『てゅ~る』 涙のカニ味
キャラクターノベル制作 大和気 いぐる納品 2021年01月27日 18時09分07秒
エシギは、見てしまった。
紋具工房の倉庫の奥の奥っこ。
隠すように、木板の影に置かれた箱。
それは、味の宝石箱だった。
燦然と輝く、箱に書かれた商品名。
『てゅ~る カニ・セレクトパック』
数ヶ月前、エシギは、冒険者としての仕事で『てゅ~る』を知った。
とある町の食料品店が開発した、冒険者向け携帯食である。
これがとにかく、猫系ハーフビーストに大評判なのだ。
エシギにとっても、お気に入りのおやつになった。
だが、問題は。なかなか買えないのだ。
人気なのもそうだが、他のお店で売っていない。
携帯食とはいっても、一ヶ月程度しか保たない。
そんなに頻繁に買いに行けない時もある。
エシギは、ここ数日『てゅ~る』のストックを切らしていた。
悶々とした、灰色のおやつライフを送っていたのである。
そこに、これである。
(あっ、あっ……ああぁぁ……!)
口の中が、唾液であふれそうになった。
たぶん、なんか、すごく。
今の自分は、気持ち悪い顔で笑っている気がする。
かぎシッポをぶるぶる震わせつつ、エシギは箱に手をのばした。
(はっ……!!)
そこでようやく、我に返る。
これは、自分が買ったものではない。
誰の? 決まっている。紋具工房の親方のものだろう。
だが、なぜドワーフの彼が、これを?
『エシギよ。俺は今、とても感動している』
『はい』
『今回の製品の出来栄え、想像以上だった。頑張ったな』
『はい』
『お前、これ、好きだったろう。よかったら食べてくれ』
『えっ、いいんですか!?』
『いいとも、いいとも。全部お前のものだぞう。ハッハッハ』
いや、ないな。
こんなに師匠は愛想よくないし。ちょっと口調も気持ち悪い。
でも、うん。弟子へのご褒美が、絶対にないとは言い切れない。
いわゆるサプライズってやつだ。
だから、こんなところにコッソリ隠しているのだ。
エシギは、めずらしくポジティブに、そう結論づけた。
だが。待てど暮らせど。
エシギに『ご褒美』が与えられることはなかった。
「じゃあ、今日はこれであがりだ」
「お疲れ様でした……」
親方のずんぐりした背中を見送り、エシギはため息をついた。
「……ちょっと。掃除のジャマ。
片付け当番あたしなんだから、出てってよ」
文句をつけてきたのは、親方の娘、エリシフだ。
関係は相弟子に近いが、ちょっと違う。
彼女はエーテルを扱うことができない。
でも手先は器用なので、紋具の素体づくりを手伝っていた。
エシギもまだ、紋具にエーテルを込める技術は教わっていない。
だから、工房でやっていることは彼女とさして変わらない。
木工・彫金・鍛冶。もちろん、おつかいや雑用も。
時々思う。
師匠は、娘のほうを弟子にしたかったんじゃないか、と。
「はあぁあ……」
そんなことを考えると、ますます気が滅入った。
「なんなのよもう! ……ここのところ、おかしくない?」
口調はキツいが、心配してくれるあたり、悪い子ではない。
だが、エシギにそのあたりを受け入れる度量は、まだなかった。
というか、心配されていることに、気づいていない。
「別に……どうでもいいじゃないですか」
ハハッ。
自嘲したつもりが、まるで相手を馬鹿にしているみたいな声が漏れた。
あ、まずいかな。と気づいた時には遅くて。
ムッカァ。
そんな文字が頭の上に乗っているのが見えるようだ。
「ふーん! あっそう! ほんと、どうでもいいわ!
