旅の序曲
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2020年12月30日 14時40分14秒
年の暮れ、人々はせわしなく街を行き交う。
時折吹き抜ける寒風に肩をすくませ、さっさと用事を済ませ家路を急いでいた。
広場の噴水の縁に腰かけたセヴラン・クアルトがヴァイオリンの弦に凍えた指を滑らせる。
しかし、辻楽師のヴァイオリンの音に足を止める者はなく、弾かれる弦のメロディだけが冬空の下流れていた。
「……仕方がない、今日は切り上げようか」
誰にも届かない音色はやはり虚しい。セヴランは弦から弓を上げ空を見上げた。
今日は雲一つない青空。冬特有の澄んだ空気に、建物の間から遠くの山々や森がちらりと伺えた。
セヴランは人波を避け路地を歩く。建物を一つ挟んだ大通りからは、賑やかな露天商の客引きの声がした。
街の喧騒を遠巻きに聞きながら先を急ぐ。もうすぐ日が落ちて店先に灯が入るだろう。
「さて、今日のおすすめは何かな」
歩きながら今日のおすすめ料理を想像してみる。先日訪れた時は試食で好評だったという『カボチャと柿のシチュー』を出してくれた。
気分的には魚が食べたいけど、肉もいいな。そうだ、今度森で採れた鹿か鳥を持ってこよう。彼女ならきっとうまく調理してくれるはずだ。
そんな事を思いながら角を曲がる。丁度西日が通る路地は、オレンジ色に染められていた。
まぶしさに目を細めながら次の角を曲がる。なだらかな上り坂を上がれば――。
「やっぱり、この灯が見えるとホッとするね」
この建物に囲まれた路地は、西日に照らされていた一つ前の道と違い薄暗い。
そんな中、ぽぅっと道標の様にともる灯は気持ちに安らぎをくれた。
扉にかけられた『金の腕』の文字は、開店の証だ。
セヴランは看板のかけられた戸を、ゆっくりと押した。
「お邪魔するよ」
声をかけ、勝手知ったる店内をゆっくりと歩いて奥へ進む。座席の少ない小さな店内だが、幸いいつもの定位置は空いていた。セヴランは椅子を引き腰を掛ける。
店の一番奥にあるこの席が気に入っているのは、店内を一望できる位置であるのと、カウンターで腕を振るう女主人の仕事っぷりを同時に見れるから。
まだ開店して間もない事もあってか、客足は無い。
セヴランは夕食時に出すおすすめ料理の仕上げをしていた女主人とアイコンタクトをかわし、ヴァイオリンを肩に乗せた。
椅子の上で足を組み瞳を閉じる。
肩の上に乗せたヴァイオリンの弦を弓で静かに弾いた。
ゆっくりとした曲調のなだらかな音が店内に流れていく。
ちょっぴり気性の荒い女主人を宥める様に、優しく丁寧に音を紡いでいった。
そうしていると仕事帰りの客や家族連れで店はすぐに満席になる。
満席かと店を辞する新規客を見る度、一人でテーブルを占拠するのは気が咎める所だが女主人は気にするなといつも言う。逆に貴重なヴァイオリンの音が聞ける食事屋だと客には評判になっているらしい。
セヴランは今日も女主人の厚意に甘え、出されたワインとチーズを摘まみながら演奏を続けた。
客が入ってからは曲調を変え、アップテンポで楽しげな曲に。
肌寒い外界から温かな料理と人情に触れられるこの店に入ってきてもらえたお礼を兼ね、楽しい気分を音で演出する。
今日のおすすめ『東方風煮込みヌードル』なる料理に舌鼓を打ちつつ、客はセヴランの曲に耳を傾ける。
仕事帰りの常連客はさっさと料理を片付け、酒を煽りながら。
家族連れはゆっくりと料理を味わい、楽し気な会話を楽しみながら。
一曲弾き終えるごとに数は少ないが想いの籠った拍手と歓声を貰えた。
歌を添えない曲だけで、これだけの気持ちを返してもらえるようになったのは、つい最近の事だった。
ここに腰を据えて演奏をするまでは、特に場所を決めず気が向いた場所、気が向いた時、気が向いた音楽を紡いでいた。
沢山の観客が集まる事もあれば、一人も来ない時もある。それが辻楽師として当然だと思っていたのだけど――。
