儚き光。花の守護。
キャラクターノベル制作 桂木京介納品 2024年11月12日 09時39分45秒
夜の静寂が深まるなか、ファは思い出す。
あの日のことを。
体は傷つき、立つことさえできなかった。
けれどもっとも烈しい痛みは、主様を喪ったという容赦のない現実だった。
わたしを『花』と名付けてくれた主様、生まれたばかりのわたしを引き取って、大切に育ててくれたひと。わたしは字が読めないけれど、主様がわたしのこと、よく日記につけてくれていたことは知ってる。
主様に連れられてあちこちを旅したな。暑い国、海、高い山も、雪に埋もれた街道も。
主様は行商人、ほうぼうに出かけて取引をすることが仕事。配偶者を亡くし、男手ひとつで三人の娘さんを育ててきたそう。三人とも嫁いでしまって、寂しい気持ちをわたしで埋めてるって言ってた。娘がわり、ってことだと思う。
でも、わたしの主様への感情は、すこしちがった。だってわたしは主様を慕っていたから。いつの日か人間になって、彼と添い遂げたいとすら願っていた。
商人として大成功したわけじゃなかったけど、いつも素敵で、温かかった主様。大好きな主様。
その主様の命が消えていくのをわたし、見た。
旅の途中、森をつききる道で主様のひく荷車は急に横転した。主様はとっさにわたしを抱いて守ってくれた。
茂みから突然、魔獣が突進してきたのだ。
逃げろ、と大きな声で主様は言った。主様のあんな大きな声、これまで聞いたことなかった。
その直後だった。猪に似た魔獣が、牙で主様を貫いたのは。
わたしは主様のそばを離れたくなかった。でも主様は最後の力をふりしぼり、もう一度わたしに逃げるよう命じた。
動きたくなかった。このまま一緒に、って考えた。
だけど、主様の瞳はわたしのわがままを許さなかった。強い、強い目だった。
わたしは振り返ることなく逃げた。獣はわたしを追いかけてきた。荷車が大破し、飛び散った木片や石の欠片がわたしの体を傷つけた。
暗い森の中で、痛みと疲労に耐えながら倒れこんでいたわたしを見つけてくれたのがカインだった。彼がいなければ、きっとわたしはあのまま朽ち果てていたと思う。
偶然、四人の冒険者が乗った馬車が通りがかったの。カインと仲間たちは飛び出して魔獣を討伐した。
荷はぐちゃぐちゃ、運び手は死んでる、悲惨の限りだ――というようなことをカインの連れが言った。
でもカインは首を振った。
「すべてが失われたわけじゃない」
そして、わたしを両手ですくい上げてくれた。すでに虫の息だったわたしを。
「この子は助かる」
ヒーラーに回復魔法を頼んでくれた瞬間のこと、いまも鮮明に覚えている。
このときはじめて、カインの顔を間近で見たから。彼の瞳には、哀しみと優しさが混ざり合った複雑な感情がにじんでいた。
直感的にわかった。彼は、かつて大切なものを失った人の目をしているって。
わたしはどうしても放っておけないものを感じた。
主様、許してね。わたし、この子を見守りたいと思った。
カインは本当に親切だった。
主様の遺品をできる限り整理して三人の娘さんたちの元に届けた。主様が日記にしたためていたから、消息を知るのは難しくなかったみたい。
わたしの名前も、日記から知ってすぐに「ファ」と呼んでくれるようになった。
カインが届けようとしてくれた『形見』には、わたしも含まれていた。
でもわたし、渡されることを拒んだの。娘さんたちも悪い人には見えなかった。それどころか主様と似た温かな人たちに見えた。主様は戻ってこないけど、魂は継承されているって確信した。
だからこそ、わたしには新しい使命――って、独りで決めたことだけど――を果たす必要があると思った。
本当はつらかった。主様がこれを見たら悲しむかなとすら考えた。心ならずも牙を剥いて、娘さんたちに威嚇すらしてみせたのだから。
幸い、娘さんたちはわたしに固執しなかった。「大切にしてください」と、わたしの身をカインに託してくれた。
「誓います」
真剣な表情で、カインが言ってくれたことも嬉しかった。
「……不思議だな」
娘さんたちと別れふたりきりになったところで、わたしの頭に手を添えてカインはつぶやいたこと、忘れない。
「ああは言ったし本心だが、俺もまた、ファに大切にされているような気がする」
ふふっ。
それから時は流れ、いまもわたしはカインのそばにいる。
ともに星空を見あげている。
カインが言った。
「星が綺麗だな」
返事のかわりに、わたしはそっと彼の耳にふれた。ぬくもりを感じてほしくて。
カインの目元がゆるむのがわかった。
主様……お待たせしてごめんなさい。わたしはまだ、そちらに行くことができそうにありません。この子を放っておけないの。
だから主様、あとすこし待っていてくださいね。わたしがこの子のそばで役目を果たしたら、あなたの元へ帰ります。奥様と一緒にいるはずのあなたのところへ。
