星の祝福
キャラクターノベル(グループ)制作 夏八木ヒロ納品 2025年03月07日 15時46分36秒
「もう持って行くもの、ないかな。いろいろ、しばらくはとっておく、つもりだけど……」
ハーヴィにとっても住み慣れた部屋に、聞き慣れたユズの声があった。
いつも被っているフードを今日も揺らしながら、ユズは様々なものを机に並べていく。練習用に使った占い道具や、いつも使っていた木製のカトラリー。他にもいろいろ。
ハーヴィは思わず目を細める。覚悟はしていたつもりだが、数年を一緒に暮らしてきたこの場所には置いて行きがたい記憶が堆積しているようだった。旅の荷物は最低限が望ましいから、全てを鞄に詰めるわけには当然いかない。
「はい、大丈夫です。師匠もご実家に帰られますしね。残しておけないものがあるのもわかってます」
このささやかなやりとりにさえどこか別離の匂いがする。こんなに穏やかな時間なのに、今は別れの時なのだと思い知らされてしまう。
喉の奥がつんとするのを堪えつつ、荷物を抱えたハーヴィは外へ踏み出す。
草の匂いがする風が通り過ぎた。晴れやかな空の色は、なんだか今日という日にぴったりの色をしていた。
●
師が弟子へ占い師の免許皆伝を伝えたのは、かの最終決戦が終わってすぐのことだった。
その頃にはもう、ユズから見てハーヴィの占いの腕前は充分すぎるものになっていたからだ。
何よりハーヴィはもう、これから進む道を決めていた。大切な人と共に、彼女と失われた記憶を辿る旅に出ることを。
かつて征竜の巫女と呼ばれた少女の、その手を取って離さないとハーヴィは決めた。彼女に寄り添い、道先を照らす灯りになることを誓った。だったら師匠として、弟子の背中を優しく押すのはやはり自分の役目だとユズは思う。
……寂しくないといえば、嘘になるけれど。
(占いは、より良い未来を掴むための、助けになるもの、だから)
歩くハーヴィの背を眺めながら、ユズものんびりと歩みを進める。弟子の背中がずいぶん大きく見えるのは、単に背が高くなったとか、そういう理由だけではないのだろう。積み重なった数年の重みが、胸にじんわりと温もりをもたらしていく。
「このあたり、かな。ハーヴィ」
見送りにちょうど良い道の途中、陽光はキラキラと輝いて朝鳥の鳴く声が聴こえる。
ユズが声をかけるのとハーヴィが振り向くのは同時だった。
「師匠、あの」
ハーヴィの表情が少しだけ歪む。笑顔のような泣き顔のような、優しい表情。
ユズは困ったように眉をハの字にした。……寂しいのはきっとお互い様なのだ。それはなんだか、くすぐったい気もする。
「今までありがとうございました。落ち着いたら手紙も書きます」
「うん」
「それに、師匠との縁は切れないって、星が囁いてくれて。だから――」
情けないなあ、ハーヴィは思う。笑ってお別れをすると決めたのに、何だか泣きたくなってしまう。
師と過ごした期間は数年。もしかしたら、遠い未来の自分にとっては『たった数年』にもなり得てしまう時間だ。けれども、この数年はハーヴィにとってその期間以上のかけがえのないものだった。だからこそ、言葉はぽろぽろと音をたてて零れていく。
それでも、笑っていたい理由がハーヴィにはあった。
(師匠はご実家――星駆神社の家業を継ぐんだって言ってた。だから進むのは僕だけじゃない)
自身が“彼女”との未来を決意するのと同じくして、ユズもまた自身の道行きを決めたのだ。そのことが、ハーヴィはたまらなく嬉しかった。今日は自分の旅立ちの日であると同時に、ユズの旅立ちの日でもある。
だから泣かない。絶対に泣かない。この別れが幸せなものであったといずれ思い出せるように。ハーヴィもユズも、これからより良い未来を選び取って歩いて行く。泣かないことが、それを証明する唯一のような気がしている。
そんな弟子の様子を見て、ユズは優しく微笑んだ。
「ボクも星の囁きを、聞いたよ。縁は続くって。……やっぱり、ハーヴィは、免許皆伝。絶対、大丈夫」
ずっと頑張っていたキミが、ついに一人で占い師をやっていく――それがどんなに嬉しいことか!
