神仙の高みへ
キャラクターノベル制作 真柄 葉納品 2020年12月26日 19時59分37秒
「ここか」
天を衝く大樹のウロに目的の場所を見つけ、海神・江流は扉をノックした。
「お邪魔するよ」
しばらく待っても返事かなかったので、江流は仕方なく声をかけ扉を引く。
小さな室内には見た事もない薬や薬草。奥には鍋が沸々と泡立っている。
――まるで魔女の――。
「こんな辺鄙な所までよく来たね。ヒューマンの坊や」
そんな感想を抱いていたら、突然声をかけられた。
いつの間にそこに居たのか、驚く江流を見て面白そうに笑う老婆が立っている。
「……あなたが『巫女』か?」
江流は半歩身体を引きながら問いかけた。
「そう身構えなさんな。そうさ、あたしが巫女だ」
巫女と名乗る老婆は、江流の警戒を気にも留めず揺り椅子に腰かける。
長命であるエルフはそのほとんどが死するまで若い姿を保っている。
しかし、目の前の人物はまるで齢百を超えるヒューマンの老婆のようだ。耳の形で辛うじて判別できるが、それが無ければエルフだと気づかなかったかもしれない。
「……巫女に問いたい。ここに神仙に類する力があると聞いた」
江流は気を緩める事無く老婆に問いかける。
「そう気が張っていちゃこちらも話しにくいよ。それでも飲んで落ち着きな」
と、老婆が指差した机の上には、いつの間にか湯気立つ湯飲みが置かれていた。
「緑茶というのだったか。あんたのふるさとの味だろ?」
――幻覚か?
「実物だよ」
――思考を読まれた!?
「ははは、別に思考を読んでるわけじゃないよ。あんたの顔がわかりやす過ぎるんだ」
老婆の言葉に咄嗟に左腕で顔を覆う。
「警戒しなくてもいい。あんたが本気になればこんな婆、一捻りだろう?」
揺り椅子を揺らしながら朗らかに笑う老婆。
――まったく読めないな。どうする?
左腕で顔を覆いながら老婆を見つめるが、敵意や嫌忌は感じられない。
――ここまで来て何を怖気づいている。『毒を食らわば皿まで』だ。
江流は机へと向かうと湯気立つ湯飲みに口を付けた。
口の中に広がる爽やかな苦みと芳醇な香り。故郷でもこれほどのお茶は滅多に味わえない。
「美味いかい?」
「……ああ、美味いな」
「はは、ようやく素直になったね。それじゃ、本題に移ろうか?」
そう言って椅子を揺らす老婆に、江流は問いかける
「あるのか?」
「あるかどうかは、対価次第かねぇ。あんたはこの婆に何を払う?」
まるで子供に菓子を選ばせるように、老婆は江流に問い返した。
「俺の血を」
江流はその問いに迷わずそう答える。
「……ははは、わかっているのかい? あたしに血を捧げる意味を」
返ってきた答えに瞠目した老婆は、今まで朗らかだった笑みを妖艶に歪ませた。
「それに見合うものを貰えるのだろ?」
江流は気圧されぬよう腹に力を入れ問う。
「ふっ、ただの若造かと思っていたら、なかなか骨のある奴じゃないか」
「それは、気に入って貰えたと受け取っていいのかな」
「ああ、気に入った。いいだろう、あんたにいいものを貸してやろう」
「貸す? どういうことだ」
江流の問いに老婆は口元を歪め、再び机を指さす。
「いつの間に……」
さっきまで口を付けていた湯呑が消え、代わりに香炉が置かれている。
「使うか使わないかは自分で決めな」
「効果くらいは教えてくれてもいいんじゃないか?」
「ははは、欲張りな坊やだねぇ」
老婆がしわがれた声で笑うと。
「エーテルを注ぎな。それであんたの望む世界が見られる」
ますます謎めいたことを口にした。
――『虎穴に入らずんば虎子を得ず』。……なんかさっきと同じこと言ってるな。
そう考えて自嘲する。おかげで肩の力がすっと抜けた。
江流は香炉に歩み寄ると、ゆっくりと手をかざす。
香炉が一瞬光を帯びたかと思うと、辺りに閃光が広がった――。
●
「ここは……?」
目の前に木目調の壁が見える――いや、天井か?
