偶発的遭遇(side:白の司祭)
四ノ月血戦 イベントノベル(テーマ)白の司祭制作 弓月 蒼納品 2025年05月08日 07時55分42秒
「主は宣い給うた。迷える仔羊の愛しきことを。温かきことを。至尊きことを。
まつろわぬ者にも祝福在りて幸いと祝福を齎されんことを。其が主の導きたらんことを」
朗々と響く、その静かな声に神が宿る。法術とは、即ち信仰である。
小さな教会の管理者に過ぎない男。フェアロス・アーラ・アスプロスの祝詞は清純無垢である。
敬虔さと博愛の精神は長き年月で研ぎ澄まされ。呪詛に対する凶悪無比な矛とも盾ともなる。
其処に齎される力には過不足が無い。手にした古い教書と対する者を指し示す指先。
ただその2つの自由さえ効くのなら。フェアロスは自らに赦された権能を十全に繰る事が出来る。
「主は今居まし。此処に居まし。然らば災いよ祓われん。その慈愛の聖なる哉。聖なる哉、聖なる哉――――」
一呼吸。そして、一歩。孤児らが手作りした紙の指輪を通した人差し指が吸血鬼を捉える。
「魔よ退きたまえ」
退魔詠唱。それは対吸血鬼戦術の基本中の基本にしてその最奥である。
中途半端に儀式が進んだ、完全に吸血鬼に変異する前であれば。人をあるべき姿に戻す事すら叶う。
一方で。この様な“治療”を行うことが出来る『聖職者』は決して多くはない。
殆どの場合。吸血鬼に対して高い抵抗性を持つ退魔詠唱は攻性法術として用いられる。
そしてそれ以上の鍛錬を積み上げはしない。吸血鬼を狩るには必要ないからだ。
フェアロスはその貴重な例外であり。故に、彼の管理する小さな教会は――――この混迷の時代にあって。
今日も賑やかな歓声と騒がしい子供達の声が絶え間なく響いている。
■
コルネリウス・アーラは『聖職者』見習いである。
役割は主に近隣で発生した吸血鬼事件の解決にあり、『白の司祭』派閥でも決して突出した経歴はない。
この日も、司祭であるフェアロスの受けた依頼の退路確保を担当し、下位吸血鬼を何人か追い払う。
そんな如何にもありふれた比較的安全な任務を果たす――――それだけの筈だった。
そこに。一切油断が無かったと言えば。それはきっと嘘になるだろう。
信頼する義父と同じ戦場。直接戦闘と縁遠い後方支援。護るべきものは自分だけ。要因は幾つも重なった。
だから、街道沿いに何気なく歩いて来た夜色の外套を羽織った青年が、すっと手を挙げた時。
彼女は相手の。何処かの貴族か王族かと見紛うその洗練された仕草に。一瞬、我を忘れた。
「失礼。少し尋ねたいのだが……卿は“吸血鬼狩り”か?」
そして、総毛だった。憂いを帯びた眼差しの、紅。声に帯びた異常な濃度の呪詛。
其処らで遭遇するはぐれ者とは訳が違う高位吸血鬼。明らかに、コルネリウスより格上の敵手。
手にした聖別された鳥籠がカタカタと震えた。思わず首を横に振るのが精一杯だった。
“赤の吸血鬼狩り”とは派閥が違う。とは言え、そこを素直に教える必要は無い。
『聖職者』の本分を考えれば、ここで玉砕覚悟で掛かっていくべきだったのかもしれない。
けれど大切な家族が。愛する義父が。棄てられないものが頭を過ぎった。覚悟を固めるには……多過ぎた。
「……そうか。ありがとう御嬢さん。余計な血を流さずに済む」
真っ直ぐ向かって来た吸血鬼の右目は眼帯に覆われていた。それが見て取れる程の距離。
さらっと髪に触れ囁かれた声が耳元に残る――――そうして、擦れ違う。
かつかつ響く軍靴の音。膝から崩れたコルネリウスが立てたのは、日が落ちてからだった。
■
――――このところ、娘の様子が、おかしい。
そう気付けたのは、彼が退魔詠唱の手解きをしている孤児の一人。
コルネリウスが3日連続で晩餐後、礼拝堂に向かう姿を見た為だった。
孤児たちの中でも年長者層のコルネリウスは、普段から年少者層の孤児たちの世話で忙しい。
豊かとは言えない教会暮らしだ。やれ熱を出した。食事を吐いた。取っ組み合いの喧嘩をした。
孤児同士のトラブルなど引っ切り無しに起きるし、平穏な日々などそう続かない。
となれば年長層の面々はお互い、細切れの時間を縫って個人の時間を確保する他は無く。
礼拝堂に祈りを捧げる。と言う『聖職者』としては当然の儀礼も後回しになりがちだった。
コルネリウスもその例外ではない……筈だったのだが。
そっと礼拝堂を覗き見ると。良く理解している心算だった愛娘はただじっと。指を組み祈りを捧げていた。
其処には何処かしら懊悩の色も見て取れ。何かを抱え込んでいる事は間違いない。
だがフェアロスはその背に声を掛けようか幾度か逡巡し、けれど小さく嘆息すると手を下ろす。
余り隠し事の得意な子ではない。聞きだすことはきっと容易い。それでも、果たしてそうすべきか。
その答えをフェアロスは持たない。持たないのであれば……それは、時期尚早と言う事なのではないか。
