聖霊節の祈り
キャラクターノベル制作 鳩子納品 2025年01月22日 20時27分52秒
白く嫋やかな手が、中庭へと続く戸をそっと押し開いた。その薬指では、白花の輝石を抱く竜の指輪が静かに輝く。持ち主は、癖のない紅茶色の髪と蜂蜜色の瞳をしたエルフの娘だ。
冷え冷えとした夜気が室内を冷やさぬうちにと、コルネリウス・アーラは戸の隙間からするりと外へ抜け出した。白い息を吐き、手触りの良い幅広のショールを巻き直す。そうして、藍色に沈む庭にぼうやりと浮かぶ飛石をゆっくりと辿りはじめた。
手入れの行き届いた庭は、花の少ない冬を迎えてなお来訪者を歓迎する心を忘れていない。無粋な枝に阻まれることもなく、屋敷から漏れる明かりと月の光だけで十分目的の場所を目指すことが出来た。どこかで咲く水仙の清涼な香が鼻先をくすぐる。この屋敷の主である恋人の、自分を温かく迎え入れてくれる態度がこんなところにも現れているような気がして、コルネリウスは小さく微笑む。
赤い実をつけたサンザシの横を抜けると、白い石造りのガゼボが現れた。だが、コルネリウスはその手前の、開けた場所で立ち止まった。
軽く仰向けば、薄い雲の流れる空に三日月が浩々と輝いている。
――今日は十二月、聖霊節の夜。
もとを遡れば英雄ジド・ルウと名もなき小さき神々の偉業を称えたことに端を発する聖霊節は、今では先祖や近しい人々へ感謝の祈りを捧げ、想い人と過ごす特別な時季として親しまれている。
今回コルネリウスが王都グランスパーダのパンクリアース学園寮から此処、ライゼンナクト領である湖都ラヴェルギアの屋敷へやって来たのも、恋人と特別なひとときを共有するため。そして、こんな時間に外へ出てきたのは、もうひとりの大切なひとへ祈りを捧げるためだった。
胸の前で両手を組み、両の目を軽く伏せる。
(父さん、……お元気ですか)
瞼の裏に、そのひとの姿を思い浮かべる。それだけで胸の内が、すこし温かくなるようだった。
いつだってコルネリウスを見守ってくれた、優しいまなざし。因習により『取り換え子』として捨て置かれた赤子を娘にしてくれたひと。研究のための旅に出るたび孤児を連れ帰るものだから、彼のもとにはコルネリウス以外にも様々な種族の子どもが家族として暮らしていた。
そんな父フェアロスは、今もフィエルス大森林の辺境にある家を拠点にしながら、方々を巡っていることだろう。
今夜は、あの家にいるのだろうか。それとも、知見を広めるべく足を運んだ旅先だろうか。遠く離れていても、空はひとつ。祈るのならば、父の頭上にも同じように輝いている月と星の下が良かった。
コルネリウスの記憶にもっとも残っている父の姿は、祈りを捧げている横顔だ。
毎日欠かすことなく行われる祈りは大仰なものではなく、日常的な習慣の一つとして存在した。
何を祈ってるの? と尋ねたことがある。父はほのかに微笑んで、答えた。
――子どもたちが健康でありますように、幸せでありますように。
家族を持つ者であれば誰もが抱くであろう、ありふれた望み。贅沢がしたいとか、権力が欲しいとか、そんな強欲なものではなく、誰かを踏みつけにするものでもない、ささやかな願い。なのにその祈りは、コルネリウスから見ると満足に報われていなかったように思う。
ある日届いた手紙は、兄の訃報だった。床に臥した姉も、看病の甲斐無く亡くなった。
大好きなひとたちがもうこの世にいないのだと思うたび、コルネリウスの脳裏には「どうして」という疑問が無数に木霊した。
――どうして、祈りは届かないの?
――どうして、神様は助けてくれないの?
――どうして、報われないのに祈り続けるの?
『ねぇ、父さん……神様って何? 父さんは、毎日神に祈りを捧げているけれど』
何度も読み返した訃報を手に、コルネリウスは呟いた。やり場のない憤りを溢れさせた娘に、フェアロスは明確な回答を与えなかった。
『……その答えは、己の中で出してみなさい、コルネ』
その言葉に背を押され、コルネリウスは家を出る決心をした。
ひとが祈る理由を知りたい。
大切なものを守るために、何をすべきか知りたい。
その時のコルネリウスには『答え』の欠片すらわからなかったけれど、今までのように家で暮らしているだけでは見つかりっこないと、それだけははっきりと確信していた。
父と姉から贈られた鳥の翼のように軽やかな服をまとい、幼少のころ兄に授けられた剣を供にして、コルネリウスは故郷を後にした。
外の世界は、眩しくも厳しかった。
あのまま辺境の家に留まっていたならば得られなかったであろう、様々な経験をした。度重なる戦いの中で、それまで想像もしなかった現実を突きつけられた。
笑いあう友人が出来た。信頼のおける部下が出来た。己の手が届かぬ場所で、そうしたひとたちを喪った。共に歩むことが叶わず、自らの手で好敵手を殺めたこともあった。
どれほど祈っても、どれほど願っても、目に映るすべてを護ることは出来ない。手が届く範囲のものですら、ふとした瞬間に喪われてしまう。嘆いたところで、奇跡は起こらない。ひとの身に出来ることは限られていて、偉大な神ですら救いの手を差し伸べてくれるとは限らないのだ。いくら武具を揃え技術を磨き、戦略を巡らしたとしても、足りることはなかった。
無力感に囚われずに済んだのは、家族の願いが込められた戦装束が、剣が、髪飾りが力をくれたから。そして喪失や敵対を上回る出会いと親交、信頼できる仲間がいたお陰である。
(……私は、大切なものを取捨選択することを学びました)
これまでの道程を振り返り、コルネリウスは夜空を通して父へ語り掛けた。
自分の周りにある沢山の物事に順位をつけて、ほんのひとにぎりのものを護ろうとする。それは、喪失を運命づけられた人生に対する諦めだろうか? 『大切』に優劣をつける非情な行いだろうか?
