っていた、変な節回しでも使ってやろうか。お上品な歌は知らねぇんだ、と歌い手のハクビシンが言っていたから、きっと下品な歌だ。紳士はハリーヌを叱る時に「品がない」とよく言っていたから、きっと下品な歌は大嫌いだろう。

●
「いいか。ちゃんとしろよ」
(ワタクシなりにちゃんとさせて頂くつもりでございます)

 つん、と鼻を上向かせる。何も着ていない心細さは最近感じなくなってきた。その事はちょっぴり嫌だな、と思う。重そうな大きな扉が音もたてずに開いた。

「久しぶりだね。良い子にしていたかな、ジョゼ」
「あら、つい先月お目に掛ったばかりですわ、叔父様」

 部屋の中には、人間の少女が一人。叔父と言うからには紳士と血縁なのだろうか。毛の色も目の色も違うしあまり似ていない気がする。でも、ヒューマンだからそんなものなのかもしれない。

「その子は……?」

 柔らかくて暖かそうな服を着た少女に見つめられて、恥ずかしくなる。紳士の背に隠れるのは嫌だったので、仕方なくそのまま立っていた。

「ジョゼは可愛いペットが欲しいと言っていたからね。苦労して探してきたのだよ」
「まあ……。ありがとうございます、叔父様。嬉しいわ」

 一瞬言葉に詰まったようにも見えたが、少女は嬉しそうな顔でそう言った。ペット。ペットか。ハリーヌはこの子のペットとして飼われるのか。頭の中でハクビシンが怒りの声を上げる。品のない歌を使ってぶち壊してやれと叫んでいる。しかし、ハリーヌは奥から漂う美味しそうな匂いに気を取られていた。

「おや、食事中だったのかね。それはすまなかったな……。急いでこれを見せたくてね」
「いいえ。お気になさらず」

 ぐるぐるぐる、きゅるる。

「あら?」
「……チッ」

 お腹が鳴ってしまった。仕方がない、昨日から何も食べていないし、朝から何も飲んでいない。紳士の舌打ちは何かの命令ではなく、ただの苛立ちだろう。それでも、怒鳴られるのが嫌で身をすくめた。

「お腹が空いているのね。一緒にご飯を食べましょうか」
「あ、いや。餌は私の方で……」
「いやだわ、叔父様。この子はもう私のものでしょう? 一緒に食事もしたいし、一緒のベッドで寝たいわ」

 何か異論があったのか、紳士は喉の奥に何か詰まったような音をたてたが。その手がハリーヌを捕まえる前に彼女は走った。お腹が空いているのだ。頭の中のハクビシンも異存はない。

「ごめんね。少しだけ待ってね。……叔父様、食事を済ませたらまたお話してくださいね」
「あ、ああ……」
「礼法の先生が、お食事中にお客様をお迎えするのははしたないと教えてくれました」
「そうか。うむ、そうだな。では、また後で」

 紳士が追い払われる。この少女は偉いのだろうか。頭の中のハクビシンは油断のない顔をしているが、ハリーヌは涎を垂らさないようにするので手いっぱいだった。

「……あなた、ハーフビーストでしょう? 叔父様も冗談がきついわ。椅子に座りなさいな」
(信用するな、馬鹿野郎!)

 ハクビシンがそんな声を上げている気がしたが、ハリーヌはお腹が空いていたし、何より紳士が大嫌いだった。

「……あ、ありがとうございますわ」
「やっぱり。喋れたのね」

 声が一転して、冷たくなった。その事を意識は把握していたが、身体の方は勧められるままに席に着き、食器を手に取る。久しぶりのまともな食事に、目が潤んだ。もしかして、この先は食べるものに困らないでいいのだろうか。この少女のペットになることで、それが叶うなら。そんな思いは、続く言葉で打ち砕かれる。

「ペットが欲しいって言ったのに、叔父様は嘘つきなのね。元の場所に捨ててきて」
「……え、あ」

 裏切られた。安住の地だと思ったのに、そうではなかった。後日に冷静に考えれば、裏切られていないしそもそも最初から安住の地などでなかったのはわかるのだが、その時のハリーヌはそう考えた。良い人だと思ったのに、助けてくれると思ったのに、と。

「お嬢様、あの子供は……」
「……え、本当に?」

 何やら、手下っぽい人間と話しながらこちらの様子をうかがっている。油断はするまい。追い出されるにせよ、ただではすまさない。ハリーヌは幼いながらに戦う決意を固めた。とりあえず、目の前の皿の中身は全て頂く、それでも足りない。お腹いっぱいになるまで追い出されて等やるものか、と。

 ――思えば。ハクビシンの暴虐でへし折られていた反発心が、紳士の元で暴力的でない理不尽さに遭い続けた事で復活し、この時に芽吹いたのだ。

●
「嫌でございます。私はお腹いっぱいになるまで、梃子でも動かないでございます」

 お皿の中身はもうない。椅子の上で大の字になって自己の権利を主張した。痩せていたお腹がポッコリ膨らんでいる。

「……仕方がありませんね。私の分もおあがりなさいな」
「へっ!?」

 良いのか、と跳ね起きる。少女はこちらをじっと見ていたが少しして視線をずらした。

「捨てる場所がないのであれば、ここにいても良いです。ですが、約束してほしい事があります」
「ん……んん。何で、ございましょうか?」

 口の中のパンを飲み込んでから、聞き返す。信用などしてはいないが、条件とやらを聞いてやる。この時のハリーヌの気分はいっぱしのネゴシエイターだった。ご飯が欲しいと言えば、相手が折れた。もっとだ、と強欲になりそうな幼いハリーヌを、悪辣なハクビシンが信用するなと押さえている。いわば善のハリーヌと悪のハクビシンの対決だが、どっちも所詮は9歳児の心の産物なので、あまり頭は良くなかった。