だからユズは笑う。明日は昨日と比べて、ずいぶん違うものになるのだろうけれど。それでも、弟子の門出を心から祝福したかった。否、祝福すると決めたのだ。
ユズは少し考えてから、ゆっくりと被っていたフードを脱いだ。珍しいことだ。それを見たハーヴィが数度瞬きをする。
まだ冷たい外気がユズの髪を撫でていく。その感触はくすぐったくて、少し怖い。……でも、ボクだって、変わった。もう以前の、怯えてばかりのボクじゃない。
それに今生の別れというわけじゃない。きっとまた会える。ハーヴィは一度だけ目を擦って、それからごく自然な笑顔を向けた。
春の朝日が目に眩しい。ようやく、とびきりの笑顔が二つ重なる。
「ハーヴィ、どうか、元気で。祈ってる、星に」
ハーヴィを覗くように見上げたユズは、優しく、しかしはっきりとした言葉でそう伝える。
星はロスガリアのどこからでも見えるから。慈愛に満ちた祝福に、ハーヴィもまた強く頷く。
「……はい。師匠もどうか、お元気で」
これは悲しい別れじゃない。長い旅のおしまいでもない。
二人の叙事詩はこれからも続く。今居る場所は、新しい始まりの頁なのだから。
想いを込めて、ハーヴィはユズの手を取った。ユズもまたハーヴィの手を優しく握り返す。大きくなった掌は温かくて力強い。名残惜しさは尽きないが、誇らしさで胸がいっぱいになる。
(ボクも、頑張る。……大切なものを、守り、これからも次代へ繋ぐ。ハナユと、一緒に)
吹き抜ける春風が花弁を舞いあげていく。またいつかと、どちらからともなく口にした。ゆっくりと離れていく二人の影を、きっと全てが祝福していた。
●
それから少し時が経ち――。
旅先でふと、ハーヴィは風に揺れる野花に目を留めた。
様々な場所を巡っていると、当然に生育する植物の種類は大きく変わる。特にシャルガネに咲いていた花々は個性も強く、他の場所では滅多にお目にかからなかったりする。
名前も知らない紫色の花を見て、思い出したのは紫陽花だった。夜に見る星の並びからしても、彼の地ではそろそろ咲き始めている頃かもしれない。
星は今もなお、師との縁が切れていないことを囁いてくれる。そうして重ねた縁が、ハーヴィを強くしてくれた。
けれど今のハーヴィは、もう一つ知っている。運命は待つだけでなく、結びなおすこともできることを。大切な人と繋ぎ直した手を、二度と放さないと誓ったあの日のことを思う。
それに師匠だって思っていたはずだ。占いは先を見るだけのものではなく、より良い未来を掴むために背を押す風のようなものだって。
だから、手紙を書こうと思ったのもとても自然な運びだった。便箋を選ぶのは、旅の連れである彼女にも手伝って貰っていいかもしれない。
そうして、ハーヴィは筆を執る。書き出しの言葉は気取らず努めていつも通りに、でも近況はしっかりと伝えておきたい。届いた手紙の封を開けてくれる師匠の嬉しそうな顔を想像する。胸の内が温かくなるのを感じ、表情は自然とほころんだ。
師匠へ。お元気ですか。シャルガネではそろそろ紫陽花の咲く頃でしょうか――
ハーヴィにとっても住み慣れた部屋に、聞き慣れたユズの声があった。
いつも被っているフードを今日も揺らしながら、ユズは様々なものを机に並べていく。練習用に使った占い道具や、いつも使っていた木製のカトラリー。他にもいろいろ。
ハーヴィは思わず目を細める。覚悟はしていたつもりだが、数年を一緒に暮らしてきたこの場所には置いて行きがたい記憶が堆積しているようだった。旅の荷物は最低限が望ましいから、全てを鞄に詰めるわけには当然いかない。
「はい、大丈夫です。師匠もご実家に帰られますしね。残しておけないものがあるのもわかってます」
このささやかなやりとりにさえどこか別離の匂いがする。こんなに穏やかな時間なのに、今は別れの時なのだと思い知らされてしまう。
喉の奥がつんとするのを堪えつつ、荷物を抱えたハーヴィは外へ踏み出す。
草の匂いがする風が通り過ぎた。晴れやかな空の色は、なんだか今日という日にぴったりの色をしていた。
●
師が弟子へ占い師の免許皆伝を伝えたのは、かの最終決戦が終わってすぐのことだった。
その頃にはもう、ユズから見てハーヴィの占いの腕前は充分すぎるものになっていたからだ。
何よりハーヴィはもう、これから進む道を決めていた。大切な人と共に、彼女と失われた記憶を辿る旅に出ることを。
かつて征竜の巫女と呼ばれた少女の、その手を取って離さないとハーヴィは決めた。彼女に寄り添い、道先を照らす灯りになることを誓った。だったら師匠として、弟子の背中を優しく押すのはやはり自分の役目だとユズは思う。
……寂しくないといえば、嘘になるけれど。
(占いは、より良い未来を掴むための、助けになるもの、だから)
歩くハーヴィの背を眺めながら、ユズものんびりと歩みを進める。弟子の背中がずいぶん大きく見えるのは、単に背が高くなったとか、そういう理由だけではないのだろう。積み重なった数年の重みが、胸にじんわりと温もりをもたらしていく。
