波間に紡ぐ日々
キャラクターノベル制作 炙りとろ左門納品 2024年04月10日 23時56分22秒
掃き出し窓から一望できる青い海と空。それを、少女はまだ信じられないといった様子で飽きずに眺めていた。
窓際に置かれたソファはそれなりに質の良いもので、長時間座っていても疲れることがない。それもあるだろう。
「本当に、一体どこにこんな蓄えがあったんだか……」
部屋に設えられた調度品の数々は、場違いに高級というわけではないものの、職人の品ということが窺える。少女は驚き半分呆れ半分でソファの肘掛けを撫でた。
享楽都市キサナ最大の妓楼【夜露雫】において、少女――マリカは売り上げの一位二位を担う遊女だった。それを身請けするというだけで相当な額だったろうに、『夫』はマリカの希望を聞いて家を構えるとまで言ったのだ。
そこまでは、まあ、いいだろう。経緯はどうあれ新婚だ――とはいえ。小さくこぢんまりとしたもので、まったく構わなかったというのに。
「確かに、海が見えるところがいいとは言ったけど」
「俺としても都合が良かったんだ。ここは人も物も多く集まるし、仕事の労力が減りゃ、その分お前との時間を取れるからな」
マリカの隣に腰掛けていた夫、ヴァンゲルス・ロッドはそう言って、いまや妻となったマリカの肩を軽く抱き寄せる。
「二階建てにして正解だったな。ここなら窓から海も見えるし、階下と生活を分けられる。一階だけ見りゃごくごく普通のご家庭です、ってな」
「情報屋っていうのはやっぱり、暮らし向きにも工夫がいるってことね。この間取りも考慮のうち?」
マリカは縦に細長い部屋を改めて見回す。流石に家具を置くのに十分は幅はあるが、2階の窓は階下の玄関側、ルーフバルコニーに続く一枚だけだ。視界を遮るものはないが、それゆえに外から部屋の中を覗き見るには、かなり手間がかかるだろう。
「そういうこった。狭いが隠れる場所もある。もしもの時はそこで待ってな」
「……常日頃から命の危険を考えないといけない生活って……??」
「いや、常日頃からってわけじゃァないが。……もう俺ひとりじゃないからな」
ヴァンゲルスの生業はあくまで『情報屋』であり、為政者や政治家、徴税人の方がよほど人から恨みを買っているだろう。しかし最早自分の身の安全だけ考えていれば良いというものではなくなった。
マリカはヴァンゲルスの言葉に満足を示しつつ、身を預ける。
「頼り甲斐のある素敵な旦那様だこと」
「そろそろ驚くのにも飽きて『嬉しい! 愛してる!』って言ってくれると俺も報われるんだがな」
そう言いつつも、ヴァンゲルスはマリカの様子を見て面白がっているようだ。退屈していなければ良いと判断し、マリカは「どうしようかしら」と言って視線を脇に流し、それからはっと表情を変えた。
「今のは……」
「気にすんな。今までずっと遊女とその客だったんだし、憧れたもんをそのままなぞる必要もないだろ」
それに、とヴァンゲルスは空いた手で自分の顎をさする。
「それにしても、俺もまさかこの歳になって家庭を持つことになるとは思わなかったな。挨拶回りでも皆、首を傾げてた」
ヴァンゲルスは四十路を迎えた男、対してマリカはというとその半分もない。艶やかな女を囲う男は珍しくなくとも、マリカが時折見せる年相応の表情が、二人の関係を読みにくくしている。
「夫婦にしては親子ぐらい差があるし、かといって親子にしては似てねえし……」
「子供じゃないわ! 指輪もしてるのに」
頬を膨らませて憤慨するマリカを見て、ヴァンゲルスはくつくつと笑う。
「分かってるさ。お前は俺の愛しい女だよ、マリカ」
「ちょっ……と! 急にそういうこと言わないで!」
「なら『今から言います』って毎度了解を取れと? そっちのほうが恥ずかしいんじゃないか? お前が」
マリカは頬を染めて言い返そうとしたが、結局呻いただけに終わった。せめてもの抵抗として、ヴァンゲルスの胸に顔を埋めて表情を隠す。
「どうしてこううまくいかないのかしら……」
「んん?」
「私の心持ちの話よ」
釈然としない様子の相槌が返ってきたため、マリカはヴァンゲルスの背中に腕を回し、そのままぐりぐりと頭を押し付けた。
「旦那様のおかげで、生活の方は順風満帆だもの。感謝してるし、嬉しいわよ。いろいろ……本当に、数えきれないくらい」
籠の中の鳥のまま一生を終えるのだと思っていた――マリカは正直に思っていたことを吐露する。どれほど強がったとしても、遊女は遊女。自らの身さえままならない定めの上、星空に願う夢は所詮、夢。