はやく、どっか行きなさいよ!!」
すごい剣幕で、箒を振り回されて、怒鳴られた。
言われなくても。
理不尽さと、罪悪感と、自己嫌悪を感じつつ。
エシギは自分の道具をまとめて、作業場を出ようとした。
「ちょっと」
「……まだなにか?」
「……別にどうでもいいけど、帰りに裏庭みてけば」
「……?」
裏庭に、何があるというのだろうか。
あれだけ怒っていたのに。
それでもわざわざ言うあたり、何かはあるのだろう。
にゃーん。
猫の甘え声が聞こえてきた。
「おー、よしよし。元気でちゅね~」
エシギは、見てはいけないものを、見てしまった。
文字通りの猫撫で声を出して、だらしない笑顔になっている師匠。
かなり気持ちが悪いが、見てはいけないのは、それではなかった。
にゃ~ん。
ぺろぺろぺろぺろ。
猫たちが、一心不乱に舐めしゃぶっているのは。
(ぼ、僕の『てゅ~る』……!!)
いやいや、僕のじゃない。
セルフ突っ込みを入れられるくらいに、エシギの理性は残っていた。
『てゅ~る』は自分のものじゃない。OK。
でもなんで、僕じゃなくて、猫にあげてるんだ。
決まってる。僕より猫のほうが大事だからだ。
いや、決まってない。そもそも僕の好物だなんて親方は知らない。
待て待て、何でわざわざエリシフは僕に、ここを?
すなわち、あの子には僕の好物は知れてた?
ああ、なんかすごく。すごく、みっともない。
師匠だって、きっと知ってたんだ。
やっぱり猫のほうが、僕より大事なんだ。
それなのに『ご褒美』が貰えるなんて浮かれて。
僕はエリシフどころか、猫以下なのだ。
僕は馬鹿だ。間抜けだ。もういやだ。なんで、いつもこうなんだ。
エシギの頭脳は、ものすごい速度で回転した。
主に、悪い方へ。
それから、エシギは拗ねに拗ねた。
けれども、仕事はサボらない程度のプライドはあった。
だけど、子供じみた態度が抑えられるほどでもなく。
親方も、エリシフも、微妙に気を使ってくれているのが、わかった。
それがまた、腹立たしい。
もちろん、腹が立つのは自分に対してだ。
「おい、エシギ」
「……はい」
とんでもなく、暗い声が出た。
親方はため息をついた。
「これから『仕上げ』に入る。見てけ」
エシギは、ぱっと顔を上げた。
紋具にエーテルを込める作業に入るのだ。
ここ数日、エシギは小さなキャビネットを作っていた。
隙間ができたりしないことを厳命され、何度も作り直した。
精神状態は最悪だったが、最終的な出来は悪くないはずだ。
いつ見ても、紋具が出来上がる様は、いいものだ。
キャビネットの上側に取り付けられた、媒体の青い宝玉。
親方が念を込めれば、そこに向かってエーテルが流れ込む。
同時に、涼しい風が工房を巡り、キャビネットに吸い込まれていった。
たぶん、料理店などで食品保管に使われる紋具だ。
隙間ができないよう言われていたのは、冷気を逃さないためか。
澄んだエーテルに触れたせいか、気分はだいぶん落ち着いた。
「もうすぐ、お客さんが引取りに来る。仕上げ拭きしといてくれ」
「ハイ!」
はぎれ良くなったエシギの返事に、親方はうなずいた。
そして、訪れた『お客さん』を見て、エシギは仰天した。
「い、イナダさん……!?」
柔和な笑みを浮かべる男性。
イナダ食料品店の主。他ならぬ『てゅ~る』の開発者である。
「エシギ君じゃないか。いやあ、驚いた」
聞けば、『てゅ~る』のヒットで、それなりの余裕ができたという。
少々値は張るが、保冷紋具があれば材料や売り物の保存がきく。
そういうこともあって、購入を思いたったのだとか。
「そっかあ。冒険者は副業だったんですね」
ほほえまれて、急にエシギはいたたまれなくなった。
自分は、ここ数日、イナダさんに渡す紋具を作っていたのだ。
なのに。あんな、ねじくれた気持ちでいた。
もし、イナダさんのものだと知っていたら、もっと……。
ダメだ。このまま製品を受け取ってもらうなんて、できない。
「す、すみません、イナダさん……」
事情を話すのには、とんでもない勇気がいった。
けれど、黙っているよりは、マシだった。
イナダ氏は、黙って話を聞いてくれた。
途中、親方が怒鳴りかけたところを、なだめてさえくれた。
そんな優しさまで利用している気がして、ますます申し訳なくなった。
「ええとね。エシギ君。悪いけど」
エシギは、びくんと身をすくませた。
「僕はね、親方さんのほうを、信じます。
だから、この紋具はこのまま、受け取りますね」
「え……!?」
わけがわからず、目をみはる。
「だって、エシギ君は、まだ見習いなんでしょう?
