二人で歩んだ路の先
キャラクターノベル制作 空色みなも納品 2024年08月17日 09時38分39秒
●
運命の岐路があった。
選び取ることのなかった、あの道を。
進んだ先には、何が待ち受けていたか。
今、それを描き出そう。
二人が手を取り合って歩む、物語を――。
●
「それでは約束と違いますわ!」
貴族令嬢、カーリィ・ブロンドは詰め寄っていた。
娘たる自らへの無理解が極まる、己が父へと。
「もとより私は、待つ、としか言っていないはずだ」
しかし、カーリィの父は眉一つ動かすことなく答えてのける。
「違うか?」
勝ち誇ったように顎を上げる父に、カーリィは憤懣やるかたない思いを覚えた。
当時の言い回しの件についてならば、父の言い分が間違ってはいないだけに、ますます。
カーリィは慙愧の念を抱く。
ああ、自分はやはり愚かであった。
領地の経営難に伴い、望まぬ婚約を結ばされそうになった。
勉学に励み、諸問題の解決に取り組むことを条件に、一時の猶予を手に入れた。
しかし、あくまで猶予は猶予に過ぎなかった。
止まっていた時計の針は再び、時を刻み出す。
領地経営状況の悪化を理由に、父はいよいよカーリィの婚約を取り決めてしまったのだ。
そこに、カーリィの意思が入り込む余地はない。
この父にとって、娘はただの所有物に過ぎないのである。
父の決めた嫁ぎ先は貴族派貴族の他家、その次男。
ずいぶんと羽振りはよいようだが、人物的によい噂は聞かない。
むしろ、悪い噂に事欠かないと言ってもよい。
この家にカーリィが嫁ぎ、太い繋がりを得れば、確かに領地の経営は上向くであろう。
代わりに、カーリィが一人の女として幸せを得ることは望むべくもない。
「お父様のわからず屋!」
たまらずカーリィは父に背を向けて駆け出した。
踵の高い靴を履いていて躓きかけたが、それにも構わず一目散に。
「どちらがわからず屋だ、このじゃじゃ馬め――」
苦虫を噛み潰したような父の呟きを背に受けながら、カーリィは部屋を出るのだった。
●
カーリィは従者に命じて、馬車を走らせていた。
窓の外で、街並みが後ろへ後ろへと過ぎ去っていく。
そのことはまるで、自分の今までが全て過去になっていくことを表すようで。
でも実際は、カーリィが向かい、馬車から降りたったのは思い出の土地だった。
だからどちらかと言えば、カーリィが置き去りにしてきたものは未来とも言える。
パンクリアース学園。
貴族の子女や、有力貴族に目を掛けられた者たちの学び舎。
しかし今では、校門を出入りする学生の中には冒険者などの姿もある。
近年では学園長の意向もあり、その門戸はかつてより広げられているのだ。
カーリィが学園で青春を過ごしたのは、ちょうど学園が激動の最中にある頃だった。
あの頃のカーリィは、生徒会選挙で貴族派の生徒が有利になるようにと同級生に働きかけようとしたりなどもした。
ちょうど、そんな折であった。
冒険者たちとの出会いがあったのは。
それと同時に、カーリィは仲間と卓を囲むことの楽しさを知った。
父に命ぜられるがままに貴族の権利を守ることしか考えてこなかったカーリィにとって、それは目から鱗が落ちるかのような鮮烈な体験であった。
ただ社交のためではない、心からの笑顔がそこにはあると教えられた。
それは卓上遊戯部に関わったことがそもそものきっかけではあったが、そのときカーリィが実際に接した相手こそ冒険者たちであった。
その中に、特にカーリィの憧れた男がいた。
今だって、目を閉じればその姿をありありと思い浮かべることができる。
「ヴァンさん――」
思わず、その名がカーリィの口をついて出た。
一筋の涙が頬を伝う。
もう、あの頃には戻れないと頭では分かっている。
それでも、カーリィは願わずにいられなかった。
叶うことなら、せめてもう一度だけでも――。
ひとしきり泣いてカーリィが瞼を開くと、滲んだ景色の中に。
ヴァンゲルス・ロッドその人が、立っていた。
●
「どうした? お前さんがまたここにいるたぁな」
この邂逅は、ヴァンゲルスにとっても意外なものであった。
