想刻夜話
キャラクターノベル(グループ)制作 弓月 蒼納品 2024年12月25日 08時18分30秒
●擦れ違う二重奏
――――リーンエス王国、『慈涙』伯爵領。
白で彩られた門前へと訪れたのは、白馬のみで揃えられた四頭立ての馬車である。
王国内で広く親しまれている騎士冒険譚の例を挙げるまでもなく、白馬に乗った王子様。
と言う偶像は、庶民にとって“良くある”表現の一つに過ぎず。余程夢見がちな幼な子でもない限り。
そんな戯曲の登場人物の様な人間が、いつか自分を迎えに来る。等と言う空想に浸る者は多くない。
騎士や貴族が当たり前に闊歩する『王国』に在ってすら、地に足の付いた現実とはそんな物である。
である以上――――その馬車から降りてきた青年は、概ねそんな“空想の産物”の様な風体をしていた。
ガレシウス・アルヴァ・クラティアス。王党派筆頭『白薔薇』に連なる大貴族。
『白銀』侯爵家の嫡男にして、同家が抱える『白銀騎士団』の統括者。
領内では“銀月の騎士”と称され領民達から広く支持される、文字通り物語から出て来た様な青年である。
「ようこそいらっしゃいました、至貴き『白銀』の御方。どうぞ、お嬢様が御待ちです」
出迎えた『慈涙』家執事団の代表が馬車を降りたガレシウスを先導すると。
ありがとうございます、と。彼は何処か淡々とした声音で応じた。
騎士としては幾らでも無感情を装えても、貴族としてはそうはいかない。
特に、今日の様な日であれば。さしものガレシウスも緊張の色を禁じ得なかった。何せ……
――――今日は、婚前最後の両家の打ち合わせ……つまりまあ。そういう日、なのだから。
■
レインフィール伯爵領領主本邸の一室。
火を点けたばかりの暖炉。ほう、と小さく息を吐くと、窓硝子がさっと白色に染まっていった。
実に今更な話ではあるものの、元冒険者、レティシア・レインフィールは王国貴族だ。
それも現状大別して四つに分類される貴族派閥に於いて、最も弱小と行って良い中立派に属している。
『慈涙』は、そんな中立派でも比較的力を維持している家系だ。
伯爵家、という家格においても。長らく続く伝統と、その血筋の正当性においても。
そんな中で、庶子であり養子であると言う立場は平常、不利な要因としてしか働かない。
足元を見られぬ様に。弱みとして作用せぬ様に。『慈涙』の礎として価値ある存在である様に。
レティシアの義母、グレイローネは彼女をそう仕立て上げる為に極めて古典的な貴族教育を施した。
だから、という事もあるだろう。今、レティシアは冒険者を辞した昨今にあって類を見ない困惑の渦中にある。
……最近、夢見が酷い。
亡骸の夢。死の行列。大切な人が失われる連想。そんな夢ばかり、鮮明に残る。
(――――本来、これは、感傷……分かっている、つもりなのですが)
貴族の婚姻とは家と家とが結ぶものだ。レティシアの場合、現婚約者は遠く王国中央近郊。
『白銀の古城』と称される都市に居を構え、つい先日までレティシアも同都市に滞在していた訳だが。
今、レティシアが故郷の自宅に戻っているのも婚前準備の為に他ならない。
貴族として振る舞う経験に乏しい、婚約者。ガレシウスはまあ、ともかくとして。
彼の後ろ盾である彼の『白銀』最高権力者。フォルトゥナ妃がその辺りの対応を誤る訳がなく。
両名の婚姻は刻一刻と、それも確実な外堀の埋め立てを含め。極めて順当に、穏当に進んでいた。
けれど堅実確実であることが、必ずしも良いことばかりであるかと言えばそれは、必ずしも是とはならない。
貴族の手回しにはとかく時間が掛かり、手間が掛かり、それは2人の時間を大きく損なう事を意味した。
彼と彼女の時間は多忙。の一言で削られ続け、しかして婚姻の準備は進んでいく。
当人らの心境や心情を丸っきり置き去りに……で、ある。貴族の婚姻とはそういう物だ。と言ってしまえばその通り。
何せ王家を範とする貴族の在りようから考えれば恋愛結婚とは例外でしかない。
本質的に政略結婚こそが王道であり絶対多数派である以上、正規手順や段取りといった物はそちらに最適化される。
