あなたはだぁれ?
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2024年11月22日 00時11分18秒
天井から差す光に浮かび上がった『玉座』には、白銀のベールを纏う女が座していた。
ベールで顔が覆われていて正確なことはわからないが、若い女……20歳前後だろうか。
「あなたはだぁれ?」
女はこちらの気配に気付いたようで、薄く瞳を開くと、そう問いかけてきた。
「……えっと、ぼくは、ティト。冒険者……は辞めちゃった、けど……今は世界を見て、回って、るんだ」
「せかい?」
「そう、世界。えっと……帝国で起こった、大変な出来事も、一段落した、でしょ? だから、変わっていく、世界を見て回って……るんだ」
「変わったの?」
「うん、すごく、変わった、よ。知ら、ない……?」
「うん、知らない。そもそも、せかいって、なぁに?」
「え……世界は、世界、だよ……? ぼくたちが、住んでる、ところ」
「住んでいる? ああ、あなたはこの『玉座の間』のことを、せかいと呼ぶのね」
得心いったように頷く女性。
やっぱり変だ。”あの出来事”を知らない人なんていない。
そもそもこんな場所に一人でいる事自体おかしいし……まさか『囚われの姫』とか……?
「えと……つかぬことを、窺うんだけど……きみは、外に出た、事は……ない、の?」
「そと……? そと、ってなぁに?」
「……外っていうのは、この部屋の外、あの壁の、向こうがわ、だよ?」
「壁の向こう、側……? ふふ、あなたは変なことを言うのね。あの壁の向こう側には、何もないのよ?」
この人、本当に知らないんだ。にわかには信じられないけど、生まれてからずっとこの部屋の中だけで生きてきたのかもしれない。
でも、辺りに人の気配はない。まさか、ずっとここに一人で? そもそも、食事とかはどうしてるの? お風呂とかトイレとか生きていくなら絶対に必要――――はっ!
「……まさか、アン――――」
出そうになった言葉を慌てて飲み込んで、気付かれない様に外套の中に手を回す。
腰に下げている頼もしい感触を確かめてから、改めて『玉座』の女性を見上げた。
確かに色白だ。ずっとこんな場所にいるのなら当然だけど……でも生気がないとかそういう感じじゃない。アンデット特有の血の気の無い白とはまた違う感じ。
高位のアンデットならわからないけど、この女性が?
……それは違う気がする。確証はないけど、冒険者だった時の勘がそう告げてる。
「あん……? それは、なぁに?」
「えっと……きみの、名前、かな? ……なんて」
とにかく相手の情報が必要だ。
適当に話を続けて、情報を集めて、相手の正体を探らなきゃ――――。
「なまえ……なまえ……? あっ! ”名前”! わたしはそれを知っているわ! アンというのが”名前”なのね! そう、わたしはアンという名前だったのね!」
「あ……えっと、そう、なの……?」
適当に応えただけなのに、儚げだった女性はいきなりすごいハイテンションになった。
その変貌ぶりに思わず面食らってしまう。
「そう、アン! 素敵な”名前”よね! わたしはアンよ。あなたは?」
「えっと……だから、ぼくは……ティト、だよ。さっき、言った、よ?」
「そう! あなたはティトという”名前”なのね! とても素敵ね!」
「あ……うん、そう、だね?」
なんだろう、この感じ。
嬉しそうに『アン』と連呼している女性を見ていると……昔に同じようなことを経験したことがあったような気がする……。ううん、違う。こういう事があったんじゃなくて、こういう雰囲気に触れたことがある……気がする。
「ねぇ、ティト。もっと、名前を聞きたいわ!」
「え……? 名前はティトだって、言ったよ、ね?」
「ええ、あなたはティトね! それは覚えたわ。でも、後ろの人の名前はなんていうの?」
そう女性が問いかけるのと、飛刃がティトの頬を掠めたのは同時だった。
――――キンッ!!