なにせカーリィはとうに学園を卒業したのだ。
こうして校門の前にいるのも、なにも通学の途中というわけではあるまい。
「わたくしは――いえ、ヴァンさんこそなぜこちらに?」
顔を上げたカーリィの目は潤んでいた。
先程までむせび泣いていたのだ、無理もない。
「俺は相も変わらず冒険者稼業だからな」
ヴァンゲルスは学園から冒険者ギルドへ出された依頼を受けて、この地を訪れていた。
もともと、ヴァンゲルスがはじめに学園に出入りするようになったのも、依頼を受けた冒険者としてだ。
そうでもなければ、貴族を中心としたこの学園に立ち入る機会はなかったであろう。
ヴァンゲルスは単に平民という以上に、貧しい出自を持っていたのだから。
「それよりもカーリィ、お前さんだ。卒業生だし、貴族だしで、ここに出入りしても不思議はないが、どうにもただごとじゃあなさそうだな?」
ヴァンゲルスの指摘に、カーリィは言葉を詰まらせる。
「無理に話せとは言わねぇが……俺でよければ相談に乗るぜ?」
ヴァンゲルスのその言葉をきっかけに、カーリィの目からは再び涙があふれ出た。
そのまま、カーリィはヴァンゲルスの胸に顔を預けてくる。
「まぁ、なんだ。ここじゃ人目につく。場所を移すか」
よほどの事情があるのだろうとヴァンゲルスも察し、ひとまず自身のとっている宿へカーリィを連れて行くことにしたのだった。
●
「落ち着いたか? それじゃ、さっそく訳を聞かせて貰おうじゃねえか」
ヴァンゲルスは寝室の隅にあるベッドにどっかと腰を下ろし、カーリィへは椅子を勧めていた。
「……いよいよ、わたくしの結婚が決まりましたの」
この時点で、カーリィが打ち明けた事情もヴァンゲルスはうっすらと予感はしており。
最初に抱いたのも、いよいよか、という感想だった。
半ば、覚悟はしていた。
カーリィが最悪の事態を回避すべく頑張っているのはヴァンゲルスも知っていたが、容易い道ではないのも分かっていた。
「ヴァンさん――わたくしにこれ以上、なにができるというのでしょう」
カーリィは憔悴しきった様子で、弱音を零す。
「そうだな――カーリィ、お前さん自身はどうしたい?」
ヴァンゲルスは膝に肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せるとカーリィの目を真っすぐに見つめた。
「わたくしは――今となってはどうしたいだなんて、分かりませんわ」
眼差しを受けることに耐えかねてか、カーリィは視線を自らの膝に落とす。
「じゃあ、聞き方を変えようじゃねぇか。お前さんは、この結果に納得してるのか?」
しかしヴァンゲルスは鋭い眼光でカーリィを射抜いたまま、問うた。
「納得だなんて――できるはずがありませんわ!」
これにはカーリィも椅子から勢いよく立ち上がるほどの強い反応を見せる。
「親に強いられた人生を歩まされて。それに――」
好いた殿方と添い遂げることも許されないだなんて、とカーリィは最後に小さく呟いた。
か細く付け加えられた言葉を、ヴァンゲルスは耳ざとく聞きつけると。
ふっ、と小さく笑った。
「ならカーリィ。勝負をしてみる気はないか?」
ヴァンゲルスは悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、カーリィにこのような提案をした。
「勝負?」
カーリィは何を言われているのか分からない様子で、きょとんとしている。
無理もない。
肝心の説明はこれからだから。
「人生そのものを賭けた大勝負だ。それこそ比喩ではなく負ければ全て失うような、な」
そこでヴァンゲルスは懐から一枚のコインを取り出し、指ではじいてみせる。
ヴァンゲルスが何か大きな賭けに出ようとする際に見せる、いつもの仕草だ。
「――それでは、勝てば?」
話のスケールの大きさに、カーリィは息を呑みながらも最も大切なことを聞く。
「お前さんの望むものが手に入るだろうさ」
ヴァンゲルスの答えに、目を見開くカーリィ。
「それだとヴァンさんは――」
これでカーリィも全てを理解したのだろう。