この品は、親方さんが問題ないって、判断して、僕に売ったんです。
だから、僕はそちらを信じます」
自分より師匠を信じるのは当然だ。でも。
「気持ちと品物の出来は、別物だと、僕は思います。
だから、気持ちは、お客さんのためじゃなく。
自分のために、整えるものなんだと、思います。
作ったものに、あとあと、自分で後悔しないために」
接客だと、また話は違ってくるんですけどね。
そうつけ加え、イナダ氏は笑った。
少なくとも、エシギはそれに反論する術を持たなかった。
製品の受け渡しを終え、イナダ氏が帰ったあと。
「……いい、お客さんで、助かったな」
仏頂面で親方が言った。
たぶん、もっと言いたいことはあるのだろうが。
「はい……」
「もう、あんな馬鹿なこと、客に言うんじゃないぞ」
「はい……」
「それからな、何だっけか。あの『てゅ~る』ってやつ」
大好物の名前に、エシギの耳がぴくりと動いた。
「その……悪かったな。
うまそうに食ってたのは知ってたが、そこまでの好物だったとは」
そういえば。
夢中で忘れていたが、師匠の前で色々と白状してしまったのだった。
エリシフどころか、猫に嫉妬して拗ねていたこととか。
あれこれ。こじらせた。みっともないことを。
「あぁぁうううぅ……」
恥ずかしさで、へんな声が出た。
結局、また凝りもせず、エシギは拗ねた。
「め、めんどくさいやつ……」
「おとーさんが、とった弟子でしょ」
その後、親方が残りの『てゅ~る』を残らず差し出して。
それで、なんとか機嫌をなおしたのだった。
大好物のはずの『てゅ~る』カニ味が、少し、しょっぱく感じた。
紋具工房の倉庫の奥の奥っこ。
隠すように、木板の影に置かれた箱。
それは、味の宝石箱だった。
燦然と輝く、箱に書かれた商品名。
『てゅ~る カニ・セレクトパック』
数ヶ月前、エシギは、冒険者としての仕事で『てゅ~る』を知った。
とある町の食料品店が開発した、冒険者向け携帯食である。
これがとにかく、猫系ハーフビーストに大評判なのだ。
エシギにとっても、お気に入りのおやつになった。
だが、問題は。なかなか買えないのだ。
人気なのもそうだが、他のお店で売っていない。
携帯食とはいっても、一ヶ月程度しか保たない。
そんなに頻繁に買いに行けない時もある。
エシギは、ここ数日『てゅ~る』のストックを切らしていた。
悶々とした、灰色のおやつライフを送っていたのである。
そこに、これである。
(あっ、あっ……ああぁぁ……!)
口の中が、唾液であふれそうになった。
たぶん、なんか、すごく。
今の自分は、気持ち悪い顔で笑っている気がする。
かぎシッポをぶるぶる震わせつつ、エシギは箱に手をのばした。
(はっ……!!)
そこでようやく、我に返る。
これは、自分が買ったものではない。
誰の? 決まっている。紋具工房の親方のものだろう。
だが、なぜドワーフの彼が、これを?