そのときはどうか、たくさん褒めてください。
あの日のことを。
体は傷つき、立つことさえできなかった。
けれどもっとも烈しい痛みは、主様を喪ったという容赦のない現実だった。
わたしを『花』と名付けてくれた主様、生まれたばかりのわたしを引き取って、大切に育ててくれたひと。わたしは字が読めないけれど、主様がわたしのこと、よく日記につけてくれていたことは知ってる。
主様に連れられてあちこちを旅したな。暑い国、海、高い山も、雪に埋もれた街道も。
主様は行商人、ほうぼうに出かけて取引をすることが仕事。配偶者を亡くし、男手ひとつで三人の娘さんを育ててきたそう。三人とも嫁いでしまって、寂しい気持ちをわたしで埋めてるって言ってた。娘がわり、ってことだと思う。
でも、わたしの主様への感情は、すこしちがった。だってわたしは主様を慕っていたから。いつの日か人間になって、彼と添い遂げたいとすら願っていた。
商人として大成功したわけじゃなかったけど、いつも素敵で、温かかった主様。大好きな主様。
その主様の命が消えていくのをわたし、見た。
旅の途中、森をつききる道で主様のひく荷車は急に横転した。主様はとっさにわたしを抱いて守ってくれた。
茂みから突然、魔獣が突進してきたのだ。
逃げろ、と大きな声で主様は言った。主様のあんな大きな声、これまで聞いたことなかった。
その直後だった。猪に似た魔獣が、牙で主様を貫いたのは。
わたしは主様のそばを離れたくなかった。でも主様は最後の力をふりしぼり、もう一度わたしに逃げるよう命じた。
動きたくなかった。このまま一緒に、って考えた。
だけど、主様の瞳はわたしのわがままを許さなかった。強い、強い目だった。
わたしは振り返ることなく逃げた。獣はわたしを追いかけてきた。荷車が大破し、飛び散った木片や石の欠片がわたしの体を傷つけた。
暗い森の中で、痛みと疲労に耐えながら倒れこんでいたわたしを見つけてくれたのがカインだった。彼がいなければ、きっとわたしはあのまま朽ち果てていたと思う。
偶然、四人の冒険者が乗った馬車が通りがかったの。カインと仲間たちは飛び出して魔獣を討伐した。
荷はぐちゃぐちゃ、運び手は死んでる、悲惨の限りだ――というようなことをカインの連れが言った。
でもカインは首を振った。
「すべてが失われたわけじゃない」
そして、わたしを両手ですくい上げてくれた。すでに虫の息だったわたしを。
「この子は助かる」
ヒーラーに回復魔法を頼んでくれた瞬間のこと、いまも鮮明に覚えている。
このときはじめて、カインの顔を間近で見たから。彼の瞳には、哀しみと優しさが混ざり合った複雑な感情がにじんでいた。
直感的にわかった。彼は、かつて大切なものを失った人の目をしているって。
わたしはどうしても放っておけないものを感じた。
主様、許してね。わたし、この子を見守りたいと思った。
カインは本当に親切だった。
主様の遺品をできる限り整理して三人の娘さんたちの元に届けた。主様が日記にしたためていたから、消息を知るのは難しくなかったみたい。
わたしの名前も、日記から知ってすぐに「ファ」と呼んでくれるようになった。
カインが届けようとしてくれた『形見』には、わたしも含まれていた。
でもわたし、渡されることを拒んだの。娘さんたちも悪い人には見えなかった。それどころか主様と似た温かな人たちに見えた。主様は戻ってこないけど、魂は継承されているって確信した。
だからこそ、わたしには新しい使命――って、独りで決めたことだけど――を果たす必要があると思った。
本当はつらかった。主様がこれを見たら悲しむかなとすら考えた。心ならずも牙を剥いて、娘さんたちに威嚇すらしてみせたのだから。
幸い、娘さんたちはわたしに固執しなかった。「大切にしてください」と、わたしの身をカインに託してくれた。
「誓います」
真剣な表情で、カインが言ってくれたことも嬉しかった。
「……不思議だな」
娘さんたちと別れふたりきりになったところで、わたしの頭に手を添えてカインはつぶやいたこと、忘れない。
「ああは言ったし本心だが、俺もまた、ファに大切にされているような気がする」
ふふっ。
それから時は流れ、いまもわたしはカインのそばにいる。
ともに星空を見あげている。
カインが言った。
「星が綺麗だな」
返事のかわりに、わたしはそっと彼の耳にふれた。ぬくもりを感じてほしくて。
カインの目元がゆるむのがわかった。
主様……お待たせしてごめんなさい。わたしはまだ、そちらに行くことができそうにありません。この子を放っておけないの。
だから主様、あとすこし待っていてくださいね。わたしがこの子のそばで役目を果たしたら、あなたの元へ帰ります。奥様と一緒にいるはずのあなたのところへ。
そのときはどうか、たくさん褒めてください。