【幻士郎】ある日、浪漫茶房の一角にて

四月カフェ狂想曲 イベントノベル(テーマ)卯月浪漫茶房制作 空根 漣納品 2024年05月19日 11時33分05秒

●9:00
 キャスト達は店内の掃除を済ませてのち、ホールに集う。昨日からの引継ぎと本日の連絡事項を皆で確認して、営業が始まった。
 最初の客は、ここのところ決まって同じ人だ。スポーツウェアに身を包んだ熟年夫妻。彼らは必ずこの店一番の茶葉を急須で注文した。
「おはようございます。今朝は日差しが強かったね。お冷を持ってこようか?」
 パタパタ、と片手で顔を扇ぐ様子があったから、幻士郎(バクル・バスリー)は夫妻へ訊ねた。すると男性の方が頷いて、笑みを零す。
「いつものお茶に氷をお願いできるかな」
「グラスに氷を入れて、二つ?」
「ああ、それで頼むよ」
「承りました」
 ニッコリ、と笑む幻士郎へ「いつもありがとうね」と女性の方が声を掛けた。こちらこそと応えて、二人の元から下がる。
 カウンターの前に立つと、傍で作業中だったキャストの一人が「いつものご夫妻?」と口を開いた。
「今準備するね、急須」
「ありがとう。グラス二つに氷を入れて欲しいんだ」
「氷? あ、そっか。今朝ちょっと暑かったもんね」
 幻士郎くんは気が利くねぇ、と褒められれば素直に嬉しい。
「あのご夫妻、ワンちゃんのお散歩してたのよね」
「そうなんだ? じゃあお店の外にいるのかな」
「ううん、虹の橋を渡っちゃったんだって。だからここへ寄るようになったって、この前教えて貰ったの」
 茶筒から茶葉を掬い、はかり、急須へサラサラと流し入れながら、そのキャストは夫妻から聞いた話を教えてくれた。
 犬と共に夫婦での朝の散歩が日課だった。暑い日も寒い日も、二人と一匹で仲良く散歩をしていたそうだ。散歩の途中で犬を休ませるのだけれど、それがだいたいいつもこの店の近くだった。だから、犬が居なくなってからの散歩でもこの辺りで一息つく習慣が出来ているらしい。
「きっとそのワンちゃんは、今も二人と一緒に休んでいるのだろうね」
「そうなら素敵だよね」
 出来たよ、とお盆に用意された氷入りのグラス二つと急須。幻士郎はそれらを受け取って、夫妻の元へと足を向けた。

●11:00
「いらっしゃいませ。今日は何にする?」
 にっこり、と少年のような可愛らしい笑顔で客を迎えた幻士郎は、お盆からテーブルへ湯飲みを静かにおろした。
 客の顔には見覚えがある。そう多くは無いが、何度か接客を担当した事のある人だ。いつも一人で来店して、ドリンクとデザートのセットを注文し、自分のペースでゆっくりと食べて、満足そうな笑みを残して帰って行く、常連客。
「外が少し暖かかったから、そろそろ氷菓子も美味しくなるね」
 世間話をきっかけに、いくつかメニューを勧める。新作の宣伝も忘れずに挟めば「じゃあそれ下さい」と言われた。笑顔で頷いて、メニュー表を下げる。
 注文を通そうと、ホールと厨房とを仕切るカウンターの前へ立った。何故だかそこにはシェフの被るコック帽が生えていたけれど。なんだろうコレは? と首を傾げる幻士郎に声が掛かる。
「オーダーなんだって?」
「……新作の氷菓子と薄茶のセット、だったよ」
 帽子が喋ったのかと思って少々驚いたが、何のことは無い。コック帽を被ったシェフが、厨房側のカウンター下に身を隠して目元だけを覗かせ、ホールの様子を窺っていたのだ。
「あいつスパイじゃないよな?」
「えっ、スパイ!? ……どうだろう? そんな様子はなかったよ?」
 幻士郎の返答に納得していないのか、シェフは暫く件の常連客をジィ、と見詰めた(にらんだ)後、そそくさと厨房の奥へ引っ込んでいった。
 何だったんだろう? とシェフの不思議な言動に疑問符を浮かべる。来店する客がスパイかそうでないかなんて考えた事も無かった幻士郎には、只々不思議な事をいうひとだなという印象しか残らなかった。

●閑話休題
「幻くん、それ片付けたら休憩入っていいよ~」
 ホールからパフェグラス二つを下げて来た幻士郎は、聞こえた声に「はーい」と返事をする。今日は左程混雑していないせいか、いつもより早めに休憩する事が出来そうだ。
 ふぅ、と息を吐きながらバックヤードへ向かう。と、店の裏口から外へ出ていくシェフの姿を見掛けた。あのシェフも今から休憩だろうか。
 ほてほてと尻尾を揺らしつつ、階段を登って、店舗二階にある休憩室の扉を開いた。テーブルと椅子と、小さな冷蔵庫。ポット型の電気式湯沸かし器は共用備品なので、使った人が必ず洗っておくという決まりがあった。
 窓際のテーブルに弁当を置き、椅子へ座る。風を通す為に隙間を空けた窓からは、丁度店舗の裏手を見下ろす事が出来た。
 そうしてふと見たそこに、先程裏口から外へと出て行ったシェフの姿を見付けた。
(あれ……? ご飯食べに行ったんじゃ、なかったんだ?)
 では何をしているのだろう。シェフの後ろ姿を眺めつつ、ぱこ、と弁当箱の蓋を取る。それと同時に、バチン! と盛大な平手打ちの音が響いた。その音が余りにも突然で、あまりにも大きなものだった故に、見ていた幻士郎も驚きにピョンと身体が跳ね、椅子から尻が少し浮いた。
 シェフの頭が左側へ動いたので、きっと対面している人は左利きなのだろう。いやそんな事を冷静に分析している場合ではない。ケンカが始まるのなら止めなければ。慌てて立ち上がり、ガラガラと窓を開く。すると、シェフの前から走り去る小柄な人の姿があった。
 窓の開いた音に気付いたシェフが、自身の右頬を片手で押さえつつ上向く。目が合うと、バツが悪そうに苦笑いが寄越された。