「だからあなたのこと、幸せな思い出にしておこうって決めてたのに」
「決意を挫いて悪いが、弱気なのはらしくねえな。お前が言ったんだぜ?」
『私は、照らし出されるのを待つつもりはないの』
ヴァンゲルスは、かつて火を孕んだ眼差しで博打に出た少女の苛烈さを思い出す。マリカは常に自信に満ち溢れており、勝負事に負けたとしても彼女を敗者と憐れむものはいなかった。だが――
「……あなたのこと好きだと思ったら、急に不安になったのよ。悪い?」
そんなマリカが唯一、ままならぬものとして持て余していたものが、ヴァンゲルスへの想いであったのだ。
「聞いてる?」
ヴァンゲルスがうんともすんとも言わず、身じろぎさえしないので、マリカは抱きついたまま顔を上げた。そして目に入ったヴァンゲルスの表情に目を瞬く。
「あなた、そんな顔も出来るんじゃない」
「参ったな、どんな顔だ?」
「あら、隠さずに見せて」
「おいおい、自分の顔は隠すくせに……」
表情を手で覆い隠そうとするヴァンゲルスの動きを、マリカは手を伸ばして妨害する。しばしの攻防のあと、マリカはようやく身を離した。
「私、今とっても幸せよ」
「そりゃよかった」
ヴァンゲルスは一度離れたマリカの体をひょいと抱え上げると、膝の上に乗せる。そして、にっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「であれば当然、マリカも俺のことを幸せにしてくれねえとなァ?」
「も、もちろん、そのつもりだけど……ヴァン?」
マリカはしどろもどろに答えて視線を泳がせる。マリカの体を支えるヴァンゲルスの手が、ただ『添える』というには若干不埒な動きをしはじめていた。
「今までは奥座敷に上がっても、ただ方円目で対局するだけだったが……もうそれだけじゃ足りねぇな。俺は強欲なんだ、知ってるだろう?」
マリカの逃げ腰をがっちり捕まえて、ヴァンゲルスはその耳元で低く囁く。
「お前のすべてを、俺に曝け出してくれ」
「……臓腑まで引き摺り出されそうね」
そう苦笑しつつも、マリカはヴァンゲルスを拒絶しない。
「愛してるぜ、マリカ」
「私もよ」
諦めたのか素直になったのか、あるいはその両方か――しばしの間、二人は唇を重ねていた。
窓際に置かれたソファはそれなりに質の良いもので、長時間座っていても疲れることがない。それもあるだろう。
「本当に、一体どこにこんな蓄えがあったんだか……」
部屋に設えられた調度品の数々は、場違いに高級というわけではないものの、職人の品ということが窺える。少女は驚き半分呆れ半分でソファの肘掛けを撫でた。
享楽都市キサナ最大の妓楼【夜露雫】において、少女――マリカは売り上げの一位二位を担う遊女だった。それを身請けするというだけで相当な額だったろうに、『夫』はマリカの希望を聞いて家を構えるとまで言ったのだ。
そこまでは、まあ、いいだろう。経緯はどうあれ新婚だ――とはいえ。小さくこぢんまりとしたもので、まったく構わなかったというのに。
「確かに、海が見えるところがいいとは言ったけど」
「俺としても都合が良かったんだ。ここは人も物も多く集まるし、仕事の労力が減りゃ、その分お前との時間を取れるからな」
マリカの隣に腰掛けていた夫、ヴァンゲルス・ロッドはそう言って、いまや妻となったマリカの肩を軽く抱き寄せる。
「二階建てにして正解だったな。ここなら窓から海も見えるし、階下と生活を分けられる。一階だけ見りゃごくごく普通のご家庭です、ってな」
「情報屋っていうのはやっぱり、暮らし向きにも工夫がいるってことね。この間取りも考慮のうち?」
マリカは縦に細長い部屋を改めて見回す。流石に家具を置くのに十分は幅はあるが、2階の窓は階下の玄関側、ルーフバルコニーに続く一枚だけだ。視界を遮るものはないが、それゆえに外から部屋の中を覗き見るには、かなり手間がかかるだろう。
「そういうこった。狭いが隠れる場所もある。もしもの時はそこで待ってな」
「……常日頃から命の危険を考えないといけない生活って……??」
「いや、常日頃からってわけじゃァないが。……もう俺ひとりじゃないからな」
ヴァンゲルスの生業はあくまで『情報屋』であり、為政者や政治家、徴税人の方がよほど人から恨みを買っているだろう。しかし最早自分の身の安全だけ考えていれば良いというものではなくなった。
