いつか当たり前になるように
キャラクターノベル制作 弓月 蒼納品 2021年01月05日 10時31分37秒
●ある日の施療
――――その顔を見た瞬間。胸に去来した気持ちを何と表現すれば良いだろう。
そのホブゴブリンは見知った顔だった。相手は、恐らく彼を憶えてもいないだろう。
ゴールディの中を転々としている少年が、『シルバード』に居た時期は短い。
父親の事情もあってほんの小さな頃に少しだけ。だからそれは幼い記憶に過ぎない。
「相棒が、突然倒れて……!」
薬師として。薬を売って生活している少年の元へ相談が持ち込まれることは多い。
治療師は常に不足している。救いは、いつでも引く手あまただ。
いつもであれば、一拍も置かず駆けつけていただろう。
けれど、今回に限っては。本音を言えば少し。ほんの少しだけ――――逡巡した。
彼は、自分がかつて少年に何を言ったかも憶えていないに違いない。
そして其処に何の悪気も痛痒も無かったのだとすれば。
――――彼の相棒とやらは、少年にとっての患者でしかない。
●『はぐれ者』のゲトラウト
(――――何時も本ばっかり読んでおっかしいの!)
――――
(――――やーい、お前の父ちゃんはぐれ者ー!!)
――――――――
(――――混ざり物の末裔なんか珍しくないけど、アイツはなあ……)
――――――――――――
「――――ノーラ、行くぞ」
ヴォフ。と、白い艷やかな毛並みの雌狼が応じるように吼える。
そのゴブリンの少年は、書と文字とを隣人として。白狼を友として生きてきた。
自治領の、特に『シルバード』近郊では彼の父の名は知る人ぞ知る。
曰く、大恩あるドン・ゴーフルの傘下から抜けた"混ざり物"。
罪を侵すことを否とし、綺麗事ばかり抜かす『はぐれ者』のゲトラウト。
ドンの方針に逆らった『混ざり物』の恥晒し。それは、ゴールディに在って当然の認識だ。
何せ、彼らの社会は“効率的”な都市運用を大前提として存在している。
中でも『ブラックデス』の構成員は謂わば特権階級。絶対権力の代弁者だ。
本来であれば羨望の的であり、そこから抜けたとあっては言い訳などまるで意味を保たない。
人は自らの価値基準を崩そうとする者に対しては幾らでも辛辣に。攻撃的になれる。
とは言え――思うところこそ無いではないにせよ――それは、あくまで先祖の事情。
親元を離れた少年からすれば、すでに先代。関係の無い話の筈だ。
しかし残念ながら、エルフやドワーフらと異なり、ゴブリンの生育のスパンは短い。
彼からすれば20年近くも前の話。けれど、他種族からすればたった20年やそこらだ。
10歳そこそこで成人と見做されるゴブリン独自の生態系も考慮すれば、尚更。
その思考や思索、知性の成熟を経ずして社会に放り出される彼らの種族は――――必然として。
短絡的で暴力的。思慮に浅い者が決して少なくない。
そもゴールディという都市国家がそれらを許容しているのだ。仕方がない話ではある。
では何故、件のゴブリンの少年――――ゲルトが“そうではなかった”のか。
その所以はようと知れない。けれど、1つ間違いないことは。
彼の父親は良く、古家の片隅で本を開いていた。
紙面を辿る眼差しには確かな知性が宿り。時折彼の語る言もまた、人の善性に依る物だった。
おそらく、それをゲルト当人に指摘したとしたならば、少年はそれを否定するだろう。
けれど、彼がゴールディという己の故郷に感じる違和。漠然とした拒絶感。
"効率的"であることを最優先し"規範的"である価値を最底辺まで貶めたことへの反発。
根幹はそんなところにあるのだと。ゲルトが受け入れるにはまだ少々時間が掛かるだろう。
彼もまた、望む望まざると「はぐれてきた」蟠りは、そうそう容易に消せる訳もないのだから。
●薬師の役割
「ぐ、うぅぅぅぅぅ……」
「……腹が痛いのか、食あたりだな」
彼の役割は、大体に於いて患者と合わせてやって来る。
大陸における医療の最先端は、あくまでエーテルに依った"回復魔法"であり。治療師だ。
ゲルトもまた授恵者である以上、緊急事態には多く回復魔法を用いる。
死因としては圧倒的に多い外傷に対してはその方が早く、確実で、コストが小さいからだ。