『エシギよ。俺は今、とても感動している』
『はい』
『今回の製品の出来栄え、想像以上だった。頑張ったな』
『はい』
『お前、これ、好きだったろう。よかったら食べてくれ』
『えっ、いいんですか!?』
『いいとも、いいとも。全部お前のものだぞう。ハッハッハ』
いや、ないな。
こんなに師匠は愛想よくないし。ちょっと口調も気持ち悪い。
でも、うん。弟子へのご褒美が、絶対にないとは言い切れない。
いわゆるサプライズってやつだ。
だから、こんなところにコッソリ隠しているのだ。
エシギは、めずらしくポジティブに、そう結論づけた。
だが。待てど暮らせど。
エシギに『ご褒美』が与えられることはなかった。
「じゃあ、今日はこれであがりだ」
「お疲れ様でした……」
親方のずんぐりした背中を見送り、エシギはため息をついた。
「……ちょっと。掃除のジャマ。
片付け当番あたしなんだから、出てってよ」
文句をつけてきたのは、親方の娘、エリシフだ。
関係は相弟子に近いが、ちょっと違う。
彼女はエーテルを扱うことができない。
でも手先は器用なので、紋具の素体づくりを手伝っていた。
エシギもまだ、紋具にエーテルを込める技術は教わっていない。
だから、工房でやっていることは彼女とさして変わらない。
木工・彫金・鍛冶。もちろん、おつかいや雑用も。
時々思う。
師匠は、娘のほうを弟子にしたかったんじゃないか、と。
「はあぁあ……」
そんなことを考えると、ますます気が滅入った。
「なんなのよもう! ……ここのところ、おかしくない?」
口調はキツいが、心配してくれるあたり、悪い子ではない。
だが、エシギにそのあたりを受け入れる度量は、まだなかった。
というか、心配されていることに、気づいていない。
「別に……どうでもいいじゃないですか」
ハハッ。
自嘲したつもりが、まるで相手を馬鹿にしているみたいな声が漏れた。
あ、まずいかな。と気づいた時には遅くて。
ムッカァ。
そんな文字が頭の上に乗っているのが見えるようだ。
「ふーん! あっそう! ほんと、どうでもいいわ!
はやく、どっか行きなさいよ!!」
すごい剣幕で、箒を振り回されて、怒鳴られた。
言われなくても。
理不尽さと、罪悪感と、自己嫌悪を感じつつ。
エシギは自分の道具をまとめて、作業場を出ようとした。
「ちょっと」
「……まだなにか?」
「……別にどうでもいいけど、帰りに裏庭みてけば」
「……?」
裏庭に、何があるというのだろうか。
あれだけ怒っていたのに。
それでもわざわざ言うあたり、何かはあるのだろう。
にゃーん。
猫の甘え声が聞こえてきた。
「おー、よしよし。元気でちゅね~」
エシギは、見てはいけないものを、見てしまった。
文字通りの猫撫で声を出して、だらしない笑顔になっている師匠。
かなり気持ちが悪いが、見てはいけないのは、それではなかった。
にゃ~ん。
ぺろぺろぺろぺろ。
猫たちが、一心不乱に舐めしゃぶっているのは。
(ぼ、僕の『てゅ~る』……!!)
いやいや、僕のじゃない。
セルフ突っ込みを入れられるくらいに、エシギの理性は残っていた。
『てゅ~る』は自分のものじゃない。OK。
でもなんで、僕じゃなくて、猫にあげてるんだ。
決まってる。僕より猫のほうが大事だからだ。
いや、決まってない。そもそも僕の好物だなんて親方は知らない。
待て待て、何でわざわざエリシフは僕に、ここを?
すなわち、あの子には僕の好物は知れてた?