マリカはヴァンゲルスの言葉に満足を示しつつ、身を預ける。
「頼り甲斐のある素敵な旦那様だこと」
「そろそろ驚くのにも飽きて『嬉しい! 愛してる!』って言ってくれると俺も報われるんだがな」
そう言いつつも、ヴァンゲルスはマリカの様子を見て面白がっているようだ。退屈していなければ良いと判断し、マリカは「どうしようかしら」と言って視線を脇に流し、それからはっと表情を変えた。
「今のは……」
「気にすんな。今までずっと遊女とその客だったんだし、憧れたもんをそのままなぞる必要もないだろ」
それに、とヴァンゲルスは空いた手で自分の顎をさする。
「それにしても、俺もまさかこの歳になって家庭を持つことになるとは思わなかったな。挨拶回りでも皆、首を傾げてた」
ヴァンゲルスは四十路を迎えた男、対してマリカはというとその半分もない。艶やかな女を囲う男は珍しくなくとも、マリカが時折見せる年相応の表情が、二人の関係を読みにくくしている。
「夫婦にしては親子ぐらい差があるし、かといって親子にしては似てねえし……」
「子供じゃないわ! 指輪もしてるのに」
頬を膨らませて憤慨するマリカを見て、ヴァンゲルスはくつくつと笑う。
「分かってるさ。お前は俺の愛しい女だよ、マリカ」
「ちょっ……と! 急にそういうこと言わないで!」
「なら『今から言います』って毎度了解を取れと? そっちのほうが恥ずかしいんじゃないか? お前が」
マリカは頬を染めて言い返そうとしたが、結局呻いただけに終わった。せめてもの抵抗として、ヴァンゲルスの胸に顔を埋めて表情を隠す。
「どうしてこううまくいかないのかしら……」
「んん?」
「私の心持ちの話よ」
釈然としない様子の相槌が返ってきたため、マリカはヴァンゲルスの背中に腕を回し、そのままぐりぐりと頭を押し付けた。
「旦那様のおかげで、生活の方は順風満帆だもの。感謝してるし、嬉しいわよ。いろいろ……本当に、数えきれないくらい」
籠の中の鳥のまま一生を終えるのだと思っていた――マリカは正直に思っていたことを吐露する。どれほど強がったとしても、遊女は遊女。自らの身さえままならない定めの上、星空に願う夢は所詮、夢。
「だからあなたのこと、幸せな思い出にしておこうって決めてたのに」
「決意を挫いて悪いが、弱気なのはらしくねえな。お前が言ったんだぜ?」
『私は、照らし出されるのを待つつもりはないの』
ヴァンゲルスは、かつて火を孕んだ眼差しで博打に出た少女の苛烈さを思い出す。マリカは常に自信に満ち溢れており、勝負事に負けたとしても彼女を敗者と憐れむものはいなかった。だが――
「……あなたのこと好きだと思ったら、急に不安になったのよ。悪い?」
そんなマリカが唯一、ままならぬものとして持て余していたものが、ヴァンゲルスへの想いであったのだ。
「聞いてる?」
ヴァンゲルスがうんともすんとも言わず、身じろぎさえしないので、マリカは抱きついたまま顔を上げた。そして目に入ったヴァンゲルスの表情に目を瞬く。
「あなた、そんな顔も出来るんじゃない」
「参ったな、どんな顔だ?」
「あら、隠さずに見せて」
「おいおい、自分の顔は隠すくせに……」
表情を手で覆い隠そうとするヴァンゲルスの動きを、マリカは手を伸ばして妨害する。しばしの攻防のあと、マリカはようやく身を離した。
「私、今とっても幸せよ」
「そりゃよかった」
ヴァンゲルスは一度離れたマリカの体をひょいと抱え上げると、膝の上に乗せる。そして、にっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「であれば当然、マリカも俺のことを幸せにしてくれねえとなァ?」
「も、もちろん、そのつもりだけど……ヴァン?」
マリカはしどろもどろに答えて視線を泳がせる。マリカの体を支えるヴァンゲルスの手が、ただ『添える』というには若干不埒な動きをしはじめていた。
「今までは奥座敷に上がっても、ただ方円目で対局するだけだったが……もうそれだけじゃ足りねぇな。俺は強欲なんだ、知ってるだろう?」
マリカの逃げ腰をがっちり捕まえて、ヴァンゲルスはその耳元で低く囁く。
「お前のすべてを、俺に曝け出してくれ」
「……臓腑まで引き摺り出されそうね」
そう苦笑しつつも、マリカはヴァンゲルスを拒絶しない。
「愛してるぜ、マリカ」
「私もよ」
諦めたのか素直になったのか、あるいはその両方か――しばしの間、二人は唇を重ねていた。