ティトが慌てて振り返ると、飛刀は何かに弾かれて床に転がっていた。
――――ちっ。
闇から聞こえた舌打ち。
ティトは女性をかばう様に移動すると、獣の耳をピンと立てた。
「誰……」
闇に向けそう問いかけるも応える声はなく、ただ足音だけが近づいてくる。
先ほどまでまったく気配を感じなかった。なのに今は溢れんばかりの怒りを露にしている。
「まさか……こんな場所で貴女に会うなんて」
聞こえたその声に覚えがあった。
「ティト」
光の下へ現れたその口元に見覚えがあった。
「久しぶりね」
その言葉の奥に秘めた怒りに覚えがあった。
「そんな……おねえ、ちゃん、なの……?」
見間違えるはずがない。だって目の前にいるのは、自分がずっと探していた人なのだから。
「なんで、こんな……ところに」
何とか言葉を紡ぐ。だけど姉は反応を示さない。
彼女はただ真っ直ぐにぼくの後ろ――――『玉座』を睨みつけたまま、ゆっくりと近づいてくる。
びっくりした。ほんとにびっくりした。
こんな所で、ずっと消息不明だった姉に会えるなんて思ってもいなかった。
何度手紙を送っても返事一つ返さなかったのに、なんでこんなにあっさり再会してるの。
頭が混乱してる。心臓の鼓動が早くなってる。何か言わなきゃと思うけど、なんだが色んなものが込み上げてきて、うまく言葉にできない。
聞かなきゃ。今までどこにいて何をしていたのか。ちゃんとご飯食べて元気でやってるのか。なんでぼくの前からいなくなっちゃったのか――――。
「なぜ貴女がここにいるのかはわからないけど、私の邪魔をしないで」
口をパクパクさせてるティトに、姉は冷やかな言葉を投げかけた。
「……どうせ何も知らないのでしょう? ティト、貴女には関係の無い事なのよ。いい子だから、ソレの前から退きなさい」
姉がすれ違いざまにティトの肩をぎゅっと掴む。
ティトは肌から伝わる姉の温もりと、食い込む爪の痛みに、ようやく声を上げた。
「……なん、で、なんで、そんな事、言うの……? ぼく、ずっと……ずっと、探して、たんだよ。せっかく、会えた、のに……ずっと、会いたかった、のに……なんで、なん、で……!」
「……ごめんなさい。でも、今が再会を喜ぶ時じゃないのはわかって頂戴。終わったら、いくらでもかまってあげるから……だから今は……お願い。ようやく巡ってきたチャンスなの……!」
「ちゃん、す……?」
「すぐに終わらせるから、全て終わったら……沢山お話しましょ」
無理やり作った姉の笑顔に、心が締め付けられる。
見ていられない……こんなに辛そうに笑う姉を――――。
視線を外した肯定と取ったのか、姉はティトを押しのけて『玉座』の前に立った。
「あなたの名前を教えてもらえる? わたしはね、アンっていうのよ!」
睨みつける姉を前にしても、アンは全く動じることなく、嬉しそうに問いかける。
「貴女に名乗る名前などない……と言いたかったけど、教えてあげるわ。私の名前はクォン」
「クォン……ティトと似て素敵な名前ね! しっかり覚えたわ! あなたの”名前”はクォン!」
「……覚える必要はないわ。どうせ貴女はここで死ぬのだから!」
瞬間、クォンの姿が消えた。
瞬間移動でもしたのかと錯覚するほどの足捌きで『玉座』に迫る。
――――キンッ!
だが、クォンの繰り出した神速の刃は、先ほどの飛刃と同様、見えない壁に阻まれた。
「それはなにをしているの?」
見えない壁の向こう側で、アンが首をかしげている。
「……そう、やっぱりそうなのね」
「そう? どういうことかしら?」
「貴女が知る必要はないわ」
「おねえちゃん、待って……! なんで、この子を、殺そうとする、の……! あの子は、ここに……囚われてる、だけかも、しれない……んだよ! おねえちゃん、は、誤解してるかもしれ、ない! ぼくには、どうしても……あの子が、何か悪い、ことしたって……思えない!」
「……そうね、見た目だけなら、そうかもしれない。でも、貴女は私の旅の目的を知っているはずよ」
「旅の……それって、復讐……?」
ティトが恐る恐る問いかけると、クォンは振り返る代わりに小さく頷いた。
「この子が、おねえちゃんの、復讐の相手……なの?」
「そうとも言えるし、違うともいえる」