(いいえ、いいえ。私は、そうは思いません。誰よりも大切な人が出来たから……共にこの国を、誰もが自分の力で歩める場所にしたいから)
生きていく中で喪うことを避けられないからこそ、コルネリウスはほんとうに大切なものを決して諦めたくない。悲しみを飲み込み、痛みを抱え、なお顔を上げて一歩ずつ進んでいく――全知全能ならざる自分たちにとって、それがより良い未来を現実にする、唯一の方法なのだ。
(父さん。ひとは何故、祈るのか……わかった気がします)
辺境から飛び立ったコルネリウスは広い世界を知り、自身の進む道を決めた。彼らに向ける愛は変わらずとも、それは家族と離れて暮らす道だ。
(それでも、私は私にとって一番大切なものを見つけました)
今のコルネリウスは、家族に何かあってもすぐさま駆け付けられるとは限らない。たたびとであるコルネリウスの腕は短くて、愛するものすべてを抱えることは出来ないから。
あぁ、とコルネリウスは息を吐く。ほんの一瞬、暖かい吐息が冷えた頬を撫でて散っていく。
(手が届かないなら、せめて祈るのだと)
自身がいま父を思って祈るように、父の祈りは子どもたちへの、コルネリウスへの愛であったのだという実感が胸を満たす。その愛は、昔から今に至るまで途絶えることがないのだとも。
「父さん、ありがとう。どうか、ずっとずっと、健やかでいてくださいね」
夜空へ向け、微笑む。
顔を上げた拍子にショールが滑り落ちたが、コルネリウスは不思議と寒さを感じなかった。
冷え冷えとした夜気が室内を冷やさぬうちにと、コルネリウス・アーラは戸の隙間からするりと外へ抜け出した。白い息を吐き、手触りの良い幅広のショールを巻き直す。そうして、藍色に沈む庭にぼうやりと浮かぶ飛石をゆっくりと辿りはじめた。
手入れの行き届いた庭は、花の少ない冬を迎えてなお来訪者を歓迎する心を忘れていない。無粋な枝に阻まれることもなく、屋敷から漏れる明かりと月の光だけで十分目的の場所を目指すことが出来た。どこかで咲く水仙の清涼な香が鼻先をくすぐる。この屋敷の主である恋人の、自分を温かく迎え入れてくれる態度がこんなところにも現れているような気がして、コルネリウスは小さく微笑む。
赤い実をつけたサンザシの横を抜けると、白い石造りのガゼボが現れた。だが、コルネリウスはその手前の、開けた場所で立ち止まった。
軽く仰向けば、薄い雲の流れる空に三日月が浩々と輝いている。
――今日は十二月、聖霊節の夜。
もとを遡れば英雄ジド・ルウと名もなき小さき神々の偉業を称えたことに端を発する聖霊節は、今では先祖や近しい人々へ感謝の祈りを捧げ、想い人と過ごす特別な時季として親しまれている。
今回コルネリウスが王都グランスパーダのパンクリアース学園寮から此処、ライゼンナクト領である湖都ラヴェルギアの屋敷へやって来たのも、恋人と特別なひとときを共有するため。そして、こんな時間に外へ出てきたのは、もうひとりの大切なひとへ祈りを捧げるためだった。
胸の前で両手を組み、両の目を軽く伏せる。
(父さん、……お元気ですか)
瞼の裏に、そのひとの姿を思い浮かべる。それだけで胸の内が、すこし温かくなるようだった。
いつだってコルネリウスを見守ってくれた、優しいまなざし。因習により『取り換え子』として捨て置かれた赤子を娘にしてくれたひと。研究のための旅に出るたび孤児を連れ帰るものだから、彼のもとにはコルネリウス以外にも様々な種族の子どもが家族として暮らしていた。
そんな父フェアロスは、今もフィエルス大森林の辺境にある家を拠点にしながら、方々を巡っていることだろう。
今夜は、あの家にいるのだろうか。それとも、知見を広めるべく足を運んだ旅先だろうか。遠く離れていても、空はひとつ。祈るのならば、父の頭上にも同じように輝いている月と星の下が良かった。
コルネリウスの記憶にもっとも残っている父の姿は、祈りを捧げている横顔だ。
毎日欠かすことなく行われる祈りは大仰なものではなく、日常的な習慣の一つとして存在した。
何を祈ってるの? と尋ねたことがある。父はほのかに微笑んで、答えた。
――子どもたちが健康でありますように、幸せでありますように。
家族を持つ者であれば誰もが抱くであろう、ありふれた望み。贅沢がしたいとか、権力が欲しいとか、そんな強欲なものではなく、誰かを踏みつけにするものでもない、ささやかな願い。なのにその祈りは、コルネリウスから見ると満足に報われていなかったように思う。
ある日届いた手紙は、兄の訃報だった。床に臥した姉も、看病の甲斐無く亡くなった。
大好きなひとたちがもうこの世にいないのだと思うたび、コルネリウスの脳裏には「どうして」という疑問が無数に木霊した。
――どうして、祈りは届かないの?