踵を返した彼の背で、コルネリウスは祈り続ける。まるで、自らの罪と向き合いでもするように。
まつろわぬ者にも祝福在りて幸いと祝福を齎されんことを。其が主の導きたらんことを」
朗々と響く、その静かな声に神が宿る。法術とは、即ち信仰である。
小さな教会の管理者に過ぎない男。フェアロス・アーラ・アスプロスの祝詞は清純無垢である。
敬虔さと博愛の精神は長き年月で研ぎ澄まされ。呪詛に対する凶悪無比な矛とも盾ともなる。
其処に齎される力には過不足が無い。手にした古い教書と対する者を指し示す指先。
ただその2つの自由さえ効くのなら。フェアロスは自らに赦された権能を十全に繰る事が出来る。
「主は今居まし。此処に居まし。然らば災いよ祓われん。その慈愛の聖なる哉。聖なる哉、聖なる哉――――」
一呼吸。そして、一歩。孤児らが手作りした紙の指輪を通した人差し指が吸血鬼を捉える。
「魔よ退きたまえ」
退魔詠唱。それは対吸血鬼戦術の基本中の基本にしてその最奥である。
中途半端に儀式が進んだ、完全に吸血鬼に変異する前であれば。人をあるべき姿に戻す事すら叶う。
一方で。この様な“治療”を行うことが出来る『聖職者』は決して多くはない。
殆どの場合。吸血鬼に対して高い抵抗性を持つ退魔詠唱は攻性法術として用いられる。
そしてそれ以上の鍛錬を積み上げはしない。吸血鬼を狩るには必要ないからだ。
フェアロスはその貴重な例外であり。故に、彼の管理する小さな教会は――――この混迷の時代にあって。
今日も賑やかな歓声と騒がしい子供達の声が絶え間なく響いている。
■
コルネリウス・アーラは『聖職者』見習いである。
役割は主に近隣で発生した吸血鬼事件の解決にあり、『白の司祭』派閥でも決して突出した経歴はない。
この日も、司祭であるフェアロスの受けた依頼の退路確保を担当し、下位吸血鬼を何人か追い払う。
そんな如何にもありふれた比較的安全な任務を果たす――――それだけの筈だった。
そこに。一切油断が無かったと言えば。それはきっと嘘になるだろう。
信頼する義父と同じ戦場。直接戦闘と縁遠い後方支援。護るべきものは自分だけ。要因は幾つも重なった。
だから、街道沿いに何気なく歩いて来た夜色の外套を羽織った青年が、すっと手を挙げた時。
彼女は相手の。何処かの貴族か王族かと見紛うその洗練された仕草に。一瞬、我を忘れた。
「失礼。少し尋ねたいのだが……卿は“吸血鬼狩り”か?」
そして、総毛だった。憂いを帯びた眼差しの、紅。声に帯びた異常な濃度の呪詛。
其処らで遭遇するはぐれ者とは訳が違う高位吸血鬼。明らかに、コルネリウスより格上の敵手。
手にした聖別された鳥籠がカタカタと震えた。思わず首を横に振るのが精一杯だった。
“赤の吸血鬼狩り”とは派閥が違う。とは言え、そこを素直に教える必要は無い。
『聖職者』の本分を考えれば、ここで玉砕覚悟で掛かっていくべきだったのかもしれない。
けれど大切な家族が。愛する義父が。棄てられないものが頭を過ぎった。覚悟を固めるには……多過ぎた。
「……そうか。ありがとう御嬢さん。余計な血を流さずに済む」
真っ直ぐ向かって来た吸血鬼の右目は眼帯に覆われていた。それが見て取れる程の距離。
さらっと髪に触れ囁かれた声が耳元に残る――――そうして、擦れ違う。
かつかつ響く軍靴の音。膝から崩れたコルネリウスが立てたのは、日が落ちてからだった。
■
――――このところ、娘の様子が、おかしい。
そう気付けたのは、彼が退魔詠唱の手解きをしている孤児の一人。
コルネリウスが3日連続で晩餐後、礼拝堂に向かう姿を見た為だった。
孤児たちの中でも年長者層のコルネリウスは、普段から年少者層の孤児たちの世話で忙しい。
豊かとは言えない教会暮らしだ。やれ熱を出した。食事を吐いた。取っ組み合いの喧嘩をした。
孤児同士のトラブルなど引っ切り無しに起きるし、平穏な日々などそう続かない。
となれば年長層の面々はお互い、細切れの時間を縫って個人の時間を確保する他は無く。
礼拝堂に祈りを捧げる。と言う『聖職者』としては当然の儀礼も後回しになりがちだった。
コルネリウスもその例外ではない……筈だったのだが。
そっと礼拝堂を覗き見ると。良く理解している心算だった愛娘はただじっと。指を組み祈りを捧げていた。
其処には何処かしら懊悩の色も見て取れ。何かを抱え込んでいる事は間違いない。
だがフェアロスはその背に声を掛けようか幾度か逡巡し、けれど小さく嘆息すると手を下ろす。
余り隠し事の得意な子ではない。聞きだすことはきっと容易い。それでも、果たしてそうすべきか。
その答えをフェアロスは持たない。持たないのであれば……それは、時期尚早と言う事なのではないか。
踵を返した彼の背で、コルネリウスは祈り続ける。まるで、自らの罪と向き合いでもするように。