その視線はヴァンゲルスに釘付けとなったまま、動かない。
「どうだ、賭るか?」
それでもヴァンゲルスはニヤリと歯を見せた表情のままだった。
そうだ、なぜ今までこんな胸の躍るような大勝負を見逃していたのだろう。
歳の差がなんだ。身分の違いがなんだ。
そのようなもの、勝負から逃げ出すための言い訳に過ぎない。
カーリィを巻き込むことを恐れていたのは確かだ。
しかし、その結果がカーリィの不幸に繋がると知った今では。
なんら、遠慮する理由などありはしない。
己の人生を賭けられずして、何が勝負師か。
「――分かりました。わたくしはヴァンさん、あなたへ己の全てを賭けましょう」
そしてこのときには、カーリィの目にも覚悟の光が宿っていた。
「よし、決まりだ! 俺と一緒に来い、カーリィ!」
ここでヴァンゲルスも立ち上がり、カーリィの手を握る。
その手に引き寄せられたカーリィは、ヴァンゲルスの胸の中に納まったのだった。
●
石橋の描くアーチの下を、川が潜り抜けている。
おだやかな時の流れを表すように、水はゆるやかに流れ行く。
茜色の空を、櫨染色の風が転がって。
はらり。
色づいた葉がひとひら、川面に波紋を広げた。
それを追いかけるように、もう一葉。
二枚の葉は、仲睦まじく並んで川に運ばれていく。
その様を、橋の上から二人。
ヴァンゲルスとカーリィは寄り添いながら眺めていた。
「あれから、もう一年も経ちますのね」
カーリィが身を包む装束は、以前よりはるかに質素になった。
それでも巻き毛の金髪を揺らし、顔立ちにどこかあどけなさを残す彼女は美しい。
少なくとも、ヴァンゲルスはそう考えていた。
「ああ。あっという間だったな」
ヴァンゲルスはカーリィの見つめる先を視線で追いながら、答える。
駆け落ちすることを決めてからというものの、二人の生活は一変した。
カーリィは貴族としての暮らしを捨て去ることになったし。
ヴァンゲルスも冒険者としての仕事を失った。
それまで溜め込んできた私財を持ち出すこともできていないし。
なんなら、ヴァンゲルスは最後に受けていた依頼の報酬さえ受け取っていないのだ。
それでも。
二人は幸せを感じていた。
これまで互いに逢うこともままならなかった間柄であったのが。
今では、常日頃から隣に相手がいる。
なにより、もはや想い人に触れるのに何の気兼ねもいらないというのは、幸福の条件として十分余りあるものであった。
「――家の者たちには、ずいぶん悪いことをしてしまいましたけれど」
とはいえ、カーリィも自らに無理を押し付けてきた父親に対してはともかく、混乱に巻き込まれたであろう従者たちには流石に申しわけなさを感じているらしい。
「ま、いいんじゃねえか。これを機にいっそ新しい職についたほうがかえってあいつらのため、ってこともあるだろ」
ヴァンゲルスはカーリィを元気づけるように、背をポンとたたいた。
カーリィの気がかりになってはいけないと、裏で築き上げていた情報網を駆使して調べておいたが。
あの日、馬車の番をしたまま待ちぼうけをさせてしまった従者も屋敷から解雇されこそしたが、今では新しい職場でそこそこ元気にやっているようだった。
「それならいいのですが――」
と、カーリィは不意に口元を手で押さえる。
「どうした?」
ヴァンゲルスはカーリィを気遣って、腰のあたりをさすってやる。
「いえ、少し具合が――もう、大丈夫ですわ」
うつむいていたカーリィであったが、やがて姿勢を正す。
「本当に大丈夫か? 無理だけはするなよ」
ヴァンゲルスからもカーリィは気分が優れないように見えたので、何か自分にできることはないか聞いてやった。
「そうですわね――なら、さっぱりさせるためになにか酸っぱいものが欲しいでしょうか」
カーリィがそのように乞うたので、ヴァンゲルスは手直に開かれていた露店へと向かった。
赤、黄、緑に彩られた棚の中から。
ヴァンゲルスは楕円形の黄色い果実を手にして、店主へ代金を払う。
「ほら、買ってきてやったぞ」
ヴァンゲルスは買ったばかりの檸檬の表面を布で拭うと、カーリィへと渡してやった。
