クローバーの想い、林檎の夢
キャラクターノベル(グループ)制作 桂木京介納品 2024年10月21日 11時07分33秒
小瓶を陽に透かすと、深みある琥珀色の光が滲みだす。
まるで、秋の湖面にうつる夕陽のような――。
フェクダ・ドゥーベはしばし、我を忘れたように瓶ごしの空を見上げていた。
「どうした、急に黙って」
カイン・ステラはフェクダに声をかけた。何度か手紙をやり取りするうち、カインは彼に丁寧語を使わなくなっている。
「え? いえ、なにも」
ただ、と優しい雨音を思わせる微笑を浮かべてフェクダはつづけた。
「夢見るような色に魅せられてしまって。このコーディアルの」
もちろん味も素敵ですけどねと言い添える。
「そんな大したものじゃない」
「大したものですよ。ご近所の奥様がたに好評という話じゃありませんか。ためしに置いた果実店でもたちまち完売したとか」
照れ隠しのようにカインは自分の頬をかいた。瓶入りのコーディアルはカインのお手製なのだ。
スライスした林檎と根生姜をゆっくり煮詰め抽出したエキスだ。砂糖をつかわずリュウゼツランのシロップで味つけているので独特の色になった。シナモンとハッカクを絶妙のさじ加減で配合しており、贅沢な香りと甘さ、ピリッとした刺激が楽しめる。紅茶に垂らしてもいい。水で割るだけでも絶妙の味わいとなる。これからの季節、お湯割りで飲めば芯から体が温まるだろう。林檎と生姜の絞りかすはすりつぶして白ワインとビネガーを加え、アップルジンジャーソースに活用していた。
フェクダとカインは二輪馬車に揺られている。馬は道をよく知っているようで、フェクダの手の鞭はまだ一度もふるわれていない。
馬車はドゥーベ領へ向かっていた。フェクダにとっては、パンクリアース学園からの里帰りとなる。未来の伯爵が、御者も幌もない馬車で帰省するのはいかにも不用心だが、急に思い立ったことでもあり、頼もしい同伴者がいるためでもあった。その頼もしい同伴者は料理好きで、彼が「手すさび」と称して作ったというコーディアルの話を聞いたことで、フェクダは短い帰省を決めたのだ。
帰省の目的は、ドゥーベ領のあたらしい特産品の作成だ。フェクダは学園で学びながらつねに、農業がさかんなドゥーベ領の作物から加工品ができないか考えていた。遠縁ながら親交を深めつつあるカインがコーディアルを作っていると聞き、実際に瓶を手に入れたことがきっかけとなって、是非にとフェクダは彼に協力を請うたのだった。
「料理は好きだしやるだけやってみるが、あんまり期待しないでくれ」
「大丈夫ですよ。カインママのシロップを作ったカインの腕、信頼してますから」
「ママじゃねえ……」
信頼という言葉と『ママ』の響きに、カインはわずかに痛がゆいような微妙な表情となり、腕を組んで座席に浅く座り直した。
「ついたら起こしてくれ」
瞼をおろす。
起こす必要はなかった。車輪ごしの振動が石畳に変わるやたちまち、カインは馬車の縁に手をかけた。
「目を惹くものがあった。近くで見てみたい」
「屋敷まであと少しありますが」
「先に行っててくれ」
馬車から身をひるがえし飛び降りる。音も立てず着地して、もうカインは歩き出していた。
「待ってください。俺も行きます」
フェクダが腰を浮かせるなり馬はぴたりと足を止めた。しかもうやうやしく頭を垂れたではないか。
さすがだな、とカインは内心舌を巻いた。自然に身についた風格というものだろう。
「いいのか、到着の報告とか」
「お客様のほうが大事です。それに、カインが目を留めたものが俺も気になるので」