家と家とが互いに認めあった以上は、"個人として正式に求婚を受けていない"
……等ということは極めて私的な事情であり、レティシア自身自覚がある通り、感傷に過ぎない。
ただ、とは言え。それこそが現状彼女を悩ませている大きな要因であるように。女心は一筋縄では行かないもの。
その不安感は悪夢として……より明確に言えば。かつて実母を喪った時の幻影として表出した。
■
一方、両家の関係の前進具合と比して来賓の選定は、率直に言って順風満帆……とは進まなかった。
大きな要因は2つ。一つは旧き『中立派』、と言う『慈涙』の立ち位置の難しさ。
そして貴族派『黒槍』と王党派『白銀』、両家の血を引くガレシウス。
その血統の複雑さに依る三派閥に跨る婚姻、と言う背景事情に依る調整の難しさ故だ。
前者の調停はレティシアの父ヴィルフリード・レインフィールが全面的に矢面に立つ事で軟着陸に成功し。
後者、『三派閥間』の調停は、次期伯爵を見込まれる義兄ジークリッド・レインフィール。
そして何の因果か彼の義弟と言う立場になってしまった『黒槍伯』アルガス・コーニッシュが全力を尽くした。
が、これに際しては“英雄”の声望を有する『北方辺境伯』ことメルヴィン・トマス・アーチボルトの助勢もあり。
『先代黒槍伯』ことジオルグ・コーニッシュが一筆認めると言う力添えもあり。
結果的に。様々な人脈と各関係者の助力を受けて。レティシアとガレシウスの婚姻は遂に成就まで漕ぎつけた。
あとは両家の家紋印で記した誓文を交換し合い、それをガレシウスが無事領内に持ち帰れば結婚式まで秒読みだ。
レティシアにせよ、式の準備は恙なく進んでいる。指のサイズも測ったし式装の採寸も仕立ても済んだ。
である以上、本来であればこれ以上何もしなくとも、予定通り年越し前に結婚式は執り行われるだろう。
ただ、そんな時流の只中に在って、レティシアはまるで嵐の渦中に取り残されたような気持ちでいた。
想い人と一緒にも居られず、言葉を交わし合う時間すら十分には取れず。触れ合うなど言うに及ばない。
此度も一つ屋根の下に彼が宿泊する予定だと言うのに、日が暮れたら歓迎の夜会が用意されている。
祝い事である以上、家族全員が揃う事になる。1対1の時間が果たしてどれだけ取れるだろうか。
今日は誓約の証人として、『王党派』からメルヴィン。『貴族派』からアルガス。当主たる両名も訪れている。
彼らとの対話の時間も考慮に入れれば、本来そんな個人的事情に割く暇はない。
けれどそれでも。お父様から伝え聞いたお母様への求婚。そこに憧れめいた何かを憶えないと言えば……
(……それはきっと、嘘になってしまう)
今も想えば胸が温かくなる。もしも引き離れたら今度こそ壊れてしまうと想えるほど愛しい人。
レティシアの一途な気持ちには未だ僅かな揺らぎも無い。それはきっとこの先も……で、あればこそ。
そんな人との、これから新たな門出を迎えると言う時に。そんな嘘を挟み込みたくはなかった。
●想いを刻む銀の月
婚約者への、と言うより″同格以上の貴族家領主″への歓迎の夜会、となれば。
こういった催しには一際力を入れる、古式ゆかしき貴族であるグレイローネの独壇場と言えた。
近年で最も豪奢な料理が並べられた食卓には真紅の卓布が掛けられ。
それがかつて『中立派』を象徴する色彩だったと知る者にとっては、特別な舞台が整えられる。
向かって右手に『北方辺境伯』。左手に『黒槍伯』。中央に『白銀』の長兄。隣に愛する『慈涙伯』。
錚々たる面々だ。義兄であるジークリッドは、義妹弟の交流網の異様に呆れる他はない。
しかし結局の所、そんな夜会の最中にあってもレティシアの真意に一早く気付いたのは彼だった。
義父も母も、義娘の婚姻が想像以上に盛大な。そして多くから祝福される物となった事に満足していた。
満足、の意味合いは異なるとは言え、そう言った意味でレティシアは上手くやったと言えるだろう。
けれど。言ってしまえばそんな“浮かれている”2人とは違い、此度はホストに過ぎないジークリッドは。
義妹が何処か食事の席でも上の空なこと。時折婚約者にちらちら視線を送っている事に気付いていた。