カーリィの細い指が、檸檬に絡む。
そのままカーリィの口元へ運ばれた檸檬に、噛み跡が刻まれた。
「――美味しい」
カーリィはポツリとそう零すと。
齧られた檸檬を、日の光にかざした。
「眩しい、ですわね」
「ああ、眩しいな」
カーリィとヴァンゲルスは共に空を見上げ、目を細める。
きっとこれからも、二人は様々な困難に見舞われるだろう。
しかし、二人であれば、なんであれ乗り越えられるような気がした。
いや、いっそ。
二人であれば、共に果てるのすら悪くない。
少なくとも言えるのは。
もはや二人の間を分てるものは何もない、ということだ。
たとえ地が裂けようと、二人は共に奈落へ堕ちることを選ぶだろう。
たとえ空が裂けようと、二人は共に宙へ呑まれることを選ぶだろう。
カーリィが己の全てを賭けるといった言葉に、嘘はない。
ヴァンゲルスにとっても、同じ。
カーリィに付いて来いと言った以上、その責任は全うするつもりだ。
美しい夕日は、いつまでも、いつまでも飽きることなく眺めていることができて。
二人は日が沈み切るその時まで、橋の上にいた。
夜の帳が降り、いよいよ棲家に戻ろうとして振り返ると。
丸々と太った月が空に上がっているのが見えるのだった。
●
これは数ある分かれ道、その先の一つ。
こうして二人が共にここへ辿り着く未来もあれば、それぞれの道を歩む未来もあったに違いない。
しかしいずれも、二人がその道へ賭けた結果である。
全ての選択肢に賭けることは叶わない。
コインの裏表に同時に賭けては意味がないように。
なにかを選ぶということは、なにかを選ばないということの裏返しでもあるのだ。
この道でしか得られないような何かがあるだろう。
代わりに、この道では得られないような何かもあるだろう。
さあ、そのうえで。
どの未来に賭けたいと思うだろうか。
自ら選ぶという行為が許されるのは、そう。
ここ一番の大勝負に出られる者だけなのだ。
運命の岐路があった。
選び取ることのなかった、あの道を。
進んだ先には、何が待ち受けていたか。
今、それを描き出そう。
二人が手を取り合って歩む、物語を――。
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「それでは約束と違いますわ!」
貴族令嬢、カーリィ・ブロンドは詰め寄っていた。
娘たる自らへの無理解が極まる、己が父へと。
「もとより私は、待つ、としか言っていないはずだ」
しかし、カーリィの父は眉一つ動かすことなく答えてのける。
「違うか?」
勝ち誇ったように顎を上げる父に、カーリィは憤懣やるかたない思いを覚えた。
当時の言い回しの件についてならば、父の言い分が間違ってはいないだけに、ますます。
カーリィは慙愧の念を抱く。
ああ、自分はやはり愚かであった。
領地の経営難に伴い、望まぬ婚約を結ばされそうになった。
勉学に励み、諸問題の解決に取り組むことを条件に、一時の猶予を手に入れた。
しかし、あくまで猶予は猶予に過ぎなかった。
止まっていた時計の針は再び、時を刻み出す。
領地経営状況の悪化を理由に、父はいよいよカーリィの婚約を取り決めてしまったのだ。
そこに、カーリィの意思が入り込む余地はない。
この父にとって、娘はただの所有物に過ぎないのである。
父の決めた嫁ぎ先は貴族派貴族の他家、その次男。
ずいぶんと羽振りはよいようだが、人物的によい噂は聞かない。
むしろ、悪い噂に事欠かないと言ってもよい。
この家にカーリィが嫁ぎ、太い繋がりを得れば、確かに領地の経営は上向くであろう。
代わりに、カーリィが一人の女として幸せを得ることは望むべくもない。
「お父様のわからず屋!」
たまらずカーリィは父に背を向けて駆け出した。
踵の高い靴を履いていて躓きかけたが、それにも構わず一目散に。
「どちらがわからず屋だ、このじゃじゃ馬め――」
苦虫を噛み潰したような父の呟きを背に受けながら、カーリィは部屋を出るのだった。
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カーリィは従者に命じて、馬車を走らせていた。