――どうして、神様は助けてくれないの?
――どうして、報われないのに祈り続けるの?
『ねぇ、父さん……神様って何? 父さんは、毎日神に祈りを捧げているけれど』
何度も読み返した訃報を手に、コルネリウスは呟いた。やり場のない憤りを溢れさせた娘に、フェアロスは明確な回答を与えなかった。
『……その答えは、己の中で出してみなさい、コルネ』
その言葉に背を押され、コルネリウスは家を出る決心をした。
ひとが祈る理由を知りたい。
大切なものを守るために、何をすべきか知りたい。
その時のコルネリウスには『答え』の欠片すらわからなかったけれど、今までのように家で暮らしているだけでは見つかりっこないと、それだけははっきりと確信していた。
父と姉から贈られた鳥の翼のように軽やかな服をまとい、幼少のころ兄に授けられた剣を供にして、コルネリウスは故郷を後にした。
外の世界は、眩しくも厳しかった。
あのまま辺境の家に留まっていたならば得られなかったであろう、様々な経験をした。度重なる戦いの中で、それまで想像もしなかった現実を突きつけられた。
笑いあう友人が出来た。信頼のおける部下が出来た。己の手が届かぬ場所で、そうしたひとたちを喪った。共に歩むことが叶わず、自らの手で好敵手を殺めたこともあった。
どれほど祈っても、どれほど願っても、目に映るすべてを護ることは出来ない。手が届く範囲のものですら、ふとした瞬間に喪われてしまう。嘆いたところで、奇跡は起こらない。ひとの身に出来ることは限られていて、偉大な神ですら救いの手を差し伸べてくれるとは限らないのだ。いくら武具を揃え技術を磨き、戦略を巡らしたとしても、足りることはなかった。
無力感に囚われずに済んだのは、家族の願いが込められた戦装束が、剣が、髪飾りが力をくれたから。そして喪失や敵対を上回る出会いと親交、信頼できる仲間がいたお陰である。
(……私は、大切なものを取捨選択することを学びました)
これまでの道程を振り返り、コルネリウスは夜空を通して父へ語り掛けた。
自分の周りにある沢山の物事に順位をつけて、ほんのひとにぎりのものを護ろうとする。それは、喪失を運命づけられた人生に対する諦めだろうか? 『大切』に優劣をつける非情な行いだろうか?
(いいえ、いいえ。私は、そうは思いません。誰よりも大切な人が出来たから……共にこの国を、誰もが自分の力で歩める場所にしたいから)
生きていく中で喪うことを避けられないからこそ、コルネリウスはほんとうに大切なものを決して諦めたくない。悲しみを飲み込み、痛みを抱え、なお顔を上げて一歩ずつ進んでいく――全知全能ならざる自分たちにとって、それがより良い未来を現実にする、唯一の方法なのだ。
(父さん。ひとは何故、祈るのか……わかった気がします)
辺境から飛び立ったコルネリウスは広い世界を知り、自身の進む道を決めた。彼らに向ける愛は変わらずとも、それは家族と離れて暮らす道だ。
(それでも、私は私にとって一番大切なものを見つけました)
今のコルネリウスは、家族に何かあってもすぐさま駆け付けられるとは限らない。たたびとであるコルネリウスの腕は短くて、愛するものすべてを抱えることは出来ないから。
あぁ、とコルネリウスは息を吐く。ほんの一瞬、暖かい吐息が冷えた頬を撫でて散っていく。
(手が届かないなら、せめて祈るのだと)
自身がいま父を思って祈るように、父の祈りは子どもたちへの、コルネリウスへの愛であったのだという実感が胸を満たす。その愛は、昔から今に至るまで途絶えることがないのだとも。
「父さん、ありがとう。どうか、ずっとずっと、健やかでいてくださいね」
夜空へ向け、微笑む。
顔を上げた拍子にショールが滑り落ちたが、コルネリウスは不思議と寒さを感じなかった。