「……? わからない、よ。ちゃんと、説明……して」
「……全て終わったらちゃんと話すわ。だから、今は邪魔しないで」
「そうは、いかない、よ……! 目の前で、大切な、人が、人殺しをしようとしてるの……黙って、見てられるわけ、ない……でしょ!」
ティトはそう叫ぶと、姉の前に立ち塞がった。
ちゃんと話せばわかってくれる。今はちょっと興奮してて、ちゃんとした判断ができてないだけ――――そう思ってた。
「……うるさい」
「……え?」
「貴女に私の何が分かる! あの惨劇をのうのうと生き残り、哀れみだけで愛されてきた貴女に!」
「お、おね、えちゃん……?」
いつも冷静で優しかった姉の顔が、悪鬼のごとく歪む。
血走った眼でこちらを睨み、汚らしく唾を飛ばす。
ただ慟哭するだけの獣がそこにいた。
「私は奪われた……私の全てだったあの人を! これは弔いなの! 人生で最高の幸せと最低の不幸を同時に味わった、あの人の! 例えあの人の子供でも、邪魔はさせない! あの人の……あの人の無念は、私が晴らさなきゃいけないの!!」
「おね、えちゃ……」
「ようやく……ようやく掴んだのよ! あの人の仇に繋がる情報を! あの夜の首謀者を!」
怒りに血走る瞳の奥に底知れぬ悲しみを湛えたまま慟哭するクォンが、ティトをつき飛ばそうと拳を挙げた瞬間、『玉座』から一条の光が発せられた――――。
●
「ぐっ……!」
「おねえちゃん……! しっか、り!」
『ふっ……まさか、我の元までたどり着く者がいるとはな』
『玉座』の前から転げ落ちたクォンにティトが駆け寄った瞬間、部屋に男のものとも女のものともとれない威厳に満ちた声が響き渡った。
ティトはクォンの傷を止血しつつ、声の出処を探る。
「クォン……赤い……赤いわ。身体が……真っ赤」
「アン……?」
聞きなれた声に『玉座』を見上げれば、そこには変わらずアンが座っている……のだが、何か様子がおかしい。
あれだけ生気に満ちていた彼女が、今はまるで人形のように……笑っている。
『まだ意識があるのか。まあいい、それもすぐに消える』
そして、アンの口から、あの威厳に満ちた声の呟きが漏れた。
『さて、下賤の者どもよ。これの存在に行きついたことは素直に褒めてやろう。だが、徒労であったな』
「ふっ……影に潜むしか、能の無い……臆病な、猿がよく……吠える」
『ほう、それだけの傷を負って尚、軽口を叩くか。……面白い。どうだ、その胆力と洞察眼を我が下で使わぬか。悪いようにはせぬぞ』
「糞喰らえ、よ……! お前は……私が、必ず殺す。”依り代”、なんて……使わせ、ない!」
『……ふん、貴様も所詮、力の差を理解できぬ愚か者か。興が覚めたわ。お前はもう死ね』
威厳に満ちた声が落胆に染まると同時に、再び『玉座』から一条の光が発せられた。
光線は辺りを照らし、一直線にクォンの心臓を――――。
――――バチッ!!
「あちち……」
『何……我が一撃を逸らしただと?』
「ま、ったく……なんだか、状況が目まぐるし、過ぎて……すっかり、蚊帳の、外なぼくは、いったいどうすれば、いいの? 大切な、再会だった、のに。もう、色々と、無茶苦茶、だよ」
柄だけを残し溶け落ちたナイフを放り投げ、ティトは手に息を吹きかけながら立ち上がる。
「ぼくは、ね。怒ってるん、だよ、おねえちゃん」
「……ティト?」
「おねえちゃんに、とって……ぼくは、もう少し、大切な存在、だって、思ってた。でも、違うんだ、ね」
「ち、違わな――――くっ」
「無理、しないで。穴は、まだ完全に、塞がってない……んだから」
呆れたように肩をすくませたティトに、クォンは慌てて自分の体を見た。
「これ……ヒール?」
「ぼくは、本職じゃ……ないから。応急処置、ね」
そうティトは言うが、ぽっかりと開いていた『穴』はしっかりと塞がっている。
「さて、と。そこの……変態さん、ちょっと、お話、しようか」
『……それは我の事を言っているのではあるまいな』
「そう、だよ。おバカな、変態さん。どうやったか、知らない、けど……そんな、綺麗な女の人の、身体を……乗っ取って、好き勝手、してるのなんて……変態、以外ない、でしょ」
『貴様……我を愚弄するか。どうやら貴様が先に死にたいらしいな』
――――キンッ!!