けれど、彼は自分を治療師だとは思っていない。友人と 野山を駆け回るのも。
そうして集めてきた様々な鉱物、木の実、山草などを組み合わせては効能を試すのも。
回復魔法に比べれば無駄が多く、時間が掛かり、労力の割に効果が小さいことを知っている。
しかし同時に、そうして積み上げることが"授恵者"であるか、無いか……と言う。
所謂、世界による取捨選択を無視出来る可能性だと理解しているからだ。
それは彼が、癒し手として生きていくと定めた時当たり前に至った結論だった。
「待ってろ、今準備する」
「いや、あんた治療師だろ? 魔法でぱっぱと何とかしてやってくれよ」
横たわる唯人の男と、彼の相棒だと言うホブゴブリン。
彼らが求めているのはあくまで"早く、確実で、コストが小さい"方法だ。
ゲルトのやり方が認められることは少ない。滅多に無いとすら言える。
彼から見れば起きているのは"たかが食あたり"だ。けれど、知識は決して均一ではない。
何も知らない者からすれば“強い腹部の痛み”は時に死に直結する。
そんな筈がなくとも、そうであると言う可能性を、彼ら自身の知識で判別出来ないのだ。
「良いから、騙されたと思って飲むんだ。後は安静にしていれば治る」
幾らそう諭したところで、納得しないケースは数えることが馬鹿らしくなる。
今回、ゲルトのその申し出に件のホブゴブリンが頷いていくれたのは、ただの幸運だ。
事実、それで治らなかったら代価は受け取らず治療を行う他ない。
でなければ詐欺でお縄だ。生きていく方法としては笑える程非効率だろう。
「お大事に。あんまり何でもかんでも口に入れるなよ」
薬効が効果を及ぼすまで、はらはらするのは患者よりもゲルトの方だ。
経験上、種族差も個人差もある上、劇的に効く者、効かない者、拒絶反応が出る者と。
文字通り、命を握っていることが分かっているのだから尚更に。
いや。本音を言えば……こんなことを続けていたら。いつか、どこかで、いずれ必ず。
"決定的な失敗"を犯す可能性がある事を――――理解している。
何故、大陸に薬師が少ないのか。需要がある業種であるにも関わらず増えていかないのか。
理由は簡単だ。薬師は、リスクとリターンが微塵ほども見合わない。
それしか手段がないから、人はリスクを背負ってでも方法を切り拓くのだ。
回復魔法という代替手段がある時点で、"少し処方を間違えれば死ぬ"薬の探求は狂気と同義。
例え、その先に誰もが他人を癒やすことが出来る世界が待っているのだとしても。
その理想だけを頼りに生死の天秤を抱え続けるのは、常人には明らかに重過ぎる。
「効能発揮まで大体1時間……まだまだ改良がいるな」
今日は、上手く行った。では明日は。明後日は。失敗せずに、次の年を越せるのか。
そんなこと、ただの薬師の。ちっぽけなゲルトに理解ろうはずも無い。
彼はただ、それを正しいと信じて進むだけだ。その為の研鑽を怠らず、進むことしか出来ない。
うんざりするほど重い薬鞄を持ち上げて、白い狼を連れた薬師は歩む。
誰もが避ける隘路でも。痛みばかりの悪路でも。
「はぐれた」誰かへ差し伸べられる手が、いつか当たり前になるように。
――――その顔を見た瞬間。胸に去来した気持ちを何と表現すれば良いだろう。
そのホブゴブリンは見知った顔だった。相手は、恐らく彼を憶えてもいないだろう。
ゴールディの中を転々としている少年が、『シルバード』に居た時期は短い。
父親の事情もあってほんの小さな頃に少しだけ。だからそれは幼い記憶に過ぎない。
「相棒が、突然倒れて……!」
薬師として。薬を売って生活している少年の元へ相談が持ち込まれることは多い。
治療師は常に不足している。救いは、いつでも引く手あまただ。
いつもであれば、一拍も置かず駆けつけていただろう。
けれど、今回に限っては。本音を言えば少し。ほんの少しだけ――――逡巡した。
彼は、自分がかつて少年に何を言ったかも憶えていないに違いない。
そして其処に何の悪気も痛痒も無かったのだとすれば。
――――彼の相棒とやらは、少年にとっての患者でしかない。
●『はぐれ者』のゲトラウト
(――――何時も本ばっかり読んでおっかしいの!)
――――
(――――やーい、お前の父ちゃんはぐれ者ー!!)