江流は首を横に動かしてみた。
――やっぱり、さっきの場所じゃない。ここはいったい……。
そう考えて、江流は跳び起きた。
「そんな……。ここは、俺の家なのか……?」
上半身を床から起こし、部屋を見渡す。
もうずいぶんと帰っていないが見間違えようもない。ここは実家の自分の部屋だ。
「くそっ、一体どういうことだ」
記憶はある。という事は幻覚か、それとも実家まで飛ばされた?
そんな事が起こるのかと、江流が考えていると――。
「お兄、いつまで寝てるの!」
女の声に考えの全てが吹き飛んだ。
――そんな、まさか。
ゆっくりと声のした方を振り向く。
そこには炒飯でも作っていたのか、お玉を片手に部屋の入り口に立つ妹の姿。
俺と同じ黒髪に黒瞳。東方の血を濃く受け継いだ海神家の特徴だ。
肩口でそろえた黒髪を揺らし、肉付きの薄い細身の体はあの時から何も変わっていない。
「本当に池留……なのか?」
「何言ってるの、当たり前でしょ。まだ寝ぼけてるの?」
俺だけに勝ち気なこの性格は、やはり間違いないのか。
だが、妹は長い間病に侵され心身共に弱っていたはず。そして何より、もうこの世には――。
「どうして生きて……」
と、喉まで出かかって何とか押しとどめた。
「もうお昼ご飯ができるよ。早く着替えて!」
言葉に詰まる兄を不思議に思いつつも、池留は江流を急かす。
――これは幻覚だ。幻覚なんだ……。
そうだ。俺はあの老婆の前から一歩も動いていない。だから、あの妹は香炉が見せている幻覚なんだ。
「どうかしたの?」
いつまでも起き上がらない兄を訝しみ、池留は問いかける。
「何でもない。すぐに着替えていくから待っていてくれるか?」
「うんっ!」
兄の声に安心したのか、池留は笑顔で手を振ると部屋を後にした。
「なんてものを見せるんだ……!」
見えない老婆に向け怒りをぶつける。
――確かにこれは俺の望む世界だ。だが、こんなもの……!
江流は上着を手に取りベッドから身を起こした。
●
「池留、一人か?」
「そうだよ、なんで?」
「あ、いや、何でもない」
そう言って妹の正面に座る。机には出来立ての炒飯が山盛り置かれていた。
「寝起きでこの量はきついんだけどな……」
「何言ってるの、冒険者は体が資本なんだから、いっぱい食べなくちゃ!」
グッと拳を握りつつ力説する妹。病気だったあの姿が嘘のようだ。
「池留、身体はいいのか……?」
「うん、調子いいよ。なんで?」
「い、いや、病気の……経過とか」
「もう、それはとっくに治ってるって。お兄が治してくれたんじゃない」
変なお兄といって、池留は皿に追加の炒飯を盛る。
――違う……俺ができたのは老いを遅らせるだけで、病気の治療は……。
幼い頃から病弱で、年の半分は床に臥せっていた池留。先天的な授恵者だったにもかかわらず、病魔に打ち勝つ力は持ち合わせてはいなかった。
父や母はこれも天命だと半ばあきらめ妹に接していたが、俺にはどうしてもそれができなかった。
何とか妹を治す術がないかと何年も様々な文献を読み漁り――出会ったのが『仙術』や『道術』という東方の技だった。
ロスガリアの魔法とは明らかに違うそれに、江流は一縷の望みをかけた。
もし、この技が行使できるのなら妹の病を治すこともできるのではないか。
そう考えた江流は、それを求めロスガリアを彷徨った。他種族の文化やエーテル技術に触れ知見を得ては、自ら試行錯誤した。
しかし、時は無情だった……。
「池留は生きているんだよな……?」
「見てわからない? 元気元気だよ!」
変な質問にも池留は力こぶをつくる。
それがたまらなく心をざわつかせた。
「俺は冒険者だ」
「……私もそうだよ」
ぽつりと呟いた言葉に、池留はトーンを落とし答える。
――そうか、この世界では、冒険者になれたんだな。
返ってきた答えが妙に嬉しくて表情が緩んでしまう。