『馬鹿な。一度ならず二度までも、我の攻撃を曲げただと?』
「威力、はまずまず、かな。でも、狙いが素直……過ぎるね。この程度の攻撃なんて、何度も見てきた、よ」
『なに……』
「きみがどれくらい、引き籠ってたのか……知らない、けど。時代は、”かそくどてきにしんか”したん、だよ。知らな、かった?」
かくりと首をかしげるティトに、威厳に満ちていた声が怒りに震えている。
「大人しく、その子返す、なら、お仕置き、しないで……あげる。返す、つもりが、ないなら……お仕置き、決定」
『……くくくっ。そうか、なるほど。我をこの光の檻からおびき出す作戦だったか。だが残念だったな。貴様の浅はかな作戦など我には通じぬ。我が自らここから出ることなどないのだからな!』
「……あ、そういう、仕組みなんだ……めもめも」
『……なに?』
「あ、でも……その檻、強い、ね。こっちからは、手が出せない、の……こまった、ね」
『ふっ、わかったのなら諦めろ。この鉄壁の檻は、誰にも破壊などでき――――』
「でも、自分で出る、事はできるん、だよね?」
そう言うと、ティトは声の主の中にいる彼女に話しかける。
「アン、いつまで、寝てる、の? もう、起きる時間、だよ?」
自分が適当につけた名前とも言えない名前。
なのに彼女はとても喜んでいた。笑顔を弾けさせていた。
『呼び掛けなど無駄だ。”依り代”の意識は、既に深い闇の中に沈んでいる』
「うるさい、な。ちょっと、黙って、てよ。――――ね、アン。もっと、お話、しよ? きみの、知らない事、ぼくは、沢山知ってる、よ? 聞きたい、でしょ?」
”無駄だ”、”諦めろ”と、折角の会話に汚いノイズが混じるが気にしない。
ティトは真っ直ぐにアンを見つめ、にこりと微笑んだ。
「……ティト?」
「あ、おはよ、アン」
『ば、馬鹿な……! ”依り代”が意識を取り戻すなどあり得ぬ!』
「わたし、寝てたの?」
「うん、少し、ね。気分は、どう?」
「ちょっと、ボーっとする、かも?」
「ふむむ……それじゃ身体を、動かさなきゃ、ね」
「え?」
ぱちくりと瞳を瞬かせるアンに、ティトはちょいちょいと手招きした。
するとアンは、その手に導かれるようにゆっくりと『玉座』から立ち上がる。
「あんよが、上手。あんよが、上手」
”行くな”、”命令だ”と、再びノイズが走るが、アンはティトの手拍子に応えるようにゆっくりと階段を下ってきた。
「ねぇ、おねえちゃん、わかってる、と思う、けど。あれ、本体じゃ、ないよ」
「そ、それは……」
「だから、あの子を殺し、ても……おねえちゃんの、宿願は果たせ、ない。せいぜい、あの変態さんが、ちょっと、困る、だけだよ」
手拍子を続けながら、ティトはクォンに囁きかける。
『くっ……だが、壁から出してどうする。この女を殺すのか? 我の”依り代”ではあるが、生きている人間だぞ』
「殺すわ」
『そうか。ならば殺すがいい。だが、この女を殺せば我の居場所を探る手立ても失われるぞ』
「ぐっ……!」
唇を噛むクォンの姿に、一時は狼狽していた威厳に満ちた声に余裕が戻った。
『どうやったかはわからぬが、ここまで我に動揺を覚えさるとはな……だが、全て無駄だったな!』
「喜んでる、ところ、申し訳ない、んだけど……。なんで、アンは、きみとリンク……してる、の?」
『ふん! それは我と依り代が”魂の鎖”で繋がれておるからよ。けしては断ち切ることの出来ぬ、不可視の鎖でな!』
「へぇ、鎖で……」
勝利を確信した威厳に満ちた声の暴露に、クォンは肩を震わせ、ティトはアンの頭の先から天井へ向け視線を移動させた。
『……貴様、いったい何が見えておる。まさか――――』
「”魂の鎖”……って、もしかして、これ、の事……?」
『……は?』
ティトはアンの頭上、何もない中空を掴む。
――――ジャラ……。
『なっ……! ば、馬鹿なっ!? なぜ、鎖に触れる事ができる!! これは、魂の結びつきそのものだぞ! 繋がっていない他人が干渉できるようなものではないっ!!』
「……他人、じゃなかった、からじゃ、ない?」
『な、なに……?』
ティトはそう返すと、アンの身体を覆っていた白銀のベールをそっと外した。
「やっぱ、り。なんだか、そんな気が、してたん、だ」
現れたのは真っ白な獣の耳だった。
「この子……もしかして、私たちの縁者、なの?」
「そう、かもね」
驚くクォンにそう応えて、ティトは改めてアンに視線を移す。
「さて、君を自由に、しないと、ね」
「ま、待ってティト! 何をするつもりなの!」
『や、やめろ! この”依り代”は、我が長年かけて育て上げた――――』
必死に訴える二つの声に、ティトは満面の笑顔を返すと。
――――パキンっ。
躊躇することなく不可視の鎖を断ち切った――――。
ベールで顔が覆われていて正確なことはわからないが、若い女……20歳前後だろうか。
「あなたはだぁれ?」
女はこちらの気配に気付いたようで、薄く瞳を開くと、そう問いかけてきた。
「……えっと、ぼくは、ティト。冒険者……は辞めちゃった、けど……今は世界を見て、回って、るんだ」
「せかい?」
「そう、世界。えっと……帝国で起こった、大変な出来事も、一段落した、でしょ? だから、変わっていく、世界を見て回って……るんだ」
「変わったの?」
「うん、すごく、変わった、よ。知ら、ない……?」
「うん、知らない。そもそも、せかいって、なぁに?」
「え……世界は、世界、だよ……? ぼくたちが、住んでる、ところ」
「住んでいる? ああ、あなたはこの『玉座の間』のことを、せかいと呼ぶのね」
得心いったように頷く女性。
やっぱり変だ。”あの出来事”を知らない人なんていない。
そもそもこんな場所に一人でいる事自体おかしいし……まさか『囚われの姫』とか……?