窓の外で、街並みが後ろへ後ろへと過ぎ去っていく。
そのことはまるで、自分の今までが全て過去になっていくことを表すようで。
でも実際は、カーリィが向かい、馬車から降りたったのは思い出の土地だった。
だからどちらかと言えば、カーリィが置き去りにしてきたものは未来とも言える。
パンクリアース学園。
貴族の子女や、有力貴族に目を掛けられた者たちの学び舎。
しかし今では、校門を出入りする学生の中には冒険者などの姿もある。
近年では学園長の意向もあり、その門戸はかつてより広げられているのだ。
カーリィが学園で青春を過ごしたのは、ちょうど学園が激動の最中にある頃だった。
あの頃のカーリィは、生徒会選挙で貴族派の生徒が有利になるようにと同級生に働きかけようとしたりなどもした。
ちょうど、そんな折であった。
冒険者たちとの出会いがあったのは。
それと同時に、カーリィは仲間と卓を囲むことの楽しさを知った。
父に命ぜられるがままに貴族の権利を守ることしか考えてこなかったカーリィにとって、それは目から鱗が落ちるかのような鮮烈な体験であった。
ただ社交のためではない、心からの笑顔がそこにはあると教えられた。
それは卓上遊戯部に関わったことがそもそものきっかけではあったが、そのときカーリィが実際に接した相手こそ冒険者たちであった。
その中に、特にカーリィの憧れた男がいた。
今だって、目を閉じればその姿をありありと思い浮かべることができる。
「ヴァンさん――」
思わず、その名がカーリィの口をついて出た。
一筋の涙が頬を伝う。
もう、あの頃には戻れないと頭では分かっている。
それでも、カーリィは願わずにいられなかった。
叶うことなら、せめてもう一度だけでも――。
ひとしきり泣いてカーリィが瞼を開くと、滲んだ景色の中に。
ヴァンゲルス・ロッドその人が、立っていた。
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「どうした? お前さんがまたここにいるたぁな」
この邂逅は、ヴァンゲルスにとっても意外なものであった。
なにせカーリィはとうに学園を卒業したのだ。
こうして校門の前にいるのも、なにも通学の途中というわけではあるまい。
「わたくしは――いえ、ヴァンさんこそなぜこちらに?」
顔を上げたカーリィの目は潤んでいた。
先程までむせび泣いていたのだ、無理もない。
「俺は相も変わらず冒険者稼業だからな」
ヴァンゲルスは学園から冒険者ギルドへ出された依頼を受けて、この地を訪れていた。
もともと、ヴァンゲルスがはじめに学園に出入りするようになったのも、依頼を受けた冒険者としてだ。
そうでもなければ、貴族を中心としたこの学園に立ち入る機会はなかったであろう。
ヴァンゲルスは単に平民という以上に、貧しい出自を持っていたのだから。
「それよりもカーリィ、お前さんだ。卒業生だし、貴族だしで、ここに出入りしても不思議はないが、どうにもただごとじゃあなさそうだな?」
ヴァンゲルスの指摘に、カーリィは言葉を詰まらせる。
「無理に話せとは言わねぇが……俺でよければ相談に乗るぜ?」
ヴァンゲルスのその言葉をきっかけに、カーリィの目からは再び涙があふれ出た。
そのまま、カーリィはヴァンゲルスの胸に顔を預けてくる。
「まぁ、なんだ。ここじゃ人目につく。場所を移すか」
よほどの事情があるのだろうとヴァンゲルスも察し、ひとまず自身のとっている宿へカーリィを連れて行くことにしたのだった。
●
「落ち着いたか? それじゃ、さっそく訳を聞かせて貰おうじゃねえか」
ヴァンゲルスは寝室の隅にあるベッドにどっかと腰を下ろし、カーリィへは椅子を勧めていた。
「……いよいよ、わたくしの結婚が決まりましたの」
この時点で、カーリィが打ち明けた事情もヴァンゲルスはうっすらと予感はしており。
最初に抱いたのも、いよいよか、という感想だった。
半ば、覚悟はしていた。