なだらかな丘陵がひろがっている。街道沿いには林檎農園がつづき、大ぶりの枝葉が午後のやわらかな日差しを浴びて黄金色に輝いていた。ふわりと甘酸っぱい林檎の香りがただよい、風に揺れる葉の音が心地よく耳にとどく。遠くには、クヌギ林の間に背の低い木箱の並ぶ養蜂場がうかがえた。
カインが足を向けたのはそのいずれでもなかった。彼は道ばたに片膝をつくと、路傍の白い花を手でつつんだのだ。
「クローバーですね。領内いたるところにあります」
「思った通りだ。とても花がやわらかい」
カインは壊れ物をあつかうように、親指の腹でそっと花びらをなでた。
「よくお気づきで。領内のクローバーの特徴です。水のおかげなのでしょうか」
「生命力の強い草だから、育てる手間がかからないのもいい」
カインはまた歩きはじめた。邸宅への挨拶は後回しと決めていた。
フェクダはカインの背を追う。
なんだろう、この感じとフェクダは思った。
なぜだか懐かしい。
カインは数日間滞在し領内を散策した。そしていま、丘陵地帯を一望できるバルコニーにフェクダと向かいあって座っている。テーブルの上にはうすく切った果物と焼き菓子、香り高い紅茶がならび、穏やかな朝の風がふたりの髪をなでていた。
「林檎の蜂蜜は、領内のみの流通品という話だったな」
「ええ、量が取れるわけではありませんので」
残念ながらとフェクダは言うも、カインには提案があった。
「林檎の蜂蜜そのものを特産品にするんじゃなく、期間限定で祭の名物料理にもちいるのはどうだろう」
「と言いますと」
「たとえば、林檎の蜂蜜でコンポートを作ってクレープで巻いたりすればお手軽だし」
「いいですね」
フェクダの言葉が熱をおびた。とろりとした蜂蜜で煮たコンポート、想像するだけでたまらなくなる。
「クローバー由来の蜂蜜のほうは、もっと量があるようだから巣蜜を売ってもいいし、蜜蝋でハンドクリームや石鹸を作る方向に工夫してもいいと思う。クローバーの成分を配合すれば香りもいい」
可憐で爽やかなクローバーの香りは、衛生品にはぴったりだろう。
「水仕事は手が荒れやすいし、手を清潔にするのは病気の対策になる」
「カイン」
はっとしたようにフェクダは言った。
滞在中、カインは領民に積極的に話しかけていた。彼はただ交流のみを目的としていたのではないのだ。彼らの実情を知り隠れた需要を掘りおこそうとしていたのだ。幸いにして領内には病人が多いわけではないが、手の荒れた者は多いと気づいたのだろう。
似ています、と口にしかけたがフェクダは思いとどまった。
言えばカインは戸惑うだけだろう。
母上の発想に似ています、だなんて。
カインの背に懐かしさを覚えたわけが理解できた気がする。
「どうした、急に黙って」
期せずして往路と同じ問いをくり返すカインに、やはりフェクダは往路同様「いえ」と首をふった。
「勉強になります、とても」
しみじみと告げた。さらに言う。
「期間限定のお菓子や食用以外の道については、あらためて自分でも調べたり領内の商人に話を聞いてみたいと思いました。カインを見習って」
よせよせ、とカインは手をふる。
「むしろ俺のほうが、お前を見習いたいと思ったくらいだ」
「俺を? 買いかぶりすぎでしょう」
「そんなことはない。フェクダといるだけで領民たちは素直に心をひらいてくれた。敬愛されているんだな、人徳ってやつだ。おかげでリサーチも楽だった」
フェクダがいる限り、とカインは思うのだ。
ずっとドゥーベ領は安泰だろう。
「褒めすぎですよ」
気恥ずかしげなフェクダに弾けるような笑みで応じ、カインは立ちあがった。
「さて方針も定まったことだし、俺は療養先に帰るとするか」
「送ります」
でも、とフェクダは、遠い親戚にして友の袖に手をかけたのだ。