「えと……つかぬことを、窺うんだけど……きみは、外に出た、事は……ない、の?」
「そと……? そと、ってなぁに?」
「……外っていうのは、この部屋の外、あの壁の、向こうがわ、だよ?」
「壁の向こう、側……? ふふ、あなたは変なことを言うのね。あの壁の向こう側には、何もないのよ?」
この人、本当に知らないんだ。にわかには信じられないけど、生まれてからずっとこの部屋の中だけで生きてきたのかもしれない。
でも、辺りに人の気配はない。まさか、ずっとここに一人で? そもそも、食事とかはどうしてるの? お風呂とかトイレとか生きていくなら絶対に必要――――はっ!
「……まさか、アン――――」
出そうになった言葉を慌てて飲み込んで、気付かれない様に外套の中に手を回す。
腰に下げている頼もしい感触を確かめてから、改めて『玉座』の女性を見上げた。
確かに色白だ。ずっとこんな場所にいるのなら当然だけど……でも生気がないとかそういう感じじゃない。アンデット特有の血の気の無い白とはまた違う感じ。
高位のアンデットならわからないけど、この女性が?
……それは違う気がする。確証はないけど、冒険者だった時の勘がそう告げてる。
「あん……? それは、なぁに?」
「えっと……きみの、名前、かな? ……なんて」
とにかく相手の情報が必要だ。
適当に話を続けて、情報を集めて、相手の正体を探らなきゃ――――。
「なまえ……なまえ……? あっ! ”名前”! わたしはそれを知っているわ! アンというのが”名前”なのね! そう、わたしはアンという名前だったのね!」
「あ……えっと、そう、なの……?」
適当に応えただけなのに、儚げだった女性はいきなりすごいハイテンションになった。
その変貌ぶりに思わず面食らってしまう。
「そう、アン! 素敵な”名前”よね! わたしはアンよ。あなたは?」
「えっと……だから、ぼくは……ティト、だよ。さっき、言った、よ?」
「そう! あなたはティトという”名前”なのね! とても素敵ね!」
「あ……うん、そう、だね?」
なんだろう、この感じ。
嬉しそうに『アン』と連呼している女性を見ていると……昔に同じようなことを経験したことがあったような気がする……。ううん、違う。こういう事があったんじゃなくて、こういう雰囲気に触れたことがある……気がする。
「ねぇ、ティト。もっと、名前を聞きたいわ!」
「え……? 名前はティトだって、言ったよ、ね?」
「ええ、あなたはティトね! それは覚えたわ。でも、後ろの人の名前はなんていうの?」
そう女性が問いかけるのと、飛刃がティトの頬を掠めたのは同時だった。
――――キンッ!!