「叔父様を怒らせないように、協力して頂戴ね」

 少女が頼んできたのはそんな簡単な事だったので、ハリーヌは同意した。服を着ない。喋らない。ペットのフリをする。簡単な事だ。そう言うと、少女は沈んだ表情をした。

「いいわ。貴方は私の友人よ。でも、叔父の前ではペットでいて頂戴。私はジョゼ。ジョセフィーヌだけど、長いからジョゼでいいわ」
「ワタクシはハリーヌ・ヨツユビでございます」
「面白い喋り方なのね、ハリーヌ。あら。貴方女の子なの」

 驚いたような少女、ジョゼにハリーヌはツンと鼻を向ける。こんなに可愛らしく鼻をひくつかせる男性などいるわけがないのに。文句を言おうとしたのだけれど、なぜか涙がこぼれた。

「あ、ら……? どうしたことでございましょう」
「疲れたのね。今日はお休みなさい、ハリーヌ。叔父様と話すのは私一人で構わないから」

 こちらを気遣うように、そう言ってくる。けれども、ハリーヌはもう信じない。さっき簡単に自分を捨てようとしたのを忘れない。それに、信じていたあの子だって裏切ったじゃないか。

(……どうして思い出したのでございましょう。あの方のことを)

 久しぶりに思い出すと、しゃくりあげが収まらなくなった。堰を切って涙があふれる。悲しいからではなく、裏切られて悔しいからだ。もう二度と一緒にご飯を食べれない誰かを思い出したからではない。

「おやすみ、ハリーヌ。おやすみ」

 背中を撫でる指は、ハクビシンや紳士のものよりも柔らかく。悔しい事に少し心地よかった。

●
 ジョゼはハリーヌよりも少し年上だった。少ししか年上ではないのに、いろいろな事を知っていた。聞けば何でも教えてくれたし、聞かなくても色々教えてくれた。

「学園にね、行きたかったの」

 けれども、事故で両親が亡くなってそれどころではなくなったのだという。ジョゼの両親が残したのは大きな商会だった。ジョゼは仕事をしないといけないのだ。書類を書いたり、ハンコを押したりする難しそうな仕事を。ハリーヌがそう言えば、村では子供も水を汲んだり畑を見たりする仕事をしていたのではないか、と返される。

「そうでございましょうか」
「そうよ。あなたもお仕事を立派にしていたのだわ」

 そう言われればそんな気もして、髭がムズムズした。そんな風に、子供時代の事をお互いに話す程に仲良くなっていた。ジョゼの家は食べ物を扱う商会らしい。料理を作る方ではなく、材料を運んだりするのだ。例の紳士は隊商を指揮する番頭格らしい。

「だからね、叔父様もただの悪い人じゃないのよ……。ちょっと難しい人だけれども」
「そうでございましょうかぁ?」

 異種族とはいえど、うら若いレディに服を着せないなどと。常識的に考えてあり得ない、とハリーヌは憤然とした。けれども、その理由を聞いて尻尾が下がる。ジョゼの両親は、ハーフビーストのならず者に殺されたらしい。

「だからね、多分なのだけれど。叔父様はハーフビーストを見るのも嫌なのだわ」
「……ジョゼは。ジョゼはどうなのでございますか?」

 返事代わりに、わしゃわしゃと頭を撫でられた。今はとても居心地がいい。

(……クソ。ムカつく話だぜ。ああ?)

 だから、余計な事を話そうとは思わなかった。

●
 ジョゼが結婚するらしい。相手はあの紳士だという。人間の風習は良く分からないのだが、20歳も上の男性に嫁ぐ事などあるのだろうか。聞けば、ジョゼは困ったように眉を垂れた。

「あの時、叔父様がいなければ家は潰れていたし、皆も路頭に迷ったわ」

 今ならばジョゼの立場もしっかりしている。叔父と戦おうと思えば戦えるのではないか、とハリーヌは思った。それがわかるくらいには、商売の事を教えてもらっている。文字の読み書きから計算まで、教えてもらったものばかりだった。むしゃくしゃもやもやする話だ。ハリーヌはもう幼くない。自分のイライラを言葉にできる。

「……オレなら、あんな奴に頭を下げて生きていくのはごめんだがな」
「あら、その喋り方。久しぶりね」

 思わず口を突いて出たハクビシンに、彼女はクスリと笑う。最初に聞かれた時には随分驚かれたものだけれど、そういう存在がいるのが羨ましい、と言っていた。

「……戦えばいいじゃねぇか。味方だっているだろ。それとも、怖いのかよ?」
「怖いわ。今の暮らしがダメになる事が。私だけじゃない、召使いも、商会の人も。私の我がままに巻き込んでしまう訳にはいかないもの」

 怖いわ、と言った手が少し震えていた事に気が付いて、ハリーヌはそれ以上言い募るのを辞めた。自分だって、色々なものに目を背けて生きてきたし、この先もそうして生きていくのだろう。偉そうなことを言えはしない。心の中のハクビシンはまだ騒ぎ立てているけれど。

「だから、もう御別れね」
「ずっと、そう考えていたのでございますね」

 あの叔父と一緒に暮らすのならば、ハリーヌはずっと動物の真似をして生きていかなければならない。そんなことはしたくないし、できもしないだろう。彼女はすっかり文明化されてしまった。いや、ここを追い出されても生きて行けるようにされたのだろう。これはきっと、何年も、何年もかけた餞別なのだ。

「さようなら、私のお友達」
「……じゃあな、籠の中のお嬢様」

 別れは夜、誰もいない時間に。ハリーヌはジョゼ一人に見送られて旅立った。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0