「もう二、三日滞在して試作品を作ってみませんか? カインのアイデアの」
まるで、秋の湖面にうつる夕陽のような――。
フェクダ・ドゥーベはしばし、我を忘れたように瓶ごしの空を見上げていた。
「どうした、急に黙って」
カイン・ステラはフェクダに声をかけた。何度か手紙をやり取りするうち、カインは彼に丁寧語を使わなくなっている。
「え? いえ、なにも」
ただ、と優しい雨音を思わせる微笑を浮かべてフェクダはつづけた。
「夢見るような色に魅せられてしまって。このコーディアルの」
もちろん味も素敵ですけどねと言い添える。
「そんな大したものじゃない」
「大したものですよ。ご近所の奥様がたに好評という話じゃありませんか。ためしに置いた果実店でもたちまち完売したとか」
照れ隠しのようにカインは自分の頬をかいた。瓶入りのコーディアルはカインのお手製なのだ。
スライスした林檎と根生姜をゆっくり煮詰め抽出したエキスだ。砂糖をつかわずリュウゼツランのシロップで味つけているので独特の色になった。シナモンとハッカクを絶妙のさじ加減で配合しており、贅沢な香りと甘さ、ピリッとした刺激が楽しめる。紅茶に垂らしてもいい。水で割るだけでも絶妙の味わいとなる。これからの季節、お湯割りで飲めば芯から体が温まるだろう。林檎と生姜の絞りかすはすりつぶして白ワインとビネガーを加え、アップルジンジャーソースに活用していた。
フェクダとカインは二輪馬車に揺られている。馬は道をよく知っているようで、フェクダの手の鞭はまだ一度もふるわれていない。
馬車はドゥーベ領へ向かっていた。フェクダにとっては、パンクリアース学園からの里帰りとなる。未来の伯爵が、御者も幌もない馬車で帰省するのはいかにも不用心だが、急に思い立ったことでもあり、頼もしい同伴者がいるためでもあった。その頼もしい同伴者は料理好きで、彼が「手すさび」と称して作ったというコーディアルの話を聞いたことで、フェクダは短い帰省を決めたのだ。
帰省の目的は、ドゥーベ領のあたらしい特産品の作成だ。フェクダは学園で学びながらつねに、農業がさかんなドゥーベ領の作物から加工品ができないか考えていた。遠縁ながら親交を深めつつあるカインがコーディアルを作っていると聞き、実際に瓶を手に入れたことがきっかけとなって、是非にとフェクダは彼に協力を請うたのだった。
「料理は好きだしやるだけやってみるが、あんまり期待しないでくれ」
「大丈夫ですよ。カインママのシロップを作ったカインの腕、信頼してますから」
「ママじゃねえ……」
信頼という言葉と『ママ』の響きに、カインはわずかに痛がゆいような微妙な表情となり、腕を組んで座席に浅く座り直した。
「ついたら起こしてくれ」
瞼をおろす。
起こす必要はなかった。車輪ごしの振動が石畳に変わるやたちまち、カインは馬車の縁に手をかけた。
「目を惹くものがあった。近くで見てみたい」
「屋敷まであと少しありますが」
「先に行っててくれ」
馬車から身をひるがえし飛び降りる。音も立てず着地して、もうカインは歩き出していた。
「待ってください。俺も行きます」
フェクダが腰を浮かせるなり馬はぴたりと足を止めた。しかもうやうやしく頭を垂れたではないか。
さすがだな、とカインは内心舌を巻いた。自然に身についた風格というものだろう。
「いいのか、到着の報告とか」
「お客様のほうが大事です。それに、カインが目を留めたものが俺も気になるので」
なだらかな丘陵がひろがっている。街道沿いには林檎農園がつづき、大ぶりの枝葉が午後のやわらかな日差しを浴びて黄金色に輝いていた。ふわりと甘酸っぱい林檎の香りがただよい、風に揺れる葉の音が心地よく耳にとどく。遠くには、クヌギ林の間に背の低い木箱の並ぶ養蜂場がうかがえた。