(全く、義弟でさえなければ拳の一つでも落としているところなんだが……)
一方で、当のガレシウスはと言えば恐らく此処数カ月の挨拶巡りが覿面に効いているのだろう。
貴族としての振る舞いは上手くなった。が、元々根本的に真面目が服を着ている様な男だ。
慣れない立ち位振る舞いの反動で、明らかに視野が狭くなっている。
その事には来賓の残る2人。『北方辺境伯』と『黒槍伯』も流石に気付いている様だった。
「ガレシウス殿、どうもお疲れの様ですが中庭に涼みにでも行っては如何です?」
「これは伯、お気遣い感謝致します。ですが自分はまだ……」
「北方辺境伯。この愚兄はもっと直截に伝えなければ伝わらないぞ。
お前の陰鬱な面を見ていると飯が不味くなる。一度顔を洗ってこい、とな」
「なっ……!」
呆れ声で支援を投げるアルガスだが、彼とガレシウスはとかく誤解が絶えない。
そして辺境伯は良識はあるが、どうしても親しい間柄にありがちな緩さが出てしまう。
嘆息一つ。丁度義母の自慢話に区切りを付いた時を見計らってジーグリッドが声を掛ける。
「レティシア、それにガレシウス。恐らく式前に時間が取れるのは今夜が最後になる。
積もる話も有るんじゃないか? 母上も父上も、少し若い2人の為に貴重な時間を贈ってあげてはどうだろう」
■
義兄に背を押され送り出されたのは、いつか。彼と元の婚約者が答えを出した中庭だった。
思えばあの時から全てが動き出した。けれど彼女の気持ちは、もっとずっと前から決まっていたかもしれない。
「そう言えば、そろそろガレシウス様のお誕生日ですね」
互いに視線を合わせあったレティシアは、久方ぶりの2人きりにあくまで元気を装うようにしてそう告げた。
正直に言えば、寝付きも寝覚めも悪い日が続いているので余り元気とは言い難かったものの。
授恵者と言うのは良くも悪くも頑丈だ。冒険者の頃であれば、もっと劣悪な精神状態だった事も少なく無い。
何より。もう間もなく彼の誕生日なのは事実で、それは彼女にとっても祝うべき大切な日なのだから。
「少し、痩せましたか……?」
一瞬、色んな言葉が頭を過ぎった。言い訳も、強がりも、或いは弱音も。けれど、どれも今は正しくなかった。
瞬いて、何かを言おうとして口籠る。どう言ったら今の不安を言葉に出来るか分からない。
「……私のお母さんは、ここで私を身籠って……そうして、お父さんから離れる事を選びました」
だから、不意に毀れたのは思い出。それは彼女が父、ヴィルフリードから何度も聞かせて貰った話だ。
2人はどうして、愛し合っていたのに一緒に居られなかったのか。其処には複雑怪奇な貴族の事情がある。
今なら分かる事も少なくはない。それでも、納得出来ているかと言ったら。それは別問題だ。
「昔はどうして、と思う事も沢山有りました。でも、今は少しだけお母さんの気持ちも分かるんです。
大切な人。大好きな人。愛しい人。だから……恐くなる。その重さの分だけ、臆病になる」
困惑するように、見つめるガレシウスにはきっと、少しばかり難し過ぎる話だった。
それでも。レティシアは彼に彼女のお母さんの話をしたかった。今だから、話せる事でもあった。
「それでも、私はガレシウス様と一緒に居たいと想っています。
これまでも、これからも……出来れば、私の命が終わる、最期まで」
それは、例えどれほど恐くても。不安でも。臆病な気持ちに苛まれても。
決して逃げないと誓う。レティシアなりに最大限の愛情と、意思の表明だった。
■
そうして差し出したのは、月が刻印された白銀の懐中時計。心の色が映るとされる月光石をあしらった貴重な物。
けれど、それが貴重かどうかは然程重要ではなかった。
そんな石が遥か深い湖底のような。或いは月に照らされた夜空の様な深い蒼を描いたこと。
それそのものが、レティシアには彼への気持ちを証明してくれた様に感じられたのだ。
白銀の懐中時計を手に取り、ガレシウスは盛装の胸ポケットから小さな宝石箱を取り出す。
その眼差しには僅かな迷いがあった。彼と、彼女は、そういった意味では良く似ている。
取り溢して来た。大切なものほど、失って来た。全てが手遅れで、台無しになってから辿り着く。