カーリィが最悪の事態を回避すべく頑張っているのはヴァンゲルスも知っていたが、容易い道ではないのも分かっていた。
「ヴァンさん――わたくしにこれ以上、なにができるというのでしょう」
カーリィは憔悴しきった様子で、弱音を零す。
「そうだな――カーリィ、お前さん自身はどうしたい?」
ヴァンゲルスは膝に肘をつき、組んだ手の甲に顎を乗せるとカーリィの目を真っすぐに見つめた。
「わたくしは――今となってはどうしたいだなんて、分かりませんわ」
眼差しを受けることに耐えかねてか、カーリィは視線を自らの膝に落とす。
「じゃあ、聞き方を変えようじゃねぇか。お前さんは、この結果に納得してるのか?」
しかしヴァンゲルスは鋭い眼光でカーリィを射抜いたまま、問うた。
「納得だなんて――できるはずがありませんわ!」
これにはカーリィも椅子から勢いよく立ち上がるほどの強い反応を見せる。
「親に強いられた人生を歩まされて。それに――」
好いた殿方と添い遂げることも許されないだなんて、とカーリィは最後に小さく呟いた。
か細く付け加えられた言葉を、ヴァンゲルスは耳ざとく聞きつけると。
ふっ、と小さく笑った。
「ならカーリィ。勝負をしてみる気はないか?」
ヴァンゲルスは悪戯っぽい笑みを浮かべたまま、カーリィにこのような提案をした。
「勝負?」
カーリィは何を言われているのか分からない様子で、きょとんとしている。
無理もない。
肝心の説明はこれからだから。
「人生そのものを賭けた大勝負だ。それこそ比喩ではなく負ければ全て失うような、な」
そこでヴァンゲルスは懐から一枚のコインを取り出し、指ではじいてみせる。
ヴァンゲルスが何か大きな賭けに出ようとする際に見せる、いつもの仕草だ。
「――それでは、勝てば?」
話のスケールの大きさに、カーリィは息を呑みながらも最も大切なことを聞く。
「お前さんの望むものが手に入るだろうさ」
ヴァンゲルスの答えに、目を見開くカーリィ。
「それだとヴァンさんは――」
これでカーリィも全てを理解したのだろう。
その視線はヴァンゲルスに釘付けとなったまま、動かない。
「どうだ、賭るか?」
それでもヴァンゲルスはニヤリと歯を見せた表情のままだった。
そうだ、なぜ今までこんな胸の躍るような大勝負を見逃していたのだろう。
歳の差がなんだ。身分の違いがなんだ。
そのようなもの、勝負から逃げ出すための言い訳に過ぎない。
カーリィを巻き込むことを恐れていたのは確かだ。
しかし、その結果がカーリィの不幸に繋がると知った今では。
なんら、遠慮する理由などありはしない。
己の人生を賭けられずして、何が勝負師か。
「――分かりました。わたくしはヴァンさん、あなたへ己の全てを賭けましょう」
そしてこのときには、カーリィの目にも覚悟の光が宿っていた。
「よし、決まりだ! 俺と一緒に来い、カーリィ!」
ここでヴァンゲルスも立ち上がり、カーリィの手を握る。
その手に引き寄せられたカーリィは、ヴァンゲルスの胸の中に納まったのだった。
●
石橋の描くアーチの下を、川が潜り抜けている。
おだやかな時の流れを表すように、水はゆるやかに流れ行く。
茜色の空を、櫨染色の風が転がって。
はらり。
色づいた葉がひとひら、川面に波紋を広げた。
それを追いかけるように、もう一葉。
二枚の葉は、仲睦まじく並んで川に運ばれていく。
その様を、橋の上から二人。
ヴァンゲルスとカーリィは寄り添いながら眺めていた。
「あれから、もう一年も経ちますのね」
カーリィが身を包む装束は、以前よりはるかに質素になった。
それでも巻き毛の金髪を揺らし、顔立ちにどこかあどけなさを残す彼女は美しい。
少なくとも、ヴァンゲルスはそう考えていた。
「ああ。あっという間だったな」
ヴァンゲルスはカーリィの見つめる先を視線で追いながら、答える。
駆け落ちすることを決めてからというものの、二人の生活は一変した。
カーリィは貴族としての暮らしを捨て去ることになったし。
ヴァンゲルスも冒険者としての仕事を失った。
それまで溜め込んできた私財を持ち出すこともできていないし。