――――――――
(――――混ざり物の末裔なんか珍しくないけど、アイツはなあ……)
――――――――――――
「――――ノーラ、行くぞ」
ヴォフ。と、白い艷やかな毛並みの雌狼が応じるように吼える。
そのゴブリンの少年は、書と文字とを隣人として。白狼を友として生きてきた。
自治領の、特に『シルバード』近郊では彼の父の名は知る人ぞ知る。
曰く、大恩あるドン・ゴーフルの傘下から抜けた"混ざり物"。
罪を侵すことを否とし、綺麗事ばかり抜かす『はぐれ者』のゲトラウト。
ドンの方針に逆らった『混ざり物』の恥晒し。それは、ゴールディに在って当然の認識だ。
何せ、彼らの社会は“効率的”な都市運用を大前提として存在している。
中でも『ブラックデス』の構成員は謂わば特権階級。絶対権力の代弁者だ。
本来であれば羨望の的であり、そこから抜けたとあっては言い訳などまるで意味を保たない。
人は自らの価値基準を崩そうとする者に対しては幾らでも辛辣に。攻撃的になれる。
とは言え――思うところこそ無いではないにせよ――それは、あくまで先祖の事情。
親元を離れた少年からすれば、すでに先代。関係の無い話の筈だ。
しかし残念ながら、エルフやドワーフらと異なり、ゴブリンの生育のスパンは短い。
彼からすれば20年近くも前の話。けれど、他種族からすればたった20年やそこらだ。
10歳そこそこで成人と見做されるゴブリン独自の生態系も考慮すれば、尚更。
その思考や思索、知性の成熟を経ずして社会に放り出される彼らの種族は――――必然として。
短絡的で暴力的。思慮に浅い者が決して少なくない。
そもゴールディという都市国家がそれらを許容しているのだ。仕方がない話ではある。
では何故、件のゴブリンの少年――――ゲルトが“そうではなかった”のか。
その所以はようと知れない。けれど、1つ間違いないことは。
彼の父親は良く、古家の片隅で本を開いていた。
紙面を辿る眼差しには確かな知性が宿り。時折彼の語る言もまた、人の善性に依る物だった。
おそらく、それをゲルト当人に指摘したとしたならば、少年はそれを否定するだろう。
けれど、彼がゴールディという己の故郷に感じる違和。漠然とした拒絶感。
"効率的"であることを最優先し"規範的"である価値を最底辺まで貶めたことへの反発。
根幹はそんなところにあるのだと。ゲルトが受け入れるにはまだ少々時間が掛かるだろう。
彼もまた、望む望まざると「はぐれてきた」蟠りは、そうそう容易に消せる訳もないのだから。
●薬師の役割
「ぐ、うぅぅぅぅぅ……」
「……腹が痛いのか、食あたりだな」
彼の役割は、大体に於いて患者と合わせてやって来る。
大陸における医療の最先端は、あくまでエーテルに依った"回復魔法"であり。治療師だ。
ゲルトもまた授恵者である以上、緊急事態には多く回復魔法を用いる。
死因としては圧倒的に多い外傷に対してはその方が早く、確実で、コストが小さいからだ。
けれど、彼は自分を治療師だとは思っていない。友人と 野山を駆け回るのも。
そうして集めてきた様々な鉱物、木の実、山草などを組み合わせては効能を試すのも。
回復魔法に比べれば無駄が多く、時間が掛かり、労力の割に効果が小さいことを知っている。
しかし同時に、そうして積み上げることが"授恵者"であるか、無いか……と言う。
所謂、世界による取捨選択を無視出来る可能性だと理解しているからだ。
それは彼が、癒し手として生きていくと定めた時当たり前に至った結論だった。
「待ってろ、今準備する」
「いや、あんた治療師だろ? 魔法でぱっぱと何とかしてやってくれよ」
横たわる唯人の男と、彼の相棒だと言うホブゴブリン。
彼らが求めているのはあくまで"早く、確実で、コストが小さい"方法だ。
ゲルトのやり方が認められることは少ない。滅多に無いとすら言える。
彼から見れば起きているのは"たかが食あたり"だ。けれど、知識は決して均一ではない。
何も知らない者からすれば“強い腹部の痛み”は時に死に直結する。
そんな筈がなくとも、そうであると言う可能性を、彼ら自身の知識で判別出来ないのだ。
「良いから、騙されたと思って飲むんだ。後は安静にしていれば治る」
幾らそう諭したところで、納得しないケースは数えることが馬鹿らしくなる。
今回、ゲルトのその申し出に件のホブゴブリンが頷いていくれたのは、ただの幸運だ。
事実、それで治らなかったら代価は受け取らず治療を行う他ない。
でなければ詐欺でお縄だ。生きていく方法としては笑える程非効率だろう。
「お大事に。あんまり何でもかんでも口に入れるなよ」
薬効が効果を及ぼすまで、はらはらするのは患者よりもゲルトの方だ。
経験上、種族差も個人差もある上、劇的に効く者、効かない者、拒絶反応が出る者と。
文字通り、命を握っていることが分かっているのだから尚更に。
いや。本音を言えば……こんなことを続けていたら。いつか、どこかで、いずれ必ず。
"決定的な失敗"を犯す可能性がある事を――――理解している。
何故、大陸に薬師が少ないのか。需要がある業種であるにも関わらず増えていかないのか。
理由は簡単だ。薬師は、リスクとリターンが微塵ほども見合わない。
それしか手段がないから、人はリスクを背負ってでも方法を切り拓くのだ。
回復魔法という代替手段がある時点で、"少し処方を間違えれば死ぬ"薬の探求は狂気と同義。
例え、その先に誰もが他人を癒やすことが出来る世界が待っているのだとしても。
その理想だけを頼りに生死の天秤を抱え続けるのは、常人には明らかに重過ぎる。
「効能発揮まで大体1時間……まだまだ改良がいるな」
今日は、上手く行った。では明日は。明後日は。失敗せずに、次の年を越せるのか。
そんなこと、ただの薬師の。ちっぽけなゲルトに理解ろうはずも無い。
彼はただ、それを正しいと信じて進むだけだ。その為の研鑽を怠らず、進むことしか出来ない。
うんざりするほど重い薬鞄を持ち上げて、白い狼を連れた薬師は歩む。
誰もが避ける隘路でも。痛みばかりの悪路でも。
「はぐれた」誰かへ差し伸べられる手が、いつか当たり前になるように。