「このあたり、かな。ハーヴィ」
見送りにちょうど良い道の途中、陽光はキラキラと輝いて朝鳥の鳴く声が聴こえる。
ユズが声をかけるのとハーヴィが振り向くのは同時だった。
「師匠、あの」
ハーヴィの表情が少しだけ歪む。笑顔のような泣き顔のような、優しい表情。
ユズは困ったように眉をハの字にした。……寂しいのはきっとお互い様なのだ。それはなんだか、くすぐったい気もする。
「今までありがとうございました。落ち着いたら手紙も書きます」
「うん」
「それに、師匠との縁は切れないって、星が囁いてくれて。だから――」
情けないなあ、ハーヴィは思う。笑ってお別れをすると決めたのに、何だか泣きたくなってしまう。
師と過ごした期間は数年。もしかしたら、遠い未来の自分にとっては『たった数年』にもなり得てしまう時間だ。けれども、この数年はハーヴィにとってその期間以上のかけがえのないものだった。だからこそ、言葉はぽろぽろと音をたてて零れていく。
それでも、笑っていたい理由がハーヴィにはあった。
(師匠はご実家――星駆神社の家業を継ぐんだって言ってた。だから進むのは僕だけじゃない)
自身が“彼女”との未来を決意するのと同じくして、ユズもまた自身の道行きを決めたのだ。そのことが、ハーヴィはたまらなく嬉しかった。今日は自分の旅立ちの日であると同時に、ユズの旅立ちの日でもある。
だから泣かない。絶対に泣かない。この別れが幸せなものであったといずれ思い出せるように。ハーヴィもユズも、これからより良い未来を選び取って歩いて行く。泣かないことが、それを証明する唯一のような気がしている。
そんな弟子の様子を見て、ユズは優しく微笑んだ。
「ボクも星の囁きを、聞いたよ。縁は続くって。……やっぱり、ハーヴィは、免許皆伝。絶対、大丈夫」
ずっと頑張っていたキミが、ついに一人で占い師をやっていく――それがどんなに嬉しいことか!
だからユズは笑う。明日は昨日と比べて、ずいぶん違うものになるのだろうけれど。それでも、弟子の門出を心から祝福したかった。否、祝福すると決めたのだ。
ユズは少し考えてから、ゆっくりと被っていたフードを脱いだ。珍しいことだ。それを見たハーヴィが数度瞬きをする。
まだ冷たい外気がユズの髪を撫でていく。その感触はくすぐったくて、少し怖い。……でも、ボクだって、変わった。もう以前の、怯えてばかりのボクじゃない。
それに今生の別れというわけじゃない。きっとまた会える。ハーヴィは一度だけ目を擦って、それからごく自然な笑顔を向けた。
春の朝日が目に眩しい。ようやく、とびきりの笑顔が二つ重なる。
「ハーヴィ、どうか、元気で。祈ってる、星に」
ハーヴィを覗くように見上げたユズは、優しく、しかしはっきりとした言葉でそう伝える。
星はロスガリアのどこからでも見えるから。慈愛に満ちた祝福に、ハーヴィもまた強く頷く。
「……はい。師匠もどうか、お元気で」
これは悲しい別れじゃない。長い旅のおしまいでもない。
二人の叙事詩はこれからも続く。今居る場所は、新しい始まりの頁なのだから。
想いを込めて、ハーヴィはユズの手を取った。ユズもまたハーヴィの手を優しく握り返す。大きくなった掌は温かくて力強い。名残惜しさは尽きないが、誇らしさで胸がいっぱいになる。
(ボクも、頑張る。……大切なものを、守り、これからも次代へ繋ぐ。ハナユと、一緒に)
吹き抜ける春風が花弁を舞いあげていく。またいつかと、どちらからともなく口にした。ゆっくりと離れていく二人の影を、きっと全てが祝福していた。
●
それから少し時が経ち――。
旅先でふと、ハーヴィは風に揺れる野花に目を留めた。
様々な場所を巡っていると、当然に生育する植物の種類は大きく変わる。特にシャルガネに咲いていた花々は個性も強く、他の場所では滅多にお目にかからなかったりする。
名前も知らない紫色の花を見て、思い出したのは紫陽花だった。夜に見る星の並びからしても、彼の地ではそろそろ咲き始めている頃かもしれない。
星は今もなお、師との縁が切れていないことを囁いてくれる。そうして重ねた縁が、ハーヴィを強くしてくれた。
けれど今のハーヴィは、もう一つ知っている。運命は待つだけでなく、結びなおすこともできることを。大切な人と繋ぎ直した手を、二度と放さないと誓ったあの日のことを思う。
それに師匠だって思っていたはずだ。占いは先を見るだけのものではなく、より良い未来を掴むために背を押す風のようなものだって。
だから、手紙を書こうと思ったのもとても自然な運びだった。便箋を選ぶのは、旅の連れである彼女にも手伝って貰っていいかもしれない。
そうして、ハーヴィは筆を執る。書き出しの言葉は気取らず努めていつも通りに、でも近況はしっかりと伝えておきたい。届いた手紙の封を開けてくれる師匠の嬉しそうな顔を想像する。胸の内が温かくなるのを感じ、表情は自然とほころんだ。
師匠へ。お元気ですか。シャルガネではそろそろ紫陽花の咲く頃でしょうか――