なんなら、ヴァンゲルスは最後に受けていた依頼の報酬さえ受け取っていないのだ。
それでも。
二人は幸せを感じていた。
これまで互いに逢うこともままならなかった間柄であったのが。
今では、常日頃から隣に相手がいる。
なにより、もはや想い人に触れるのに何の気兼ねもいらないというのは、幸福の条件として十分余りあるものであった。
「――家の者たちには、ずいぶん悪いことをしてしまいましたけれど」
とはいえ、カーリィも自らに無理を押し付けてきた父親に対してはともかく、混乱に巻き込まれたであろう従者たちには流石に申しわけなさを感じているらしい。
「ま、いいんじゃねえか。これを機にいっそ新しい職についたほうがかえってあいつらのため、ってこともあるだろ」
ヴァンゲルスはカーリィを元気づけるように、背をポンとたたいた。
カーリィの気がかりになってはいけないと、裏で築き上げていた情報網を駆使して調べておいたが。
あの日、馬車の番をしたまま待ちぼうけをさせてしまった従者も屋敷から解雇されこそしたが、今では新しい職場でそこそこ元気にやっているようだった。
「それならいいのですが――」
と、カーリィは不意に口元を手で押さえる。
「どうした?」
ヴァンゲルスはカーリィを気遣って、腰のあたりをさすってやる。
「いえ、少し具合が――もう、大丈夫ですわ」
うつむいていたカーリィであったが、やがて姿勢を正す。
「本当に大丈夫か? 無理だけはするなよ」
ヴァンゲルスからもカーリィは気分が優れないように見えたので、何か自分にできることはないか聞いてやった。
「そうですわね――なら、さっぱりさせるためになにか酸っぱいものが欲しいでしょうか」
カーリィがそのように乞うたので、ヴァンゲルスは手直に開かれていた露店へと向かった。
赤、黄、緑に彩られた棚の中から。
ヴァンゲルスは楕円形の黄色い果実を手にして、店主へ代金を払う。
「ほら、買ってきてやったぞ」
ヴァンゲルスは買ったばかりの檸檬の表面を布で拭うと、カーリィへと渡してやった。
カーリィの細い指が、檸檬に絡む。
そのままカーリィの口元へ運ばれた檸檬に、噛み跡が刻まれた。
「――美味しい」
カーリィはポツリとそう零すと。
齧られた檸檬を、日の光にかざした。
「眩しい、ですわね」
「ああ、眩しいな」
カーリィとヴァンゲルスは共に空を見上げ、目を細める。
きっとこれからも、二人は様々な困難に見舞われるだろう。
しかし、二人であれば、なんであれ乗り越えられるような気がした。
いや、いっそ。
二人であれば、共に果てるのすら悪くない。
少なくとも言えるのは。
もはや二人の間を分てるものは何もない、ということだ。
たとえ地が裂けようと、二人は共に奈落へ堕ちることを選ぶだろう。
たとえ空が裂けようと、二人は共に宙へ呑まれることを選ぶだろう。
カーリィが己の全てを賭けるといった言葉に、嘘はない。
ヴァンゲルスにとっても、同じ。
カーリィに付いて来いと言った以上、その責任は全うするつもりだ。
美しい夕日は、いつまでも、いつまでも飽きることなく眺めていることができて。
二人は日が沈み切るその時まで、橋の上にいた。
夜の帳が降り、いよいよ棲家に戻ろうとして振り返ると。
丸々と太った月が空に上がっているのが見えるのだった。
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これは数ある分かれ道、その先の一つ。
こうして二人が共にここへ辿り着く未来もあれば、それぞれの道を歩む未来もあったに違いない。
しかしいずれも、二人がその道へ賭けた結果である。
全ての選択肢に賭けることは叶わない。
コインの裏表に同時に賭けては意味がないように。
なにかを選ぶということは、なにかを選ばないということの裏返しでもあるのだ。
この道でしか得られないような何かがあるだろう。
代わりに、この道では得られないような何かもあるだろう。
さあ、そのうえで。
どの未来に賭けたいと思うだろうか。
自ら選ぶという行為が許されるのは、そう。
ここ一番の大勝負に出られる者だけなのだ。