ポップな曲を弾き終えると拍手と共に、客が席を立つ気配がする。
セヴランはテーブルに置かれるチップを固辞し、感謝を込めて頭を下げた。
入れ替わる様に次の客が入ってくる。寒い中、店の外で待っていたのだろうか。凍える身体を摩りながら、真っ先に強めの酒を注文している。
セヴランはすぐに酔えるようにと曲調の早い音を奏で始めた。体を揺らし、弦を弾く弓を激しく振るう。
その調子に気付いたのか、すぐに客達が手拍子を合わせてきた。
客の入れ替わりで寒風が吹きこんでいた店内が一気に熱気を帯びる。
酒の入ったジョッキを片手に、セヴランが紡ぐ音楽に合わせ歌を紡ぐものが現れれば、食器とテーブルを楽器に音を合わせる者もいた。
セヴランも客達のノリの良さに、自然と口元が緩み弓を持つ手にも力が入る。
女主人が食事を運んでくるまでの僅かな時間に、店は大いに盛り上がった。
●
「お隣いいかしら?」
食事が各テーブルに運ばたのを確認したセヴランが曲調を落ち着いたものに変えた時、突然声がかけられる。
「えっ……」
瞳を開き見上げると、そこには一人の女性が立っていた。
腰まで届きそうな銀髪がふわりと揺れ、深い青色の瞳が見下ろしてくる。
エルフ特有の尖った耳は少し垂れ下がり、女性の柔和な雰囲気を引き立てている。
まるで月の光の様に柔らかくふわりとした印象を受ける目の前の女性に、セヴランは弾く弓を落としそうになった。
「シェアト……?」
「お久しぶりね、セヴラン」
あの頃と何も変わらない笑顔で微笑む女性は、驚くセヴランを楽しそうに見つめている。彼女の名前は『シェアト』。セヴランの祖母に当たる人物だった。
「どうしてここに……? 森で療養しているはずじゃ」
「想いのこもった弦の音が聞こえたから、思わずつられて出てきてしまったわ」
詩人特有の言葉遊びにもセヴランは反応できない。
「それで、お隣はよろしくて、吟遊詩人さん」
「あ、ああ……」
何とかそれだけを言って、隣の席の椅子を引く。
シェアトは「ありがとう」と短く声をかけ、ふわりと腰かけた。
「演奏はお終い? お客さんが待っているわよ」
突然現れた祖母の顔をまじまじと見つめていたら、困ったようにそう言われ、セヴランは慌てて弓を握り直した。
深呼吸を一つ。気持ちを落ち着かせ、弓を引いた。
丁度、料理が各テーブルに運ばれてきた事もあって、曲調はゆっくりと。さっきまでの曲とは対照的なメロディは、おいしい料理はやっぱりゆっくりと堪能してもらいたいという思いから。
「……懐かしい」
しばらくそんな曲を弾いていると隣から小さな呟きが聞こえた。
曲に合わせてゆっくりと体を左右に揺らしているのが気配から伝わってくる。今弾いている曲は、一番最初に祖母から教えてもらった初歩の曲だ。多少アレンジしているが、曲調や音階はほとんどいじっていない。
そして、この曲は祖母が一番好きだと言ってくれた曲でもあった。
しばらく弾いていると女主人が祖母の分まで、ワインとつまみを用意してくれた。
帰りがけに「彼女かい?」とからかってくる女主人を「祖母だよ」と逆に驚かせながら、セヴランは演奏を続ける。
隣でワインを傾ける気配がした。
祖母には今の僕の演奏がどう聞こえているのだろう。あの頃より少しは上達しているはずだけど……。
祖母の評価が気になり気もそぞろに演奏していると、「演奏に集中しなさい」と叱られた。
気を取り直して演奏に集中する。
和やかに流れる音楽を肴に、客達は食後の一杯を楽しんでいた。
●
店の客がはけ、『金の腕』のドアに【Close】の看板が掛けられた。
女店主は後片付けを始め、店内にはカチャカチャと食器が洗われる音だけが響く。
「体は大丈夫なのかい?」
「ええ、この通りよ」
セヴランの質問に細い腕で力こぶを作って見せるシェアト。
全くできていない力こぶに苦笑しつつも、セヴランは改めて祖母を見つめた。
血色はいい。元々白い肌だが、病的な白さではなく赤みのある健康的な白さに見える。
髪の艶もあの頃と同じ。光を受けてキラキラと輝く銀髪を見ては、綺麗だと憧れたものだ。