カインが足を向けたのはそのいずれでもなかった。彼は道ばたに片膝をつくと、路傍の白い花を手でつつんだのだ。
「クローバーですね。領内いたるところにあります」
「思った通りだ。とても花がやわらかい」
カインは壊れ物をあつかうように、親指の腹でそっと花びらをなでた。
「よくお気づきで。領内のクローバーの特徴です。水のおかげなのでしょうか」
「生命力の強い草だから、育てる手間がかからないのもいい」
カインはまた歩きはじめた。邸宅への挨拶は後回しと決めていた。
フェクダはカインの背を追う。
なんだろう、この感じとフェクダは思った。
なぜだか懐かしい。
カインは数日間滞在し領内を散策した。そしていま、丘陵地帯を一望できるバルコニーにフェクダと向かいあって座っている。テーブルの上にはうすく切った果物と焼き菓子、香り高い紅茶がならび、穏やかな朝の風がふたりの髪をなでていた。
「林檎の蜂蜜は、領内のみの流通品という話だったな」
「ええ、量が取れるわけではありませんので」
残念ながらとフェクダは言うも、カインには提案があった。
「林檎の蜂蜜そのものを特産品にするんじゃなく、期間限定で祭の名物料理にもちいるのはどうだろう」
「と言いますと」
「たとえば、林檎の蜂蜜でコンポートを作ってクレープで巻いたりすればお手軽だし」
「いいですね」
フェクダの言葉が熱をおびた。とろりとした蜂蜜で煮たコンポート、想像するだけでたまらなくなる。
「クローバー由来の蜂蜜のほうは、もっと量があるようだから巣蜜を売ってもいいし、蜜蝋でハンドクリームや石鹸を作る方向に工夫してもいいと思う。クローバーの成分を配合すれば香りもいい」
可憐で爽やかなクローバーの香りは、衛生品にはぴったりだろう。
「水仕事は手が荒れやすいし、手を清潔にするのは病気の対策になる」
「カイン」
はっとしたようにフェクダは言った。
滞在中、カインは領民に積極的に話しかけていた。彼はただ交流のみを目的としていたのではないのだ。彼らの実情を知り隠れた需要を掘りおこそうとしていたのだ。幸いにして領内には病人が多いわけではないが、手の荒れた者は多いと気づいたのだろう。
似ています、と口にしかけたがフェクダは思いとどまった。
言えばカインは戸惑うだけだろう。
母上の発想に似ています、だなんて。
カインの背に懐かしさを覚えたわけが理解できた気がする。
「どうした、急に黙って」
期せずして往路と同じ問いをくり返すカインに、やはりフェクダは往路同様「いえ」と首をふった。
「勉強になります、とても」
しみじみと告げた。さらに言う。
「期間限定のお菓子や食用以外の道については、あらためて自分でも調べたり領内の商人に話を聞いてみたいと思いました。カインを見習って」
よせよせ、とカインは手をふる。
「むしろ俺のほうが、お前を見習いたいと思ったくらいだ」
「俺を? 買いかぶりすぎでしょう」
「そんなことはない。フェクダといるだけで領民たちは素直に心をひらいてくれた。敬愛されているんだな、人徳ってやつだ。おかげでリサーチも楽だった」
フェクダがいる限り、とカインは思うのだ。
ずっとドゥーベ領は安泰だろう。
「褒めすぎですよ」
気恥ずかしげなフェクダに弾けるような笑みで応じ、カインは立ちあがった。
「さて方針も定まったことだし、俺は療養先に帰るとするか」
「送ります」
でも、とフェクダは、遠い親戚にして友の袖に手をかけたのだ。
「もう二、三日滞在して試作品を作ってみませんか? カインのアイデアの」