「今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。危険な仕事だ」
何とか表情を改めて話を続ける。
「そうだね。それが冒険者だもんね。私だって覚悟はしているんだよ」
両親にも見せない池留の強い部分。病床に伏していた頃も、俺に心配を掛けまいと何度も見せてくれた。
「どうすればお前を救える?」
だからこそ、聞かないといけないと思った。
「……もう救われてる、お兄が救ってくれたんだよ」
池留は目を伏せて嬉しそうに呟く。
「だから、大丈夫。私は幸せだよ。これからもお兄とずっと一緒にいるから。だから……」
ぎゅっと胸の前で拳を握り締める池留。
「縛られないで。お兄は私の分まで長生きして、お兄の生を楽しんで欲しいな。それで、もし……もしも神仙の高みに辿り着けたら――」
「お兄が経験した世界の事、沢山聞かせてね」
淡い笑みを残して、この世界の池留は光に溶けて消えた――。
●
「お帰り。よく帰ってこられたね」
「帰れない可能性もあったのかい?」
ふふっと笑う老婆に、江流は見せつける様に肩をすくめる。
「それで、桃源郷にでも行けたかね?」
「行けていたら、神仙の一人でも探したんだけどね」
肩を竦めついでに嘆息すると、香炉を指さした。
「悪いけど、これは俺の求めるものとは違ったよ」
「そうかい」
どこか嬉しそうに答えた老婆が手を振ると、机に置かれてあった香炉が消え、再び湯呑が現れる。
「つかれたろう、お茶でも飲んで一息つくといいさね」
「できれば、そちらの術を教えて欲しいんだけどね」
と、今度は迷うことなく湯呑を手に取ると口を付けた。
「あんたにはまだ早いよ」
くくくと不敵に笑う老婆に、江流は「お茶ご馳走様」と湯呑を置いた。
「それじゃ、対価を払おうか」
言って江流は腕を捲った。
「もう貰ったよ。ありがとうね」
一体いつと問おうとした瞬間、再び辺りが光に包まれた。
●
「……化かされたのか?」
目の前の大樹を見つめながら江流は呟く。
大樹のウロにあったあの庵は、跡形もなく消えていた。
「この世はまだまだ不思議なことだらけだよ、池留――」
大樹の更に先を見上げながら、江流はそう呟いた――。
天を衝く大樹のウロに目的の場所を見つけ、海神・江流は扉をノックした。
「お邪魔するよ」
しばらく待っても返事かなかったので、江流は仕方なく声をかけ扉を引く。
小さな室内には見た事もない薬や薬草。奥には鍋が沸々と泡立っている。
――まるで魔女の――。
「こんな辺鄙な所までよく来たね。ヒューマンの坊や」
そんな感想を抱いていたら、突然声をかけられた。
いつの間にそこに居たのか、驚く江流を見て面白そうに笑う老婆が立っている。
「……あなたが『巫女』か?」
江流は半歩身体を引きながら問いかけた。
「そう身構えなさんな。そうさ、あたしが巫女だ」
巫女と名乗る老婆は、江流の警戒を気にも留めず揺り椅子に腰かける。
長命であるエルフはそのほとんどが死するまで若い姿を保っている。
しかし、目の前の人物はまるで齢百を超えるヒューマンの老婆のようだ。耳の形で辛うじて判別できるが、それが無ければエルフだと気づかなかったかもしれない。
「……巫女に問いたい。ここに神仙に類する力があると聞いた」
江流は気を緩める事無く老婆に問いかける。
「そう気が張っていちゃこちらも話しにくいよ。それでも飲んで落ち着きな」
と、老婆が指差した机の上には、いつの間にか湯気立つ湯飲みが置かれていた。
「緑茶というのだったか。あんたのふるさとの味だろ?」
――幻覚か?
「実物だよ」
――思考を読まれた!?
「ははは、別に思考を読んでるわけじゃないよ。あんたの顔がわかりやす過ぎるんだ」
老婆の言葉に咄嗟に左腕で顔を覆う。
「警戒しなくてもいい。あんたが本気になればこんな婆、一捻りだろう?」
揺り椅子を揺らしながら朗らかに笑う老婆。
――まったく読めないな。どうする?