ティトが慌てて振り返ると、飛刀は何かに弾かれて床に転がっていた。
――――ちっ。
闇から聞こえた舌打ち。
ティトは女性をかばう様に移動すると、獣の耳をピンと立てた。
「誰……」
闇に向けそう問いかけるも応える声はなく、ただ足音だけが近づいてくる。
先ほどまでまったく気配を感じなかった。なのに今は溢れんばかりの怒りを露にしている。
「まさか……こんな場所で貴女に会うなんて」
聞こえたその声に覚えがあった。
「ティト」
光の下へ現れたその口元に見覚えがあった。
「久しぶりね」
その言葉の奥に秘めた怒りに覚えがあった。
「そんな……おねえ、ちゃん、なの……?」
見間違えるはずがない。だって目の前にいるのは、自分がずっと探していた人なのだから。
「なんで、こんな……ところに」
何とか言葉を紡ぐ。だけど姉は反応を示さない。
彼女はただ真っ直ぐにぼくの後ろ――――『玉座』を睨みつけたまま、ゆっくりと近づいてくる。
びっくりした。ほんとにびっくりした。
こんな所で、ずっと消息不明だった姉に会えるなんて思ってもいなかった。
何度手紙を送っても返事一つ返さなかったのに、なんでこんなにあっさり再会してるの。
頭が混乱してる。心臓の鼓動が早くなってる。何か言わなきゃと思うけど、なんだが色んなものが込み上げてきて、うまく言葉にできない。
聞かなきゃ。今までどこにいて何をしていたのか。ちゃんとご飯食べて元気でやってるのか。なんでぼくの前からいなくなっちゃったのか――――。
「なぜ貴女がここにいるのかはわからないけど、私の邪魔をしないで」
口をパクパクさせてるティトに、姉は冷やかな言葉を投げかけた。
「……どうせ何も知らないのでしょう? ティト、貴女には関係の無い事なのよ。いい子だから、ソレの前から退きなさい」
姉がすれ違いざまにティトの肩をぎゅっと掴む。
ティトは肌から伝わる姉の温もりと、食い込む爪の痛みに、ようやく声を上げた。
「……なん、で、なんで、そんな事、言うの……? ぼく、ずっと……ずっと、探して、たんだよ。せっかく、会えた、のに……ずっと、会いたかった、のに……なんで、なん、で……!」
「……ごめんなさい。でも、今が再会を喜ぶ時じゃないのはわかって頂戴。終わったら、いくらでもかまってあげるから……だから今は……お願い。ようやく巡ってきたチャンスなの……!」
「ちゃん、す……?」
「すぐに終わらせるから、全て終わったら……沢山お話しましょ」
無理やり作った姉の笑顔に、心が締め付けられる。
見ていられない……こんなに辛そうに笑う姉を――――。
視線を外した肯定と取ったのか、姉はティトを押しのけて『玉座』の前に立った。
「あなたの名前を教えてもらえる? わたしはね、アンっていうのよ!」
睨みつける姉を前にしても、アンは全く動じることなく、嬉しそうに問いかける。
「貴女に名乗る名前などない……と言いたかったけど、教えてあげるわ。私の名前はクォン」
「クォン……ティトと似て素敵な名前ね! しっかり覚えたわ! あなたの”名前”はクォン!」
「……覚える必要はないわ。どうせ貴女はここで死ぬのだから!」
瞬間、クォンの姿が消えた。
瞬間移動でもしたのかと錯覚するほどの足捌きで『玉座』に迫る。
――――キンッ!
だが、クォンの繰り出した神速の刃は、先ほどの飛刃と同様、見えない壁に阻まれた。
「それはなにをしているの?」
見えない壁の向こう側で、アンが首をかしげている。
「……そう、やっぱりそうなのね」
「そう? どういうことかしら?」
「貴女が知る必要はないわ」
「おねえちゃん、待って……! なんで、この子を、殺そうとする、の……! あの子は、ここに……囚われてる、だけかも、しれない……んだよ! おねえちゃん、は、誤解してるかもしれ、ない! ぼくには、どうしても……あの子が、何か悪い、ことしたって……思えない!」
「……そうね、見た目だけなら、そうかもしれない。でも、貴女は私の旅の目的を知っているはずよ」
「旅の……それって、復讐……?」
ティトが恐る恐る問いかけると、クォンは振り返る代わりに小さく頷いた。
「この子が、おねえちゃんの、復讐の相手……なの?」
「そうとも言えるし、違うともいえる」