「なに? 疑っているの?」
「そ、そういう訳じゃないけど……」
口をとがらせ問いかけてくる祖母に、思わず気圧された。
こんなにもふんわりとした雰囲気を纏っているのに、その言葉にはすごく重みがある。
本人は「長く生きてるだけよ」なんて軽く言うが……。
「どう? 冒険者のお仕事は」
かけられた声に気を取り直して答える。
「お陰様で楽しくやっているよ。まだまだ殻付きのひよっこだけどね」
「ふふ、誰もが最初はそうよ」
柔らかく微笑む祖母は口を付けたジョッキが空な事に気付き、席を立つ。
カウンターへお代りを所望しに行ったのだろうその背中を、セヴランはじっと見つめた。
昔、祖母が冒険者らしいことをしていたと本人から聞いたことがある。同じく冒険者であった祖父と世界を回り様々な謎や危険に立ち向かったのだと。
気があったのか、一期一会の冒険者稼業にあって、祖父とは長い年月を共に旅した。
それこそ、英雄譚の一冊どころかちょっとした本棚が埋まるくらい数々の冒険を繰り広げて来たらしい。
その後、二人はめでたく結婚。プロポーズは祖父からだったと祖母からは聞いたが、生前の祖父からは祖母の熱烈なアプローチがあったとも聞いていた。
結局、すぐに子供――僕の父が生まれたから、冒険者としては一線を退き、後進の教育に当たったらしい。
冒険者としてだけではなく吟遊詩人としても名を馳せた祖母は、内気で友達の少なかった僕に音楽の楽しみを教えてくれた。
始めて祖母のハープを鳴らした時の感動は、今でも覚えている。いや、鳴らした感動ではなく、鳴った音を褒めてくれた祖母の言葉への感動か。子供の下手くそな演奏なのに、祖母は嬉しそうに褒めてくれた。
飽き性でもあった自分が音楽を続けられたのは、この祖母の笑顔と応援があったからの他ならない。ただ……。
「自分でやると言ったことを投げ出すことは絶対にさせてくれなかったけど」
昔の悪行を思い出し苦笑する。
祖父が亡くなり、父が祖母を森へと呼んで一緒に暮らすようになった後も、僕は祖母の教えの元、演奏の研鑽を積んだ。
そんな、昔の話を思い出していると、祖母が嬉しそうに戻ってきた。
どうやら、この店のワインがお気に召したらしい。
「しばらくいてもいいって言ってもらえたわ」
「一体どんな取引を持ち掛けたのやら」
「あら、人聞きの悪い。あなたと同じやり方よ」
そう言って再び席に着いたシェアトは、嬉しそうにジョッキに口を付けている。
「本当に病気はよくなったのかい?」
「少しは自分の母親の腕を信じなさい。ちゃんとよくなったわ」
ジョッキから口を離さず上目遣いにそういうシェアトを、まじまじと見つめる。
祖母は大病を患っていた。祖父の死因となった病気と同じものだ。父が祖母を森へと呼んだのも、療養を目的とさせる部分が大きい。
祖母の病気は薬師である母が見ている。母も自分の職に誇りを持っている人だから、完治していない人間を外に送り出すとは考えにくいけど……。
「さて、ご馳走になったお礼をしないといけないわね」
空になったジョッキをテーブルに置くと、シェアトは虚空へと手を突っ込む。
取り出したのはご自慢のハープ。
「セヴラン、合わせてくれる?」
久しぶりに祖母の演奏が聴けると、内心喜んでいたら、思いがけないお誘いが来た。
「ああ、もちろん」
セヴランは深く頷くとヴァイオリンを肩に乗せる。
「曲は任せるわね。あなたがこの世界をどう巡ってきたのか。何を見て何を聞いたのか。教えてちょうだい」
祖母はそう言うとハープを構える。
どうやら、森を出る時に言った言葉を覚えていてくれたらしい。
――僕は言葉の中の世界じゃないシェアトが歩いた道を見たいんだ。
「残念ながらまだ序曲しかできていないのだけど、それでもいいかい?」
「ふふ、もちろんよ」
セヴランがヴァイオリンの弓を弾くと、シェアトが合わせてくる。
観客は女主人一人だけ。でもそれでよかった。
大好きな祖母と同じ音色を重ねられ、敬愛する女主人に聴かせられるのだから。