そんな事を繰り返して来た。生きる事が、間違いだと感じた事も一度や二度ではない。
或いは、ガレシウスにとっては多忙こそが逃げだったのかもしれない。忙殺されていれば悩まずに済む。
大切な想い人の為だと思えばこそ、その盲目はより深く彼を苛んでいた。
それでも。これだけは……異性に装飾品など贈った事の無い彼が、これだけは自分で選んだ。
宝石箱の蓋を開ける。あしらわれていたのは、一見氷の結晶のようにも見えるが……そうではない。
「春告花です。レティシアに、良く似合うと思って」
雪融け共に顔を出す、王国では余り見られない小さく、白く、芯に引かれた鮮やかな蒼。
春の妖精とも称されることもあり、とても寒さに強い春の訪れを告げる花。
「俺は長く、独りだった。それで良いと思っていた。誰も信じる必要がない様に強くなった。
ただ、忠誠だけが道標であれば良かった。そんな俺の心を……貴女が融かしてしまった」
余り、美辞麗句の類は得意ではないと。常日頃からそう言って憚らない彼が。
必死に言葉を探して何かを伝えようとしている。息を呑む様な一時に、レティシアは言葉を失った。
視線の先には小さく輝く白い花を模した指輪。その精緻な細工に彼がどれほど拘ったかが分かる。
鼓動の音がうるさくて、それなのに、ガレシウスの声だけははっきりと届いた。
「本当は俺に、こんな言葉を誰かに告げる資格なんか無いのかもしれない。
けれど今これを伝えなかったら……きっと、その方がずっと後悔するから」
それは彼女の気持ちが届いた証だった。手を取られ、指輪を通される間中。
レティシアは涙を堪えるだけで精一杯だった。瞳が揺れて、形の無い感情が込み上げる。
「俺の妻になって下さい」
それでも。泣き虫の自覚が有るレティシアは笑った。今は笑うべきだと、そう思えたから。
「……はい、喜んで」
――――お母さん。私、この人と幸せになります。
それは年の終わりを告げるある冬の一節。悪夢の明けた、誓いの夜。
薬指に輝く花の指輪に込められた言葉は『希望』と言うのだと。彼女が知るのは、もう少し後の話。
――――リーンエス王国、『慈涙』伯爵領。
白で彩られた門前へと訪れたのは、白馬のみで揃えられた四頭立ての馬車である。
王国内で広く親しまれている騎士冒険譚の例を挙げるまでもなく、白馬に乗った王子様。
と言う偶像は、庶民にとって“良くある”表現の一つに過ぎず。余程夢見がちな幼な子でもない限り。
そんな戯曲の登場人物の様な人間が、いつか自分を迎えに来る。等と言う空想に浸る者は多くない。
騎士や貴族が当たり前に闊歩する『王国』に在ってすら、地に足の付いた現実とはそんな物である。
である以上――――その馬車から降りてきた青年は、概ねそんな“空想の産物”の様な風体をしていた。
ガレシウス・アルヴァ・クラティアス。王党派筆頭『白薔薇』に連なる大貴族。
『白銀』侯爵家の嫡男にして、同家が抱える『白銀騎士団』の統括者。
領内では“銀月の騎士”と称され領民達から広く支持される、文字通り物語から出て来た様な青年である。
「ようこそいらっしゃいました、至貴き『白銀』の御方。どうぞ、お嬢様が御待ちです」
出迎えた『慈涙』家執事団の代表が馬車を降りたガレシウスを先導すると。
ありがとうございます、と。彼は何処か淡々とした声音で応じた。
騎士としては幾らでも無感情を装えても、貴族としてはそうはいかない。
特に、今日の様な日であれば。さしものガレシウスも緊張の色を禁じ得なかった。何せ……
――――今日は、婚前最後の両家の打ち合わせ……つまりまあ。そういう日、なのだから。
■
レインフィール伯爵領領主本邸の一室。
火を点けたばかりの暖炉。ほう、と小さく息を吐くと、窓硝子がさっと白色に染まっていった。
実に今更な話ではあるものの、元冒険者、レティシア・レインフィールは王国貴族だ。
それも現状大別して四つに分類される貴族派閥に於いて、最も弱小と行って良い中立派に属している。
『慈涙』は、そんな中立派でも比較的力を維持している家系だ。
