眠れぬ夜に、見る夢は

キャラクターノベル制作 桂木京介納品 2024年11月02日 12時22分31秒

 何度目かわからないほどの寝返りのすえに、カイン・ステラは眠ることをあきらめた。
 まるでベッドに拒(こば)まれているかのようだ。枕は硬く感じるし、リネンのシーツは粗く、こすれるたびざらつく感覚が肌に残った。
「仕方ない」
 ひとりごちて重いシーツを無造作に引きはがすと、カインは冷えた石床に足をついた。
 眠気はほとんどなかった。頭は冴えわたり、夜が明けるにはまだまだ時間があると感じる。こんな夜もあるものだ。
 カインの寝間着は薄手だが、夜気を防ぐため上質な羊毛が使われている。襟元はゆったりと開き、縁には丁寧な刺繍が施されているものの、控えめで品があった。手首まで届く袖(スリーブ)は動きやすさを重視したデザインで、幅広ながらやわらかく締まっている。色は落ち着いた浅葱。腰にはベルトがわりにゆるく編み紐を巻きつけていた。
 ベッド脇に置かれていた厚手のクロークに手を伸ばす。淡い灰色、襟元には毛皮があしらわれており、寒い夜には欠かせない一着だ。肩に羽織って裾(すそ)を無造作にまとめると、編み紐で軽く固定した。

 サンダル履きで竈(かまど)の前に立った。生活魔法で火をおこしてケトルを手にした。
 ほどなくして湯が沸き、ぷくぷくと立つ音が静かな部屋にひびきはじめる。蒸気が吐息のように立ち、温(ぬく)もりを運んできた。
 棚から出した瓶を軽くふり、火にかざして中身を確認する。
 残り半分を切ったな。
 中身は、カイン手製のアップルジンジャーコーディアルだ。
 木の匙(さじ)で適量をすくい、手慣れた動作で木製のマグに投じる。湯を注いで溶くと甘やかな香りが立ちこめた。
 ほんの一口するだけで、林檎とシナモン、ハッカクの芳気が鼻をくすぐり、竜舌蘭(アガベ)シロップのやわらかな甘さが舌にひろがった。隠し味に加えたクローブのほのかな刺激が味わいを深めている。
 火傷しそうなほど熱いが、冷えた体には心地よかった。ふうふうと息を吹きかけながら、カインはあっという間に三分の一ほどを飲み干した。
 カインは椅子を竈の前に置き、深く腰かけ火に当たりながらこのひとときを楽しんでいたのだが、背後に気配を感じてふりむいた。
「悪い、起こしたか」
 微笑する。
 美しい雪白の毛並み、首に桃色のバンダナ、つぶらな瞳の持ち主はカインの同居人、大鼬(いたち)のファだった。おじぎするように前足をちょこんとそろえ、「どうしたの?」とでも言いたげな顔でこちらを見ている。カインが床を出たと気づき、様子を見に来たものらしい。
 おいでと呼ぶとファはなめらかに駆け、カインのすねに頭をすり寄せた。右腕を下げると、ファは俊敏に肩へと昇って、胴をカインの首のうしろに巻きつける。くすぐったさもある反面、ファの鼓動とともに好意がつたわってくるのが心地よかった。
「さて、天然のマフラーも用意してもらったことだし」
 ファの体に手をそえつつカインは立ち上がった。
 すこし、外に出てみようか。

 黒い天鵞絨(ベルベット)に金剛石の粒をばらまいたような夜空だった。
「星が綺麗だな」
 話しかけると、ファはカインの耳に鼻でふれた。
「星か……俺の高祖父カイン・シンの『シン』も、高祖母の本名『ステラ』も、どこかの言葉で星の意味があるらしい。そういえば」
 容貌だけでなく、魂でも通じあう親族にして友人のことを思った。
「『ドゥーベ』の名も星に因(ちな)むって聞いた。よほど星に縁があるようだな、俺は」
 詩句を紡(つむ)ぐでもないが、詩情を感じずにはいられない。
「春が一番よく見えるらしい」
 目をこらす。
「……これまで、詳しく見たことがなかった」
 それきり、カインは口を閉ざしている。
 星空を見上げるような心の余裕、かつての自分にそんなものはなかった。
 喉が閉塞(とじ)ていくのがわかる。弾力と厚みのある障壁に押しつぶされるような感覚もあった。
 聞いているのはファと、強いていえば星空くらいだ。なにを懼(おそ)れる――我が身の怜悧(れいり)な部分が問いかけてくるが、それでもカインにとっては困難だった。
 弱音を吐くのは。
 自身の、もっとも辛い過去につながる記憶をたどるのは。
 しかし、
「星、か……誰かの、星……」
 しぼり出すように言葉を発した。
 頬に熱を感じる。ファの鼻息だ。ファはしきりとカインの頬をつついているのだった。カインの異変に気づき、助けになろうと献身してくれたものらしい。
「ありがとう。もう大丈夫だ」
 カインは静かに、深く息を吐いた。
「前に話したかな、ファ。いま俺はヴィナから、ある提案(オファー)をもらっている」
 孤児院の院長職だ。所在は、ローレラウラ近郊にある小都市。名誉職のようなお飾りではない。みなしごたちの親になってほしいという。責任は重大だ。子どもたちの一生を左右する存在になるのだから。
 ヴィナスはカインを「立派なママ」と呼んだ。表現は彼なりの諧謔(かいぎゃく)だとしても、言いたいことは伝わった。
 ――立派かどうかはわからないが。
 カインは意思をかためた。
 俺も、誰かの星を目指したい。
 孤児たちに道を照らす星に。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0