「……? わからない、よ。ちゃんと、説明……して」
「……全て終わったらちゃんと話すわ。だから、今は邪魔しないで」
「そうは、いかない、よ……! 目の前で、大切な、人が、人殺しをしようとしてるの……黙って、見てられるわけ、ない……でしょ!」
ティトはそう叫ぶと、姉の前に立ち塞がった。
ちゃんと話せばわかってくれる。今はちょっと興奮してて、ちゃんとした判断ができてないだけ――――そう思ってた。
「……うるさい」
「……え?」
「貴女に私の何が分かる! あの惨劇をのうのうと生き残り、哀れみだけで愛されてきた貴女に!」
「お、おね、えちゃん……?」
いつも冷静で優しかった姉の顔が、悪鬼のごとく歪む。
血走った眼でこちらを睨み、汚らしく唾を飛ばす。
ただ慟哭するだけの獣がそこにいた。
「私は奪われた……私の全てだったあの人を! これは弔いなの! 人生で最高の幸せと最低の不幸を同時に味わった、あの人の! 例えあの人の子供でも、邪魔はさせない! あの人の……あの人の無念は、私が晴らさなきゃいけないの!!」
「おね、えちゃ……」
「ようやく……ようやく掴んだのよ! あの人の仇に繋がる情報を! あの夜の首謀者を!」
怒りに血走る瞳の奥に底知れぬ悲しみを湛えたまま慟哭するクォンが、ティトをつき飛ばそうと拳を挙げた瞬間、『玉座』から一条の光が発せられた――――。
●
「ぐっ……!」
「おねえちゃん……! しっか、り!」
『ふっ……まさか、我の元までたどり着く者がいるとはな』
『玉座』の前から転げ落ちたクォンにティトが駆け寄った瞬間、部屋に男のものとも女のものともとれない威厳に満ちた声が響き渡った。
ティトはクォンの傷を止血しつつ、声の出処を探る。
「クォン……赤い……赤いわ。身体が……真っ赤」
「アン……?」
聞きなれた声に『玉座』を見上げれば、そこには変わらずアンが座っている……のだが、何か様子がおかしい。
あれだけ生気に満ちていた彼女が、今はまるで人形のように……笑っている。
『まだ意識があるのか。まあいい、それもすぐに消える』
そして、アンの口から、あの威厳に満ちた声の呟きが漏れた。
『さて、下賤の者どもよ。これの存在に行きついたことは素直に褒めてやろう。だが、徒労であったな』
「ふっ……影に潜むしか、能の無い……臆病な、猿がよく……吠える」
『ほう、それだけの傷を負って尚、軽口を叩くか。……面白い。どうだ、その胆力と洞察眼を我が下で使わぬか。悪いようにはせぬぞ』
「糞喰らえ、よ……! お前は……私が、必ず殺す。”依り代”、なんて……使わせ、ない!」
『……ふん、貴様も所詮、力の差を理解できぬ愚か者か。興が覚めたわ。お前はもう死ね』
威厳に満ちた声が落胆に染まると同時に、再び『玉座』から一条の光が発せられた。
光線は辺りを照らし、一直線にクォンの心臓を――――。
――――バチッ!!
「あちち……」
『何……我が一撃を逸らしただと?』
「ま、ったく……なんだか、状況が目まぐるし、過ぎて……すっかり、蚊帳の、外なぼくは、いったいどうすれば、いいの? 大切な、再会だった、のに。もう、色々と、無茶苦茶、だよ」
柄だけを残し溶け落ちたナイフを放り投げ、ティトは手に息を吹きかけながら立ち上がる。
「ぼくは、ね。怒ってるん、だよ、おねえちゃん」
「……ティト?」
「おねえちゃんに、とって……ぼくは、もう少し、大切な存在、だって、思ってた。でも、違うんだ、ね」
「ち、違わな――――くっ」
「無理、しないで。穴は、まだ完全に、塞がってない……んだから」
呆れたように肩をすくませたティトに、クォンは慌てて自分の体を見た。
「これ……ヒール?」
「ぼくは、本職じゃ……ないから。応急処置、ね」
そうティトは言うが、ぽっかりと開いていた『穴』はしっかりと塞がっている。
「さて、と。そこの……変態さん、ちょっと、お話、しようか」
『……それは我の事を言っているのではあるまいな』
「そう、だよ。おバカな、変態さん。どうやったか、知らない、けど……そんな、綺麗な女の人の、身体を……乗っ取って、好き勝手、してるのなんて……変態、以外ない、でしょ」
『貴様……我を愚弄するか。どうやら貴様が先に死にたいらしいな』
――――キンッ!!