ああ、なんかすごく。すごく、みっともない。
師匠だって、きっと知ってたんだ。
やっぱり猫のほうが、僕より大事なんだ。
それなのに『ご褒美』が貰えるなんて浮かれて。
僕はエリシフどころか、猫以下なのだ。
僕は馬鹿だ。間抜けだ。もういやだ。なんで、いつもこうなんだ。
エシギの頭脳は、ものすごい速度で回転した。
主に、悪い方へ。
それから、エシギは拗ねに拗ねた。
けれども、仕事はサボらない程度のプライドはあった。
だけど、子供じみた態度が抑えられるほどでもなく。
親方も、エリシフも、微妙に気を使ってくれているのが、わかった。
それがまた、腹立たしい。
もちろん、腹が立つのは自分に対してだ。
「おい、エシギ」
「……はい」
とんでもなく、暗い声が出た。
親方はため息をついた。
「これから『仕上げ』に入る。見てけ」
エシギは、ぱっと顔を上げた。
紋具にエーテルを込める作業に入るのだ。
ここ数日、エシギは小さなキャビネットを作っていた。
隙間ができたりしないことを厳命され、何度も作り直した。
精神状態は最悪だったが、最終的な出来は悪くないはずだ。
いつ見ても、紋具が出来上がる様は、いいものだ。
キャビネットの上側に取り付けられた、媒体の青い宝玉。
親方が念を込めれば、そこに向かってエーテルが流れ込む。
同時に、涼しい風が工房を巡り、キャビネットに吸い込まれていった。
たぶん、料理店などで食品保管に使われる紋具だ。
隙間ができないよう言われていたのは、冷気を逃さないためか。
澄んだエーテルに触れたせいか、気分はだいぶん落ち着いた。
「もうすぐ、お客さんが引取りに来る。仕上げ拭きしといてくれ」
「ハイ!」
はぎれ良くなったエシギの返事に、親方はうなずいた。
そして、訪れた『お客さん』を見て、エシギは仰天した。
「い、イナダさん……!?」
柔和な笑みを浮かべる男性。
イナダ食料品店の主。他ならぬ『てゅ~る』の開発者である。
「エシギ君じゃないか。いやあ、驚いた」
聞けば、『てゅ~る』のヒットで、それなりの余裕ができたという。
少々値は張るが、保冷紋具があれば材料や売り物の保存がきく。
そういうこともあって、購入を思いたったのだとか。
「そっかあ。冒険者は副業だったんですね」
ほほえまれて、急にエシギはいたたまれなくなった。
自分は、ここ数日、イナダさんに渡す紋具を作っていたのだ。
なのに。あんな、ねじくれた気持ちでいた。
もし、イナダさんのものだと知っていたら、もっと……。
ダメだ。このまま製品を受け取ってもらうなんて、できない。
「す、すみません、イナダさん……」
事情を話すのには、とんでもない勇気がいった。
けれど、黙っているよりは、マシだった。
イナダ氏は、黙って話を聞いてくれた。
途中、親方が怒鳴りかけたところを、なだめてさえくれた。
そんな優しさまで利用している気がして、ますます申し訳なくなった。
「ええとね。エシギ君。悪いけど」
エシギは、びくんと身をすくませた。
「僕はね、親方さんのほうを、信じます。
だから、この紋具はこのまま、受け取りますね」
「え……!?」
わけがわからず、目をみはる。
「だって、エシギ君は、まだ見習いなんでしょう?
この品は、親方さんが問題ないって、判断して、僕に売ったんです。
だから、僕はそちらを信じます」
自分より師匠を信じるのは当然だ。でも。
「気持ちと品物の出来は、別物だと、僕は思います。
だから、気持ちは、お客さんのためじゃなく。
自分のために、整えるものなんだと、思います。
作ったものに、あとあと、自分で後悔しないために」
接客だと、また話は違ってくるんですけどね。
そうつけ加え、イナダ氏は笑った。
少なくとも、エシギはそれに反論する術を持たなかった。
製品の受け渡しを終え、イナダ氏が帰ったあと。
「……いい、お客さんで、助かったな」
仏頂面で親方が言った。
たぶん、もっと言いたいことはあるのだろうが。
「はい……」
「もう、あんな馬鹿なこと、客に言うんじゃないぞ」
「はい……」
「それからな、何だっけか。あの『てゅ~る』ってやつ」
大好物の名前に、エシギの耳がぴくりと動いた。
「その……悪かったな。
うまそうに食ってたのは知ってたが、そこまでの好物だったとは」
そういえば。
夢中で忘れていたが、師匠の前で色々と白状してしまったのだった。
エリシフどころか、猫に嫉妬して拗ねていたこととか。
あれこれ。こじらせた。みっともないことを。
「あぁぁうううぅ……」
恥ずかしさで、へんな声が出た。
結局、また凝りもせず、エシギは拗ねた。
「め、めんどくさいやつ……」
「おとーさんが、とった弟子でしょ」
その後、親方が残りの『てゅ~る』を残らず差し出して。
それで、なんとか機嫌をなおしたのだった。
大好物のはずの『てゅ~る』カニ味が、少し、しょっぱく感じた。