●14:00
 幻ちゃーん、と自身を呼ぶ幼い声に幻士郎は振り返り、視線を下げる。
「いらしゃいませ、小さなレディ」
 ツインテールをピコピコと揺らして駆け寄って来る少女の姿があった。彼女と視線の高さを合わせる為に片膝を付き、にっこり、と笑みを見せる。と、少女は駆ける速度そのままに幻士郎へ抱き着いた。
「おっ、とと。レディ、転んでしまうよ」
「幻ちゃん今日もかっこいいわね! はやくわたちをお嫁しゃんにちて!」
「こらこらチカちゃん、幻士郎さんはお仕事中なのよ」
 彼女の母親が慌てた様子で少女を幻士郎から引き剥がす。ごめんなさいね、と頭を下げる母親へ笑顔で応えて、むくれている小さなレディに声を掛けた。
「お嫁さんにする約束は出来ないけれど、きみの応援はとても嬉しいよ。いつもありがとう」
 若干笑みを戻したが、レディは機嫌をすぐに直さないつもりらしい。ぷい、とそっぽを向いた彼女は、だけれどチラチラと窺う視線を寄越している。
「今日の髪型はいつもと違って可愛らしいね、レディ。お召し物もきみにピッタリだ。お花のワッペンがとっても似合っているよ」
 素直に褒めると、満更でもない様子で彼女の顔が幻士郎へ向き直った。
「えしゅこーとちてくれたら、ゆるちてあげゆ!」
 差し出された右手。慌ててやめさせようとする母親を宥めてのち、幻士郎は小さなレディへ礼を取る。
「喜んで。こちらへどうぞ、レディ」
 立ち上がり、小さなレディの小さな片手を握った。ふにふにと柔らかく、暖かい小さな手。繋いで歩くには少々腰を曲げなければならなかったけれど、そんな些末事より小さくても立派なお客様に喜んで貰う事の方が重要だった。

●17:00
 二人組の若い男性客を案内していると、アレなんだろ、とか、テンション上がるわー、なんて楽しそうな会話が聞こえてきた。たぶん、こういうところ(コンセプトカフェ)に来ること自体が初めてなのだろう。
 席へ着き、メニュー表を開いてそれぞれに手渡す。彼らは渡されたメニュー表を食い入るように見始めた。
「注文はゆっくり決めて貰って大丈夫だよ」
「あの、俺ら初めてなんで、教えて貰っていっスか?」
「勿論だよ。ぼくにお手伝い出来る事ならなんでも言ってね」
 お盆から湯飲みとおしぼりをテーブルへおろしつつ、幻士郎は屈託のない笑顔で応える。その顔に安堵したのか、彼らもまた良い笑顔で「あざす!」「あざまっす!」と礼を述べた。
「じゃあ、えっと……。あんまり甘くない飲み物とか、あります? 出来ればクリームとかアイスが乗ってないと、いいなー、なんて……」
「コンカフェきといてそれはねーべ? こーいうとこってクリームもりもりのチョコソースたっぷり的な映え系スイーツが基本っしょ。ね、おにーさん?」
「そういうのもあるけれど、うちはどちらかと言うと甘さ控えめの物が多いよ。お抹茶や緑茶はラテにしない限り砂糖を足す事もしてないし」
 質問に答えれば、二人して「そうなんすか!?」と大層驚かれた。抹茶や緑茶は独特の苦みがある。それを万人の口に合うよう、砂糖等の甘味料を加えて飲みやすくしたドリンクは今や珍しくなかった。
「え、俺甘くない抹茶飲んだ事ねぇかも。だってめっちゃ苦いって聞くし」
「草の味がするってミキオ言ってたべ? あ、お店の悪口じゃねぇっす! 俺らホント知らないんで……」
「ううん、気にしないで。お抹茶は香りが良いんだ。上手に点(た)てればそれ程苦みを感じず、むしろ甘いよ」
 へぇぇぇ、と目を輝かせる彼らは、砂糖が入ってない抹茶の甘い味という物に興味を惹かれたらしい。季節の上生菓子と薄茶のセットを勧めれば、折角だから試してみる、と笑みを零した。

●19:00
 ごちそうさま、と笑みながら店を出ていく最後の客を見送って、本日の営業は無事終わりを迎えた。店の外に出してある看板を中へと仕舞い、扉に営業終了の札を掛ける。
 ホールの掃除を手伝っていれば、その場にいるキャスト達へ集まるよう呼ぶ声があった。掃除用具を片付けて向かうと、カウンターにはそれぞれのキャストへ宛てたファンレターが積み置かれている。

 “この前お勧めされた苺のあんみつ、とってもおいしかったです!”
 “先日は助けて頂いてありがとうございました”
 “あの時の幻士郎君カッコよかった~!”
 “チェキありがとう! また行きますね!”

 沢山の“ありがとう”と“美味しかった”が、幻士郎へ宛てたファンレターの中に綴られていた。

登場キャラクター

アーカイブ生成日時 2026年08月05日 14時56分25秒 ・ world0