まだ始まったばかりの冒険譚だけど、聞いて欲しい。
この後、紡がれるであろう壮大な協奏曲に続く序曲を――。
時折吹き抜ける寒風に肩をすくませ、さっさと用事を済ませ家路を急いでいた。
広場の噴水の縁に腰かけたセヴラン・クアルトがヴァイオリンの弦に凍えた指を滑らせる。
しかし、辻楽師のヴァイオリンの音に足を止める者はなく、弾かれる弦のメロディだけが冬空の下流れていた。
「……仕方がない、今日は切り上げようか」
誰にも届かない音色はやはり虚しい。セヴランは弦から弓を上げ空を見上げた。
今日は雲一つない青空。冬特有の澄んだ空気に、建物の間から遠くの山々や森がちらりと伺えた。
セヴランは人波を避け路地を歩く。建物を一つ挟んだ大通りからは、賑やかな露天商の客引きの声がした。
街の喧騒を遠巻きに聞きながら先を急ぐ。もうすぐ日が落ちて店先に灯が入るだろう。
「さて、今日のおすすめは何かな」
歩きながら今日のおすすめ料理を想像してみる。先日訪れた時は試食で好評だったという『カボチャと柿のシチュー』を出してくれた。
気分的には魚が食べたいけど、肉もいいな。そうだ、今度森で採れた鹿か鳥を持ってこよう。彼女ならきっとうまく調理してくれるはずだ。
そんな事を思いながら角を曲がる。丁度西日が通る路地は、オレンジ色に染められていた。
まぶしさに目を細めながら次の角を曲がる。なだらかな上り坂を上がれば――。
「やっぱり、この灯が見えるとホッとするね」
この建物に囲まれた路地は、西日に照らされていた一つ前の道と違い薄暗い。
そんな中、ぽぅっと道標の様にともる灯は気持ちに安らぎをくれた。
扉にかけられた『金の腕』の文字は、開店の証だ。
セヴランは看板のかけられた戸を、ゆっくりと押した。
「お邪魔するよ」
声をかけ、勝手知ったる店内をゆっくりと歩いて奥へ進む。座席の少ない小さな店内だが、幸いいつもの定位置は空いていた。セヴランは椅子を引き腰を掛ける。
店の一番奥にあるこの席が気に入っているのは、店内を一望できる位置であるのと、カウンターで腕を振るう女主人の仕事っぷりを同時に見れるから。
まだ開店して間もない事もあってか、客足は無い。
セヴランは夕食時に出すおすすめ料理の仕上げをしていた女主人とアイコンタクトをかわし、ヴァイオリンを肩に乗せた。
椅子の上で足を組み瞳を閉じる。
肩の上に乗せたヴァイオリンの弦を弓で静かに弾いた。
ゆっくりとした曲調のなだらかな音が店内に流れていく。
ちょっぴり気性の荒い女主人を宥める様に、優しく丁寧に音を紡いでいった。
そうしていると仕事帰りの客や家族連れで店はすぐに満席になる。
満席かと店を辞する新規客を見る度、一人でテーブルを占拠するのは気が咎める所だが女主人は気にするなといつも言う。逆に貴重なヴァイオリンの音が聞ける食事屋だと客には評判になっているらしい。
セヴランは今日も女主人の厚意に甘え、出されたワインとチーズを摘まみながら演奏を続けた。
客が入ってからは曲調を変え、アップテンポで楽しげな曲に。
肌寒い外界から温かな料理と人情に触れられるこの店に入ってきてもらえたお礼を兼ね、楽しい気分を音で演出する。
今日のおすすめ『東方風煮込みヌードル』なる料理に舌鼓を打ちつつ、客はセヴランの曲に耳を傾ける。
仕事帰りの常連客はさっさと料理を片付け、酒を煽りながら。
家族連れはゆっくりと料理を味わい、楽し気な会話を楽しみながら。
一曲弾き終えるごとに数は少ないが想いの籠った拍手と歓声を貰えた。
歌を添えない曲だけで、これだけの気持ちを返してもらえるようになったのは、つい最近の事だった。
ここに腰を据えて演奏をするまでは、特に場所を決めず気が向いた場所、気が向いた時、気が向いた音楽を紡いでいた。
沢山の観客が集まる事もあれば、一人も来ない時もある。それが辻楽師として当然だと思っていたのだけど――。
ポップな曲を弾き終えると拍手と共に、客が席を立つ気配がする。
セヴランはテーブルに置かれるチップを固辞し、感謝を込めて頭を下げた。