左腕で顔を覆いながら老婆を見つめるが、敵意や嫌忌は感じられない。
――ここまで来て何を怖気づいている。『毒を食らわば皿まで』だ。
江流は机へと向かうと湯気立つ湯飲みに口を付けた。
口の中に広がる爽やかな苦みと芳醇な香り。故郷でもこれほどのお茶は滅多に味わえない。
「美味いかい?」
「……ああ、美味いな」
「はは、ようやく素直になったね。それじゃ、本題に移ろうか?」
そう言って椅子を揺らす老婆に、江流は問いかける
「あるのか?」
「あるかどうかは、対価次第かねぇ。あんたはこの婆に何を払う?」
まるで子供に菓子を選ばせるように、老婆は江流に問い返した。
「俺の血を」
江流はその問いに迷わずそう答える。
「……ははは、わかっているのかい? あたしに血を捧げる意味を」
返ってきた答えに瞠目した老婆は、今まで朗らかだった笑みを妖艶に歪ませた。
「それに見合うものを貰えるのだろ?」
江流は気圧されぬよう腹に力を入れ問う。
「ふっ、ただの若造かと思っていたら、なかなか骨のある奴じゃないか」
「それは、気に入って貰えたと受け取っていいのかな」
「ああ、気に入った。いいだろう、あんたにいいものを貸してやろう」
「貸す? どういうことだ」
江流の問いに老婆は口元を歪め、再び机を指さす。
「いつの間に……」
さっきまで口を付けていた湯呑が消え、代わりに香炉が置かれている。
「使うか使わないかは自分で決めな」
「効果くらいは教えてくれてもいいんじゃないか?」
「ははは、欲張りな坊やだねぇ」
老婆がしわがれた声で笑うと。
「エーテルを注ぎな。それであんたの望む世界が見られる」
ますます謎めいたことを口にした。
――『虎穴に入らずんば虎子を得ず』。……なんかさっきと同じこと言ってるな。
そう考えて自嘲する。おかげで肩の力がすっと抜けた。
江流は香炉に歩み寄ると、ゆっくりと手をかざす。
香炉が一瞬光を帯びたかと思うと、辺りに閃光が広がった――。
●
「ここは……?」
目の前に木目調の壁が見える――いや、天井か?
江流は首を横に動かしてみた。
――やっぱり、さっきの場所じゃない。ここはいったい……。
そう考えて、江流は跳び起きた。
「そんな……。ここは、俺の家なのか……?」
上半身を床から起こし、部屋を見渡す。
もうずいぶんと帰っていないが見間違えようもない。ここは実家の自分の部屋だ。
「くそっ、一体どういうことだ」
記憶はある。という事は幻覚か、それとも実家まで飛ばされた?
そんな事が起こるのかと、江流が考えていると――。
「お兄、いつまで寝てるの!」
女の声に考えの全てが吹き飛んだ。
――そんな、まさか。
ゆっくりと声のした方を振り向く。
そこには炒飯でも作っていたのか、お玉を片手に部屋の入り口に立つ妹の姿。
俺と同じ黒髪に黒瞳。東方の血を濃く受け継いだ海神家の特徴だ。
肩口でそろえた黒髪を揺らし、肉付きの薄い細身の体はあの時から何も変わっていない。
「本当に池留……なのか?」
「何言ってるの、当たり前でしょ。まだ寝ぼけてるの?」
俺だけに勝ち気なこの性格は、やはり間違いないのか。
だが、妹は長い間病に侵され心身共に弱っていたはず。そして何より、もうこの世には――。
「どうして生きて……」
と、喉まで出かかって何とか押しとどめた。
「もうお昼ご飯ができるよ。早く着替えて!」
言葉に詰まる兄を不思議に思いつつも、池留は江流を急かす。
――これは幻覚だ。幻覚なんだ……。
そうだ。俺はあの老婆の前から一歩も動いていない。だから、あの妹は香炉が見せている幻覚なんだ。
「どうかしたの?」
いつまでも起き上がらない兄を訝しみ、池留は問いかける。
「何でもない。すぐに着替えていくから待っていてくれるか?」
「うんっ!」
兄の声に安心したのか、池留は笑顔で手を振ると部屋を後にした。
「なんてものを見せるんだ……!」
見えない老婆に向け怒りをぶつける。
――確かにこれは俺の望む世界だ。だが、こんなもの……!