伯爵家、という家格においても。長らく続く伝統と、その血筋の正当性においても。
そんな中で、庶子であり養子であると言う立場は平常、不利な要因としてしか働かない。
足元を見られぬ様に。弱みとして作用せぬ様に。『慈涙』の礎として価値ある存在である様に。
レティシアの義母、グレイローネは彼女をそう仕立て上げる為に極めて古典的な貴族教育を施した。
だから、という事もあるだろう。今、レティシアは冒険者を辞した昨今にあって類を見ない困惑の渦中にある。
……最近、夢見が酷い。
亡骸の夢。死の行列。大切な人が失われる連想。そんな夢ばかり、鮮明に残る。
(――――本来、これは、感傷……分かっている、つもりなのですが)
貴族の婚姻とは家と家とが結ぶものだ。レティシアの場合、現婚約者は遠く王国中央近郊。
『白銀の古城』と称される都市に居を構え、つい先日までレティシアも同都市に滞在していた訳だが。
今、レティシアが故郷の自宅に戻っているのも婚前準備の為に他ならない。
貴族として振る舞う経験に乏しい、婚約者。ガレシウスはまあ、ともかくとして。
彼の後ろ盾である彼の『白銀』最高権力者。フォルトゥナ妃がその辺りの対応を誤る訳がなく。
両名の婚姻は刻一刻と、それも確実な外堀の埋め立てを含め。極めて順当に、穏当に進んでいた。
けれど堅実確実であることが、必ずしも良いことばかりであるかと言えばそれは、必ずしも是とはならない。
貴族の手回しにはとかく時間が掛かり、手間が掛かり、それは2人の時間を大きく損なう事を意味した。
彼と彼女の時間は多忙。の一言で削られ続け、しかして婚姻の準備は進んでいく。
当人らの心境や心情を丸っきり置き去りに……で、ある。貴族の婚姻とはそういう物だ。と言ってしまえばその通り。
何せ王家を範とする貴族の在りようから考えれば恋愛結婚とは例外でしかない。
本質的に政略結婚こそが王道であり絶対多数派である以上、正規手順や段取りといった物はそちらに最適化される。
家と家とが互いに認めあった以上は、"個人として正式に求婚を受けていない"
……等ということは極めて私的な事情であり、レティシア自身自覚がある通り、感傷に過ぎない。
ただ、とは言え。それこそが現状彼女を悩ませている大きな要因であるように。女心は一筋縄では行かないもの。
その不安感は悪夢として……より明確に言えば。かつて実母を喪った時の幻影として表出した。
■
一方、両家の関係の前進具合と比して来賓の選定は、率直に言って順風満帆……とは進まなかった。
大きな要因は2つ。一つは旧き『中立派』、と言う『慈涙』の立ち位置の難しさ。
そして貴族派『黒槍』と王党派『白銀』、両家の血を引くガレシウス。
その血統の複雑さに依る三派閥に跨る婚姻、と言う背景事情に依る調整の難しさ故だ。
前者の調停はレティシアの父ヴィルフリード・レインフィールが全面的に矢面に立つ事で軟着陸に成功し。
後者、『三派閥間』の調停は、次期伯爵を見込まれる義兄ジークリッド・レインフィール。
そして何の因果か彼の義弟と言う立場になってしまった『黒槍伯』アルガス・コーニッシュが全力を尽くした。
が、これに際しては“英雄”の声望を有する『北方辺境伯』ことメルヴィン・トマス・アーチボルトの助勢もあり。
『先代黒槍伯』ことジオルグ・コーニッシュが一筆認めると言う力添えもあり。
結果的に。様々な人脈と各関係者の助力を受けて。レティシアとガレシウスの婚姻は遂に成就まで漕ぎつけた。
あとは両家の家紋印で記した誓文を交換し合い、それをガレシウスが無事領内に持ち帰れば結婚式まで秒読みだ。
レティシアにせよ、式の準備は恙なく進んでいる。指のサイズも測ったし式装の採寸も仕立ても済んだ。
である以上、本来であればこれ以上何もしなくとも、予定通り年越し前に結婚式は執り行われるだろう。
ただ、そんな時流の只中に在って、レティシアはまるで嵐の渦中に取り残されたような気持ちでいた。
想い人と一緒にも居られず、言葉を交わし合う時間すら十分には取れず。触れ合うなど言うに及ばない。
此度も一つ屋根の下に彼が宿泊する予定だと言うのに、日が暮れたら歓迎の夜会が用意されている。