入れ替わる様に次の客が入ってくる。寒い中、店の外で待っていたのだろうか。凍える身体を摩りながら、真っ先に強めの酒を注文している。
セヴランはすぐに酔えるようにと曲調の早い音を奏で始めた。体を揺らし、弦を弾く弓を激しく振るう。
その調子に気付いたのか、すぐに客達が手拍子を合わせてきた。
客の入れ替わりで寒風が吹きこんでいた店内が一気に熱気を帯びる。
酒の入ったジョッキを片手に、セヴランが紡ぐ音楽に合わせ歌を紡ぐものが現れれば、食器とテーブルを楽器に音を合わせる者もいた。
セヴランも客達のノリの良さに、自然と口元が緩み弓を持つ手にも力が入る。
女主人が食事を運んでくるまでの僅かな時間に、店は大いに盛り上がった。
●
「お隣いいかしら?」
食事が各テーブルに運ばたのを確認したセヴランが曲調を落ち着いたものに変えた時、突然声がかけられる。
「えっ……」
瞳を開き見上げると、そこには一人の女性が立っていた。
腰まで届きそうな銀髪がふわりと揺れ、深い青色の瞳が見下ろしてくる。
エルフ特有の尖った耳は少し垂れ下がり、女性の柔和な雰囲気を引き立てている。
まるで月の光の様に柔らかくふわりとした印象を受ける目の前の女性に、セヴランは弾く弓を落としそうになった。
「シェアト……?」
「お久しぶりね、セヴラン」
あの頃と何も変わらない笑顔で微笑む女性は、驚くセヴランを楽しそうに見つめている。彼女の名前は『シェアト』。セヴランの祖母に当たる人物だった。
「どうしてここに……? 森で療養しているはずじゃ」
「想いのこもった弦の音が聞こえたから、思わずつられて出てきてしまったわ」
詩人特有の言葉遊びにもセヴランは反応できない。
「それで、お隣はよろしくて、吟遊詩人さん」
「あ、ああ……」
何とかそれだけを言って、隣の席の椅子を引く。
シェアトは「ありがとう」と短く声をかけ、ふわりと腰かけた。
「演奏はお終い? お客さんが待っているわよ」
突然現れた祖母の顔をまじまじと見つめていたら、困ったようにそう言われ、セヴランは慌てて弓を握り直した。
深呼吸を一つ。気持ちを落ち着かせ、弓を引いた。
丁度、料理が各テーブルに運ばれてきた事もあって、曲調はゆっくりと。さっきまでの曲とは対照的なメロディは、おいしい料理はやっぱりゆっくりと堪能してもらいたいという思いから。
「……懐かしい」
しばらくそんな曲を弾いていると隣から小さな呟きが聞こえた。
曲に合わせてゆっくりと体を左右に揺らしているのが気配から伝わってくる。今弾いている曲は、一番最初に祖母から教えてもらった初歩の曲だ。多少アレンジしているが、曲調や音階はほとんどいじっていない。
そして、この曲は祖母が一番好きだと言ってくれた曲でもあった。
しばらく弾いていると女主人が祖母の分まで、ワインとつまみを用意してくれた。
帰りがけに「彼女かい?」とからかってくる女主人を「祖母だよ」と逆に驚かせながら、セヴランは演奏を続ける。
隣でワインを傾ける気配がした。
祖母には今の僕の演奏がどう聞こえているのだろう。あの頃より少しは上達しているはずだけど……。
祖母の評価が気になり気もそぞろに演奏していると、「演奏に集中しなさい」と叱られた。
気を取り直して演奏に集中する。
和やかに流れる音楽を肴に、客達は食後の一杯を楽しんでいた。
●
店の客がはけ、『金の腕』のドアに【Close】の看板が掛けられた。
女店主は後片付けを始め、店内にはカチャカチャと食器が洗われる音だけが響く。
「体は大丈夫なのかい?」
「ええ、この通りよ」
セヴランの質問に細い腕で力こぶを作って見せるシェアト。
全くできていない力こぶに苦笑しつつも、セヴランは改めて祖母を見つめた。
血色はいい。元々白い肌だが、病的な白さではなく赤みのある健康的な白さに見える。
髪の艶もあの頃と同じ。光を受けてキラキラと輝く銀髪を見ては、綺麗だと憧れたものだ。
「なに? 疑っているの?」
「そ、そういう訳じゃないけど……」