江流は上着を手に取りベッドから身を起こした。
●
「池留、一人か?」
「そうだよ、なんで?」
「あ、いや、何でもない」
そう言って妹の正面に座る。机には出来立ての炒飯が山盛り置かれていた。
「寝起きでこの量はきついんだけどな……」
「何言ってるの、冒険者は体が資本なんだから、いっぱい食べなくちゃ!」
グッと拳を握りつつ力説する妹。病気だったあの姿が嘘のようだ。
「池留、身体はいいのか……?」
「うん、調子いいよ。なんで?」
「い、いや、病気の……経過とか」
「もう、それはとっくに治ってるって。お兄が治してくれたんじゃない」
変なお兄といって、池留は皿に追加の炒飯を盛る。
――違う……俺ができたのは老いを遅らせるだけで、病気の治療は……。
幼い頃から病弱で、年の半分は床に臥せっていた池留。先天的な授恵者だったにもかかわらず、病魔に打ち勝つ力は持ち合わせてはいなかった。
父や母はこれも天命だと半ばあきらめ妹に接していたが、俺にはどうしてもそれができなかった。
何とか妹を治す術がないかと何年も様々な文献を読み漁り――出会ったのが『仙術』や『道術』という東方の技だった。
ロスガリアの魔法とは明らかに違うそれに、江流は一縷の望みをかけた。
もし、この技が行使できるのなら妹の病を治すこともできるのではないか。
そう考えた江流は、それを求めロスガリアを彷徨った。他種族の文化やエーテル技術に触れ知見を得ては、自ら試行錯誤した。
しかし、時は無情だった……。
「池留は生きているんだよな……?」
「見てわからない? 元気元気だよ!」
変な質問にも池留は力こぶをつくる。
それがたまらなく心をざわつかせた。
「俺は冒険者だ」
「……私もそうだよ」
ぽつりと呟いた言葉に、池留はトーンを落とし答える。
――そうか、この世界では、冒険者になれたんだな。
返ってきた答えが妙に嬉しくて表情が緩んでしまう。
「今日死ぬかもしれないし、明日死ぬかもしれない。危険な仕事だ」
何とか表情を改めて話を続ける。
「そうだね。それが冒険者だもんね。私だって覚悟はしているんだよ」
両親にも見せない池留の強い部分。病床に伏していた頃も、俺に心配を掛けまいと何度も見せてくれた。
「どうすればお前を救える?」
だからこそ、聞かないといけないと思った。
「……もう救われてる、お兄が救ってくれたんだよ」
池留は目を伏せて嬉しそうに呟く。
「だから、大丈夫。私は幸せだよ。これからもお兄とずっと一緒にいるから。だから……」
ぎゅっと胸の前で拳を握り締める池留。
「縛られないで。お兄は私の分まで長生きして、お兄の生を楽しんで欲しいな。それで、もし……もしも神仙の高みに辿り着けたら――」
「お兄が経験した世界の事、沢山聞かせてね」
淡い笑みを残して、この世界の池留は光に溶けて消えた――。
●
「お帰り。よく帰ってこられたね」
「帰れない可能性もあったのかい?」
ふふっと笑う老婆に、江流は見せつける様に肩をすくめる。
「それで、桃源郷にでも行けたかね?」
「行けていたら、神仙の一人でも探したんだけどね」
肩を竦めついでに嘆息すると、香炉を指さした。
「悪いけど、これは俺の求めるものとは違ったよ」
「そうかい」
どこか嬉しそうに答えた老婆が手を振ると、机に置かれてあった香炉が消え、再び湯呑が現れる。
「つかれたろう、お茶でも飲んで一息つくといいさね」
「できれば、そちらの術を教えて欲しいんだけどね」
と、今度は迷うことなく湯呑を手に取ると口を付けた。
「あんたにはまだ早いよ」
くくくと不敵に笑う老婆に、江流は「お茶ご馳走様」と湯呑を置いた。
「それじゃ、対価を払おうか」
言って江流は腕を捲った。
「もう貰ったよ。ありがとうね」
一体いつと問おうとした瞬間、再び辺りが光に包まれた。
●
「……化かされたのか?」
目の前の大樹を見つめながら江流は呟く。
大樹のウロにあったあの庵は、跡形もなく消えていた。
「この世はまだまだ不思議なことだらけだよ、池留――」
大樹の更に先を見上げながら、江流はそう呟いた――。