祝い事である以上、家族全員が揃う事になる。1対1の時間が果たしてどれだけ取れるだろうか。
今日は誓約の証人として、『王党派』からメルヴィン。『貴族派』からアルガス。当主たる両名も訪れている。
彼らとの対話の時間も考慮に入れれば、本来そんな個人的事情に割く暇はない。
けれどそれでも。お父様から伝え聞いたお母様への求婚。そこに憧れめいた何かを憶えないと言えば……
(……それはきっと、嘘になってしまう)
今も想えば胸が温かくなる。もしも引き離れたら今度こそ壊れてしまうと想えるほど愛しい人。
レティシアの一途な気持ちには未だ僅かな揺らぎも無い。それはきっとこの先も……で、あればこそ。
そんな人との、これから新たな門出を迎えると言う時に。そんな嘘を挟み込みたくはなかった。
●想いを刻む銀の月
婚約者への、と言うより″同格以上の貴族家領主″への歓迎の夜会、となれば。
こういった催しには一際力を入れる、古式ゆかしき貴族であるグレイローネの独壇場と言えた。
近年で最も豪奢な料理が並べられた食卓には真紅の卓布が掛けられ。
それがかつて『中立派』を象徴する色彩だったと知る者にとっては、特別な舞台が整えられる。
向かって右手に『北方辺境伯』。左手に『黒槍伯』。中央に『白銀』の長兄。隣に愛する『慈涙伯』。
錚々たる面々だ。義兄であるジークリッドは、義妹弟の交流網の異様に呆れる他はない。
しかし結局の所、そんな夜会の最中にあってもレティシアの真意に一早く気付いたのは彼だった。
義父も母も、義娘の婚姻が想像以上に盛大な。そして多くから祝福される物となった事に満足していた。
満足、の意味合いは異なるとは言え、そう言った意味でレティシアは上手くやったと言えるだろう。
けれど。言ってしまえばそんな“浮かれている”2人とは違い、此度はホストに過ぎないジークリッドは。
義妹が何処か食事の席でも上の空なこと。時折婚約者にちらちら視線を送っている事に気付いていた。
(全く、義弟でさえなければ拳の一つでも落としているところなんだが……)
一方で、当のガレシウスはと言えば恐らく此処数カ月の挨拶巡りが覿面に効いているのだろう。
貴族としての振る舞いは上手くなった。が、元々根本的に真面目が服を着ている様な男だ。
慣れない立ち位振る舞いの反動で、明らかに視野が狭くなっている。
その事には来賓の残る2人。『北方辺境伯』と『黒槍伯』も流石に気付いている様だった。
「ガレシウス殿、どうもお疲れの様ですが中庭に涼みにでも行っては如何です?」
「これは伯、お気遣い感謝致します。ですが自分はまだ……」
「北方辺境伯。この愚兄はもっと直截に伝えなければ伝わらないぞ。
お前の陰鬱な面を見ていると飯が不味くなる。一度顔を洗ってこい、とな」
「なっ……!」
呆れ声で支援を投げるアルガスだが、彼とガレシウスはとかく誤解が絶えない。
そして辺境伯は良識はあるが、どうしても親しい間柄にありがちな緩さが出てしまう。
嘆息一つ。丁度義母の自慢話に区切りを付いた時を見計らってジーグリッドが声を掛ける。
「レティシア、それにガレシウス。恐らく式前に時間が取れるのは今夜が最後になる。
積もる話も有るんじゃないか? 母上も父上も、少し若い2人の為に貴重な時間を贈ってあげてはどうだろう」
■
義兄に背を押され送り出されたのは、いつか。彼と元の婚約者が答えを出した中庭だった。
思えばあの時から全てが動き出した。けれど彼女の気持ちは、もっとずっと前から決まっていたかもしれない。
「そう言えば、そろそろガレシウス様のお誕生日ですね」
互いに視線を合わせあったレティシアは、久方ぶりの2人きりにあくまで元気を装うようにしてそう告げた。
正直に言えば、寝付きも寝覚めも悪い日が続いているので余り元気とは言い難かったものの。
授恵者と言うのは良くも悪くも頑丈だ。冒険者の頃であれば、もっと劣悪な精神状態だった事も少なく無い。
何より。もう間もなく彼の誕生日なのは事実で、それは彼女にとっても祝うべき大切な日なのだから。
「少し、痩せましたか……?」