口をとがらせ問いかけてくる祖母に、思わず気圧された。
こんなにもふんわりとした雰囲気を纏っているのに、その言葉にはすごく重みがある。
本人は「長く生きてるだけよ」なんて軽く言うが……。
「どう? 冒険者のお仕事は」
かけられた声に気を取り直して答える。
「お陰様で楽しくやっているよ。まだまだ殻付きのひよっこだけどね」
「ふふ、誰もが最初はそうよ」
柔らかく微笑む祖母は口を付けたジョッキが空な事に気付き、席を立つ。
カウンターへお代りを所望しに行ったのだろうその背中を、セヴランはじっと見つめた。
昔、祖母が冒険者らしいことをしていたと本人から聞いたことがある。同じく冒険者であった祖父と世界を回り様々な謎や危険に立ち向かったのだと。
気があったのか、一期一会の冒険者稼業にあって、祖父とは長い年月を共に旅した。
それこそ、英雄譚の一冊どころかちょっとした本棚が埋まるくらい数々の冒険を繰り広げて来たらしい。
その後、二人はめでたく結婚。プロポーズは祖父からだったと祖母からは聞いたが、生前の祖父からは祖母の熱烈なアプローチがあったとも聞いていた。
結局、すぐに子供――僕の父が生まれたから、冒険者としては一線を退き、後進の教育に当たったらしい。
冒険者としてだけではなく吟遊詩人としても名を馳せた祖母は、内気で友達の少なかった僕に音楽の楽しみを教えてくれた。
始めて祖母のハープを鳴らした時の感動は、今でも覚えている。いや、鳴らした感動ではなく、鳴った音を褒めてくれた祖母の言葉への感動か。子供の下手くそな演奏なのに、祖母は嬉しそうに褒めてくれた。
飽き性でもあった自分が音楽を続けられたのは、この祖母の笑顔と応援があったからの他ならない。ただ……。
「自分でやると言ったことを投げ出すことは絶対にさせてくれなかったけど」
昔の悪行を思い出し苦笑する。
祖父が亡くなり、父が祖母を森へと呼んで一緒に暮らすようになった後も、僕は祖母の教えの元、演奏の研鑽を積んだ。
そんな、昔の話を思い出していると、祖母が嬉しそうに戻ってきた。
どうやら、この店のワインがお気に召したらしい。
「しばらくいてもいいって言ってもらえたわ」
「一体どんな取引を持ち掛けたのやら」
「あら、人聞きの悪い。あなたと同じやり方よ」
そう言って再び席に着いたシェアトは、嬉しそうにジョッキに口を付けている。
「本当に病気はよくなったのかい?」
「少しは自分の母親の腕を信じなさい。ちゃんとよくなったわ」
ジョッキから口を離さず上目遣いにそういうシェアトを、まじまじと見つめる。
祖母は大病を患っていた。祖父の死因となった病気と同じものだ。父が祖母を森へと呼んだのも、療養を目的とさせる部分が大きい。
祖母の病気は薬師である母が見ている。母も自分の職に誇りを持っている人だから、完治していない人間を外に送り出すとは考えにくいけど……。
「さて、ご馳走になったお礼をしないといけないわね」
空になったジョッキをテーブルに置くと、シェアトは虚空へと手を突っ込む。
取り出したのはご自慢のハープ。
「セヴラン、合わせてくれる?」
久しぶりに祖母の演奏が聴けると、内心喜んでいたら、思いがけないお誘いが来た。
「ああ、もちろん」
セヴランは深く頷くとヴァイオリンを肩に乗せる。
「曲は任せるわね。あなたがこの世界をどう巡ってきたのか。何を見て何を聞いたのか。教えてちょうだい」
祖母はそう言うとハープを構える。
どうやら、森を出る時に言った言葉を覚えていてくれたらしい。
――僕は言葉の中の世界じゃないシェアトが歩いた道を見たいんだ。
「残念ながらまだ序曲しかできていないのだけど、それでもいいかい?」
「ふふ、もちろんよ」
セヴランがヴァイオリンの弓を弾くと、シェアトが合わせてくる。
観客は女主人一人だけ。でもそれでよかった。
大好きな祖母と同じ音色を重ねられ、敬愛する女主人に聴かせられるのだから。
まだ始まったばかりの冒険譚だけど、聞いて欲しい。
この後、紡がれるであろう壮大な協奏曲に続く序曲を――。