『馬鹿な。一度ならず二度までも、我の攻撃を曲げただと?』
「威力、はまずまず、かな。でも、狙いが素直……過ぎるね。この程度の攻撃なんて、何度も見てきた、よ」
『なに……』
「きみがどれくらい、引き籠ってたのか……知らない、けど。時代は、”かそくどてきにしんか”したん、だよ。知らな、かった?」
かくりと首をかしげるティトに、威厳に満ちていた声が怒りに震えている。
「大人しく、その子返す、なら、お仕置き、しないで……あげる。返す、つもりが、ないなら……お仕置き、決定」
『……くくくっ。そうか、なるほど。我をこの光の檻からおびき出す作戦だったか。だが残念だったな。貴様の浅はかな作戦など我には通じぬ。我が自らここから出ることなどないのだからな!』
「……あ、そういう、仕組みなんだ……めもめも」
『……なに?』
「あ、でも……その檻、強い、ね。こっちからは、手が出せない、の……こまった、ね」
『ふっ、わかったのなら諦めろ。この鉄壁の檻は、誰にも破壊などでき――――』
「でも、自分で出る、事はできるん、だよね?」
そう言うと、ティトは声の主の中にいる彼女に話しかける。
「アン、いつまで、寝てる、の? もう、起きる時間、だよ?」
自分が適当につけた名前とも言えない名前。
なのに彼女はとても喜んでいた。笑顔を弾けさせていた。
『呼び掛けなど無駄だ。”依り代”の意識は、既に深い闇の中に沈んでいる』
「うるさい、な。ちょっと、黙って、てよ。――――ね、アン。もっと、お話、しよ? きみの、知らない事、ぼくは、沢山知ってる、よ? 聞きたい、でしょ?」
”無駄だ”、”諦めろ”と、折角の会話に汚いノイズが混じるが気にしない。
ティトは真っ直ぐにアンを見つめ、にこりと微笑んだ。
「……ティト?」
「あ、おはよ、アン」
『ば、馬鹿な……! ”依り代”が意識を取り戻すなどあり得ぬ!』
「わたし、寝てたの?」
「うん、少し、ね。気分は、どう?」
「ちょっと、ボーっとする、かも?」
「ふむむ……それじゃ身体を、動かさなきゃ、ね」
「え?」
ぱちくりと瞳を瞬かせるアンに、ティトはちょいちょいと手招きした。
するとアンは、その手に導かれるようにゆっくりと『玉座』から立ち上がる。
「あんよが、上手。あんよが、上手」
”行くな”、”命令だ”と、再びノイズが走るが、アンはティトの手拍子に応えるようにゆっくりと階段を下ってきた。
「ねぇ、おねえちゃん、わかってる、と思う、けど。あれ、本体じゃ、ないよ」
「そ、それは……」
「だから、あの子を殺し、ても……おねえちゃんの、宿願は果たせ、ない。せいぜい、あの変態さんが、ちょっと、困る、だけだよ」
手拍子を続けながら、ティトはクォンに囁きかける。
『くっ……だが、壁から出してどうする。この女を殺すのか? 我の”依り代”ではあるが、生きている人間だぞ』
「殺すわ」
『そうか。ならば殺すがいい。だが、この女を殺せば我の居場所を探る手立ても失われるぞ』
「ぐっ……!」
唇を噛むクォンの姿に、一時は狼狽していた威厳に満ちた声に余裕が戻った。
『どうやったかはわからぬが、ここまで我に動揺を覚えさるとはな……だが、全て無駄だったな!』
「喜んでる、ところ、申し訳ない、んだけど……。なんで、アンは、きみとリンク……してる、の?」
『ふん! それは我と依り代が”魂の鎖”で繋がれておるからよ。けしては断ち切ることの出来ぬ、不可視の鎖でな!』
「へぇ、鎖で……」
勝利を確信した威厳に満ちた声の暴露に、クォンは肩を震わせ、ティトはアンの頭の先から天井へ向け視線を移動させた。
『……貴様、いったい何が見えておる。まさか――――』
「”魂の鎖”……って、もしかして、これ、の事……?」
『……は?』
ティトはアンの頭上、何もない中空を掴む。
――――ジャラ……。
『なっ……! ば、馬鹿なっ!? なぜ、鎖に触れる事ができる!! これは、魂の結びつきそのものだぞ! 繋がっていない他人が干渉できるようなものではないっ!!』
「……他人、じゃなかった、からじゃ、ない?」
『な、なに……?』
ティトはそう返すと、アンの身体を覆っていた白銀のベールをそっと外した。
「やっぱ、り。なんだか、そんな気が、してたん、だ」
現れたのは真っ白な獣の耳だった。
「この子……もしかして、私たちの縁者、なの?」
「そう、かもね」
驚くクォンにそう応えて、ティトは改めてアンに視線を移す。
「さて、君を自由に、しないと、ね」
「ま、待ってティト! 何をするつもりなの!」
『や、やめろ! この”依り代”は、我が長年かけて育て上げた――――』
必死に訴える二つの声に、ティトは満面の笑顔を返すと。
――――パキンっ。
躊躇することなく不可視の鎖を断ち切った――――。