一瞬、色んな言葉が頭を過ぎった。言い訳も、強がりも、或いは弱音も。けれど、どれも今は正しくなかった。
瞬いて、何かを言おうとして口籠る。どう言ったら今の不安を言葉に出来るか分からない。
「……私のお母さんは、ここで私を身籠って……そうして、お父さんから離れる事を選びました」
だから、不意に毀れたのは思い出。それは彼女が父、ヴィルフリードから何度も聞かせて貰った話だ。
2人はどうして、愛し合っていたのに一緒に居られなかったのか。其処には複雑怪奇な貴族の事情がある。
今なら分かる事も少なくはない。それでも、納得出来ているかと言ったら。それは別問題だ。
「昔はどうして、と思う事も沢山有りました。でも、今は少しだけお母さんの気持ちも分かるんです。
大切な人。大好きな人。愛しい人。だから……恐くなる。その重さの分だけ、臆病になる」
困惑するように、見つめるガレシウスにはきっと、少しばかり難し過ぎる話だった。
それでも。レティシアは彼に彼女のお母さんの話をしたかった。今だから、話せる事でもあった。
「それでも、私はガレシウス様と一緒に居たいと想っています。
これまでも、これからも……出来れば、私の命が終わる、最期まで」
それは、例えどれほど恐くても。不安でも。臆病な気持ちに苛まれても。
決して逃げないと誓う。レティシアなりに最大限の愛情と、意思の表明だった。
■
そうして差し出したのは、月が刻印された白銀の懐中時計。心の色が映るとされる月光石をあしらった貴重な物。
けれど、それが貴重かどうかは然程重要ではなかった。
そんな石が遥か深い湖底のような。或いは月に照らされた夜空の様な深い蒼を描いたこと。
それそのものが、レティシアには彼への気持ちを証明してくれた様に感じられたのだ。
白銀の懐中時計を手に取り、ガレシウスは盛装の胸ポケットから小さな宝石箱を取り出す。
その眼差しには僅かな迷いがあった。彼と、彼女は、そういった意味では良く似ている。
取り溢して来た。大切なものほど、失って来た。全てが手遅れで、台無しになってから辿り着く。
そんな事を繰り返して来た。生きる事が、間違いだと感じた事も一度や二度ではない。
或いは、ガレシウスにとっては多忙こそが逃げだったのかもしれない。忙殺されていれば悩まずに済む。
大切な想い人の為だと思えばこそ、その盲目はより深く彼を苛んでいた。
それでも。これだけは……異性に装飾品など贈った事の無い彼が、これだけは自分で選んだ。
宝石箱の蓋を開ける。あしらわれていたのは、一見氷の結晶のようにも見えるが……そうではない。
「春告花です。レティシアに、良く似合うと思って」
雪融け共に顔を出す、王国では余り見られない小さく、白く、芯に引かれた鮮やかな蒼。
春の妖精とも称されることもあり、とても寒さに強い春の訪れを告げる花。
「俺は長く、独りだった。それで良いと思っていた。誰も信じる必要がない様に強くなった。
ただ、忠誠だけが道標であれば良かった。そんな俺の心を……貴女が融かしてしまった」
余り、美辞麗句の類は得意ではないと。常日頃からそう言って憚らない彼が。
必死に言葉を探して何かを伝えようとしている。息を呑む様な一時に、レティシアは言葉を失った。
視線の先には小さく輝く白い花を模した指輪。その精緻な細工に彼がどれほど拘ったかが分かる。
鼓動の音がうるさくて、それなのに、ガレシウスの声だけははっきりと届いた。
「本当は俺に、こんな言葉を誰かに告げる資格なんか無いのかもしれない。
けれど今これを伝えなかったら……きっと、その方がずっと後悔するから」
それは彼女の気持ちが届いた証だった。手を取られ、指輪を通される間中。
レティシアは涙を堪えるだけで精一杯だった。瞳が揺れて、形の無い感情が込み上げる。
「俺の妻になって下さい」
それでも。泣き虫の自覚が有るレティシアは笑った。今は笑うべきだと、そう思えたから。
「……はい、喜んで」
――――お母さん。私、この人と幸せになります。
それは年の終わりを告げるある冬の一節。悪夢の明けた、誓いの夜。
薬指に輝く花の指輪に込められた言葉は『希望』と言うのだと。彼女が知るのは、もう少し後の話。